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【映画鑑賞感想】劇場版 名探偵コナン ハロウィンの花嫁

<ネタバレありです。>

世界で一番危険な結婚式。
渋谷ヒカリエでとある結婚式が執り行われていた。そこには、ウェディングドレスに身を包んだ警視庁・佐藤刑事の花嫁姿が。コナン達招待客が喪守る中、突然乱入してきた痴漢が襲い掛かり、守ろうとした高木刑事に身の危機が—!?事態は収束し高木刑事は無事だったが、佐藤刑事の瞳には、3年前の連続爆破事件で想いを寄せていた松田刑事が殉職してしまった際に見えた死神のイメージが、高木に重なって見えていた。

因縁の爆弾魔—
時を同じくして、その連続爆破事件の犯人が脱獄。果たしてこれは偶然なのか?公安警察の降谷零(安室透)が、同期である松田刑事を葬った因縁の相手を追い詰めるが、そこに現れた謎の仮装の人物に、首輪爆弾をつけられてしまう。

<時間>が動き始める—
首輪爆弾解除のために安室が潜伏している地下シェルターを訪れたコナンは、3年前に今は亡き警察学校時代の同期のメンバーたちと正体不明の仮装爆弾犯「プラーミャ」と渋谷で遭遇した事件の話を聞く。やがて、捜査を進めるコナンたちを狙う不穏な影が—。

上記HPより

全体

公開日即鑑賞キメたガチ勢の友人からは「第一作(『時計仕掛けの摩天楼』)味」があると聞いており、爆発が派手だから?ハッピーバースデー新一、もう言えないかもしれないから!?と思っていたら、第25作記念でクライマックスで挿入歌『キミがいれば』が久しぶりに流れたから往年シリーズ味を感じたみたいなオチでした。

とはいえ、久しぶりに普通に面白いと感じました。
(『純黒の悪夢』以来5作6年ぶり)

昨年の予告で警察学校編にスポットが当たると分かったとき、「あーあ、またとりあえず人気キャラ出しとけば良いやろ的な話になるんか」と懸念した方は多かったのではないでしょうか。例えば『紺青の拳』や『緋色の弾丸』はキャラの人気(怪盗キッド、京極真、赤井秀一)に胡座をかいて頼ってる感があり、更にキャラが大渋滞してそれぞれの見せ場が微妙になる傾向があったからです。

それで必ずしも期待値は高くなかったところ、上手いこと昔の思い出話を織り交ぜており、むしろ昔の4人の軽快なコンビネーションとテンポ良い感じのエピソードが全編を通した見せ場の一つに昇華されてすらいました。

とはいえ、キャラの大渋滞はどうしたって避けられないので、捨象されるキャラがいるのはある程度仕方がないところで。個人的に推しの毛利小五郎が早々に戦線離脱したのは残念でした。ついでに蘭ねーちゃんも存在感薄し。映画での蘭ねーちゃんのヒロイン感は嫌いじゃないのですが、もう「らーーんん!!」はやり尽くしてて限界なのかも

主題歌

BUMP OF CHIKENの『クロノスタシス』でしたが、黒の組織は特に関係ありません。ファンの方には悪いですが特に印象に残らない平板な曲でした。

主題歌制作に際しては、倉木麻衣のようにアーティスト世界観=作品世界観のパターン、福山雅治のように自分を抑制して作品世界観に沿わせるパターン、B'zのように自分たちの世界を歌っているだけなのだがなぜか主題歌として成立しているパターンなどが考えられますが、今回の主題歌はアーティストとしての色も、作品世界観への寄せも中途半端だったと思います。

これまでだいたい5の倍数の作品ではB'zが主題歌を担当してきましたが、第25作である本作がBUMP OF CHIKENになっていることには、もしかしてB'zに断られたのでは?とか色々勘ぐってしまいます。だとするとBUMP OF CHIKENには楽曲制作に充分な時間が与えられなかったかもしれず、そのあたりを差し引いて評価すべきかもしれません。

