武士道とは死ぬことと見つけたり

 もちろん、これは「葉隠聞書」の一節である。鍋島藩の武士はこうあるべきという理想の姿を、藩士山本常朝が語ったことを同じく藩士の田代陣基が書き写したものである。この一文があまりにも有名だが、葉隠聞書は全11巻にもおよぶ指南書で、この他にも多くのことを語っている。ただ、この一文が葉隠聞書という書物や山本常朝という人物を物語っている。武士は職業であるが、生き方なのである。この書が書かれた宝永7年は西暦でいうと1710年、江戸時代の中期ということになる。戦乱の時代はおわり、世の中は落ち着きを取り戻して久しい。戦国時代、武士たちは食うか食われるかの中にいた。その刀は殺人刀であり、死はすぐ隣にある身近なものだったのだろう。しかし、江戸時代も中期になると、この殺人刀は不要なものとなる。つまり、武力で生計を立てていた武士という存在は不要なものになったのである。いや、ちがう、殺人刀が必要でなくなったのである。そこで、この殺人刀は活人刀として別の意味をもたせることになる。食うか食われるか、自分たち領民のためなら、人を殺し、盗み、貶めることが常識だった武士たちは生きるために自分たちの存在を儒教という哲学で飾り立てていくのである。「義」を重んじる生き方を武士は目指すのである。武士たちは主君のために「忠義」を誓う。主君のために刀は使うのである。忠義のために、つねに「死」を覚悟しろというのである。「生か死か」2択の場面なら、まよわず「死」をえらべ、なぜなら人間誰しも「生」を望む、そのために理屈をつけるけど、最初から「死」を選べば、あてが外れて「死」を迎えるようなことがないのだから。毎朝毎夕、心を正して「死」を思い、死ぬ覚悟ができていたならば失敗することもないし、職務をまっとうすることができる、ここでいう職務とは主君に仕えるというである。葉隠聞書を読みすすめると、いわゆる武士道の「義」とはすこし違うし、儒教的要素というよりは「狂」の匂いがプンプンするが、忠義を誓って、主君に使えているという点においては狂いはない。ただ、私の感想としては報われなかった山本という老藩士のイライラが溢れ出ていて、完全に老害の書だなということ。山本さんには悪いけど。

 しかし、このイライラ老害書が後の世に使われてしまうのである。主君のために命さへも差し出す潔さや純潔な感じを日本人は美しいと感じるし共感してしまう。特攻隊や一億玉砕、お国のためなどにはこの「死ぬことと見つけたり」はうってつけのフレーズだったのだろう。武士道のもつ「忠義」「仁義」「礼儀」など「義」の精神は、現代日本人の持っている道徳心のコアな部分となっていると個人的には思っている。いまは、それを薄めて気配だけをまとっているような気もするが「社畜」という言葉や「協調性」をおもんじる風潮をみていると、まだまだ「義」の精神が私達を覆っていることはまちがいないようだ。

 武士道を語る時、人はすこし背筋をのばす。武士道のもつ精神性やその中に貫かれる「義」の美しさが私達をそうさせるのだろう。「義」とは高い倫理観だから。これはビジネスの世界でも貫かれていて、拝金主義に陥りがちな精神を戒め、理想を掲げ商売を拡大する。経営者なら社員やその家族を大切にし、社員は経営者と会社に忠義をちかう。会社そのものをひとつの家族と考えるのである。家族のためなら死ぬ気で働く。「24時間働けますか」というCMがあったけど、外国からみたら、ただただ怖いだろう。同じように、葉隠聞書を読んでいると「怖さ」を感じる。忠義を尽くすためにどうして「死」を選ばなくてはいけないのだろう。その覚悟や潔さは本当にかっこいいのだろうか。狂気ではないだろうか。

 釈迦は「生老病死」は人がうまれもっている「苦」であるといった。その「苦」を取り除くためにどうしたらいいのかを探した先に仏教ができたけど、わざわざその「死」という「苦」を毎朝毎夕みつめ、覚悟必死で生きろというのが「武士道」なのだ。いくら格好よくても、そんな「苦」は御免被りたいと、昼間からお酒を飲みながらこれを書いている私は思っている。

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