見出し画像

啓蟄 INSECTS AWAKENING

東京にいたときの話

19年2月に群馬県の法師温泉を訪問し、そこが「ワニのメッカ」と呼ばれていることを知る。ワニとは混浴風呂に入る女の人を眺めることを趣味として、湯に浸かりながら待ち構えている男の比喩的呼称である。我々もまた湯に浸かりながらも、女の人には目もくれず男たちで歓談しているのが、他のワニたち(”混浴サークル”と自分たちを紹介していた)に物珍しかったのか、色々と話をした。代表者(または尖兵)っぽい彼は、かつて京王プラザホテルで石橋貴明と一緒にアルバイトしており(石橋はホールだった)今は志村のドンキの近くに住んでいるワニの創始者らしい。ひとしきり話した後、のぼせそうになって・・・と言いながら上がろうとする我々を、彼はきょとんと「もう帰るんですか?」と。後ろでサークルのメンバーたちが一様に頷いていた。

画像1
法師温泉

18年の東京大学五月祭に受験生の親戚を連れて行って、東京と京都のどちらを志望するか吟味してもらう為に両大学の院卒の知り合いを行脚した。会ったうちのひとりを「あの人の話が高校生の身にも一番分かりやすかった」と評していたので、相手のレベルに合わせて話す能力に長けている人というのが居るのだなと。そう評された彼は、会社でリクルート要員になっているらしく、人事部局よく見てるなと思っています。

画像2
三四郎池

半蔵門線ユーザだったので、酔っ払って曳舟と渋谷を2往復くらいしたことはあったのだが、弟の家に転がり込んで蓮根に住んでいた時は酔っ払ったとしても西台で目覚めることができていた。つまり酔っ払いは急カーブで目覚めるのか。だとすると清澄の大カーブはカーブじゃないのか。8号線なんか要らんかったんや。

奥多摩というフィールドに感じるのは霊とか超自然ではなく、山村工作隊という事実としての歴史の積み重なりだという話。懐かしく思い出した、本格東日本の山奥を巡った日々を。

ぱるると小説

ぱるる「あんたがたまに言ってるこの小説ワイでも書けそうやわというフレーズに共感する小説に私もいま出会ったわ。よぅわからんけど最終的に女作ったらハッピーエンドなんやろ」

とまでは言わないが、恋愛小説でもないのにホレタハレタをヤマ場にする物語に違和感はあります。

・・・恋愛のコードを人々の間に広める役目を果たしているのが恋愛物語である。ルーマンは、人々に恋愛のコードを利用可能にさせるものとして、社会の中に存在する「文化的伝承、文学上の手本、説得力のある言語パターンや状況イメージ」をあげている。なかでも長編小説など恋愛を描いた書物の影響を重視しており、恋愛のコードは「著作の印刷によって多くの人びとに分割されることになった」という。文学研究者の竹村和子は、「わたしたちは何らかの「物語」なしに、自分の感情を感じることも、自分を把握することも、行動することも、何かを理解することも、他の人々との同意を得ることも、あるいは誤解、決裂することもできない」と述べている。物語はコミュニケーションのコードを具体的に表現したものだといえよう。人々は恋愛を描いた物語に接することで恋愛のコードを学んでいくのである。
『宝塚・やおい、愛の読み替え 女性とポピュラーカルチャーの社会学』東園子(2015)P6

『オルタネート』、妻の感想を訊く。マッチングアプリを主設定にした本ではなく、部活青春モノで、そのひとつにマッチングアプリも出てきます、と思って読むとありがちだが一定面白いのだそうだ。

ぼく「我ら世代を代表するミステリ作家って誰?」
ぱるる「綾辻行人、東野圭吾、米澤穂信、雫井脩介、横山秀夫」
ぼく「あなたおっさん作家好きやな」
ぱるる「女性だと柚木裕子が好き」
ぼく「あなたの好きなミステリ作家になってるが」
ぱるる「結局それが我ら世代の人格を涵養したということ」

ぱるる「私こうたいきんむせいになったかもしれん。」
ぼく「(抗体菌無性?抗体が無くなるんか?)」
ぼく「コロナ禍のこの局面でそんなん大丈夫か??」
ぱるる「いや、コロナ禍への対応としてやろ」
ぼく「(人体の神秘?環境への適応?)
→交代勤務制の話

