市民のためのスカイウォーク Skywalk for Citizen #3
前説は#1、登場人物は#2をご参照ください。
T 今日(2021.3.14)は第3章 海陸の交流とモンゴル帝国を取り扱います。
Y 第3章は前回話題になったムスリム商人とネットワークの連鎖。
T モンゴルもあるし。
K 面白いと思うよ。
Y 北方民族とか苦手だったな。突厥とか。
T 当時はあんまり関心がなかったそのへんが、いま読み直すと面白いのかな。
K まあ暗記するだけだとしんどいよな。流れは面白いけど。気候変動もあるし。14世紀の危機もあります。
T 第7章を読んでから第3章を読むのは良い流れじゃないですか。
K 良いじゃないですか。
Y おいもっと褒めろー(笑)
T パッと読んだ感じ、短い割に多くの時代を取り扱っていて、とっつきづらかった印象がありますけど、いかがでしょう。
Y 「14世紀の危機」を高校生で習った範囲では聞いたことがなかったので、先週話題になっていた気温の話から入って、14世紀に世界的に同時多発的に危機的状況が生じたというのは、新しい知見として入ってきた。海と陸のネットワークというフレーズ自体は阪大の世界史の時によく扱ったテーマだったので、懐かしいというか、モンゴル帝国が元になってから注力しだした概念に感銘を受けたというのが。
T 確かに、元が征服先を完全に滅ぼしつくすんじゃなくてネットワークに組み込んでいったという記述は、初めて知ったというか、『蒼き狼』井上靖を読んだときの、ホラズムを滅ぼしたという描写がすごく印象に残っていて、モンゴル族は征服先の民族を完全にカルタゴみたいに滅ぼし尽くしているという印象が強かったので、そこはすごく意外でした。
Y 中央ユーラシア的な内陸国家から、海と陸を繋げたというのがモンゴル帝国や元の意義として。
◆イスラムネットワークにオーバーラップするモンゴル帝国
Y モンゴルの軛という表現と、パックス・タタリカという表現の二つがあるけれど、これに関して世界史ではどう教えているのかな。ぼくは厨二病だったのでずっとパックス・タタリカで覚えていたけれど。モンゴル帝国がもたらした平和的な秩序を。ただロシアの方ではモンゴルの軛の方が考えられるらしくて。
K その二つのフレーズをどう取り扱っているかね。高校の教科書にも両方の用語が出てくるけれど、このへんってめっちゃ変わっていて、すごく戸惑ったんやけど、まず言い方が、キプチャク・ハン国とかだったのが、○○ウルスに変わっている。
T ジョチ・ウルスって書いてあったよね。
K 教科書が、阪大の先生が書いている帝国書院の刊行なので、市民のための世界史の教科書版で、他の教科書会社に比べても攻めた記述になっている。だから昔から世界史を教えている人からしたら、やりづらいと思う。教科書の図版が、ウルスになっている。この教科書を与えられた子どもらにキプチャク・ハン国が、元が、というと、書いていることとちゃいますねみたいな感じだから、こっちもウルスで行かないと混乱する。用語の捉え直しを教える側もしながらの授業だった。いまYの言ってくれた用語については、両方、誰にとってかみたいな話はするな。タタールの軛は誰にとって軛だったのか、パックス・タタリカは誰にとって平和だったのかみたいな。
T 軛はロシア側から見た軛。
K 誰のどういう視点でこの用語が作られたのかというのは必ず言うようにしている。タタールの軛はロシアにとっての軛だったけど、パックス・タタリカは主に商人。中央アジアを往来する商人たちにとっては、安定した国家があって、それが交易ネットワークを保護してくれる方がやりやすかったから、その人たちにとってはパックス・タタリカですよねという資料を確認する。海と陸のネットワークが繋がって、パックス・タタリカの状況だったからこんなものが行き来して、文化も、染め付けとかミニアチュールとか、東のモノが西に影響を与え、その逆も然りという話に繋がっていく。
