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きょうだい児8歳の夏(預けられた2つの家での孤独)その1

 何度か他のエッセイで書いているけれど、3つ下の弟は、先天性の心臓疾患があり手術をしないと20歳まで生きられない、と言われていた。
 弟の晴信(仮名)が生まれてからというもの、両親の気持ちは、ほぼ100%彼に注がれた。 
 当時病気の子供のきょうだいの総称など存在しなかったけれど、今は「きょうだい児」という言葉で、まとめられている。きょうだいは、病気だったり障害があったり様々だけれど、多くはそのせいで我慢を強いられて悲しい幼年期を過ごす側のきょうだいたちがいる。
 しかし、親が前向きだと楽しく一緒に面倒を見たり、両方に深い愛情を注がれて、大人になったらきょうだい同士で仲良くしたり、といったケースもある。
 どちらに転ぶかは・・・親のスタンスによるところがとても大きい。
 私の家は、どちらだったのか。前者だ。とにかく、両親はそんな子供を持ってしまったことで、常に暗い気持ちでいた。
 今思うと不思議だけれど、それで私が焼きもちを焼いたり、問題行動を起こしたことはなかった、と思う。それはきっと、弟のことをかわいがっていたからだ。病気のことは理解していたけれど、もしかしたら死んでしまうのでは? という心配はあまりしていなかったと思う。
 それなのに大人になってから、音信不通になってしまうほど嫌われてしまったわけだけれど、それはまた別の話。いや、そうではないのかも。どちらも、結局は親の考え、行動が大きく影響しているのだから。
 晴信の心臓あたりに手を当てると、ものすごく異様な音がした。掌まで振動しそうなぎゅんぎゅんぎゅんという異音で、それだけ心臓が目いっぱい働いて命を繋いでいたのだと思う。
 両親、特に母は、ものすごく私に辛く当たってきた。良く言われる、
「お姉ちゃんなんだから」
 はもちろん、言葉にはしなくても、
「晴信は、幼くして死んでしまうかもしれない。だから特別に可愛がって、当然。あんたは我慢しろ」
 という圧が、強烈だった。
 「死ぬ」という言葉は、タブーだったので、誰も表立っては使わない。それでも2回ほど叱られたことがある。
 少女漫画のセリフで、
「心臓強いぞ~」
 というはやし言葉を見つけたので、きょうだいゲンカの際に無邪気に使ってみた。
 そうしたら、後で父に呼びだされ、
「晴ちゃんは、心臓が弱いんだから、そういうことを言うもんじゃないよ」
 と諭された。この時は父も冷静だったので、
「それは、悪かったな」
 と反省した。
 もう一回は、母によって。
 やはり弟とケンカをしていて、売り言葉に買い言葉で、
「死んじゃえ~」 
 と言った時。
 こちらも、晴信が寝た後など、彼がそばにいない時を見計らって、母が押し殺したような声を出し、詰め寄ってきた。
「晴ちゃんにさっき死ねって言ったでしょ? 晴ちゃん手術して、もしうまくいかなかったら、本当にいなくなっちゃうかもしれないのよ!! よく考えなさい!」 
 ものすごく、怖い。怖くて怖くて、凍りつきそうだった。
 弟は、5歳で手術に臨んだから、私はその時8歳だ。
 たしかに状況から考えると、言ってはいけない単語だったと思う。いえ、誰に対しても言ってはいけない。そんなことは、今ならじゅうぶん知っているけれど、年端もいかない子供に対して、あそこまで怖い顔で迫ってくるか? 逆効果。
 そのせいがどうかはわからないけれど、私が最も恐怖を感じる光景の一つに、寝ている夜中に鬼の形相をした母に覆いかぶさられ、怒号を浴びせられるというのがある。
 今でも、だ。
「そんなに、怖かったんだねぇ」
 自分で、笑ってしまう。
 その形相が、思い浮かんでしまった場合は、急いで振り切るけれど、すべて幼少の頃に植えつけられた恐怖が原因。まったく・・・疲れてしまう。
 私は「稀沙」と呼び捨てにされていたけれど、弟は「晴ちゃん」と愛情をこめて呼びかけられていた。
 そこにも見えない区別、差別があったのだろう。私はその違いを、うすぼんやりと感じながらも、きっと、
「晴ちゃんは、身体が弱いから」
 と理由をつけて、納得をするようにしていたのだと思う。
 「稀沙がいるから、そっちの世話もしなくちゃいけなくて、晴ちゃんの世話を思う存分できない」
 母は、全否定するだろう。だけれど、そう思っていたからこそ、私にあらゆる我慢を強いてきたし、何よりすべてのことは晴信優先だった。

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