見出し画像

車内での迷惑行為と勇気

山手線の車内で酔った男が留学生らしい若者を罵倒しながら蹴りを入れている。そんな現場にボクは出くわした。

先月の末、車内喫煙を注意した高校生が数分間にわたり暴行され、周りの乗客は傍観していたという事件が世間やネットでも話題になった。こういう事件を耳にするとボクがかつて体験した「似たような出来事」をいつも思い出す。冒頭で書いた出来事である。同じようなことを経験した者として思うことがあり、何となくnoteの下書きに書きかけて、そのままになっていた。(記事にするかどうかを決めていなかったので)その下書きを今日とりあえず最後まで書き終えた。で、せっかく書いたので記事に上げることにします。まずは、当時ボクが体験したことから…


それは、かなり昔のことでボクは二十代半ば。山手線の車内で酔った男が留学生らしい若者を罵倒しながら蹴りを入れている。そんな現場に出くわした。

車内に乗っていた「酔った男」というのは三十代後半〜四十代くらい。スーツにネクタイをした普通のサラリーマンで完全に酔っているというほどではないけど、ちょっとお酒は入ってるなという感じのオヤジだった。(若かった当時のボクにとっては30〜40歳はオヤジだったので)オヤジは留学生の若者に対して…

「お前、●国人だろ!なんで電車に乗ってるんだ!」…などと、あり得ない罵倒をしながら留学生の脚を蹴ったり持っていた傘で叩いたりしていたのだ。(具体的な国名を記すことが的確に思えないので伏せ字にしていますがアジア系の国です。また彼は実際には就労者だったかもしれないけれど、ここでは留学生としておきます)

オヤジの行為は暴行というような激しいものではなかったけれど留学生はドアの隅に押し込まれるような形で、その暴力に黙って耐えていた。それは『日本人の大人が留学生の若者をイジメている』のを見せられているという状況だった。車内には、そこそこ客も乗っていたが喋っている人もいなかったので、その状況は誰もが認識していたはずだった。だが、注意したり止めに入る者は誰一人いなかった。

画像1

それを目にしたボクは一気にカッとなった。胸のむかつきが半端なく、そしてそれまで頭に浮かんだことさえなかった【日本人として恥ずかしい!】という思いが湧いたのだった。気がつくとボクは二人の間に割って入って「みっともないこと止めなよ!」とオヤジの行為を遮っていた。


そのときのボクは歳も若く、自由業だったこともあって見た目はチャラい学生に見える風貌。そんなボクに、いきなり割って入られたオヤジは一瞬たじろぎながら言った。「なんでだよ…。あんた、なんで日本人なのに、●国人を庇ってんだよ」ボクは「そんなこと関係ないんだよ!」とオヤジを睨みつけていた。オヤジはブツブツ言いながらも渋々ボクらの前から座席前の吊り革の方へ異動して行った。その間、車内の他の客は無反応。そうしてるうちに電車が駅に止まりドアが開くやいなやボクの背後にいた若者は逃げるように電車を降りて行った。

そして、そのときボクは頭の隅で(ボクの行為は留学生の若者を助けたことになったのだろうか?)との気持ちが一瞬よぎったのを憶えている。


ボクがこのことを今回、記事に書いたのは『電車内で迷惑行為等を見かけたら勇気を出して注意しようよ』とか『見て見ぬ振りは良くない』とか言いたいからじゃない。話はこれから。


ボクは当時、漫画家の小林よしのりさんの事務所『小林プロ』に頻繁に出入りしていた。

そのころ小林さんは少年ジャンプ等でヒットを連発した後、次なる大きなヒットとなる「おぼっちゃまくん」や「ゴーマニズム宣言」を発表する少し前で、精力的に多くの雑誌での仕事をこなしていた。週刊誌連載も含め月刊連載等も複数かかえ、締切前には6〜8人のアシスタントが同時に複数の作品を仕上げていく(そこそこページ数のある3本の作品を同時にとか)というようなことも日常だった。

少年マガジンの担当編集さんが同じだったこともあって、ボクは小林さんの仕事場に助っ人(臨時アシスタント)として手伝いに行ったのをきっかけに、それから数年間は小林プロに頻繁に出入りしていたのだ。(当時はボクもレギュラーの仕事はしていたけれど漫画雑誌の仕事量はそれほど多くなくて時間の余裕はあった)

ちなみに先述のような殺人的なスケジュールで仕事をしているからといって、みんな黙々と仕事をしてるのかというと、そうではなく常に喋りっぱなし。それも何かについて掘り下げて議論しながら仕事をしているので、しばしば話に集中しすぎて手が止まることも(笑)そんな仕事場だった。人の内面にまで踏み込んでくるので合わない人もいると思うが、ボクの体質には非常に合っていた。助っ人を頼まれてもいないのに仕事中の仕事場に遊びに行ってたくらいだから(笑)


と、話が逸れてしまったけど、そのように頻繁に小林プロに出入りしていた頃なので、ボクは山手線での出来事を「こんなことがあったんですよ。ありえないですよ!」と話をした。その状況を聞いた小林さんがボクに言った。

「くぼクン、それヤバイよ〜!それはイカンよ」だった。

正直、そのときのボクには????。何がいけないのか分からなかった。「え?何でですか?そんなの止めるしかないじゃないですか」そう言うボクに小林さんは「その男、酔ってるよね。傘持ってるよね。くぼクン、傘で刺された可能性だってあったんだよ。くぼクンの行為は危険すぎる!イカンよ」

