繊細彼女と付き合う非繊細女

2001年生まれ。大学院生。彼女はHSS型HSPらしい。遠距離。彼女をもっと大切にでき…

繊細彼女と付き合う非繊細女

2001年生まれ。大学院生。彼女はHSS型HSPらしい。遠距離。彼女をもっと大切にできるようになりたい。

最近の記事

HSP彼女と付き合うって難しい

私はかなり男性に多い性格(理論的)をしていて、感情の機微が大きい彼女とぎこちない雰囲気になる時がある。 彼女はいわゆる繊細さんで、 私がいつも傷つけてしまう。 この前の電話で事は起きた。 彼女がお出かけに行ったので、それの感想を伝えたいということで電話をした。 最初は普通に話をしていたのだけど、静かになる時間も増えてきて、 今日(彼女が)話したい事はこのくらいなのかな?と思って、私は数日前からしたかった話をした。 私はそんなつもりはなかったのだけど、その話は結局ネガ

    • 私の彼女は絶対にいいお母さんになれる、けど、

      私を選んだら、彼女は子どもを持つ選択肢を持つことが途端に困難になる。 私自身、彼女にお母さんになって欲しかった。 彼女と付き合う前から、この子はいいお母さんになるなあ、あったかい家庭を築くのだろうなあ、と考えていた。 私が彼女に与えられるものより、奪うものの方が大きい気がして、幾度も悩んだし、泣いたし、悔しくなったし、苦しんだ。 それを彼女に伝えると、彼女は 「私からあなたといる幸せを奪わないで」と言い、私といることを選んでくれた 意図的で、恣意的で、打算的なものを

      • 遠距離中の彼女、具合悪いらしくて、何の意味もないんだけど、なんとなくりんごを買って帰って、夜ご飯は卵がゆ食べた。なんか彼女の家に帰る気でいたんだよな。りんご買っていったら帰れる気がしたんだよ。

        • 男女の性生活不一致問題

          思うのだが、離婚の原因上位にある性生活の不一致問題、やはり男性が女性の感覚を真には知り得ないからではないかと思えてきた。 雑な物理的刺激のみで簡単に快楽を感じることができるらしい男性と、心理的安全、現在の心身状態、シチュエーションなどなど多くの条件をクリアした上でさらに繊細な工程が必要な女性のギャップはやはり大きすぎる。 ちゃんと快感を得られている女性は一体どれだけいるのだろう。 私の観察範囲では、性生活に満足していると言う女よりも痛いんだよね、いうてそこまで気持ちよく

        HSP彼女と付き合うって難しい

          サヨナライツカ

          人間はどうして高尚であろうとするのだろう。 ご多分に漏れず私もそうなのだが。 自分が一生添い遂げたい相手に求めることを考えた時,素直な人とか,美的感覚を共有できる人とか,芯のある人とか,色々なことを求めるでしょう。 確かに人間としての幸福はもはや動物としての幸福だけでは足りない領域にまで及んでいる。 だが,高尚な人間である前に私たちはやはり動物である。 痛みや喜びの経験から形成された,パートナーに求める条件がどれだけ理に叶っていたとしても, 動物としての快楽を知ってし

          普段丁寧な言葉遣いの彼女の、心のうちで密かにしてる(のかもしれない)べらんめえ口調が私の前でたまに出てくる瞬間たまんねえ〜〜〜

          普段丁寧な言葉遣いの彼女の、心のうちで密かにしてる(のかもしれない)べらんめえ口調が私の前でたまに出てくる瞬間たまんねえ〜〜〜

          共有ってなんですか

          恋人からこんなことを言われた。 あなたがいう、共有ってなんだろう と。 おそらく私にとっての共有とは、 同じ感情や思考を有すること、 いや、全てが同じでなくとも構わない、 どこかで重なり合いが生まれればよいのだ。 恋人に対して持つ共有欲は、私の一部が相手の一部と自然と重なる瞬間を共に体験する、という意味合いなのだろう。 その一瞬を見逃したくないから、一緒に同じ場所に行き、同じ風景を見て、同じものを食べ、音楽を聴き、映画を観る。 だから、自分が今日食べたものや見たも

