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資本主義、個人主義、社会契約 #3

◆欧米のようには解決できない東アジアの少子化問題

うえむら ここは落合恵美子さんの「圧縮された近代」論ですね。

こにし そうですね。ただこの節に関して補足すると、若干事実誤認があります。つまり欧米も低出生率の問題を別に克服したわけではない。出生率が2.0以上ある国は先進国の中には無い訳ですから、日本と同じ問題の中にいる。アメリカは非白人の、ヒスパニック系や黒人系の移民効果で出生率が高くなっていますが、欧米が少子化問題に苦しんでいないという見せ方は間違いです。

途中でフランスの例が出てきますが、フランスはヨーロッパの中でも高出生率で知られている特殊な例です。その原因は、婚外子の数です。新生児の半分以上が婚外子として生まれてくる。日本の場合は、結婚に付随して子どもが生まれてくるという意識があって、結婚していない環境で子どもが産まれてくるのが不自然とされていますが、フランスは出産後のサポートが受けやすい制度になっている。

テキストでは東アジアが特に低出生率と言われていますが、東アジアと同じように、ヨーロッパでも南欧は低出生率です。イタリアやスペインはヨーロッパの中でも出生率が低い。この手の研究でよく言われているのは、日本と南欧の共通点は、伝統的に社会制度によって福祉を提供してきたのではなくて、家族が福祉を代替してきたというところです。逆に北欧は政府が福祉を提供してきたので、相対的に出生率が高いです。米国は政府ではなく市場が廉価なサービスを供給します。

以上のようにヨーロッパの中でも多様だし、解決策や元になっている発想は国によって違います。アメリカもまた違った事情があります。

うえむら 著者は何を参考にしたのかな。アンソニー・ギデンズを引用しているけれど、途中からフランスの話が中心になっていく。どこの国の話?とちょっと混乱しました。

こにし テキストに書いてあることは間違ってはいないのですが、局所的ですね。体系的ではない。フランスはめちゃくちゃ特殊です。欧米と日本を含んだ東アジアを比較するのはあまり適切ではないですね。極東根性を発揮する枠組みとしてはよいと思いますが。

◆ブレーキ無しでは新自由主義的状況に曝される私たち

こにし P259で「韓国人ジャーナリストの金敬哲によれば、現代の韓国社会は資本主義が行き過ぎが深刻で、自殺率の上昇や合計特殊出生率の低下が著しく」とありますが、これの意味がよく分からなかったですね。資本主義と自殺率がどう関係するのか。

うえむら これは*22に『韓国 行き過ぎた資本主義――「無限競争社会」の苦悩」金敬哲が紹介されていますので、競争社会がしんどいという話なのかな。

こにし それなら分かりますね。出典を読みたくなりました。

うえむら これは新書が出ているみたいなので、また読んでみましょう。

◆それでも現代社会は正しいということになっている

うえむら ここでは「正しさをアップデートするロゴス」の話をしていますね。それが西洋の特質であるかのように語られていますけれど、『オスマン帝国』小笠原弘幸では、オスマンもイスラム法をドグマ化するのではなくて、社会の変化に応じてシャリーアを柔軟に解釈してアップデートしてきたことが描写されているので、別に西洋に顕著な話でもないなとは思いました。ただ日本が正しくアップデートできているのかという問いかけについては顧みないといけないというのはそのとおりだと思います。

こにし 一般論としてテクノロジーの進歩に対してハードローの進歩は追いつかないとは言われていますよね。その点は「注意しろ」で済まないとは思います。

うえむら ハードローはそうだけれど、道徳規範に関してはキャッチアップしていこうという話なのかな。

こにし 大変だとは思います。法律よりもよっぽど難しいのではないかという気もします。

うえむら そうね。むしろ法律が成立して初めて道徳意識が方向付けられることもありますね。だとすると政治家をアップデートしないといけない。

こにし こないだの選挙もおじさん政治家ばっかりでした。

◆資本主義、社会契約、個人主義の枠から外れるリスク

しろくま P264に「庶民の子育てまでもがブルジョワのロジックで推し量られる国々では~」という表現があるように、ブルジョワは上級の一部であり、庶民がマジョリティであるという認識で良いはず。庶民はそんなにもブルジョワのロジックに支配されているのだろうか、と思いましたが、ここは先程話して頂いた通りです。メディアが作り出した空想のマジョリティによる「これくらい教育するのが当然だ」という感覚に支配されているのだと思います。