T 先週も国家を形成するときの一つの動機として、商業の保護が重要なファクターだったよねという話をしたけれど、そう考えると、統一国家が大きな規模で存在するのと、重商主義の時みたいに小さな国家がいくつもあって、紛争しながら植民地利益を独占しようというふうになっていくのは、どっちもあり得るストーリーな気はするけれども、それは時代に応じて適宜選ばれていったという話なのか、13世紀に一度統合を経験したことによって、その何か限界みたいなものが見えたから、もう少し小さい規模になったのかというあたりは、どのようにお考えですか。
K そうも言えるな。それを繰り返している気はするけれども。
Y 歴史は繰り返す。
K 特に近世以降だったらそれをシステム論と捉えて、トップに来る国家がヨーロッパを中心に、スペイン→オランダ→イギリス→アメリカと移行していく感じだったけど、モンゴルはヨーロッパに当てはまらない例だけど、そうやな。
T ヒエラルキーですよね、植民地制は。下部構造からの搾取によって上部構造が潤うという形になっている。
K モンゴルはヒエラルキーに当てはまらないな。
T 当てはまらないよね。ちゃんと対等にやっている感じがあるし、神聖ローマ帝国みたいな、諸侯の盟主というイメージをどちらかというと持つ。
K 色目人とか覚えているかな。モンゴル帝国は純粋なモンゴル民族以外も官僚として取り立てたという話として、他の民族を下に置くのではなくて、有能な人を取り入れていったのが、ヨーロッパの覇権国家とは違うところやな。
T 人種差別をしておらず、能力主義という点ではむしろヨーロッパの近代よりも発展的な社会がすでに成立していたということ。
K そうやな、それがモンゴル史をこれだけクローズアップする理由かな。アジアのやり方って優れていますよねという。
T オリエンタリズムじゃないけど。
K 阪大はアンチヨーロッパ中心史観だから。
Y アンチやな。
K だからモンゴルの素晴らしさを取り上げて、それを示している感じはする。教科書でもモンゴルだけで一章使っていて、やりよるなという感じ。
T だいぶ時代が変わりましたね。
K 目次で言うと、9章がヨーロッパ世界の形成で、ヨーロッパの中世を扱っているけれど、10章のユーラシア帝国はモンゴル帝国のことで、それで一章使っている。
Y 使いすぎやろ(笑)
T 阪大の入試には東洋史が出がちなんでしょ。
Y 東洋史というか、全国的には扱われないところをピックアップしてくる。一番みんなが書きやすいというか興味があるのが、中世から近世のヨーロッパとかだけど、なぜかいつの時代やねんという北方民族が出てきたりする。
K ネットワーク史は好きやな。2019年度の入試は全部ベトナムだった。ホーチミンで一個の問題で、毎年なんとなく、古代と中世と近世で3題くらいあると思うけど、一昨年は全部ホーチミンだった。
Y そんなことあるの。
K いっぺん見てみて。説明のしようがない。資料を読ませて、よく見るとこれは古代っぽいこと、これは現代っぽいこと、と細分化されるけれど、よく見ないと全部ホーチミンやんという。今年は普通やったけど。麒麟が来るで。大河のダジャレですねと。
T 母校の世界史の問題を確認するという文化が全然なかったな。
Y 2015年くらいまではやってたんやけどな。
K これPDFがネットにアップされている。
T 解けと言われても多分解けないよね。先週だいぶ指導してもらったからキリン問題はある程度書けるようになったけれど。
K こんなん何も見なかったらわたしも書けないな。出題者の、桃木先生の顔を思い浮かべながら、意図を考える。
Y アイツめと思いながら(笑)
K この人ならヨーロッパ中心で書いたら減点だろうなという。
T それで言うと、東アフリカのムスリム商人の話を先週してくれていて、今週もムスリム商人が出てくるかなと思いきや。
K もうちょっと前か後やった。p76に一瞬太字で出ているだけやな。
T 周辺の章を読んでないんやけど、ただタイミング的にはここなのかなと思って、別の本を読みながらムスリム商人のネットワークについて調べたりしていたけど、あまりよく分からない。10世紀ファーティマ朝のカイロ建設がムスリム商人の一つのエポックになっているみたいで、それは多分資料集にも書いていたと思うけれど。
