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「ボーはおそれている」は、毒親育ちの何かを震わせてしまう。(ちょいとネタばれあり)

 数年前に観た「ミッドサマー」は、同じアリ・アスター監督の作品。予備知識まったくなしで観たので、びっくりしつつも楽しめた。
 その後、色々な意味で評判となり。
 今度は、その監督の新作。しかも! あのホアキン・フェニックス主演だっていう。絶対に観よう、と公開数日後に鑑賞した。
 ほぼ3時間の長尺。「ミッドサマー」の免疫がなかったら、耐えられたかどうか・・・。最初から時間は知っていたけれど、上映中は時計を見るわけにはいかない。
「ストーリー的には、そろそろ終わりじゃないかな?」
 そんな目安をつけてみるけれど、あらら、まったく新しい展開が。
 断わっておくけれど、決してつまらないからそう思っているのではない。とにかく、映像やストーリー展開が派手で突飛で容赦なくて、
「あ、もう大丈夫です」
 と言う気分にさせてしまうというのが、理由。

 さらに。
 途中から、
「あれ、ボー(ホアキンくん)のお母さん、もしかして毒親?」
 と思い始めてから、フラッシュバック的に挟まるそういうシーンが痛い。
屋根裏に閉じ込めようとしたり、ヒステリックに文句言ったり、支配しようとしてきたり。
 困ったことに、このお母さんは会社を立ち上げたりして有能なレディ。こういう家庭にありがちなお父さんの影が薄いので、ボーは一人でこの母親と対峙しなければならない。
 そのせいで。
 気がおかしくなってしまったのだろう。カウンセリングに通って色々と過去の辛い話を告白している。
 余談だけれど、相手をするカウンセラーの男性、ちょっとふっくらとしていつもニコニコしていて好感が持てるのだけれど、何回見てもファン・ゴッホの描いた「タンギー爺さん」にしか見えなくて、ストーリ―と関係のないところで笑ってしまった。
 カウンセリングに行っていることで、色々繰り広げられる奇々怪々な出来事は、すべてボーの頭の中のできごと、という解釈もじゅうぶんに可能。そうしないと辻褄の合わないことが多々あって、たとえば最後の方で母と対峙する時(ここではもう疑いのないほど毒親全開)飛行機に乗って行くほどに離れた所に住んでいるのに、なぜか「タンギー爺さん」もいて、実はお母さんとグルだった、みたいな設定とか。
 そういうことを、事実だろうがどうだろうが、すんなりと受け入れてしまう土壌がないと、この3時間はキツいと思う。


年代別ボーの顔。肩を抱いている手が、誰のものか考えるとなるほどと納得してしまう繋がり具合。

 さらに。
 毒親は、他にも出てくる。
 まず、アクシデントに遭ったボー(すでに大怪我とかしている)を、必要以上に助けてくれる夫婦。外科医のご主人が手当もしてくれるのだけれど、初対面なのにありえないほど親切。
 そこの家の長男は、戦地で死亡していて、その面影をボーに見ているのかなとも思うけれど、異性のきょうだいがいる家庭あるあるで、妹がいるのに全然愛情を注いでいない感じなのだ。
 妹の了承を得ないで、勝手に彼女のベッドに血だらけのボーを寝かせてしまうとこなんざ、ゾッとしてしまった。
 私もある日部活から帰ったら、自室のベッドに訪ねてきた叔父が昼寝していた時(当時45歳くらいの立派な中年。喫煙者だった)、本当にびっくりしたし気持ち悪かったけれど、普通年頃の娘がそういうことをされたら嫌がるということ、母親ならわかりそうなものだけれど。
 ただこの家庭は、妹も含めて皆おかしいから、なんとも言えないけど。

 もう一人は、ボーがまだ少年の頃、母親と船旅をしている時に出会った少女のお母さん。少女の方からボーに近づいてきて良い仲になりそうになった時に、気も狂わんばかりに部屋に入ってきて二人を引き離すその態度が怖すぎた。
「もう船を降りるわ!!」
 という発想もどうかと思う。
 これは、娘が異性とつきあったから怒っているというよりも、自分の支配下から出て行くことが許せないのと、娘の若さに嫉妬しているパターンなので、自分もこういう感じのことをやられたことがあるから、
「嫌な母親だこと」
 と見ていて、不快な気持ちになった。

 そういう意味で毒親育ちは、敏感に反応してしまうシーンが散りばめられているけれど、監督自身何かしらの経験があったのだろうな、と思う。その描き方で、とてもさりげないシーンほど経験した者にしかわからない要素があるから。

 ホアキンくんの生い立ちも、微妙だということを知っていたので、ちょっと二重写しになってしまった感はある。特に数人いるきょうだいの中で、彼が生まれた時がその環境がピークに達していたのでは? と思う。両親が新興宗教にハマり、リーダーのようなことをしていた頃だから。だいたいにおいて、他のきょうだいは「リバー」とか「レイン」とか「サマー」とか自然ぽい名前なのに、彼だけ突然「ホアキン」だもの。俳優として仕事をし始めた一時期、この名前が嫌で「リーフ」を名乗っていたこともあったらしい。     教団の都合でプエルトリコにいたことも、後に信仰を止めたというのも、子どもたちは振り回されたのではないかな?
 
 もちろん、ホアキンくんは、そんなことを前面に出して仕事をしていないし、「ジョーカー」を演じたことで「怪優」と呼ばれていて確固たる地位を築いたけれど、そういう下地があったからこその今回の危機迫る演技だったことは確かでは? と思う。
 エログロが苦手な友達は、評判を聞いて「ミッドサマー」でさえ見ることをあきらめたけれど、今回も出回っているスチールや予告編を見て、
「私には無理」
 と言っていた。
 でも彼女は、毒親育ちでもないし、思ったほどエログロではなかったので(あ、「哀れなるもの」というエログロ全開を観た直後だったので、私の判断が狂っている可能性はあるけれど)、「ある意味ファンタジーと思って観れば、映像的にも楽しいから大丈夫だよ」
 と言ってみようか。
 もう一人の、
「アリ・アスター監督の新作、絶対観る!」
 と張り切っている友達には、
「ミッドサマーより、ぶっ飛んでた。早々に観るべき!」
 と連絡しよう。

「あ、このシーン悪夢見そう・・・」
 という箇所がいくつもあったけれど、一夜明けて目覚めたら、それも大丈夫だった。
 ああ、良かった。
 完全なるホラーとは違う微妙なずらし方、ここにアリ・アスター監督の真骨頂があると思う。だからこそ、もしかしたらヘンな形で夢に出てきそうと思ったわけで。
 でもきっと次の新作が公開されても、絶対に観に行くと思う。アリ・アスター監督は、そういう人。

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