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きょうだい児8歳の夏(預けられた2つの家での孤独)その2

 それは、家族に限ったことではない。手術が無事に終わり、翌年父の実家に行った時のこと。近所に住む雑貨店を営む伯母も、私たちが来ると言うので、本家を訪れてくれた。お店の品を、プレゼントとして持って来てくれたのは良いのだけれど。
「晴ちゃんは、これ。稀沙ちゃんは、こっち」
 嬉しくて、わくわくして包みを開けた。
 開けている最中、伯母はこう付け加えた。
「晴ちゃんは、手術して大変だったから、大きいのね」
 それは、
「稀沙ちゃん、悪く思わないでね」
 という意味だった。
 出てきたのは、トーテムポールを型どった小物入れ。5段重ねになっていて、それぞれの箱の中にちょっとした物を入れることができる。
 晴信も、全く同じ物をもらっていたのだけれど、大きさが違う。晴信の方が、1,5倍くらい大きいのだ。
 なんだか、悲しかった。ふつうは、年上のきょうだいの方が大きい物をもらえるのでは? こんな些細なことでも、差をつけられ、文句を言おうものなら、
「お姉ちゃんなんだから」
 と言われるに決まっているし、さらに、
「晴ちゃんは、大変な思いをしたんだから」
 と返されるのは、目に見えているので、黙っていた。
 伯母さんも、大きさで差をつけるのではなくて、違う物を選んでくれよ~。そうすれば、誰も傷つかなかったのに。そのトーテムポールを見る度にその日のことを思い出して、モヤモヤしていた。
 でも伯母さんがせっかくくれたのだから、と大事に本棚に飾っていたけれど、5,6歳の男の子には、おもちゃでもないそんな物はなんの魅力も感じなかったわけで全然大事にせず、おもちゃ箱の隅に追いやられていた。
 だったら、大きい方欲しかった。なんだか理不尽だったけれど、それがトリガーとなり、大人になってただトーテムポールを見ただけで、いきなり過去に引き戻される嫌なアイテムとなってしまっている。
 子供時代の仕打ちは、このようにいつまでも尾を引くことは決して珍しくないと思う。毒親育ちの子にはよくある、切ない思い。なぜなら、その気持ちをフォローしてくれる人が誰一人としていないため、ずっと悲しい気持ち引きずってしまうのだ。
 本当に。悲しい。

 そうして迎えた晴信の手術。私は、小学3年生になっていた。
 手術予定日は、8月5日。晴信は私の1学期の終業式の日から入院した。7月の20日ごろだったと思う。母は、中学の教師だったから、休みがまとめて取れる夏休みの時期に手術日を設定したのだろう。
 その日、保育ママの家から自宅に戻ったら、もう母と晴信はいなかった。静まり返った家の中。
 そうだ、昼食用に母が作ってくれたおにぎりが一つ残っていたんだった。腐ってしまわないうちに食べてしまおう、とアルミホイルを開いて食べ始めた。
 中身は、梅干しだった。母は今日入院でとても忙しかったはずなのに、こうして私のためにおにぎりを作ってくれた。そんなことを考えていたら、悲しくなって涙がこぼれそうになってしまった。それをグッと堪えて食べようとすると、喉が詰まって飲みこむことができない。それでも、無理をして食べていた。
 その時、隣室から父がやって来た。
「夕ご飯、どうする?」
 というような、事務的な用事だったと思う。
 私は明るく答えようとしたけれど、声を出そうとすると泣き声になってしまうのが怖くて、黙っていた。
 ここでもアダルトチルドレンの私は、父に心配をかけまいと気丈にふるまおうと虚しい努力をした。
 でも、ダメだった。どうしようもなく涙が溢れ、もう取り繕うことはできない。
 私は自分の机に座っておにぎりを食べていたのだけれど、立ち上がり背後に立っていた父と向き合い、
「パパ―!!」
 とその腰に手をまわして、号泣した。
 いくら頑張っても、8歳の私には涙をこらえることなど、できなかった。
 私は、翌日から保育ママの鎌倉の実家に預けられることが決まっていたし、その後は今度は伯父の家にお世話になることになっていた。
 つまり、家に母と弟がいなくなるだけでなく、たった一人とてつもなく長い期間他人の家で暮らさなければいけないのだ。
 そして。
 それを「嫌だ」と言えない状況が、私の心を真っ暗にしていた。
 次の日からの不安も相まって、私は父に抱きついたのだと思う。
 あれ。
 今でもはっきり覚えている。ベージュ色のポロシャツを着ていた父は。                                                                                                    抱きしめ返してはくれなかったのである。
 その時も、
「どうして、抱きしめてくれないの?」    
 と思い、興ざめした。
 父もまた不器用で愛情表現が下手だったのかもしれない。ここで私と一緒に泣き崩れたなら、その後に続く手術までの日々、自分を保てなくなると思ったのかもしれない。
 でも。ダメだ。
 娘がこんなに、欲しているのだ。いかなる理由があろうとも、力いっぱい抱きしめてあげるのが、親としての役目だろう。最低限の。
 私は、この時父に対しても、
「あ、このヒト、ダメ」
 と思って、あきらめてしまったのかもしれない。残念だ。

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