第10作『探偵たちの鎮魂歌』 ゆるぎないものひとつ/B’z
第15作『沈黙の15分』 Don’t Wanna Lie/B’z
第20作『純黒の悪夢』 世界はあなたの色になる/B’z

しかし、仮にB'zに断られたとしても、次にオファーするのがBUMP OF CHIKENだったというのも解せないというか、それならポルノグラフィティにしておけば、『業火の向日葵』の主題歌『オー!リバル』を担当した実績もありますし、なんとなくハロウィンの世界観にも合っていたように思います。

警察学校編

コナン映画といえば爆破、というくらいに毎年ドッカンドッカンやってますが、単なる爆破でなく爆弾モノはわかりやすくハラハラドキドキできます。
松田陣平は「7日に殉職するから、6日の時点ではまだ大丈夫」と分かってても、黒死病医師のマスクをかぶったおどろおどろしい犯人の攻撃をかいくぐっての解体作業はドキドキしてしまいます。
『時計仕掛けの摩天楼』よろしく、爆弾モノはデジタルタイマーカウントダウンドキドキが醍醐味ですが、今作は青と紫の液体が混ざったら爆発する新鮮なタイプで、危機が視覚的に分かりやすい工夫が凝らされていました。(『天国へのカウントダウン』での灰原哀のカウント読み上げも好きでしたが。)

警察学校編はほとんど知らずに観に行きましたが、知らなくても充分楽しめました。墓参りのシーンでほたえ合っている4人の声を聴いて、こいつら担当声優豪華やなと思いましたが、警察学校編として独立したアニメが制作されているのですね。松田以外の死は映画とは無関係ですが、公安の風見の口からハイライト的な説明が施されました。

佐藤刑事と松田の掛け合いの中では、爆発物処理班が毎日大活躍するくらい爆発の横行する米花町を指して松田が「やっぱりこの街は普通じゃない」と嘯くシーンがありました。全般的に今作はこうした控えめなくすぐりが多く挿入されていたように思います。例えば灰原哀がロシア語のリスニングを当然の如く行うことについて佐藤刑事と「ロシア語わかるの?」「少し…」とやりとりがバックグラウンドで流れたり、入院した毛利小五郎に麻酔が効きにくいのを看護師たちが「麻酔に耐性でもあるのかしら」と訝しんだり。

また、脅迫対象として登場する村中努は、目暮警部の同期として導入されています。これは警察学校編の5人と同じように、目暮警部にも「同期のサクラ」がいると示すことで物語に深みを持たせる設定だと思いましたが、逆に言うとそれだけのための設定に陥っていたようにも思いました。確かに「お前は鬼の村中だろう」と目暮が村中を鼓舞するセリフはありましたが、もう少し二人の関係性を掘り下げても良かったと思います。
また、コナンたちとの接点を作るために「眠りの小五郎ファン」という設定が加えられていましたが、夫婦共通の憧れの探偵だとしても、ほとんど知らない人間に結婚式のスピーチを頼むのは違和感がありました。むしろ彼は「小五郎の同期」として導入してはいけなかったのでしょうか。
おそらく、捜査一課総出で訓練を行うことの説得力を持たせるために、課の現役幹部である目暮の関係者とする方が自然だと判断されたのかもしれません。高木と佐藤の結婚式シーンをどうしても描きたかったと。

安室(あむぴ)

予告段階ではあむぴに装着された首輪というビジュアルが”囚われの姫”感がヤバく、あむぴを救え!的なヒロイン映画になることを懸念していましたが、確かに身動き取れずの囚われ感はあったものの、相変わらず人間を卒業しているあむぴで良かったです。予告段階からビル飛び降りヘリ突入はマジで笑っていましたが、本編のインパクトはそれ以上でした。なんで墜落して無傷やねん。あとあれ「結婚式後の東京上空周遊」のためのヘリって設定を覚えている人いるのか?