ぱるる「僕はついてゆけるだろうか、ミノシロモドキたちのLINEのスピードに」

BLEACH49巻 巻頭ポエム

妻が『新世界より』を読破して余韻に浸っておる。時折我慢出来ずにヒント出してしまった私を許して。「愧死機構は客観じゃなく主観」とか。
ぱるる「業魔まで行って、そういう構造の話と理解してからは速かった」
ぱるる「あんたが早口で喋ってたら今後はミノシロモドキと見做す」
ぼく「ハリー・ポッターだと他人を害する呪文は「禁じられた呪文」という社会外在的な「ルール」によって制限をかけていたけど、一方で『新世界より』だとそれを「慚愧の念」という身体内在的な機序によって阻害するという発想になってるのが好対照で、洋の東西による魔術の捉え方が、修得されるもの/生得されるものと異なっていることに起因するのかな?」
ぱるる「あんたやっぱりミノシロモドキ」

妻に付き合ってアマプラで『MIU404』を3話まで観た。今のところ全く面白くなる気配がないけど大丈夫なのか…そして脚本の野木亜紀子氏に言いたいのは、表現したいことがあるなら中盤にボソボソ挿入するセリフじゃなくて展開全体で語りなはれちゅうことですわ。セリフでやっちゃうとドラマじゃなく「説教」なんですわ。

逃げ恥婚について、令和のポリコレ(新しい抑圧)をしたり顔で押し付けてきたアイコンたちが、通常婚姻とかいう旧弊に擦り寄って平然と"祝福"されてるのは端的に裏切りでしたね(議事録

そうだ、林遣都、精霊の守り人のシュガ役だ…あれは全然イメージが違って驚いた。(大島優子と結婚)

夜中に精神がバグっているので、恋するフォーチュンクッキーを聴いて泣いたりしている。

初めてのルーブルのメロディに合わせて「こ、こ、こ、こ、鼓動」と妻の腹を慈しみ撫でる

目を閉じて見る夢の話

おのげれみ=赤子の射精
よく考えると赤子は精通していない。でも、吸啜反射(きゅうてつはんしゃ)を眺めているとエロティックな気分になる(多くの父親が、母親に共有できない感情の供養)

真村崎虎徹村虎徹泰虎
漫画広告、ヤクザモノが多い気がする。それもガチガチの任侠ではなくて、マイルドヤンキーの連続性の中にある、”優しい”ヤクザ、みたいな着想。

冬季オリンピックのたびに現地に乗り込む男女七人海外ドラマ
これは多分長野オリンピックに動員されてすり潰された若者ボランティアたちのエピソードが念頭にある。

断続的に眠りながら李琴峰さんとヴィクトリア湖の周囲の絶壁をライオンの脇をかすめてチャリでヒルクライムしたり柿崎隊の照屋ちゃんと中学校で席が隣になったり眞子さまと赤坂見附で角煮丼食べたりといった夢を見ていた。マジで意味が分からん。眞子さま(現・眞子さん)は言うに及ばず、ちょうど李琴峰さんがネトウヨに因縁を付けられて炎上していた頃合いだったので、心を痛めていたのだろう。じゃ、照屋ちゃんは、炎上していたか?

畚(もっこ)
漢字を初めて知った。

東京オリンピック

2020を20と略しているときはさほど感じなかったが、2021を21と書かれると平成21年を想起してしまう。何故だろう。物心ついたのが平成21年くらいだったからかな。平成21年と平成29年くらいが今の自分に繋がる物心のポイントという感覚がある。

「努力は必ず報われる」と力強いメッセージを発するアスリートが心底嫌いだ。あなたの「報われる」充足の裏で、多くの人間が虐げられ、劣後させられて涙を流している。その事実に対する無自覚を堂々と公の場で表明することを許され、感動ポルノを押し付けることで褒められさえする。何という非対称か。アスリートたちがメッセージを弄するほどに露わになるのは、自分たちの自己実現が公益に完全に一致し適っていると信じる無邪気な傲慢である。金儲けと名誉欲に溺れた取り巻きたちに唆されて、そんな身勝手を鵜呑みにする反知性の姿である。比較的厳しい立場にはないぼくでさえ、ほんとうはもっと語り合いたいこと、議論したいことがある。だけれども為政者が欲望し、メディアが便乗する「大きな物語」に、家族や、友人や、同僚たちの思考と、会話のリソースが食い荒らされてしまう。ぼくはただ、我慢して口をつぐむことしかできない。いまや「共通の体験」とは、国家による個人に対する暴力と化している。公平中立であるべき税の使途が、他人を虐げて自己実現する者へと再分配され、金銭面や機会において、虐げられた側には、欲しくもない感動だけが押しつけられる。「統合」とは実に迷惑な、見返りのないただのコストである。

