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第一章

「邂逅」

男は腰のベルトに差した中国製のトカレフをそっと抜き、眼下で命乞いするハン・ソジュンに銃口を向けた。
「頼む、許してくれ」

ハンが土下座のような姿勢で、地面に向かって叫んでいる。男は必死に命乞いをする在日朝鮮人グループのリーダーに激しい嫌悪感を覚えた。
今まで散々人を陥れておいて、今更許してくれだと?ふざけるんじゃない。俺の女はお前に殺されたようなものだ、これは命の精算だ、全ては0に戻る。
男はハンの太ももに弾を2発放った。サイレンサー付きのトカレフがパスッ、パスッと小気味良い音を奏で、その瞬間にハンが断末魔のような叫び声を上げる。プレハブ小屋の床は瞬く間に血の色に染まり、焦げた薬莢の匂いが鼻をかすめた。

「最後にもう一度聞く。お前らのグループの売り上げはどこに隠してある」
「だから、それは知らな」
ハンが言い終わる前に、男が放った銃弾が額を貫いた。ハンはそのままばたりと前のめりに倒れ込んで、動かなくなった。
男はバーバリーのコートのポケットからスマートフォンを取り出し、電話掛けた。
「もしもし」
「もしもし、あぁ俺だ」
「ハンの処理が終わったので、片付けお願いします。場所は稲川仮設のヤードです」
「わかった。お前はしばらく関西方面にでも行ってガラかわしてろ。向こうに着いたらまた連絡くれ」
「了解です」

ヤードの外に停めた古い型のレクサスLSに乗り込み、男はタバコに火をつけた。山道を10分ほど走り、大通りに出ると後は目的の泉ICまでほとんど一本道だ。念のためバックミラーで後方を確認するが、怪しい車は見当たらない。男は広瀬川を渡る橋に差し掛かったところで、横電用のスマートフォンを川に投げ捨てた。

それから高速に乗り、4時間程掛けて関東に向かった。

浦和で高速を降りると、盗難車を扱う闇ブローカーのいる中古車屋に行き、車を乗り換える。

男が乗っていた型落ちのレクサスは、適切な処理が施された後、ナンバープレートを取り替えて再び犯罪に利用される。

盗難車を扱う業者のほとんどは、オプション料金を払えば、偽造した車検証やナンバープレートまで用意してくれる。

車屋を出る頃にはすっかり日が昇り、朝の通勤ラッシュによる渋滞が始まりかけていた。東京駅の八重洲口方面まで向かい、近くのコインパーキングで車を停める。別の人間が回収する手筈になっているので、ダッシュボードに車のキィと二十万円の現金を入れた封筒をしまい、車を後にした。

大阪行きの新幹線の車内は、平日の昼間であるにも関わらず、それなりに混雑していたが、幸い指定席の車両は空いていた。三列シートの1番窓側の席に腰を降し、男はため息をついた。

掌には拳銃のグリップの感触が生々しく残っている。人の命の灯火というのはあんなにもあっさりと消えてしまうのだと、改めて痛感させられた気がした。

「警戒」

目を覚ますと、車の中だった。

ここは一体どこだろう。加藤武は、ぼやけた視界で出来る限りの情報を集め、自分がなにをしようとしていたのかを思い出す努力をした。

運転席では、白川圭がうまそうに煙草をふかしながら、鼻歌を歌っている。

煙を換気するために10cmほど開けられた窓からは、1月の澄んだ冷気が車内に入り込み、加藤は思わずくしゃみをした。

「お、タケさんやっと起きましたか」

白川がルームミラー越しに呑気な口調で呼びかけてくる。助手席に座っている田辺俊也がスマートフォンを片手に持ったまま、こちらを振り向いた。

「タケさ〜ん、すごいいびきかいて寝てたっすよ。ちなみにもうすぐ目的地っす」

どうやら夢と現実が混同しているようだ。ハイエースの硬いシートで寝ていたためか、腰と肩がやけに痛い。加藤は寝ぼけ眼をこすりながら、窓の外に目をやるが、スモークフィルム越しに見える外の景色は真っ暗でほとんど何も見えない。