あと、首輪である必要ないですよね?
例えば『探偵たちの鎮魂歌』では爆発する腕輪という設定がありました。
安室に首輪という特殊性癖の方々の存在を幻視

また、あのシェルター、透過ガラスで黒電話である必要ないですよね?
ワインボトルに水入れる必要あります?ペットボトルの麦茶で良くないですか?
安室を監禁という特殊性癖の方々の存在を幻視

本庁の刑事恋物語

大人になると「もう言えよ」「はよ!」というラヴコメを観る体力がなくなってきます。高木刑事と佐藤刑事は、カップル自体は成立しているので、告白できなくてモジモジしている感じではなく、ストレートに思いを表現するセリフが心地よかったです。

ただ、もうちょっと高木にとって松田刑事は「越えられない壁」としてそびえ立ち、佐藤刑事から「そんなことないの高木くん、あなたはあなたでいて欲しいの」的な少女漫画ありがちエピソードが挿入されるのかな、と期待していましたが、特にありませんでした。このへんは本誌でやっているのかもしれん。

例えば、佐藤刑事は千葉刑事が掠われたシリアスなシーンで、唐突に松田のことを「ドーベルマンと柴犬を足して2で割った」とチャラけるのですが、ここはさすがに緊張感がないように感じました。とりわけ、敵対しているはずの公安の風見の前でこうした隙を見せるのは違和感を強めます。(でも風見を見て柴犬を想起する向きも相当数いそうとは思います。)
すなわち、そうしてまで佐藤刑事の松田刑事への未練・愛着が描写されているにもかかわらず、高木は嫉妬・焦りに逸って危機を呼び込むミスを犯す、といったような紛れの展開が見られなかったことが片手落ちだったと感じると言うことです。でも、繰り返しですが、そういうラヴコメ観るのは疲れるので、本作くらいのトーンで充分でもあります。

この点、負けプレイヤーとしての白鳥が良い味出すポジションになっていました。白鳥が嫉妬・焦りに逸る高木刑事に対して、「君も出世したものだ」と挑発し鼓舞するシーンはとても良かったです。あまりにも正統派。おまえそんなキャラか?長い連載を経て、紆余曲折がひととおり済むことによって、キャラ間の確執が削がれ、みな馴致されてきているのは、連載の終わりが近いことを予感させます。

なお、予告詐欺甚だしい結婚式シーンは、訓練というダミーでした。そして、Cパートのオチは、葬式シーンもまた訓練というダミー、という天丼(同じギャグやボケを二度、三度と繰り返すことで笑いを取る手法)でした。このオチには、「予告詐欺してごめん!」というエクスキューズを感じました。

推理パート

地味なシーンなのですが、廃ビルからの脱出時にコナンが「ポット」(爆薬の検体を採取)と「覆布」を一緒に落としているのが上手かったです。その場で助かるための布と、中和剤精製のための検体採取が、布を落とすためには一定の重量が必要だという合理性で結びつけられていました。あれだけの重量を小学一年生の膂力で窓枠の高さまで上げられるかは大いに疑問ですが、なんかサスペンダーでも使ったんやろ。

風見プレゼンで指パッチンでスライド転換させる愉快なコナンくん。でもそれさえツッコミ忘れるほど話に熱中できる、テンポの良い推理パートでした。いつも推理パートでは「いやなんで民間人の子どもが同席するのを警察は黙認するねん」というツッコミを入れたくなる(ツッコんだら負け)のですが、今作は佐藤刑事が「目撃者だから、いてくれた方がスムーズ」と庇うなど、一応の合理性を付与しようと努力しているのが印象的でした。

ところで、今作は「松田の死の事実にアクセスできる/できない」によって各陣営の色分けをしているため、いつもは平気で警察庁のデータベースに侵入などして情報収集している犯罪者たちが、随分可愛げに見えました。
また、そのため、いつもならハッキングを駆使して情報収集する秘書としての灰原哀は活躍の機会を与えられなかったのが灰原推しとしては残念でした。でも吹っ飛ぶところが可愛かったからOKです。