表現者が治外法権になる、クリエイターのナルシシズムが増大する、みたいな言説、いや、中間搾取しか志向しないハエ量産するよりマシでは?ええからお前らも表現しろよ。いや、君らにとっては批評が表現なのか。

皇国教育にしても軍国教育にしても中央の意図を曲解した中間団体によって過激化されて敷衍された。

囓ったとか囓らないとか。もう物質としてのメダルにさほど価値なくないか。あれ人物同定の曖昧な時代の明認証拠物件の名残で、デジタル時代、名誉は残るし、記念写真撮って終わりでよいと思う。そんなにぶら下げてテレビ出たいのかと思ったけどテレビ演出もメダルとかいう小道具ぶらさげるより生い立ちとかのストーリーの紹介に軸足が移ってるし、もうホンマにメダル要らんな。

「大人の事情」じゃなくて、「子どもの事情」ってワーディングにした方が良いのでは?ガキおじさんたちに自覚を促すには…

ぱるる「わたしら開会式と閉会式しか観てないな」
ぼく「ぼくは体操のあん馬も観た」

五等分の花嫁

ぼく「今週の二乃は必見。約束された神回です。」
ぱるる「あんたそれ毎週言うてるけど。」
ぼく「なんできみなんだろぉ」
ぱるる「ビコーズ、ユーアーチョロQ」
ぼく「そう、チョロQの行く道の選択肢は正面しかないと。あなた一花のキャラ理解深いよな」
ぱるる「他者を排除してまで執着されたいと思う男たちの欲望が一花的なものを成立させている」
ぼく「二乃は?」
ぱるる「二乃もチョロQ」

ぱるる「上杉らいは交通事故記憶喪失説はシスコンイケメンの亜種として理解できて、同じシスコンでも姉LOVEに比べ妹LOVEはやや気持ち悪いので、妹をいたわる合理的な理由を付与しておくのは大切」
ぼく「飛影と氷泪石みたいなもんか。雪菜を心配する根拠であり、自身の来歴への強い思慕をもたらすもの」

32歳

もっと気軽にひとんちに行きましょう

それでも母子健康手帳取得時に民間企業の周産期アプリの広告チラシが配布されることに違和感を覚える程度には役所脳のわたし。

バロック・バンジークス、32歳かよ(謎感情

社会保障おじさんなので「給付面の恩恵」と入力しようとするが、PCだけ音楽家になったのか「旧譜面の音型」とか変換される

ホモ・エコノミクスの限界と反省が行動経済学による修整へと繋がった、という理解をしていたが、そこでも不正があるならもう存在意義ないし、せめて公共リソースに助平心出さず象牙の塔に籠っておいていただきたいもの。

積むだけとわかっている本を買ってくるのは異常状態なのか?いや不要な買い物じゃないから。

卒業して10年も経つと「学生生活」の概念をアップデートする機会もなく「ガクチカ」の描写がゴールとして求められると理解しつつ、その構成要素は①学業②サークル③バイト④恋愛だろ、との認識で止まっているので卒前そこに差し込まれる⑤オンラインサロンビジネスに驚く。つまりサークルが弱体化している。サークルが孤立化している(もはや"サークル"ではない)のは新型コロナ感染症の蔓延という環境の問題でもあるし、学業を至上化するよう強いられた大学法人という文科省の政策の問題でもある。

大阪府が医療非常事態宣言 保健所職員が告発「感染者登録が手入力で追いつかず、クラスターも申告せず…」 

この歳になると学ぶコストを考えるようになる。まあ独学はそれはそれで楽しかれど、同好の士たちと対話して学びを深めようと思うと、論文というプロトコルをトレーニングしないといけない。そういうメソッドに費やすコストを受け入れられるか。同じようなことが語学学習などにも言える。学ぶメソッドを学ぶコスト。

拙者、中央分水界巡り侍、リニューアルオープンの春に疼く

https://www.city.tamba.lg.jp/site/kyouiku/miwakareshiryokanseibijigyo1.html

とりとめのない記事。
つまりは、啓蟄ってことです。INSECTS AWAKENING.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?