P266では、結婚にせよキャリアにせよ、「続かないといけない」という固定観念が邪魔している気がしました。それはどこから来るのか?と最近思っています。キャリアアップには何らかの最終ゴールがあって、そこに向けて行くためには途切れてはいけないとされている。それはどこに由来する価値観なのかな。これからの時代は別に途切れても良いのではないかなと思っています。

うえむら 「断絶」とは「空白」で、「空白」とは「生産性ゼロ」を推認させるということなのかな、と思いました。生産性をどのセクターでどのように発揮してきたのかが、その人の価値になっているからこそ、絶えず生産性を発揮してきた推認ができるキャリアパスが価値づけられている。逆に履歴書に空白があったら「おまえ無職のカジテツか」と推認されてしまう。

だからこそヤングケアラーが問題になって、ケアリングにリソースを割いていた時代が、労働市場で評価されないことによって、次のキャリアに繋がっていかない場合もある。続けると言うことは、キャリアに関しては、一つのことを続けるというよりは、別に移っても良いのだけれど、少なくとも何らかの生産性を発揮していたことを内外に示さないといけないということなのかなと思いました。

しろくま 仕事という意味での生産性に縛られているということですよね、評価軸は。子どもを生むことは再生産労働ですよね。

うえむら 「子どもを育てていました」という空白は許されるよね、今の時代。

しろくま 分かります。それは思います。後で面接を受けるときに言い訳できる、説明できる。

うえむら 「説明可能な空白」ですよね。

こにし 育児休暇の取得や、結婚退職する労働者側の目線ではなくて、採用する側の企業からすると、自分の会社の中で所属した状態で育児休暇なり長期の休暇を取って頂く分には、その人のスキルに対する認識のギャップは生じにくい。これまでこういう仕事をしてきたから、復帰後もこういう仕事はできそうだね、というのが分かるから、復帰も比較的スムーズに行く。

しかしそれが他の会社になった場合、たとえ同業種であったとしてもその人が詳しくどういうことをやってきたか、何をできるのかということに対して、かなり盲目の状態になってしまって、それを知ろうとすることがコストになってしまうし、話すこともコストになる。そういう意味では、内部でリソースが確保できるのであれば、そちらを優先したくなるというのは、そういうコストを払わなくて良いという意味では効率的だと思います。

コンサル市場で問題になっているのは、それでも人が足りないということだけれど、それを拾うにしても、子どもの世話があって、お迎えのために早く帰らないといけないなど、仕事をする上で制約が多い労働者の採用は、雇用する側からすると大きな制約でハードルになっていくのは事実です。

そういうのを含めた上で、そういう人をちゃんと採用していきましょうという会社の論理もあるけれど、それを言ってなお、プライオリティとしては、言ったらいつでも仕事してくれる若い男の方が、転職市場上は魅力的に見えてしまう。

同じマミートラックを経た女性の中で比較するならばまた状況は違うでしょうから、母親たちだけが他の転職市場とは分けられた市場になってしまっていること自体が問題だとも言えるでしょうけれど、雇用者側からすると都合が良くない要素が出てきてしまう。

元から内部で抱えていて、所属した状態で休んでいる女性の方が、安全性もプライオリティも高いという発想になってしまう気がします。雇う側もリスクを取りたくないというのはあるので。そこがものすごく矛盾してしまっている気はします。

うえむら そこまでがキャリアの話で、結婚はまだそこまで進んでいないですよね。キャリアは「基本的には続くものだ」というフェーズは終わって、「辞めることはあるけれど、空白の期間が説明できればいい」という認識になっているけれど、結婚はまだ「基本的には続くものだ」という固定観念が継続している。続かなかった場合は、「暴力を振るう男」だとか、「ヤンデレの女」だとか、原因が推認されてしまう。ここでも「原因が説明可能」ならいいのだけれどね。典型的には死別とか。