渋谷とハロウィン

GWの映画にハロウィン?と思いましたが、『から紅の恋歌』も秋の話でしたし、コナン映画は必ずしも季節に拘っていないので、そのあたりは変化を出すために良いと思います。

むしろ考察すべきは、ハロウィンでなければならなかった理由は何かということで、駅前再開発が急ピッチで進むホットな街として渋谷ビル群を描写したかったのか、道玄坂と宮益坂の法裾(のりすそ)がスクランブル交差点で合流するという”谷”としての地形をクライマックスで使いたかったのか、高木刑事を拉致るのにジャックオランタン集団を使いたかったのか。

ジャックオランタン集団がワラワラ来るのはめっちゃ怖かったです。集団のパワー怖い。そして地下貯水槽でワラワラ並ぶジャックオランタン。ここ現代日本?すでにカタストロフ後の廃世界?という演出が巧みでした。というか、ここでワラワラとジャックオランタンを並べるためにこそ、民間組織「ナーダ・ウニチトージティ」という陣営を登場させるに至ったと推察します。このあたりはどの構成要素から順番に脚本を組み立てていったのか想像するのが楽しかったです。

話が逸れましたが、「ハロウィンでなければならなかった理由」の私の仮説は「コナン映画のメイン着想は、現実の流行と3~4年くらいズレているため」というものです。渋谷のハロウィンが真っ盛りで、暴徒化して批判されるまでに至っていたのは、2017~18年頃の話で、2020年の感染症禍によって”オワコン”化したとも言われています。

つまり2022年において渋谷ハロウィンを扱うのは、遅きに失しているとも評価できます。この点、同じように渋谷ハロウィンを舞台にした『呪術廻戦』は作品内時間が2017年となっており、そうした弱点を回避しています。

他の例としては2018年の『ゼロの執行人』では、小惑星探査機が地球に帰還する着想をクライマックスに導入していましたが、はやぶさが地球に帰還したのは2010年、はやぶさ2が打ち上げられたのは2014年と、これも「遅きに失している」ように感じます。

脚本が企画され、練り上げられて、最終的に映画の公開に至るまで、だいたい3~4年くらいの時間を要するがために、こうしたズレが生じるものと思われます。つまり、私たちはコナン映画を通じて、3~4年前の流行を振り返っていることになるのです。

プラーミャ

これは観終わった後でタイトル「ハロウィンの花嫁」が佐藤刑事ではなく犯人のことを指していたと気づくミスリードとタイトル伏線回収が小粋でした。

反面、脚本上のミスリード(村中努への逸らし)はわざとらしすぎて、あれに引っかかるのは子どもくらい。まあコナンは子ども向けアニメか。

『世紀末の魔術師』といい、ロシアを扱ったコナン映画に名作が多いという法則ができたような気がします。シャーロック・ホームズ(イギリス人)はどこへ行った。

彼女の年齢はラストで(40)と明かされていましたが、しかしああいうアングラな人々って、実年齢がそんなに判然とするものなのでしょうか?例えばロシア(ソ連)が抑圧した東欧・中央アジア・コーカサスあたりの孤児出身だとしたら、自分の年齢も分からないという設定になりそうなので、あそこで年齢が明記されているのは「おまえそんなに年齢いっとんたんかーい!」というツッコミ誘発以上のものではなく、世界観強度を下げていたように感じました。ただこのあたりは時勢柄、悪い意味でタイムリー過ぎて難しいかもしれません。

また、彼女の殺し屋としてポリシー(例えば『世紀末の魔術師』におけるスコーピオンが右目を狙うみたいな)も弱かったです。特に、用いるマスクの意匠が、死神なのか黒死病医師なのかブレていたのは、本庁の刑事恋物語(死神)と警察学校編(黒死病医師)という複数視点にとってラスボスとなるべく当てがわれた都合を如実に見せつけているようで少し残念でした。

