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変わる刑罰によって:おはなしを書くこと10

https://news.yahoo.co.jp/articles/1b6a89afcb135023bea85ecf0b85a177ac14d892

今日の速報ニュースで改正刑法が可決成立したとのこと。気になるところを引用します。

【速報】「侮辱罪」厳罰化 改正刑法が可決成立 ネット中傷“歯止め”なるか 懲役・禁錮を廃止「拘禁刑」創設
(前略)今回の改正では、刑務所などに収容する刑罰のうち刑務作業の義務がある「懲役刑」と義務がない「禁錮刑」を廃止し、2つの刑を一本化する「拘禁刑」を新たに創設する。(後略)

上記リンク、FNNニュースより

おはなしを書くこととしては、明治以来100年続いた名称が変わるのはかなり大きいのですね。しかも意味合いも変わる。施行は数年内ですが、そのあいだにいろいろと変更しなくてはならない作品や本が現れると思います。

まず意味合いが変わることが物語に大きく関わりますね。
 これまでは「懲役」という字には「らしめる・=労働を課する」という意味合いがありました。犯罪に対して罰を与え、期間内を強く束縛し自由がない状態で労を課して、罪を償わせるというのが目的だったわけです。
 このことは被害者側の感情にも影響を与えます。もちろん極刑(死刑)を望む被害者もいますが、そこまでに至らない犯罪も多くありますね。そういう犯罪行為に対して「現役社会」から何年も時には何十年も逸脱させるという罰を与え、被害者側の溜飲を下げる意味合いです。
 禁固刑は労務がありませんが、同じく現役社会からの逸脱がなされることで犯罪者への罰を与えるわけです。懲役よりは軽いですが、同じような作用があるかと。
 懲役と禁固では、世間的イメージでは圧倒的に懲役のほうが重いですね。これは多くの物語に「禁錮○年」という罰が現れず、「懲役○年」の文言が使われることでもあきらかです。禁錮よりも執行猶予のほうがメジャーなじゃないかと思います。
 これらのことから、懲役という言葉はかなり重い意味を持っていることがわかります。そして物語はそういう重い意味の言葉に求心力をもたせていきます。

その懲役という言葉が、法律からなくなるのが今回の刑法改正です。
 懲役と禁錮を廃し、新たに「拘禁刑」という言葉ができました。いま文字を打って変換しましたが、懲役刑と禁固刑はすぐ予測に出てくるのに、コウキンケイは抗菌系がトップで拘禁刑は現れません(Google日本語入力。これから多くの人が使うと予測が出てくるわけですが、まだしばらく時間がかかると思われます)。

拘禁刑は懲役よりも、再犯防止のための再教育の割合が強くなるとされています。極刑でない限り、日本はかならず出所するわけですから、社会に戻ったあとでまた再犯しないようにすることを前提とした仕組みに変えていくのですね。
 となると、これまで犯罪を裁くときにあった感情というものの扱いが変わります。
 物語にとって大きなのはこれです。

物語上、極刑を言い渡されないで「懲役○年」とされることでお話が決着し、被害者がある程度救われる(ある程度ね)という話が多くあります。
 現在の刑事ドラマはだいたい逮捕までですが、裁判を巡るドラマではその罪状による懲罰がカタストロフとして働いていました。
 ところが拘禁刑では、懲らしめるという要素が少し薄まる(もしくはかなり薄まる)ことで、加害者側の人生についての再挑戦が示唆され、被害者側の救済がおろそかになる印象が出てきます。
 実際のところどうなのかは、拘禁刑が実際に出てくることになってからですよね。しかしそれは物語とは関係がない。

現在の日本で多い物語パターンは、懲罰系です。実際の刑事罰になるかどうかは別として、量産されている多くの物語が「ないがしろにされた誰かの救済のために、その加害者がダメージを受けるか懲罰を受ける」というパターンになっています。
 たとえば、ラノベや男性向けマンガに多い「本当は有能だけどパーティで無能扱いされて追放された主人公が、実は凄い能力が次々発覚してめざましく出世し、そのことで元のパーティが実質的・精神的なダメージを受ける」のもそれだし、女性向けマンガだと「まじめにやっている主人公が、妬み嫉みまたは権勢欲にまみれた上司や同僚・先輩や同級生・ご近所や親戚にいろいろと貶められるも、そのまじめさゆえの能力またはまじめさをきちんと見てくれている誰かによって救済され、加害者が相応の罰を食らう」というのもそれです(もちろんそうじゃない作品もかなり多いですよ)。
 懲罰という仕組みが物語の中で、読者の快感を引き起こす装置になっていることがよくわかります(感動を引き起こす装置ではありません)。

こういう物語は今後も増えますが(そもそも勧善懲悪は日本の伝統的パターンですし)、実際の社会の中で機能しなくなる可能性があれば、物語はますます別世界線(異世界とは限らない)になるか、極端な方法になるかです。
 池波正太郎が流行させた代理で恨みを晴らす家業つまり「仕掛人・仕事人」などの復讐代行がいろいろなパターンで使われていますね。失職や左遷、はたまた動産執行。死でなければ、加害者の大事なものが喪われるか、加害者の立場を悪くすることですね。

あと気になるのが既存の物語ですね。
 ドラマや映画など作り直しの難しいものは仕方ありません。そのまま懲役や禁錮という言葉を使い、それに付随するイメージが残りますから、古びていくしかない。良い物語を擁していれば、言葉が古くなろうがイメージが違おうが、残ると思いますが。
 今現在売れている小説など、まだ可変的な操作ができる媒体は変更するものとしないものが出てくるかな。大変な作業です。それぞれの著者がどうするか、それを出版社が受け入れるかというところです。

さて。

正式な懲罰のありかたであった法制度が、受け手(読者や視聴者、観客)にとって軽いと思えるものに変更されることで、これから作られる物語が大きく変化していくのではないかと思います。
 すくなくとも刑事ドラマや裁判ドラマなどでは、懲罰としての刑罰ではなく、再教育としての刑罰が要素としてちらちら見えることで方向性が変わるかもしれません。
 そのとき、死刑制度はどう扱われるか。相当数の殺人でないと極刑にならない日本で(さらには世界の潮流に合わせて死刑制度が廃止に向かうかもしれない中で)、日本人の懲罰感情は基本的に「死罪」を基本に据えられているため、物語はどう変化していくか。
 今回の刑法改正は、かなりの注目点だと思いました。

ところで、改正施行の瞬間に懲役または禁錮が課されている人たちも拘禁に変わるんですかね。
 その時点までに刑を終えている人は変わらず、懲役とか禁錮で賞罰欄に書くことになりますが。

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