こにし 離婚したという事実に対する社会的スティグマが強いですね。

うえむら 離婚が再びの恋愛市場における価値を暴落させる懸念があるのであれば、「続けなければならない」という規範意識が、自分の中で内面化するのもあるし、周囲からも「続けた方がいいでしょ」と言われる。もちろんそれを越えるほどの抑圧や暴力被害を受けているならば別だけれど。でも暴力を受けた被害者であったとしても、被害者批難されてしまう。「そのような男を選んだのはあなたでしょ」という。

こにし 自己責任論になってしまう。

うえむら 「そのような男を見抜けなかった」ことに関して、それすらも恋愛市場の価値暴落に繋がってしまう。

こにし さっきのロバの話に近いですね。結婚しなかったら「おまえはなんで結婚しないのだ」と言われ、結婚したけど暴力を振るう夫にあたったら「おまえはなんでそんな男を選んだのだ」と言われ、離婚したらしたでそのことを責められる。

うえむら 全ての人を納得させるのは難しい。

こにし あとは、最近かなり薄れてきた感覚ではあるかもしれないですが、結婚という関係には経済的な依存関係が含まれることが多い。典型的には専業主婦が夫に経済的に依存していうケースですが、そういう影響下にあるとしたら、婚姻関係を長く続けること自体が自分の経済的な水準を維持することなので、それが合理的となって、規範化されてしまうということはあると思います。ただ、最近の高学歴化した層は、男女ともにそういう経済的要因からは自由になっている気がします。

うえむら そうなのだけれど一方で、実はダブルインカム、二馬力の方が税制上も効率が良い。そうするとパワーカップルたちは、パワーカップルとして下駄を履いた状態での経済水準に慣れていて、離婚するインセンティブが低下する可能性はあるよね。専業主婦ほど過激ではないけれど、離婚によって経済水準が落ちるということは十分考えられる。それにシングルマザーの子育てが大変だと言われるように、ケアリングの担い手が減少するという問題もあります。

こにし そういう意味ではまだ、そこで関係維持しないといけないという規範意識はまだまだ続いているということですね。

しろくま 昨日、元NHKの女子アナが民間企業に転職したことを取り上げたネット記事を目にしたのですが、女子アナを経験した場合には、そのキャリアを生かして次の仕事を見つけてくというキャリアパスが当然視されているために、民間企業に就職することが不思議な選択肢として取り上げられるバリューがあるということだと思います。

しかし、女子アナは、アイドルもそうですけれど、若いウチにしかチャレンジできない職業なので、それは20代のうちに挑戦しておいて、30代になったら全く違う生き方をしたっていいじゃないですか。次へのステップとして、延長線上にキャリアを作っていくパスだけでなく、若いうちにできることを若いときにやって、そのあとで全く関係のない仕事をしていくというパスもあってよい。とはいえやっぱり、積み上げ式が主流なのでしょうか。

うえむら 橋詰彩季さん。アイリスオーヤマに転職したのか。近江ちゃんも不動産会社の営業に転職していましたし、そういうキャリアパスは増えているのでしょうね。近江ちゃんはインタビュー記事で「アナウンサーとしてできることは終えたから、アナウンサーで培ったコミュニケーション能力で不動産の営業をする」みたいに、スキルベースでキャリアを作っていくとは答えていましたよね。

しろくま そうか、ある意味積み上げ式ではある。もちろんそれまでに得たものを何かしら生かすとは思うのですが、モノは言い様で何とか説明できることはあっても、一見違う分野に移るときに、キャリア上の連続性を説明できないといけない、というのも寂しいですね。

うえむら なるほど、「続ける」というという価値の中には、単に続けることだけではなくて、キャリア上の「連綿」が要請されているのではないか、というご指摘ですね。

しろくま 例えば私は農学部出身なので例外的ですが、大学で人文学を専攻した人がいきなり農業をやり始めると、「なんで?」と周りは見る。

うえむら それで言うとしろくまさんは農学部出身なのに新卒でIT企業に就職したのも、人によっては「なんで?」になると思うよ。

しろくま そうです。それもあります。

こにし 日本は公的には職業教育を行わないのですよね。高専はありますけれど、それは例外的で、基本的には職業教育は会社の中で行うのがメインになっている。社会人になってから別の専門領域や職業領域について学び直す機会が非常に少ない国で、それが同じ会社の中でずっと勤めていくというワークスタイルと噛み合っていたのですが、終身雇用制度が揺らぐ中で、そこを変えていかないといけないという話はでてきている。

