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結局みんな、五月病。

🖌️まーちゃん

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なんか最近全然ダメ、ほんとどうしようもない。
朝は起きられないし、仕事は終わらないし、クボとは喧嘩するし、告知は遅いし、TIGETのリンクとか貼り忘れちゃう。
ほんとに全然、全然ダメ。
ちょっとポンコツがかなりポンコツになっている。

ずーんとなっているときは、自分の嫌なところや、出来てないことばかりが気になってしまう。
気の利いた返しができないとか、些細なことでイラっとしてしまうとか、なんの才能もないこととか。
考えたって仕方ないし、早く寝なよと自分でも思うけど、そんな気持ちや理屈とは裏腹に突然やってくるのが、こんな風に長い夜で、来なくていい朝なんだよな。

「しっかりしている」自分が好きで、ついつい踏ん張ってしまう。
しんどいのに無理してるとか、誰かのために頑張ってるとかではなくて、「働いている」私が好き。
完全に自分のためだけに、ギリギリのところで踏ん張っている。
本当はしんどくないし、頑張ってない。
自分が居てもいい理由を探すために、キッと気を張って、「私は有能だ」と言い聞かせている。
それは自分でなにかを生み出すことよりも、光が当たる場所に立つことよりもよっぽど簡単で、なにより無責任だ。

ダメだな、私は。
観てないテレビを消して、薄く音楽を流す。
こうやって卑怯に、自分勝手に、ずるく生きている自分がたまに嫌になって、今日みたいに夜に捕まってしまう。
嫌だけど、簡単には変えられない。
これは、“何も持ってない”私が時間をかけて導きだした、「誰かにとって必要な存在」だと勘違いできる生き方だから。

人はどんなときに、自分が“何者でもない”側の人間だと気がつくんだろう。
私はそれをかなりはっきり覚えていて、こんな日によく思い返している。
私に「自分は凡人」だと教えてくれたのは、<絶対に勝てないあいつ>の存在だった。

私は、音楽をしていた15年以上もの間、自分が何者かであることを願い続けてきた。
いつか評価される気がする、もっと上手くなれる気がする。
夢を追うことを許される環境に甘んじて、来るかもわからない“いつか”に期待して。

もちろん何度も辞めたくなったけれど、それでもずっと続けていたのは、音楽が好きな気持ちと、「自分が何者かである」という過信があったから。
自分の演奏に自信が無くて「すみません」が口癖だった中学時代。
裏方の仕事も楽しいんだと気づいた高校時代。
どんなときも、ずっと私のそばにあったのは音楽で、これを死ぬまで続けるんだと漠然と信じていた。

最初は目も当てられないくらい下手だった私でも、泣いたり笑ったり楽しくやっているうちに、なんとなく形になってくる。
「あれ、私って意外とイケるんじゃない?」と、良い気になっている時に近しくなったのが、同じ楽器を演奏する同い年のとある女の子だった。

頭はいいけど、ちょっと怠惰で、朝に弱くて、食べるのが好き。
ちょっと抜けてて、ぽけっとしてるように見える彼女は、友達としてはめちゃくちゃ最高で、プライドの高い私のライバルとしては本当に最悪だった。

彼女はあまりに、才能に溢れていた。
入学したときからかなり楽器が上手だったし、知識も豊富で、その上にしっかり矜持を持っていて、そしてなにより、あり得ないくらい努力家だった。
私は後にも先にも、彼女以上にひたむきに努力できる人間に出会ったことがない。
彼女が練習を重ねる姿は、私の今までのそれが単なる遊びだったと思わされるほどに強くて、真っ直ぐで、美しかった。

うまいのに、頑張るのか。
そうか、本当に“持ってる”やつは、うまくても、頑張るのか。

全部勝てない、と思った。
才能も、実力も、知識も、努力も、想いも、何一つ敵わない。
彼女の存在は、積み上げた自信と、私の根底にある過信を少しずつ崩していった。
感化されてたくさん練習したり、嫉妬して自分勝手に距離を置いたり、仲直りしたりしたけれど、何年一緒にいても、「勝てた」と思える日は来ない。
彼女の隣で演奏するのはとても楽しくて、ぴったり重なる音に何度も興奮して、何度も救われたけれど、いつだってちょっぴり辛かった。
こんな体たらくでは、ライバルなんてとても言えないな。

優秀な彼女は、大学の卒業演奏会の出演者に選ばれた。
演奏会当日、客席にいるときも、調子を崩してしまっていい演奏ができなかったと大粒の涙を流す彼女をみているときも、私は自分勝手にも「またこいつに負けたな」と思っていた。
最後の最後まで、私は彼女に勝てなかった。

「こんなやつが成功する世の中ならいいな」
そう思えるようになる頃には、一生音楽を続ける夢からはとっくに覚めていて、そのことが既に思い出になりかけてしまっていた。
私ときたら本当にいつも、大人な気持ちになるのが遅い。
こういうところでも、あいつにはいつでも勝てなかったなと、深夜の暗い部屋でひとりごちた。

私が音楽をやめて、何者でもない人生を歩み始めた社会人3年目の春。
彼女は大学院を卒業して、音楽を続ける道を選んだらしい。

こんなときでも私は、やっぱり自分のためだけに、彼女の活躍を祈る思いで願っている。

頼むよ。
君の努力が報われてくれないと、君が笑顔で舞台に立てる日が来ないと、あの日の私が救われないんだ。
何者にもなれなかった、「負けた私」が弱いのではないと、実直で、正しい努力だけが実を結ぶんだと、そう確信できる瞬間は、きっと君の晴れ舞台をこの目でみる時までやって来ないんだ。

意味ありげに、感傷に浸る様に流していたクラシックを止めて、私が最近気に入っている曲に変えた。
この間オススメしてもらった、自分からは選ばないファンクの曲。
他人の成功に身を預けるしかないくらいに何も持ってなくて、自分勝手な私を認めてくれるようなその歌詞に、甘えながらそっと目を閉じる頃には、外は明るくなり始めていた。


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