K カイロのページあったな。ムスリム諸都市3つというページ。
T バグダッドとカイロと、どこ。
K イスファハーンかな。
Y サマルカンド。
K コンスタンティノープルかな。
T コルドバじゃない。私たちの高校時代の資料集だと。
K カイロの繁栄という、イスラム世界の発展の中にコラムがあります。
T アズハル学院とか。
Y サラディンのことをサラーフ・ウッディーンって呼んでいた時代が懐かしい。
T 次のページにイスラム社会の商業というのがあって、ダウ船を使いましたとか、季節風でインドに渡ったり東アフリカに渡ったりしましたとか、そういう地図が載っていたり、イスラム教による商業活動の肯定といって、キリスト教では商業活動による利益の追求は卑しい行動と見られていたけど、イスラムはそう見られていない。ムハンマド自身が商人である。彼の商人的感覚がコーランの中にも多く反映されている。といったあたりが、イスラム教と商業が結びついた理由として挙げられている。
K それは今もそういう説明な気がします。
T それから東西にイスラムが伝わって行くにつれて、アラビア語が通じないけれども教えを伝えるために、スーフィズムみたいな身体で説明するのが流行りましたとか。
Y スーフィズムってそういう意義があるのか。
T スーフィズムをそう捉えているのはなるほどという気はした。
K 絵を描けないから。
T 偶像崇拝ができないからね。言葉もできないから、身体で伝えるしかない。
K 回るしかない。踊るしかない。
T それから時代が下るけれども、マムルーク朝と教皇が揉めるころがあった。14世紀くらいかな。十字軍が。
Y アイユーブ朝じゃないの。
K マムルーク朝と教皇って揉めたっけ。セルジューク朝かな。
T マンジケルトの戦いとかあったもんね。
K もうちょっとマニアックな話かな。十字軍の衝突が本格化する前?
T 後かな。十字軍でメソポタミア地域との交易が禁止されたと。それによってレバント地域とか小アジアの付け根あたりの都市が、中継地点として栄えた。メソポタミアから中継都市に持ってきて、そこから地中海を通じて西欧世界に繋がっていく。そこはムスリム商人の出番と言うより、十字軍の遺恨によってムスリム商人があまり力を発揮できなかったということかなと思った。
K 力を発揮できない理由は。モンゴル帝国の後?
T マムルーク朝はモンゴル帝国と重なっていたっけ。
K 重なっているけど、マムルーク朝も長いので、どのあたり?
Y 1517年まで続くから。
T そこで言いたかったのは、イスラムが世界を繋げましたよねという文脈で説明が進んでいくけれども、イスラムが断絶を生んだところも等しくあったのかなということ。宗教的対立によって交易が阻害されて、地中海地域にイスラム商人が進出できなかったり締め出されたりしていたのかなと思って、それが国家による商業の調整は、宗教的要請や独占を目指すことによって、方向性の違いによって商人たちが結集して国家を形成していったという見方もあるのかな。
K モンゴルとの関係で言うと、モンゴルの統一にムスリム商人も協力していた。
T モンゴル帝国の版図が、行って東欧までじゃないですか。西欧までは到達しなかった。
K どこまで到達した?
T ワールシュタットまで行ったけど、そこから西に行かなかった。
K ああ、西欧までは行かなかった。
T そこには、ムスリム商人のネットワークが構築されていなかったという要因があると考えられるのかな。ムスリム商人が宗教的理由で入れなかった範疇までは、モンゴル帝国は侵入できなかったということかな。
K それはあると思う。あとはワールシュタットに行ったバトゥがそこで止まった理由は、お世話になったオゴタイが死んだから。
T モンゴルの中でってこと?
K そうそう。バトゥのお父さんがジュチって人だけど、『蒼き狼』に出てくる?