          私の好きなこと

          いつも土日は入っているバイト先のカフェが今日はおやすみ。 長らく行きたかったスコーン屋さんに来ている。(スコーンを見かけたら食べるようにしている、好き、おいしいよね、あの素朴な味がさ) 窓際に座れた。商店街を行き交う人々を見ていてふと思った、というか思い出した? 私はこれまでの知識や体験の蓄積があったからこそたどり着けた、気付けたという体験が好きなのだ。 だから、自分なりの視点で世界の事物を解明していこうとする研究者はかっこいいなと思ったし、神経科学の中でも記憶という研

          自他との境界線

          前回の記事の続き。 今回は平和とか戦争とか、大胆に話を広げていきたい。 他人を理解するのは難しい。自分と他人との溝は存在する。また、言語や文化、信じてるものなどが違えば、別々の集団が成り立つ。 私たちがひとつになれないのはそりゃあ当たり前だと思う一方で、それでも、なぜ分断されるんだろうという疑問が残る。 分類や区別は確かにあるんだけれど、分かれたところで離れ離れにならなくてもいいじゃないか。 黒人と白人。パレスチナとイスラエル。中国と台湾。 自分がいる枠を決めて、それ以

          恋人はアコギが弾ける人がいい、

          今の恋人が恋人になる前、お互い好きかもしれないというあのあのふわふわした期間に「付き合うならアコギが弾ける人がいいな」と言われた。 私はそれが精一杯のアプローチだったことに全く気付かず、 ああ、付き合いたい人の特徴に当てはまっているから私のことを気になってるのか、と少し悲しくなっていた。 本当は、私が自分の好意に全く気付いていないっぽいから、分かりやすく言ってやれという感じだったらしい。 私は相手が自分のことをそんな風に思っていたなんて微塵も思っていなかったから 言

          恋人はアコギが弾ける人がいい、

          言葉を交わすことについて

          ある一つの側面しか切り取れていないのだ 全てを見ることも語ることも難しい 試みてもいいが、きっと的外れか、とても冗長になって言いたいことがぼやけてしまうか 本当はそれぞれの背景があって正義も悪もない 然るべき理由があってそうなっている そのなかで疑いようのないことは私のこころだけ、信じることができるのは信じている人の本心に近い言葉だけ だから、愛する人とはぜひお話をしましょう

          言葉を交わすことについて

          一人暮らしの洗濯物の量はカネコアヤノ1曲分くらいでちょうどいいね

          一人暮らしの洗濯物の量はカネコアヤノ1曲分くらいでちょうどいいね

          人類の叡智が好き!

          最近知って面白かった、西洋と東洋(インド)の歴史の捉え方の違いから。 西洋と東洋では、昔の出来事の綴られ方が違ったようだ。 西洋では、いついつどこで誰が何をした、というように。 (まるで詰め込み式の日本教育みたいな) 東洋では、あまり細かいことは気にせずに、物語のように。 歴史は過去から学ぶためにあるとはよく言ったものですが、その観点からいえば、東洋の仕方に軍配が上がりそう。 時間、場所、主体を省略し、抽象的にかくことで本質を抽出していくことができるから。 西洋の

          自分じゃないってなんだろう

          自分と自分じゃないものの違いってなんだろうとふと考えた。 これは壮大なお話でもあるし、すごく身近なお話でもある。 身近な話からする。 自分の身体から離れたら価値が変わるものがある。 例えば髪の毛。 頭皮についてる時は美しいのに、床や洗面台に落ちたらもう汚いと言われる。排水溝に詰まった奴らなんて気持ち悪さすらある。 あとは唾液。 これは『自分の価値を最大にする ハーバードの心理学講義』という本に書かれてあったプチ実験のこと。 自分の口に唾液を溜めて、それをもう一度飲み

          自分じゃないってなんだろう

          誰かひとり、愛する人ひとりすら理解するのは難しくて、どうしても他人同士であることは分かっている。 その一方で、どうして分断したがるんだろうという疑問が湧く。私。家族。学校。町。国。世界。なんで一つになれないんだろう。宇宙人が攻めてきたら、地球で紛争なんてしてる隙ないのに。

          誰かひとり、愛する人ひとりすら理解するのは難しくて、どうしても他人同士であることは分かっている。 その一方で、どうして分断したがるんだろうという疑問が湧く。私。家族。学校。町。国。世界。なんで一つになれないんだろう。宇宙人が攻めてきたら、地球で紛争なんてしてる隙ないのに。