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「表現すること」 どうやって学んでいきます?

今年のムサビの卒制展(武蔵野美術大学卒業・修了制作展)が終わって、来月(2月26日から)には国立新美術館で東京5美大展が開かれる予定ですね。

5美大展は、それぞれ美大のカラーが出るので、それを観るのが楽しみの一つでもあります。

美大によって作品の傾向が何となくあると思いませんか?

ムサビはアカデミックなところがだんだん薄まって来ている気がしますが、他の美大と比べてやはりアカデミックな気がします。


東京都美術館で開催していた頃に僕も作品を展示してもらいました。

卒制の作品の額を買うお金がなく、「情けない!」って怒られながら学校から借りての展示は、今となってはいい思い出です。

モデリングペーストで下地を作って、リキテックスと油性のマジックで作品を描きました。

当時は、油絵科でなんで油絵具じゃないんだ!と言われましたが、卒業できたので問題はなかったんだろうと勝手に思っています。

大先輩に大竹伸朗さんがいたのでそれと比べればかわいいもんです。


そんな例外はあるかもですが、展示室を巡っていて美大が変わると表現も変わるのがわかります。

(個人的には、女子美に自分が好きな作品が多いです。)


どうして美大によってこうも表現の違いが出てくるのでしょうか?

大学の教育の方向?それとも集まってくる生徒の傾向?

面白いですよね。


今現在の教育はあまり良くわからないのですが、僕が通っていた頃は、表現そのものを学ぶと言うよりは、

物の見方、即ち形の見方、色の見方を学んでいました。

人は脳内で勝手に形や色を変換して理解するので、いかにありのままに見るか。

いかにそれを2次元に移し替えるかの訓練でした。


石膏デッサンなんてその最たるものでしたね。

形を追求する。


「ここの線が1mm違うぞ!」

「 … 」


鉛筆や木炭を使うので色のことは考えなくても良い。

ムサビでは石膏デッサンより人物デッサンが多かったので描くのは楽しかったです。


しかし、自分は何を表現したいのか、どうやって表現するのかは、学びません。

なのに美大によって作品の表現が違います。


数年前にハワイのKapiolani Community Collegeというところへ行ってきました。

Kapiolani Community Collegeのキャンパス

ここはハワイ大学への編入プログラムがあり日本人にとって大人気の短大です。

ハワイ州立大学附属カピオラニ短大といったところです。

ダイヤモンドヘッドのすぐ北側にありとっても広いキャンパスです。

こんなところの学校なんていいですよねー。

観光学科や料理学科のようにユニークな選考科目もあるのですが、美術学部があります。

そこに知り合いがいたので、STUDENT SHOWにお邪魔しました。

いろいろと絵を見ているうちに感じました。

デッサン力はお世辞にもうまいとは言えないのですが、
(日本の学生の方が遥かにデッサン力はあります。)

でも表現が豊かです!

見ていて楽しいのです!

これって結構大事なところですよね。

環境の違いが関係しているのでしょうか?

自分もこんな絵が描いてみたいです。
(TOEIC430以上が条件なので自分も入学条件は満たしてます!)


またまた話が変わって、
武蔵野美術大学出版局から2年ぐらい前ですが、白尾龍太郎+三浦明範 共著 「造形の基礎 アートに生きる。デザインを生きる。」が出版されています。

アートやデザインをこれから学ぼうとしている人たちに、途中で挫折することなく目的をしっかりと持って学んで欲しい、と書かれた本です。美大では途中でこんなはずではなかった!と思う生徒が多いのでしょうか。

デザイン科の白尾龍太郎教授と油絵科の三浦明範教授が、今の美術教育をどうしていくか、の問いかけに応えた本です。

アートとデザインはどう違うのか。どう学ぶのか。何を目指すのか。

などと面白い視点から語られているので、特にこれから美大で勉強したい人にオススメの本です。

(高校生にはちょっと難しそうですが)

その中で、画家やイラストレーターになるには、絵が得意なのは当然として、人生や哲学のもっと人間の奥深いところついての思いを巡らせる知識と見識が必要です、と書かれています。

そして、情操といった高次元の感情は、美大での4年間で醸し出すことは無理です。美大では、技術を学ぶところです。 と。


それでは美大で美術を学ぶのは、なぜなのか。


『美大では「創造性」が伸ばされます。』と書かれています。


絵画の教員は、個々の学生の「創造性」を尊重し、「一致的な思考」を積極的に打破するように指導するだろう。


デザインの教員は、個々の学生の「創造性」に注目する前に、学生が世の中の環境をどのように認識しているのか、そして社会の現実をどのように理解しているかについてまず指摘することだろう。


(中略)

美大には「創造性」を伸ばすすべての環境が揃っている。
よき理解者「教員」がいて、よき仲間「学生」がいる環境があるからこそ
(後略)

造形の基礎 武蔵野美術出版局

教員からは、誰からも一致する答えを求められるわけでもなく、仲間とは同じ課題作品に取り組みながら切磋琢磨していく状況が、自分を成長させてくれる環境が美大だと書かれています。

ムサビに入るとこんなにいい事ありますよ!って言う本なので当たり前ですが。。


創造性または表現するって言うことは、教えてもらうものではなく学んでいくものなんですね。

自分がどのような環境で育って、どのようなことを学んで、どのような仲間と出会い切磋琢磨したか。

自分の生きてきたものをすべて曝け出します。

その出てきたものが、アートでありデザインであるのですね。


表現は独学できるのか、ちゃんとした環境で学んだほうが良いのか。
という話でした。

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