きょうだい児8歳の夏(預けられた2つの家での孤独)その6
伯父の家には、私より2つ下の息子と5つ下の娘がいて、遊び相手になってくれた。「忘れていた遠い過去」に書いたように、休日には伯父がハイキングに連れて行ってくれたりもした。
ただ、自分でも気づかないうちにパニック障害を引き起こしていたので、遠出は辛かったのだと思う。伯母は車が運転できたから、車移動の時はパニック発作の心配もなく、近くのプールに行ったりもして、楽しいこともあった。
それまで全く知らなかったけれど、伯父は癇癪持ちだった。ふだんは穏やかだけれど、何か気に食わないことがあると、豹変する。
たとえば息子が物を出し放しにしていて、数回注意しても放置していると急に立ち上がり、
「なんだ、このやろ~!!」
と追いかける。息子は、父親がそのモードに入ると恐ろしいのをじゅうぶん知っているのだろう。
「あ~、ごめんなさい、ごめんなさい」
と塩らしくなり、平謝りする。部屋の隅に、逃げる。
初めて見た時は、心臓が飛び出るほどに驚いて、泣きそうになってしまった。
けれども、一緒に遊んでいた娘の方は全く気にせず、私と絵本を見てどっちの絵がかわいいか、指をさす遊びを続けている。
それを見た私は、これは日常茶飯事なんだな。怖がる必要はないんだな、と学習した。
それでも滞在中、何度か同じ場面に遭遇したけれど、その度に恐れおののいて全然慣れることはできず、
「いつものこと、いつものこと」
と心の中で唱えていた。
ずっと後、すっかり大人になってから他のいとこから実はお父さんとお兄さんがすぐ怒鳴ってDV気味だ、と聞いた時、
「ありえるな」
と、そんなところは微塵も見せない2人のことを思った。
伯父といとこのお父さんは、兄と弟。血の繋がった兄弟である。
このように、私は見なくても良いものを、沢山見せられ、幼いうちから疲弊していった。
この家での最大の見たくなかったものは、伯父と伯母の夜の生活。夜の入浴後、伯母はパンツをはかない。ネグリジェの下は、ノーパンである。8歳では男女の夜のことなど、知る由もないので、
「どうして伯母さんは、パンツを履かないんだろう?」
と不思議に思っていた。当時は、シャワーもなく、もしかしたらまだお風呂は薪の時代だったかもしれない。
だから、毎日お風呂を炊くのが困難だったので、
「お風呂に入った日だけ、パンツを履かない」
という印象だった。
「ママ! やめてよ! なんでパンツ履かないんだよ!」
息子にも文句を言われていた。彼は、伯父不在の時は、伯父とそっくりな口のききかたをして、伯母を責めたりしていた。ここにも立派な連鎖があったのだけれど、それに気づくのはずっと後になってから。
ある晩眠れなくて、何度も寝返りを打ちながら、睡魔が押し寄せてくるのを待っていた。
「ね~ぇ、あなたぁ~」
聞いたことのない声色の伯母の声。
「来週から稀沙ちゃんも連れて、実家(栃木)に行っても良いでしょぉ~、ねぇ~、あなた~」
本能的に聞いてはいけないものを耳にしている、と思った。起きていることを覚られてはいけない。息を殺して、寝たふりをする。
返事を促す伯母の甘えた声が続く。
伯父は。
「ん、うーん、ん」
こちらもあの怒鳴り、威厳を保っていた「一家の主」としての顔はどこにもなく、伯母の睦言につきあっている。
もしかしたら、その時点で夜の生活は始まっていたのかもしれない。
私は、
「え~、また他の家に行くの? 嫌だな~」
と思いつつ、2人の異様な雰囲気に怯えていた。
涙が次から次へと流れてしまう。気がつかれないように指で拭うけれど、あまりに頻繁に手を動かすので怪しまれるのでは? とさらなる心配が芽ばえた。
けれど、とめどなくあふれる涙は、仰向けになっていたので耳の穴に流れこんでしまい、不快なので、指を使わないわけにはいかない。
伯母がその様子に気づいて、続きを中断したのか、私の努力が実って入眠できたのか今となってはわからないけれど、記憶はそこで途切れている。
伯母がパンツを履かない理由を察することができたのは、ずっと後になってから。
こんなことだったら、祖父母の部屋で眠ることにしておけば良かったのだけど、8歳の私には予想不可能な事態。今さら後悔したところで、何の解決にもならない。
やるせなくなるだけ。
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