「わり、俊さんそこの充電器にささってる携帯取ってもらっていいか」

「はいよ」

田辺からスマートフォンを受け取り時刻を確認すると、夜中の2時を回っていた。暗い車内でスマートフォンが放つ光を目に浴びていると、徐々に意識がはっきりしてきた。

「なんか、すげえ変な夢見てた」

「へぇ、どんな夢すか?」

運転席の白川がさも興味がなさそうに訊いてくる。

「人殺す夢だよ。拳銃で知らない韓国人の頭吹き飛ばしてた」

「やばいっすね、その夢。それタケさんならいつか本当にやりかねない」

助手席の田辺がケラケラと笑いながら言った。

「いやいや田辺さん、いくら悪いことしてるつっても、流石にそこまではやんないよ」

事務所荒らしは今回で最後にしよう、という会話を交わした事を加藤は思い出した。

加藤と田辺と白川の3人は仕事仲間で、1年前まではアワビの密漁を行なっていた。

だが4ヶ月程前に船が故障してから漁に出られなくなっていた。

それからは、田辺がもともとやっていた人材派遣の仕事を2人が手伝ったが、元請けの業者と連絡がつかなくなり、程なくして3人は事務所荒らしに手を染めた。

ターゲットとなる事務所は、大量の現金もしくはそれ相応を金融資産が眠っている場所に限られた。

事務所の場合、社長のデスクのPCに社長名義の株式資産や会社名義のクレジットカードの情報などのデータが、大したセキュリティもかけられずに丸ごと保管されている場合が多い。

それをUSBメモリにコピーし、データそのものを闇ルートで売り捌くか、自分達で換金するかのどちらかだった。

ただ、リスクの割に儲けが少ないため今回が最後にしようという話になったのだ。

「つきました」

白川がハイエースを停めたのは品川区にあるごく普通の住宅街の一角だった。
パッと見た感じは金持ちの屋敷といった印象だが表札には、大松忠法律事務所とある。2階建てでヨーロッパ風のモダンな外観をしたその建物は、近所の家と比べてもひとまわり大きく、築年数もそれほど経っていないように感じられた。

何度か下見に訪れているので、見るのは初めてではなかったが、白いコンクリートと青いフィルター・ガラスをふんだんに使って建てられたその家は、住宅兼事務所というよりは、やはり屋敷といった方が似つかわしく、いかにも瀟洒で贅沢な雰囲気が漂っていた。
おそらく第一級の建築家が手掛けたものなのだろう。

「よし、じゃあ圭は車頼むね」

田辺はそう言って、頭にLEDライトを装着した。

加藤も連られて、ラバーグリップの作業用手袋を手にはめる。

白川はタバコを喫いながらその様子を眺めている。

後部座席に置いてある2つのショルダーポーチの内の一つを助手席の田辺に手渡し、加藤は自分のショルダーポーチの中身の道具を改めて確認する。

マイナス・ドライバー、ターボ・ライター、トランシーバー。

確認を終えると、ハイエースのスライド・ドアーを引いて車外に出る。

続いて、助手席の田辺が降りてくる。

するとハイエースは、ディーゼルエンジン特有のエンジン音を響かせながら、閑静な住宅街に広がる夜の闇へと消えていった。

辺りは完全に暗闇になった。加藤も田辺も闇に溶け込みやすいように全身黒尽くめという出立ちだ。

「マイナス、持ったすか」

田辺が先程より声のトーンを落として、言った。

「持った。ターボもある。」

ターボライターは田辺が好んで使う事が多かった。

掃き出し窓や出窓のクレセント錠の付近のガラスを炙って壊すのだ。

ガラスは熱に弱いため、一箇所を集中的に熱すると簡単にヒビが入る。

そのヒビに沿ってマイナスドライバーを突き刺して錠付近のガラスだけ小さくくり抜く。

するとほとんど音を立てることなくガラス破りができる。

ただ、これには多少時間が掛かるため、せっかちな加藤はクレセント錠付近のサッシにマイナスドライバーを突っ込み、こじってガラスを割る方法を好んだ。この方法だと、こじる際に多少音が出るが上手くいけば解錠まで20秒とかからずに済んだ。元来の手先の器用さもあって、ガラス破りは主に加藤の仕事だった。体重が90kg以上ある巨漢の白川は、専ら運転手兼見張り役として2人のバックアップを担う。常に冷静沈着で判断力に優れていた田辺は、トランシーバーを使って各々に指示を出す。

