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きょうだい児8歳の夏(預けられた2つの家での孤独)その8

 私の思い違いでは、ない。それは、母の言葉が証明している。
 あれは、何歳頃だったか。中学生になっていたかもしれない。
 何か言い合いになり、
「お母さん、私のことなんてちっともかわいがってなんかくれなかったじゃない!!」
  と声を荒げた。
 さすが、毒母。間髪を入れず反論してきた。
「3歳までは、かわいがったわよ!」
 はっ!? はぁ~!?
 私は、呆れて次の言葉を見つけることができなくなってしまった。これは、あまりにショックが大きくて思考能力がなくなってしまう、いつものパターン。母の言葉を聞いた時、よく私が陥ってしまう状況だった。
 つまり。
「3歳まではかわいがったけれど、病弱な晴信が生まれてそっちに手がかかったんだからしょうがないじゃない。それくらい察しなさいよ、お姉さんのくせにそんなこともわからないの? まったくどういう神経してるのやら」
 ということ。
 3歳。
 3歳以前の記憶など、そうあるものではない。かわいがられたことなど、一つも覚えていない。
 皆無。
 だいたい私は、母にやさしく接してもらった思い出は、たった3つしかないのである。
 一つは、4歳くらいの冬。雪が積もり、母が庭に行って小さな雪の玉を握り、私に渡してくれた時。母は、布製の黒い手袋をはめていたのを覚えている。
「はい」
 とか何とか言って、手渡された。
「あれ? 今日怒ってない」
 こんな気持ちのおまけも一緒に。
 つまり、4歳の時点ではもう弟が生まれていたから、毎日忙しく、そのストレスを私にぶつけていたのだろう。
「みぞおちの痛み刺さりて消えず」にも書いたけれど、住みこみのお手伝いにも同様のことをしていたはず。そうして私は、すでに母の顔色を窺いながら生活をしていたことになる。
 2つ目は、保育ママ宅から夕方家に帰りながら、その日買ってきた物をクイズ方式で当てるゲームをしていた時。
「それは硬い物ですか?」
「いいえ、違います」
「それは、着るものですか?」
「ちょっと近いです」
 母が買ってきた物は、モコモコの素材のスリッパだったのだけれど、その時はとてもとても嬉しかった。逆に言えば、そんな和やかな時間は本当にめったになかった、と言うことの裏返し。
 最後は、小5くらいの時の夏。家でかき氷を食べていた。今もある定番のカップ入りだったけれど、それは新発売で真ん中にアイスクリームが丸く埋め込まれていた。シャリシャリの赤い氷と白いアイスクリーム部分を混ぜながら、ひとときの涼しさを楽しんでいた。
「こういう氷と、アイスクリームとどっちが好き?」
 母が聞いてきた。木のスプーンをなめながら。
 この時も最初に、
「あれ、今日怒ってない」
 と思った。そして、どう答えれば母の満足の行く返事になるか、とっさに考える。
「本当はアイスクリームの方が好きだけど、いつも買って来るのはかき氷の方が多い。アイスって言うと、不満を持ってることにならないかな?」
 ここまで気をまわしてから答えると言うのは、10歳かそこらの子に一体どれだけのプレッシャーが与えられているかということでもある。
 本当に「お疲れ様、私」と思ってしまう。
 もちろん母は、私が心の中でこんなことを考えているなんて、全く知らない。
 もし知ったら。
「私はそんな思いさせたことない。あんたが、ひねくれてるから」
 と言うに違いない。
 けれど無邪気に、
「アイスクリームの方が好き!」
 と言った場合、
「やぁね、いつも買って来るかき氷は、じゃガマンして食べてたの?」
 と言うかもしれない。
「かき氷!」
 と言えば、
「アイスクリームの方が高級なのに、欲がないわね」
 と貶してくるかもしれない。
 どう答えても、反対のことを言ってくるのはよくあること。そこに法則があるとしたら、なんとしても娘を下に見て、支配下に入れておこうという一点のみ。
 それでもなるべくその罠に落ちないよう、どう答えれば一番良いか涙ぐましい努力をしてしまう私だった。

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