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自分を大切にする、とは?

自分を大切にする、ということが
まったくわからないまま
20代までズタボロに過ごしました

そしてヨガをはじめ
だんだんと
こういうことか、と感じるようになったこと

自分を大切にするとは
自分を知るということなのかな?

自分を知り、
自分を理解すること。

ある方とこんな話をしました。
私「なんか、自分のことを自分で分かってあげられるだけでこんなに癒されるんだ、と感じて」
誰かに話して誰かから共感してもらうことも助かるけど、
自分で自分を理解してあげる、ということは
こんなにも自分にとって大切なことなんだと。

相手の方がこんな話をしてくださりました
夢の中で無差別に人を殺している。
何人殺しても「まだ足りない」と感じて
最も嫌いな奴を殺しに行こう、と移動する。

最も嫌いな人を殺してもまだまだ足りない。
その人は夢の中で泣きわめく。
そして「わかってくれーーーー」と
泣き叫びながら目が覚めたそう。

私たちの行為の根源にあるのが
この「わかってほしい」なのだとしたら。

わかってほしくて
攻撃的な態度や行動をとる
わかってほしくて
怒りや悲しみにまかせて
それを人に投げつけてしまう。

ひとりひとりが
自分の中にあるもの
感情や過去の傷、思い込み

それを自分でわかってあげられたら?
自分で「そっかぁ、つらかったね」と
自分に声をかけてあげたら。

実体験から、
それだけで、人は癒されると思う。

その悲しみはあんたのせいだ
この怒りはあの環境のせいだ

って矛先が「外」に向いているとき
実は
それが
自分の中にある「理解されなかったさみしさ」なのだとしたら。

それを理解してあげられるのは、
自分しかいないのかもしれません。

ここまで書いて気付いたけれど
「わかってほしい」とは「わかってもらえないというさみしさ」
なのかもしれませんね。
まずそこに気付くってことかも。

どうか自分の中にあるものを
さらに自分でジャッジして苦しんだりせずに
ありのままに
みていくことができますように。

そしてわかってあげられますように。
そして「もう、この感情は手放したいです」

自分より大きな大きな存在に
サレンダー(委ねる)ことができますように。

「クリシュナを見逃すということは、自分自身を見逃すことです。」
ーー献身奉仕 喜びの海ーー

自分を大切にするということが
自分を知るということならば。
その自分の精神的な本来の立場
なぜ存在しているのか
自分がどこからやってきて
そしてどう幸せになってゆけばいいのか。

それを知るために
「クリシュナ」という
すべてのいのちの源を知ること。

そこにつながってしか存在することのできない
「私」を知ること。

それはすべての人の中にある
「さみしさ」を解決するヒントなのではないかなと

そう感じています。





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