T 多少はあったけどあんまり覚えていないな。
K 家系図があるけど、モンゴルが他の遊牧国家と違った特徴は、チンギスハンの子どもたちをそれぞれの地域のリーダーに据えてまとめたという話があったと思うけれど、それだけ血縁関係を重視していたのもあって、ジュチが実子ではない説があって、ちょっと干されていた。その息子のバトゥも大した仕事は任されないんじゃないかという話があったけれど、そこを平等に、チンギスハンを継いだオゴタイが。
Y オゴタイの訃報とハンガリー以西からの撤退ってやつ。
K それを言いたい。バトゥは自分を取り立ててくれたオゴタイに恩を感じていて、オゴタイの訃報を聞いて引き返したから、もしオゴタイが死んでいなければ、バトゥはもっとヨーロッパの深くに進出していたかも知れない。
T ホンマやな。オゴタイ41年に死んどる。
K そういう人間くさい説もある。
T そういう話の方がロマンはあって小説にはしやすいよね。
K 位置を覚えさせるためにそういう話は授業でしたな。
Y ワールシュタットって比較的ドイツとポーランドとか、ユーラシアでも北の方じゃないですか。ルートを開拓しづらいのかなという気はする。地中海の沿岸を通るルートは比較的動きやすいけれど。
T ルートを開拓しがたかったのかな。でもバトゥは一回モスクワに行ってから、ポーランドに行っているよね。神聖ローマ帝国との国境のリーグニッツで戦っているから、ルート自体はあるんじゃないかな。
Y ウィーン近郊まで迫っているな。
T テキストでは矢印までは書いていないけれど、ロシア諸侯国のモスクワを通っているルートと、あとサライがキプチャク・ハン国の首都だっけ?
Y そうだ。
K サライは新旧二箇所ある。
T サライ(新)はどこになるのかな。スターリングラード?
K 旧はバトゥサライ。
Y 二つともちゃんと地図に載っているんや。
K どっちが新しいか言わなあかん。
T ヴォルガ川の沿岸だからスターリングラードあたりやな。サライ(新)って。
K 今で言うとどこかというのは、正確に自信はない。
T ルートが、モスクワから行っているルートと、サライからドン川経由、今ロストフ・ナ・ドヌーとかがあるところを通ってキエフに向かうルートがある。まさに『独ソ戦』大木毅の舞台になったあたりを走っているけれど。
K このへんってもともと草原の道があった。スキタイ以降は。
T イスラムネットワークの中に、キエフは組み込まれている。毛皮・蜂蜜。コンスタンティノープルに繋がっていく道はある。でもキエフから直接神聖ローマ帝国に向かう道は、イスラムネットワークの中には書かれていない。
K 草原の道、オアシスの道、海の道。
T だからコンスタンティノープルまでしかない。三つの幹線道路はあるけれど、他の細かい街道はちょっとよくわからない。
Y 一番上が何の道?
K 一番上が草原。草原、オアシス、海。草原の道が、遊牧民が牛耳っているゾーン。オアシスの道は定住民だから、彼らが商業をやって、遊牧民とどう関わるかということで遊牧国家が形成された。
T キエフからの道はコンスタンティノープルにしか延びていなくて、西の神聖ローマ帝国領には延びていない。イスラムネットワークが形成されていなくて、それがバトゥの遠征をワールシュタットで押し止めたものだったのだという仮説を持ちました。
◆威光による権威付けと歴史の公式化
Y p89でモンゴルの威光を借りたムガル帝国やティムール朝の成立という話がある。世界的にもこういう歴史的権威のある国家の末裔ですよというのをアピールするのはヨーロッパでもあって、例えばルイは元を辿ればクローヴィスになる。
T え、クローヴィスがルイになるの。
K そうなん。
Y クローヴィスは英語読みだとクローヴィスだけど、フランス語読みだとクルードヴィクスになる。頭のCがいつの間にかとれて、ルードヴィクスになって、これがルートヴィッヒとルイになる。
K それ、衝撃やな。
T ルートヴィッヒも十分衝撃だった。
Y カールとシャルルとカルロスとチャールズが全部同じ名前とかあるじゃん。
T あるある。アンリとヘンリーとか。
Y ルイとルートヴィッヒとはクローヴィスから来ている。恩師の江川先生が教えてくれた。授業中に嬉々として喋っていた。
K それは教科書に載せて欲しいな。資料集にも載っていない。
Y やっぱり過去の影響に縋るというか、出身の家が正しいみたいなアピールに使われているというイメージがあった。
K イヴァン三世がツァーリを名乗るのも、カエサルから来ていますとか。キプチャク・ハン国の支配から脱して、タタールの軛から脱したロシアが、ローマ帝国の伝統を継承している国家であると主張するために、ツァーリという敬称を使いましたよね、それも一緒やな。
T 地域によって、その人たちは西に権威を感じる国民がいたと。
K ヨーロッパの人たちはそうやな。クローヴィスとかローマ帝国に権威を感じる。
T でもイスラム商人だって世界を一時的に席巻していたから、彼らにも何らかの権威があっても良いわけだけど、それは国家としてやっていた訳じゃないのか。いや、そんなことないよね。スルタンとかカリフが権威になっていてもおかしくない。というか、なっているな。いま、イスラム国はなっているよな。