事務所荒らしを成功させるにはチームワークがなによりも大事だった。

「圭、どうだ、異常ないか」
「異常もなにも、人っ子一人歩いてないっすよ。最寄りの交番だってここから直線距離で5kmは離れてるんで余裕っす」
「了解」

じゃあタケさん、行きますかと言って田辺が静かに門扉を開けて敷地内に忍び込む。
加藤はトランシーバーの電源を入れてイヤホンを耳に装着し、田辺の後を追った。

「今回はノビなんで、慎重に行きましょう。俺はここから2階を見張っとくんで、タケさんは窓お願いします」

玄関前にはLEDの人感センサーライトが取り付けられているので、加藤はそれを避けるようにして裏庭の方に回ることにした。

庭園灯の仄かな明かりだけを頼りに、慎重な足取りで石造りのアプローチを進むと、事務所として使われている部屋がある方へと回り、ショルダーポーチからマイナスドライバーを取り出した。頭部につけたLEDライトのスイッチを押し、出窓のクレセント錠の部分を照らす。ごくありふれた一般的なタイプのクレセント錠で、二重ロックや二重ガラスなどの防犯設備も施されていないようだった。

建物がさほど古くないので、てっきり何かしらの防犯設備がある事を予想していた加藤は拍子抜けした。加藤は黒い防寒ジャケットの襟に付けたイヤホンマイクに向かって、声を潜めて話しかけた。

「窓は普通のやつだった。多分三十秒もあれば入れる」

敷地の入り口から2階を見張っていた田辺がすぐに返事をした。

「了解。こっちは異常なしなんで、いつでも大丈夫です」
「じゃあ、いきます」

小枝を踏んだようなパキッという音が微かにした後、カラカラからとサッシについたレールの上を窓が滑る音が加藤がいる事務所部屋の方から聞こえてきた。
相変わらず仕事が早い、と田辺は心の中で呟く。イヤホンから加藤の声が聞こえてきた。

「開いた。これから中に入る」
「さすがっす。俺もそっちに向かいます」

庭の草木は隅々まで手入れが行き届いており、どこか日本庭園を思わせる趣があった。田辺は加藤がそうしたのと同じように、慎重に出窓がある事務所部屋の方へと回り、不自然に開け放たれた窓から暗い室内を覗き込んだ。一足先に中へと入っていた加藤は、早速棚やらデスクの引き出しやらを物色している。

事務室は10畳ほどの広さで、ローテーブルを挟み込む形で応接用の革張りのソファが二つの置かれている。奥には事務机があり、その上にデスクトップのPCが置かれている。余計なものが少なく全体的に簡素な作りだが、書棚や間接照明などの調度類はアンティーク調に統一されており高級感があった。

窓枠は胸程の高さにあるため、田辺はサッシに手をついた状態で勢いよく地面を蹴り上げ、出窓によじ登った。音を立てないようにゆっくりと窓際のソファの上に着地する。加藤は無事田辺が入ってきたことを確かめると、他の部屋を見てくると言って玄関の方へと向かった。家の中心には廊下があり、階段に向かって左側が居間と和室。右側に屋根付きのテラスと事務室がある造りだった。

