きょうだい児8歳の夏(預けられた2つの家での孤独)その4
思えば私が一メートル手前で歩みを止めてしまったのは、すでにその時トラウマを抱えていたせいかもしれない。
夏だった。
「ママ~」
と甘えて抱きついたことがあった。おそらく小1か小2の時だ。
「あー、暑い暑いやめて~」
と突き放された。
抱きつくことも許されないのか。めったに甘えることなどしないというのに、ひどい仕打ち。
もう2度と抱きつくのは、やめよう。潜在的にそう決めたことが、鎌倉駅での距離に繋がった可能性が大きい。
もしも。
私が走り寄って抱きついたなら?
やっぱり、父と同じく抱きしめかえしてはくれないだろう。
そうして、
「なんですか、お姉ちゃんのくせにみっともない」
などと言われてしまうだろう。
ぎりぎりのところで生きていたから、これ以上傷つくと生きていかれないと思って、無意識に抱きつくのをためらったに違いない。
どちらにしても、悲しく耐えがたい一メートルの距離だった。
よけいに寂しい思いをするくらいなら、来てほしくなんかなかった。その時何を話したのか、何分くらい時を共にしたのか。まったく覚えていない。
もしかしたら、やさしい言葉もたくさんかけてくれたのかも。そして、母がいつも言うように、私がひねくれているから、嫌な方だけを記憶の箱に入れているのかもしれない。
そう思った時期もあったけれど、わざわざ辛い思い出だけを集めて生きにくくするほど、私は後ろ向きの性格ではない。母が今でも、マイナスの話ばかり始めるとうんざりするように、どちらかと言えばその類の姿勢にアレルギー反応を起こすほど苦手。さらに結婚後に築いた家族や友達との様々な思い出は、いつも最初に楽しい方が先に思い出される。私が明るくふるまうよういつも気をつけているので、お陰様で友達からは、 「稀沙ちゃんはいつもポジティブで明るいね」 と言われることが多い。 そう思うと、やはり事実も記憶とそんなに大差はなかったと思う。
駅での一コマなど、まだ良い方。
鎌倉での日々のエピソードの最後は、あまりに悲惨で辛すぎる。
手術も無事に終わり、母は晴信が回復するまで長期休暇を取ったみたいで、9月から始まる2学期の最初の方は家にいた。その間保育ママの家に行かなくて良くなった私は、とても嬉しかったのを覚えている。
母に思いきり甘えられる。という淡い期待は、早々に打ち砕かれた。
晴信の手術が終わっても母は、私の方を振り向いてはくれなかった。これで弟のためにガマンする必要もなくなった、と思ったのは大間違いで、今から思えば弟は「愛玩子」で私は「搾取子」であっただけ。
晴信が病弱であろうが、健康になろうが基本的には関係ないのだった。さらに、手術関連のことで、疲れ切っていたので私に思いを寄せる余裕などなかったのだろう。
もちろん当時はそんなことはわからない8歳の子供の私。
「あれ、前とあんまり変わらないな。かわいがってくれると思ったけど、間違いだったかな」
と頭の片隅でぼんやり考えていただけだった。
そこへ追いうちをかけるような一言。あまりに母らしく、そうして愚かな質問だった。
「鎌倉に行っていた時、おばさんが朝と夜泣いてたって言ってたけど、そんなことないわよねぇ」
私は、犯罪が見つかってしまった犯人のような気持ちになり、うろたえた。
「ばれてたのか・・・」
ちゃんと眠っているのを確認してから泣いたつもりだったのに。保育ママ、告げ口したなと思った。
これは幼い心で、考えたこと。 今は。 2人ともまったくダメだ。大人として、あり得ない。
子供の心をズタズタにしているのが、わからないのか。もしも時空を飛び越えることができるのなら、私はこの会話に介入して、
「そんなこと、本人に聞くもんじゃないだろ? 親元離れて独りぼっちで他人の家にいるんだから、寂しくて泣くの当たり前だろ! 少しは恥を知れ!」
と大声で恫喝して、幼い自分に、
「行こ。こんな人の言うこと聞いてたら、ろくな人生にならないよ」
と言ってやさしく手を繋ぎ、安全な場所へと連れて行ってあげるのに。
また保育ママの所にも出向き、
「一体どういうつもりで告げ口したんだよ! あんたに人の子供預かる資格なんてない! 大体あんた無資格で小遣い稼ぎで預かってるだろ? 事故が起きても責任取れないくせに、軽い気持ちでやるんじゃないよ!」
と言うだろう。本当にこの保育ママにも呆れる。当時2,3ヶ月の嬰児まで預かっていて、基本放置していたのだから、何事も起こらなくて本当に良かった、と思う。
保育ママは、滞在中の私の様子をただ伝えただけかもしれないけれど、泣いていたことは秘密にしておくべきだろう。それだけでも、じゅうぶんに大人失格だけれど、それを私に尋ねてしまう母は、論外。
「ダブルバインドに疲れ果て」でも書いたけれど、そういう大人の間の話を子供にしてはいけないのだ。絶対に。
だけど私は、アダルトチルドレン。母が欲しがる答えを、自分の意志とは関係なく口にしてしまう。
「泣いてなんかいないよ」
ちょっと怒ったふりをして。それは、
「おばさんの勘違いだよー、なんでそんなこと思ったんだろう?」
というニュアンスをこめて言い放った。 こんなことにも気を使い、自分の本当の気持ちを誰にも伝えられない。孤独感にさいなまれるにじゅうぶんな瞬間だった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?