K カリフを名乗っている。
T 権威を借りて、イスラミックステートを形成するのは、全く同じことをしている。
K 歴史の公式化というか、桃木先生が言っていた、どの地域でも見られることを公式として捉えて、丸暗記するんじゃなくて、これは共通で世界各地の色々な時代に見られますねという公式を作ろうという。
T 日本でも源氏と平氏は例えば天皇の権威を借りている。
Y 清和源氏と桓武平氏。あとセルジューク朝が知らない間にルームセルジューク朝という、ローマ的な要素が入ってきているけど、これはなんででしたっけ。ローマに浸透した経緯があったんでしたっけ。
T 分裂しているんだよね。
Y イスラムは東洋か西洋の権威を借りる傾向があると聞いて。
T なぜセルジューク朝がローマの権威を借りているのか。
K 権威と言うほどじゃなくて、イスラム圏内の人々がヨーロッパ人を一緒くたにルームと呼んでいたから、そういう名前がついているのかな。
T ビザンツ帝国領だったアナトリアの地を指す言葉として、ルームという名前で呼ばれていただけかな。
K ローマ人の場所だからルームという名称がついたとか、その程度の。
T セルジューク朝が分裂したときに、アナトリアの地を中心に支配したトゥルク人を中心としたイスラム王朝ですと。だからルーム地方だけでまとまったセルジューク朝なので、ルームセルジューク朝なのか。権威を借りたわけではない。
Y そういうことか。
K イスラムの人々がローマを何かの権威として捉えるのは考えにくい。地域の呼び方という感じかな。
Y セルジューク朝の中でも西の方ですよということか。
T 良い題材でした。
◆ペスト禍とコロナ禍
T せっかくなのでペストの話もしようか。後半でペストの話がありました。
Y ありましたね。
T 以前Kから、「ペストは近代の陣痛」という言葉を教わりましたが、近代へと世界史のステージを進めた出来事だったと。農業も密集して人の力でやっていたのを、技術革新して生産性を。
K 重量有輪犂やな。
T ソーシャルディスタンスを保った形で農業できるように変わっていったと。
K そこまで意識していたかは分からんけど(笑)
Y 先読み(笑)
T それをこのテキストでは、p86で「繁栄による人口増加の結果、肥沃でない土地でも農耕を行わざるを得ず、気候が温暖だからこそできたとも言える、自然災害などの危機に弱い社会が作られていった」とまとめてある。「そして、モンゴル帝国による交通網の整備などの恩恵も受けて、交通や人の移動が活発化したことで、伝染病や社会不安が急速に広がる条件も作り出していた」と。こういう描写を見ると、すごく今っぽいよねという気はする。
K そうやね。グローバル化が病気を拡大させたというのは、コロナを経験するとよりしっくりきますよね。11世紀の農業の点は、気候と関わるんだけど、この時期の農業の発展は西洋と東洋の両方で見られて、それは阪大の入試でもちょっと前に出たんやけど、11世紀は高温期で、14世紀の危機の時代と比較すると、温暖なので、各地で開墾が進みました。ヨーロッパではストウ派修道会の人たちが、開墾している絵が出てきて。
T 「森の開墾を行う修道士」すごいなこの絵。
K ジャックとマメの木にしか見えないけど(笑)
T この上に登っている修道士は、意味あるのか?(笑)
K がんばって切っていますよ、こうやって開墾を進めたという。こんな感じで11世紀に開墾が進んで、温暖だから西ヨーロッパでは農業が発展するけれど、中国でもちょうどこのとき、「蘇湖(江浙)熟すれば天下足る」の時代が。
Y ああ、宋代だ。
K そう、宋です。ちょうどそのときに江南開発が進みましたというのも、セットで取り扱う。もちろん両方、ヨーロッパ史と中国史で流すんやけど、どっちか後で勉強した方にどっちかを登場させる。これは一緒だね、どうして一緒かというと、地球規模で温暖だったから。でもそれで今まで田畑じゃなかったところも田畑にしたから、いまテキストにあったような状況になっちゃったと。
T 飢饉になってしまった。
K 無理して農業の限界みたいなところでもやっていたから、寒冷期にそれが無理になって、えらいめに合いましたよと。人口も両方増えているようなグラフが載っているから、この時期に。こんなに増えたのに、寒冷期で農業が不作になったら、まあ飢饉になりますよねという話に繋がります。
T ペストの場合、交易がペストを推し進めましたよねという話の中で、では対策を何もしていなかったのか、水際対策を。
K イタリアは凄いよな。
T スペインの事例を読んだんだけど、疫病が毎年のように流行る。だから商人たちで委員会を結成して、よどみから病気が広がると思われていたので、よどみの清掃であるとか、よどみが生じないように監視するとかがされていた。かつ、入港してくる船にも検疫をして、一定期間経過観察のために水際対策をしようとしていたけれども、だんだんと商業のニーズが高まってきて、検疫停戦期間を短縮するように商人たちが要求したりして、今やんという感じがすごくした。疫病の流行と商業のトレードオフに当時から悩んでいた。
K なんていう本?
