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すごいひさびさ。今書いてる原稿と、創作講義は「テーマ」についてと。

まあ、いつもひさびさなんだけど。
 なんか来てないあいだに機能が変わってる。あれか、BRタグとPタグを正しく使えるようにしたんだな。日本語はBRタグを使って細かい改行をするものの、実はそれはひとつの段落、パラグラフなんだよねというのの実装。これは授業では「形式改行」と「意味改行」という言葉でやってる。形式改行を多く使うと読みやすさはあるけど軽くなる。緩急の使い分けにいいですね。

そういうことじゃなくて、ひさびさ。
 さっき、一つ前の投稿で雑誌「日本児童文学」で創作時評始めましたというのを書きました。それこそひさびさの表仕事。これで改名(くぼひでき→くぼ英樹)が公表されました。まあ、反応は0ですが。これでいいのだ。

さて、そういうのはいいとして、本はどうなんだ、本は出るのかという感じですが、準備中です。
 編集部に渡っていて、いま1冊めはだいたいOKなんではないか、2冊めは今読んでもらってるところ、3冊めは今買いてるところ、といった感じ。3冊シリーズといわれたけど、ほんとに出るかなあ。
 シリーズと言っても主人公は変わるし舞台も違うしテーマも違う。素材が共通しているってことなんですが。
 うまくいきますように。ボツになりませんように。

ほかの出版社で待ってもらってるものも書かなくちゃ。
 調子が愕然と落ちたのが10年前くらいで、人間不信とかいろいろあって書けなくなって不義理をしているのですが、2020年から少し復調して、ようやく今年の頭から書き始めることができたんですよね。好きなもの書くのは楽しいですね。直すのも楽しい。
 幼年もの、中学年もの、高学年もの、などなど書きたいものがいっぱいあるのに、言葉が出ないってのがもどかしかったです。
 がんばります。


前回もそうだったんで、少し創作講義めいたものを。

きょうもQuora(わたしがいちばん出没しているQ&A式SNS)で、こういう質問があったんです。

「読者が読みやすいような小説のテーマ、小説の書き方は何ですか?」というものですね。ここでは次のように回答しました(回答の一部)。

自分が想定している読者をどこにおくかです。
 年齢層、経験、立場、そういったもので読者は変わります。沖縄の小学1年生と、北海道の漁師さんでは、かなり変わりますよね。
 だからそれを想定してください。
 想定すると、その想定された読者の生活範囲内にあるものごとがテーマだと読みやすい(とっつきやすい)です。

Quora、上記リンク。

この「テーマ」って、質問によくあります。
 いわく、テーマってどう作ればいいですか。いわく、テーマって必要ですか。いわく、テーマは重くなくてはいけませんか。などなど。
 テーマについて多くの初学が誤解してるのが、その設けかたなんですよね。

  1. 最初にテーマがあってそれを考えながら書く

  2. 書き上げてからテーマを自分で発見し、それを考えながら直す

初学のひとは2のほうがいいと思うんですよ。思うままに一度書いて、それから自分で自分の作品に対して「こういうことを言いたかったのかな」とかよくよく考える。
 このときテーマは別にどんなものでもいい。重いも軽いもない。そして一つじゃなくてもいい。
 たとえば、人生でもいいし、空腹のごまかしかたでもいいし、転校でさびしいでもいいし、アリの巣すげえでもいい。
 忘れてはいけないのは、テーマのほとんどは主人公の活動に重なってるってことです。テーマが不揃いだと、主人公の行動は一貫性がなくなるんですよ。
 で、テーマが決まったら、それに沿って作品を直す。上記の「空腹のごまかしかた」だとしたら、それにあわせたセリフにするとか、場面を作り直すとかする。

で、ある程度書けるようになったら、テーマを最初に置いてみる。
 といっても、ここで大きなテーマとか持ってくる必要はないんですよ。
 たとえば「SF童話賞」に応募するとなったら、テーマは「SF」です。そこで「SF」とはなんだろうって考えるんです。
 いくつも定義がある言葉です。サイエンス・フィクションというのが最も通りがいいですが、サイエンス・ファンタジーという人もいるし、スペキュレイティブ・フィクション(思弁小説)という人もいる。藤子・F・不二雄は「sすこし fふしぎ」といってましたね。
 自分にとってというか、今から書こうとしている話のタネのSFをある程度定義できたら、それをもとに書く。主人公の行動はその定義に添っている。それこそがテーマ。
 さらに、書くと必ずそのほかのテーマもまざります。それらを合わせて直す。
 大きなテーマはいりません。
 賞によっては、そういうのを設けてるところありますが、あまり気にせず、主人公に近づけることです。

それでも、大きなテーマをもつことがあります。
 広島に関係した作家さんは、原爆というテーマをもちますね。わたしの観察では、実際に被爆したか、それをあまり知らずにおとなになってからかなり知ったという作家さんがテーマにもちます(わたしは被爆2世に相当しますが、そのテーマに求心性がない。生活の中にふつうに出てくる原爆被害のかけら、それくらいを書きこむほうが自分にとってはリアル)。
 政治的だったり、ジェンダーだったり、虐待、貧困、戦争、いじめ、そうしたものは重要なテーマになります。
 ですが、作品の登場人物は、作中世界で生きる人間です。生活する人間です
 これを忘れてテーマばかり考えてると、作者がテーマによって人物を操り人形にしがちです。作者の生の言葉をセリフとして喋らせてしまいかねません。
 作中の人間は、作家そのものではない。彼らは別個に生活している。書いていると、登場人物が作家のかんがえを超えた行動をとることもありますね。これを制御しない。
 テーマのために生きている人間は、現実世界においても大変です。がんじがらめならもう死ぬかも。
 しかし作中の人間は作家の人形ではありません。テーマを重くかんがえすぎて人形扱いしないように、大きなテーマのときは気をつけたほうがいいです。

以上、今回はテーマについてでした。



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