まいやん

「ん?まいやん、どの人?」と思うくらい違和感なく溶け込んでいたので悪くはなかったですが、肝心のシーンで迫力不足だったとは思いました。しかしそれ言い出すとプラーミャの「フルヤ!」も迫力不足だったので、まあしゃあないと思うくらいの水準ではありました。

そして動機パートは泣かせる名演技でした。我々アラサーは、息子を喪う母親に過度に同情してしまうお年頃。また、彼女の警察不信は、元はと言えば夫の事件過程における”元職場”の対応の悪さに起因するんだろうな、とか色々想像してしまいます。

コナンのハグによって思いとどまるという展開について。コナンの立ち姿に亡き息子を幻視し、引き金を引くことができないまいやん。「すべての息子は母親にとってキムタクである」の言説を体現するキムタク仕草で、以前なら「そんなんで止められるかいな」ぐらい思っていたかもしれませんが、今なら分かる。分かるでまいやん

だがコナン、おめーは許さん。あいつは自分の子どもの風貌が、まいやんのトラウマを掘り起こし、動きを掣肘する切り札となることを充分意識しながら、打算的にハグを行った。すなわち「子どもなるものの利用」をおこなっているのであるし、もっと言うと既成秩序を象徴する「子どもという表象」によって、その埒内に収まらずもがく主体を問答無用で再秩序化する暴力の行使ですらある。「まいやんが結果的にコナンに息子を見出す」のと「コナンが積極的にまいやんに息子を見出させる」のは全然違う。天と地ほどに意味が違う。そのあたりをはき違えるな。(怒り)

アガサクイズ

少年探偵団がプレゼントの受け取りの代理を買って出ると、なぜプラーミャは予測できたのでしょうか?彼らの属性についての下調べがついていたのか、もしくは蘭も含めて代理受領を誘導する自信があったのか。

あと、クライマックスでスクランブル交差点に向かう子どもたちを引き止めない博士。「充分気をつけるんじゃよ」じゃねえよ、信頼して遊びに行かせている親たちに激おこされるぞ。(ツッコんだら負け)

今回のアガサクイズは、クイズとして成り立ってはいたが漢語を使ったダジャレは子ども向けではない。あくまで和語の範疇で出題すべきである。(なぞのこだわり)

高層ビルが建ち並ぶ大都会。
その夜の眺望をど真ん中で守ろうとしている警察は?
1.新宿警察
2.渋谷警察
3.品川警察
4.池袋警察

すわっち日記

私ならこんな感じで出題するかな。

阿笠「クイズじゃ!ハロウィンの仮装で、歩美は小悪魔、光彦は宇宙飛行士、元太は関取、哀くんは歯医者の格好をしておった。そこにカボチャの魔法使いがやってきて、4人にある魔法をかけると、そのうちの1人が空を飛んで行ってしまったのじゃ。それはだーれ?」
歩美「えー、わかんなーい。」
光彦「空を飛ぶと言えば、宇宙飛行士だからボクでしょうか。」
元太「おい灰原ぁ、なんかヒント出せよ。」
哀「仕方ないわね・・・私の格好は歯医者と言っているけれど、このクイズでは歯科医師(しかいし)と考えるのがいいかしら。」
阿笠「ギクッ!」
歩美「あー、分かった!答えは元太くんだね!」
元太「なんでだよ。相撲取りなんか、一番重そうじゃねえか。」
光彦「ボクも分かりましたよ。カボチャの魔法使いは、4人をそれぞれの格好の中にある動物に変えてしまったんですよ。」
哀「そう。小悪魔はクマ、宇宙飛行士はウシ、関取がトリで、歯科医師がシカ。だから空を飛んだのはトリの関取ってわけ。」
元太「ほぇーなるほど。博士にしてはアタマ使ったな。」
阿笠「こらこら、博士にしてはとはなんじゃ。」

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