T 図書情報館で借りてきた『ネットワークの中の地中海』という本。地中海の本だからイスラムにあまり存在感がないけれども、カイロ建設の話は詳しく書いてあった。カイロは10世紀に建設されて、アイユーブ朝の時にもともとあった商業都市のフスタートと祭祀都市のカイロが合体して一つのカイロになったらしい。マムルーク朝の時に、旱魃で生産力が落ち込んで、スルタンが専売商人を使って穀物を独占的に売ることで多大な暴利を得たとか、デマを流布させて穀物価格を高騰させて、穀物を握っている側が高値で売りさばいたとか、そういう悪辣な話がいっぱい出てくる。あとスルタンは救恤策として食料配布もするけれども、イスラムは喜捨の文化があるから、スルタン以外の富裕層も喜捨をして、貧しい人たちに穀物を与えていたのだけれど、スルタンが喜捨を禁止するという謎の政策をとって、救貧政策を自分たちで独占したいという。スルタンこそありがたいという形で政治利用する。旱魃みたいな、食料生産ができなくなって人口が減少していったという、先程話題になったような状況でも、支配者側が様々な方法で権威を高めたり、政治利用を行ったりしていたという事例。
K それは面白いな。イスラムの内部ってまだまだ扱わないから。
T この本、今日返しに行くので、次借りてください(笑)高校の図書室にはないかな。
K そういうマニアックな本はあんまりかな。
T スペインのペスト対策の記事も載っていて、周縁的要素の排除みたいな感じで、ペストをまき散らしているのは売春婦であるとか、貧民たちだというので、彼らを公開処刑していって、焼き払っていく。
K ああ、出た。
T これも今やんという。この間『コロナ禍の東京を駆ける』小林美穂子他という本を読んで、生活保護の人たちがコロナ禍の東京でどう過ごしていたか、ビジネスホテルに隔離することを東京都は打ち出していたけれど、結果的にビジネスホテルを使わないようにして、無料低額宿泊所に放り込んで、個室じゃなくて多人数部屋だから感染がさらに拡大するという、歴史は繰り返す。
K せやな、皺寄せはいつも弱者に行くな。
T だから人口減少の中で死んでいったのは弱者だったのだろうなと。
K ペストの話はホンマに、今に生かす教訓を見つけようみたいな感じで授業します。
T 生徒の反応はどうですか。
K 去年の最初の授業でしたから、もう忘れているけど。
T まだコロナはそんなにでもなかったかな。
K いや、休校してたよ。休校明けの授業でそんな題材をしてしまって、まだクラスの雰囲気が形成されていないから、当てても無難なことしか言わなかった。これ年度の最後に持ってきた方が色々な声を聞けたやろうな。でも年度の最後に世界史を学ぶ意味があるかないかみたいなアンケートをとったら。
T 誘導尋問やん(笑)
K でも尖った生徒もいるから、「意味はなかった」という人もちらほらいるよ。理由も書いてある。「ぼくは地理選択だから世界史Aは受験で使わないから要りません」とか。
T あっさいなお前。
Y リアリストや。
K 授業の批判みたいな「細かな覚えることに意味を感じない。今は何でもネットで検索できるから」という意見もあった。
T 分かる。職場の後輩も「知識は調べたら出る」とよく言う。でも自分の中でインテグレイトするというか、解釈するというか、言葉を知っていないと調べられもしないよね。知らない言葉は調べられない。
K キーワードを知らずにどうやって検索するねんというな。
T 調べた結果の情報の重要度を取捨選択する判断基準にもなる、という反論をしたくなるけど、まあええわ。
K いつか分かることでしょう。尖っている人はそんなご意見。でもあとは概ね「現代にも似ているなと思いました」とか、よしよしと思うような。
T 思惑通りの。
K そう思わせたくて授業しているからな。昔のことから今に役立ちそうなことを抜き出して生かしてくださいというか。