足音を殺して、忍足で廊下を歩いていた時、微かに物音が聞こえた。
加藤は気のせいだと思ったが、その音は次第に淀みなく、はっきりと加藤の耳に届いてきた。
正確には物音ではなく、人の話し声だということがわかるまで時間がかかった。10秒だろうか、30秒だろうか、加藤にはわからない。だが息を殺し、全ての神経を耳に集めるとその声はどうやら家の外から聞こえてきているということがわかった。
一瞬にして顔から血の気が引き、心臓が音を立てて跳ねるのを感じた。時刻は既に深夜の3時を過ぎている。侵入する際に誰かに見られたのだろうか。話し声の主は付近の住民が、それとも警察官なのだろうか。とにかく一刻も早く逃げなければならない。これまでに経験したことの無いケースに、加藤は酷く動揺していた。

足音が鳴ることも気にせずに、田辺がいる事務室へと駆け足で向かう。

「聞こえたか、おい」
「なにが」

田辺は事務机のデスクトップPCを操作していた。

「話し声が外から聞こえるんだ。もしかしたら通報されたかもしれない」

そう言っている間にも、話し声は再び加藤の耳に届いてきた。素早い動作で人差し指を口元にあてる。今度は先ほどよりも鮮明に聞こえてきた。どうやら片方は女性のようだ。目の前の田辺の顔が青冷めていくのがわかった。

「逃げるぞ」

田辺が声を落として呟くのと同時に、デスクトップPCに挿していたUSBメモリを引き抜き、出窓に向かって一直線に駆け出した。
加藤も後に続く。
ソファによじ登り、外の敷地に着地する際に音を立ててしまった。加藤はまずい、と思い辺りを見回した。田辺が裏手の柵をよじ登り、道路にジャンプするところだった。顔を右に向けると、人の顔が見えた。

「やばい、見られたぞ!」

加藤が叫ぶのと同時に、田辺が勢いよく駆け出した。走りながらトランシーバーで指示を出している。そのまま田辺の背中を追い、150m程走ったところで路地を左折すると、白川が乗ったハイエースが現れた。

加藤は後部座席のスライド・ドアーを力一杯引き、中に乗り込んだ。助手席に乗り込んでいた田辺が出せ、と叫び白川がハイエースを急発進させた。

「いやぁ、危なかったっすね」

侵入した品川区の事務所から10km程離れたところで、田辺が小型の齧歯類のような前歯をのぞかせて笑った。

「ずいぶんと焦ってたけど、住人にでも見つかったんすか?」

運転席の白川が例によって呑気な口調で問いかけた。

「いや、住人じゃない。外部の人間だ。多分、ガラスを割った時の音を聞きつけたか、ライトの光が外に漏れて怪しまれたんだ」

そう言いながらも加藤は、そんなことはありえないはずだと考えていた。

ガラスにヒビを入れた時の音は小枝を踏んだ程度の音で限りなく小さかったし、侵入した出窓は開けてこそいたものの、代わりにカーテンを閉めていたから部屋の光が外に漏れたとも考えにくい。だとすると、侵入した際に既に誰かに見られていたことになる。

「実は逃げる時、顔を見られたんだ。じいさんだった。大丈夫かな」
「大丈夫っすよ。タケさんの今の風貌なら人相なんてほとんどわからない」

田辺の言っていることはあながちまちがいではなかった。確かに加藤は、全身黒づくめという出立ちに加えて、頭には黒いニットキャップをかぶり、鼻と口は不織布マスクで隠していた。

車は国道48号線を北に進んでいた。加藤の心は暗澹たる思いに包まれていた。最後の事務所荒らしが不発に終わった事を悔しがるわけでもなく、白川が言った。

「まぁ、仕方ないんじゃないすか。こういうこともあるっしょ。今までが上手く行きすぎたんだ」


最後の事務所荒らしから程なくして、加藤は田辺や白川とは疎遠になっていた。元々彼らとは友人としてそれほど親しい間柄ではなかったし、加藤にはそれが自然のことのように思えた。

加藤はその後、中学を出てからすぐに勤めていた土建屋に戻りしばらく犯罪とは無縁の生活を送った。それなりに楽しいこともあったが——正確には、“あったのだろうが”あまりにも印象が薄い——基本的には同じ毎日の繰り返しで、つまりは退屈な日々だった。幸い、警察に逮捕はれることもなく(加藤達は証拠を残さずに仕事をした)そのような日々が2年程続いた。

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