「そ、それは、そういう可能性はあったかもしれないけど、他にどうすれば…。放っておくんですか?小林さんだったら、どうするんですか?」

「わしやったらね、まず車内にいる乗客に向かって声をかける。『皆さんは、この状況を見て何とも思わないんですか?黙って見てるんですか?止めようとは思わないのですか?私は今から止めたいと思います』そう呼びかけてから止めに入るよ」

正確な言葉は覚えていないけれど、内容としては、そのようなことを小林さんは言ったのだった。

当時それを聞いたボクは「ええ〜!そんなドラマみたいなこと言えないですよ〜!無理ですよ」と言ったのを覚えている。正直それを聞いたとき、ボク的にはリアリティは感じられず『絶対無理、普通に止めるしか出来ないよ』と思っていた。たしか、そのときはそれ以上の話にはならなかったと記憶している。

ただ、今思い返すと車内でのボクの行動も正しかったとも思えない。そもそもボクはあのときカーッと頭に血が昇って感情的になって行動に及んでんいたと思う。それが良いとはいえない。たとえ正義感から出た行為ですら、それが感情的に行われれば結果的に間違った方向へと向かうことは多分にあることだ。

また、暴力行為をしている男が普通のサラリーマンのオヤジではなく、見るからに危険なタイプ、反社会的な雰囲気がある男だったらボクは同じ行動は取れたのか?何も出来なかったんじゃないのか?という疑問も湧いてくる。それって、けっきょくは見て見ぬふりをした車内の人と変わらない。ボクはオヤジの持つ傘が「傘」にしか見えていなかったから怖く感じなかっただけで、先の尖ったような凶器だと認識していたら躊躇なく行動が出来たのか?等いろいろ考えるとボクの行動は、やっぱり単に冷静な判断を欠いた行為、たまたま危険な目に合わなかっただけの愚かな行動に思えるのだ。

そう考えると小林さんが言っていた、自分の身を守るため『みんなに呼びかけてから行動する』というやり方が、とても合理的に思えてくる。

呼びかけることで車内の隅で個人的に起こっていること(暴力、イジメ行為)を車内の人全員を巻き込んで<皆んなの共有事項>にしてしまうということになる。それって『見て見ぬ振り』が通用しないということだ。
また、車内には注意したいとは思っていても自分に被害が及ぶのが怖くて何も出来なかった人もきっといたはずだと思う。みんなに呼びかけるということは、そういう人(行動に起こせなかった人)に対して声を上げる勇気を与える背中押しになったのではないか。
そもそも、そんなふうに車内全体に声をかけた段階で
男は焦って乱暴を止める可能性だってかなり高い。
そして何より思ったのが、乱暴を受けていた留学生の若者のことだ。
彼は外国で(電車内という公の場で)理不尽な暴力を受けているのに周りの人は無関心…。どれほど絶望的な気持ちになっただろう。彼は自分を蹴り続けるオヤジよりも周りの人間の方が恐ろしく感じていたかもしれない。


画像2

だけど…
もし、このとき、みんなに呼びかけることで、何人もの人が「やめなよ」「良くないよ」と声を上げてくれたとしたら、彼の心はどれだけ救われただろうか。

そんなふうに考えると、やはりボクの行為は彼を本当に助けたことになっていなかったんだろうなと思えてくる。当時、あのときに感じた違和感は間違ってなかったんだと思う。







と、ここまではボクの体験談と、そのことについて、今、思ってることを書いた。そして、これからのこと。この間の事件のことも踏まえて、今、思うこと。

電車内等での迷惑行為や見過ごせない行動を目の当たりにしたとき、勇気を持って注意することも大切だし、そういう勇気は讃えられるべきだと思う。(ボクのように感情で行動するのは問題外だが)でも、こんな時代である。注意することのリスクはみんな知っている。だったらどうだろうか。『同じ勇気を出すなら<危険に対する勇気>ではなく<恥ずかしさに対しての勇気>を出す』というのは。

ボクが昔、小林さんに『みんなに呼びかけるなんて、そんなドラマみたいなこと無理ですよ〜』と言っていたのは、そんな行為は恥ずかしくて出来ないよ、という思いからだったと思う。役者でも政治家でもない普通の人が、いきなり大衆に向けて呼びかけるなんて、かなり恥ずかしいし目立つことが苦手な人には勇気がいることだろう。しかし、やれないことじゃない。

みんなに呼びかける勇気が無ければ、先ず側にいる一人にでもいい。「あの人を注意したいんですけど、一緒に言ってもらえませんか」って。「いや、私は無理」とか「知るかよ」と鼻で笑われてもいいじゃない。痛くも痒くもない。そんなの「わかりました」と言って、また隣の人に声をかければいいだけだ。そうやって繰り返してれば絶対に誰かが協力してくれるはずだと思う。

と言っても、いきなりそんな現場に出くわしたときに、瞬時に行動を起こすのは難しいかもしれない。だからボクは、そういう状況(自分が周りに声をかけるという状況)を常にシミュレーションしておこうと思う。そうすれば、その場で考える間もなく直ぐに行動できる気がする。

そして、みんなもそんなふうに出来ないだろうか?
『同じ勇気を出すなら、危険に対する勇気ではなく、
恥ずかしさに対して勇気を出す』

それが自身を守ることにもなり、
見て見ぬ振りする人を減らして
少しでもこの社会がマシになるキッカケ
になるかもしれないから。

以上がボクの思ったことである。


絵と文:久保マシン(Y)くぽりん


くぽりん著作権


サポート&オススメいただけましたら、めちゃくちゃ創作の励みになります。いただいたサポートは今後の漫画制作や活動費用に充てたいと思います。応援どうぞ宜しくお願い致します(ぺこり)