T 「交易がもたらす懲らしめの鞭」という言葉を使っていて。
K 初めて聞いたけど、意味はなんとなく想像できる。
Y 想像すらできないけど。
T ペストが地中海沿岸の港町ばかりを襲ったということを指して。23%フランス、27%イタリア、11%がレバント、北アフリカ、地中海地域やその港を頻繁に襲った。「懲らしめ」という言葉が出てくるからには、交易が何らかの悪いことだと捉えられていたという気がする。
K ヨーロッパの人の言葉やな。だとしたらキリスト教の考え方。
T 商業を推奨しない。
K 商業とか蓄財を良しとしないから。ほらみてみ、みたいな感じ。
T その価値観がヨーロッパにはあった。
K そんなことより開墾して農業して、修道院で修行しとけよみたいな。
Y 寄進して。交易がいわゆる「外を出歩くな」みたいなイメージかな。デカメロンはコロナが流行ったときに自粛を促すために、デカメロンにも書いてあるでしょみたいな。あれはペストが流行ったときにフィレンツェに引きこもった十人組の話だったから。
T そういう意味ではこの会合もしかり、クラブハウスもしかり、ズーム会議もしかり、みんなちゃんと家に籠もって喋ってるじゃないですか。
Y 確かに。
K デカメロンは今年の共通テストに出た。しかもペストとの絡みで。この人たちは何の疫病から逃げてこれを書いているかみたいな問題で、コレラかペストを選ばせる。いやそんなんペストやろというオマケ問題。
T 共通テストも選択問題やねんな。
K 選択問題やけど、やらしい感じで、これとこれの組み合わせが両方合っていないと点にならないみたいな。
T センターもそうだったんじゃないの。
K センターよりもそういう二段階問題が増えた。単発問題より。
◆イスラム諸王朝は国家ととらえるべきか
T 商業と国家の保護を捉えるときに、もう一つ面白い題材だと思ったのは、カイロの建設の話をしたけれども、10世紀くらいからカーリミー商人というジャンル分けが、ムスリム商人の中でもされていく。彼らはアラビア海ルートじゃなくて、紅海ルート、半島の南側のスエズあたりのルート。
Y 細長いところ。
T そのルートを通っていく商人たちが多くなった。それが何故だったかというと、地中海はキリスト教世界だけれど、宗教的要因だけじゃなくて、軍事的にも敵対がされていて、海域として危険度が高かった。一方の紅海ルートはそういうことはなくて、誰でも安全に航行できるルートだった。それで小規模事業者の商人が多数そのルートを通って交易を行った。
K 資料集にも書いている。紅海ペルシア湾交易圏。
Y 長靴みたいなアラビア半島の左側の方だね。
K メッカやメディナがある側。
T そうやな。じゃあ国家の保護って何なのか。この段階で国家はあったのかも知れないけれど、制約というか、紛争を起こすことで貿易を制限するものとして国家があったとも捉えられる。交易と国家の関係を考えるときにカーリミーたちが紅海で活躍したというのは、どう捉えたら良いのだろうか。一つには、香辛料を取り扱っていた。
K 香辛料や砂糖をアデンで買い付ける。アラビア半島の付け根というか。
T 長靴の踵のところ。
Y ソマリアの先端の対岸か。
K 確かにカーリミー商人をどう捉えたらいいんやろ。イメージだけどイスラム商人は、王朝がどれとかはあんまり関係なく、イスラムのものを共有していた。サライとかも、国家が運営していたというより、みんなの喜捨、ザカートによって運営されているから、イスラム教という理念を共有している地域同士は、国家とか関係なく往来しやすくて、当時このあたりは大概イスラムが押さえていたからということかな。まだここまでヨーロッパ人が来ないというのもある。だから紛争は生まれない。
T イスラムの中では平和が生じていた。
