自分じゃないってなんだろう
自分と自分じゃないものの違いってなんだろうとふと考えた。
これは壮大なお話でもあるし、すごく身近なお話でもある。
身近な話からする。
自分の身体から離れたら価値が変わるものがある。
例えば髪の毛。
頭皮についてる時は美しいのに、床や洗面台に落ちたらもう汚いと言われる。排水溝に詰まった奴らなんて気持ち悪さすらある。
あとは唾液。
これは『自分の価値を最大にする ハーバードの心理学講義』という本に書かれてあったプチ実験のこと。
自分の口に唾液を溜めて、それをもう一度飲み込む。これは躊躇なくできる。でも、その唾液を一度コップに出して、先程と同じように飲んでくださいと言われると、どうだろう。少なくとも私は嫌だし、汚いと思う人が大半なのでは無いと思う。
物質としては何も変わってないのに、どうして?
自分の身体から離れたら、なぜ嫌悪感を抱きはじめるんだろう。
自分と自分じゃないものってどう分けられてるんだろう。
神経科学的に考えてみる。身体所有感覚。自分の体に触れているかいないか?自分の意思で動かせるかどうか?(厳密には情報のフィードバックが起こり、意思の感覚が生じるかどうか)
もし、自分の身体から離れた髪の毛や唾液が感じる(はずの)圧力や温度の情報を私たちの脳に直接フィードバックしたら、まだ所有してる感覚は生じるのだろうか。
偽のゴムの手を自分の手だと錯覚してしまう有名なラバーハンドイリュージョン(https://youtu.be/nzF_DfOafKw)の次のステップという感じがする。
もっと壮大な話。これはまた今度にしよう。
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