それで最近は行政からもリカレント教育や生涯教育という政策が打ち出されており、アメリカにおけるコミュニティカレッジと呼ばれる教育機関のように、社会人になってから学び直しをするための高等教育をもう少し強化しないといけないとされている。産業構造が時代によって変わる中で、同じ企業の中で異動させるのではなく、産業間の移動機能を社会に持たせて、人の融通をできるようになれば良い、という話はありますが、あまり定着していないのが実情です。

うえむら リカレント教育は、東京にいたときに早稲田大学や東洋英和女学院大学が開催している講座をヒマだったので受けたことがありますが、あれは職業教育と言うよりも教養教育で、A群の授業をひたすら受けている感じだった。だから専門科目を受ける機会がないというのはおっしゃるとおりだと感じます。

こにし 一方でそういうサービスを提供している民間企業、例えばパソコン教室のアビバなんかは潤っている気がします。あのようなサービスはスキルを再履修して、人員を再配置させるためのひとつの環流の仕組みになっていると思います。ただ社会的にそういう移動を支える機能は日本では弱いですし、伝統もあまりない。それは職業教育を企業に強く依存してきたことが理由となっています。

うえむら だからこそNHKというアナウンサー教育に鬼コーチを導入している業界で、対人スキルや、自分をさらけ出すプレゼンテーション能力を鍛える訓練を受けた人が、そうしたスキルを他の業界でも通用するスキルとして活用している、というキャリアのロールモデルが今、先進的に生じてきているフェーズにあるという観察になるでしょうか。

こにし 女子アナは絶対数が少なくて、市場にあまりいない種族なので、強いシグナルだと思います。しかし大多数はそうではなくて、新しい職場に行こうと思うと、そこでどういう業務が為されていて、そのためにどういう技能が必要かということを予め知った上で、ポテンシャルじゃない部分でそうした技能を身につけていかないといけない。

例えば営業をするにしても、その会社でそもそも何を売っているのかとか、売るときに何を知っておかないといけないのとかは、会社の中に入ってから学ぶ部分もあっていいけれど、業界全体の慣行などは予め知っておかないといけない。そういうことを勉強する場が今は自己学習以外に何もないし、体系的に学ぶ場もない。じゃあ何をやれば良いですかと言われるとなかなか難しいけれど。「半導体の作り方」を公的に教えればいいのかというと。

うえむら とりあえず「プログラミング」じゃないですか。

こにし 「プログラミング」は一つ汎用性があるスキルかもしれません。

しろくま 学び直しの機能が弱いとどうしても、「連続性」あるキャリアが前提になってしまう。

こにし スキルのモビリティ、移動可能性が必ずしも高くない場合において、それを補填しようとする社会的機能があまり強くないのが障害になっているかもしれない。もう少し資格制度がかっちり決められていたり、高等教育の中に職業教育の機能が明確に位置づけられて、学位に意味があったりすればいいかもしれません。

MBAは一部そういう機能を代替していますけれど、そうした取り組みが進んでくれば、一度労働市場から出た人でも入り直しやすくなるかもしれません。今のルールだと「残留した人」が有利になりすぎるので、残留が難しい人には不利になっているということだと思います。

しろくま 残留が有利でもあるし、最初に入った企業の良し悪しによって後のキャリアが完全に決まってしまうのも問題だと思います。

こにし そこの依存度を下げていこうかと思うと、当然学び直しという議論が出てきてしまう。社会的制度が用意されていたとしても、それに追随するみんなの意識が追いついていなければ有効性は低いといった議論はもちろんあるでしょうが。グロービス経営大学院大学とかはビジネスマン的には用意されているけれども、そうではなくて、ということですね。

うえむら あとは資格試験でしょうね。もとは全く関係ない仕事をしていても、勉強して国家資格を取って士業に移動するのが唯一想像できる「連続性」のないキャリアパスです。

こにし 微妙ですけれどね。全てを行政でやるわけにもいかないでしょうけれど、学び直しの機会が社会的に求められている状況にはなっている。

うえむら でもあんまり「格付け会社」みたいなセクターに力を与えたくないけどな。

こにし 確かに、ブルシット・ジョブを生み出してしまう懸念はあります。

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