K イスラム同士の対立はこの地域でこの時期にはなかったように思う。
T 香辛料貿易はタンカーで穀物を運ぶわけじゃないけれど、わりと規模の利益が働くと捉えるべきなのか、小ロットからも運べると捉えるべきなのか。輸送に対して小規模事業者が参入できるだけの性質を持った商品があったから成立したという条件もあったのかなとは思うけれど。喜捨の関係はオスマン帝国でワクフ制度ってあったよね。
K ワクフ、寄進。サライとかアズハル学院、マドラサも寄進。ワクフはオスマンに限らずイスラム圏では広くあった。
T 地元名士たちが共有財産として港を整備すると捉えれば良いのか。それは港はもう俺たちの縄張りだとなっていって、紛争はどうやって生じるんだろう。国家ってどうやって成立するんだろう。
K イスラムの王朝はわたしたちが思っているヨーロッパで成立する主権国家とかとはまた違う気がする。イスラム世界は結局、世俗の君主は乱立しているけれど、基本はカリフ信仰で繋がっているから。
T 宗教的権威で繋がっている。
K 宗教の共同体、ウンマから始まっている。たまたま世俗の君主があちこち交代して地域が拡大することによって、その地域の特色を取り込んで、イランの王朝とか、エジプトの王朝、って成っていくけど、それぞれがイギリスとかドイツみたいに国家として動いていたかというと、そうではない気がする。イスラム世界の中で、商人の行き来が保障されていた。
T そう思います。だからこそイスラム商人がこれだけ広大な版図を確立させて、後のモンゴル帝国の基盤を築いたという、その基にあるのはイスラムとしての統合だったと。国家の争いや宗教の争いがないから、というのが。モンゴルからだいぶ離れたけれど、ネットワークの基になったのはイスラム商人だという話。
K いやでも、結局繋がってはいるよ。
Y 中世を語る上ではイスラムは大きなファクターになってくる。
K そうやな。ムハンマドなくして。
T シャルルマーニュなし。
K アンリ・ピレンヌな。でもそれはそうでもないぞと批判されていたけど。
Y p77に書いてあるな。
K 山川の教科書には昔この用語は載っていたけど。
Y 確か見出しになっていた。
K 最近は小さい字になっている。
T やっぱり地中海が閉じられた海となり、イスラムとの交易を遮断したことが、東方世界の発展の原型になったという。
K ただ最近はそれも、そうでもなかったという見方がある。十字軍は対立している感じの話で教えていたけど、十字軍の結果としてヨーロッパの人たちがイスラム圏内に保存されていた古代ギリシャローマ文化に接触した結果、ルネサンスに繋がっていったという説明もなされるし、そういう場としてシチリア島が取り上げられる。
T 多文化共生の島、シチリア。
K 地中海のどえらいところにある。イスラムもキリスト教も色々な人が往来するところにある場で、どんなことが起こっていたみたいな。フリードリヒさんが出てくる。
Y 卑弥呼に見えた(笑)落馬して死んだ人だっけ?
K 頼朝みたいやな。こういう地域で育った君主がヨーロッパだけに囚われない統治をしたという話。フリードリヒ2世は落馬じゃないな。Yが言っているのは十字軍の川で溺れて死んだ、リチャードと一緒に行った。
Y そう、獅子心王と一緒に行った。
K で、獅子心王は帰ってきたけど、一人川で溺れて死んだ。フリードリヒ1世やな。第三回十字軍に行ったそっちの方がメジャーやけど、2世の方は第五回に参加しているけれど結局戦わずにアイユーブ朝と交渉で、外交で問題解決している。巡礼に行く人は保護するとか。どうして交渉を取り付けられたかというと、彼がシチリア島出身で、昔から多文化に触れるような環境で育ったから可能となったという例として。
【終】
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