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資本主義、個人主義、社会契約 #2

◆ずっと窮屈になった「他人に迷惑を掛けない幸福追求」(後半)

しろくま こにしくんは東京に行って変わった?

こにし 変わったのかな。だいぶマイルドになったと思うけれど。過激発言はしなくなった。

しろくま ちょっと東京化してマイルドになった。

こにし 東京に染まったというより、社会人カルチャーに染まってしまっていて、非常に残念ですね。

うえむら それは東京化ではなく社会人化でしょう。

しろくま そっかそっか。

こにし 身近な人たちのトレンドを追いかけていると思います。そういう意味では他人に配慮するようになって、染まってしまったと思います。

うえむら 他人に配慮するという意味では東京化されているということか。

こにし 仕事の話をすると、会社に入ったばかりのときは上司がいて自分がいるという感じで、最初についた上司は部下をコントロールしたがる人だったので、あんまり自由がきかなかった。そういうのもあって、会社カルチャーに強く抑圧される日々が続いたのですが、あるときから自分でイニシアティブをとって仕事をするときがきた。

誰しもそういう瞬間があると思うのですが、そのときに割と大学時代の感覚というか、なんでもかんでも好き勝手言う感じが復活してきた。だから性格がなくなったのではなく、抑圧されていたのだろうと思う。いまもマイルドになったけれど、方向性自体は喪われていない。好き勝手言って良さそうな場が増えてきているので。

うえむら オッサン化しているのかな。今度は逆に、誰か若い人から搾取しているのかもしれない。自戒を込めてご指摘しておきます。

こにし ホントですよ。典型的なおじさんにはなりたくないのですが。

うえむら しろくまさんは大学時代と今の変化はどうですか。

しろくま そんなに変わっていないと思いますけれど。徹夜とかもしないし、宅飲みをしたとしても、翌日しんどいから早く帰りたくなってはいます。それは単に加齢ですかね。

うえむら セレンディピティは今でも楽しんでいるよね。そういう意味では変わっていないのかな。

しろくま 自分らしさを発揮するには、環境に依存するなとは思いますので、環境を整えたいとは思っています。あんまり我慢してその環境に居続けるよりも、環境を変えてしまいたいと思ってしまいます。

うえむら なるほど。「環境って変わることないよね」「人間が変わるべきだよね」と諦めていた学生時代から、「いや環境変えればええやん」という力をもった社会人への変化はあったのかもしれない。

しろくま 学生時代の環境は「諦めていた」というよりは、運良く良い環境だったと思いますので、そうではない環境になったときに、我慢するのではなくて、もう変えちゃって、自分の心地よい環境で生きていこうとは思っています。そういう意味では「我慢して居続ける」ことで得られるものを逃しているのかもしれませんが。

うえむら 我慢することによって得るセレンディピティはあるかもしれない。

しろくま しかし、なるべく自分らしさを保つために必要な選択肢でもある。

うえむら そうすると、セレンディピティで得る価値と、そのために費やすコストのトレードオフがあって、その感覚がコスト側に寄っている人が、時代とともに多くなっているし、加齢とともにも多くなっていくと。

こにし やっぱりそこにコストをかけられなくなってくるのでしょうね。特に時間的なコストだと思いますけれど。平均的なサラリーマンを考えると、月―金、朝9時から夜6時まで働いて、家族がいる人ならそのあと一緒にメシ食って、風呂入って寝るわけで、平日には気力的にも時間的にも、自分とは別のものと触れあう機会を設けるのは難しいと思います。

そうでなければ土日にそれをするしかないですが、自分じゃない人に拘束されたり、時間をともに過ごしたりすることを考えると、そこに割く時間は意識して作らないと難しいし、逆に意識して実戦できている人は、そこに自覚がある人だと思います。

予め定められたルールの中で生きていくことが基本になっていくので、一週間のスケジュールの大枠が決められている人生の中で、例えば金曜日は徹夜で仕事をして、土曜日は一日中寝ているみたいなライフスタイルの人に、土曜日にオールで飲み会をしたり、全然知らない場所に旅行して新しい文化に触れたりという機会はハードルが高くなってしまっている。

しろくま それにセレンディピティを求めている範囲も狭い部分でしかなくて、例えば「新しい趣味を見つけられて楽しい」とか、同じレイヤーの中でちょっと広げているだけなのですよね。テキストにあるような、全然年収が違う人とか、全く違う暮らしをしている人とかは触れあうわけではない。そういう別のレイヤーの見聞を深めていくべきなのか、自分たちの心地よい空間で生きていくべきなのか。

うえむら せめぎ合っていますね。コロナ前は異業種交流会なんかには参加されていなかったですか。

しろくま 異業種交流会も結局、年収は同じ層じゃないですか。業種が違うだけで。

うえむら こちら側が持っているコンテンツに向こうがどれほど関心を持っているかに自信が持てなかったりはするよね。

こにし そうそう、お節介や無関心を推測するとやりづらいですね。逆にそこのメーターが壊れている人もいて、知的好奇心のレベルが羞恥を上回っている人はすごいですよ。追いつけない何かを持っています。

うえむら そういう人たちにお伝えできるコンテンツが果たして私にあるのかと悩みます。セレンディピティとは吸収するだけでなくて与える方もなければならないと思ってしまうので。学生時代はそこは対等だったけれども、だんだんと自分のコンテンツ力が低下しているなと感じている中で、社会人10年目くらいの人はなかなか踏み込めないのかもしれないですね。

しろくま 「提供しないといけない」というのも悲しいですけれどね。

うえむら それはそうなのだけれどね。

こにし 「異なる他と触れたい」というモチベーションよりも、東京にいると、「異なる他のものが多すぎる」から、「そういうものから離れるために、オルタナティブとして田舎に住む」みたいな発想になることもありますね。例えば「田舎に住む」は今の暮らしから見ると一つの代替策であって、「環境を変える」という意味では共通ですが、「今触れているものと異なるものに触れあいにいく」みたいな感覚というよりは、もうちょっと逃避的に捉えている気がします。

うえむら 都市は薄く広くセレンディピティを常に与えているということなのか。

こにし それが多すぎるということですね。そして、薄いというより“うっすい”ですね。

うえむら “うっすい”セレンディピティ。

こにし が、とにかく多い。

うえむら それが何らかの痛みになっている。

こにし 二種類あって、“うっすい”ことがイヤならば、もっと濃いものを、数が少なくても求めにいくことになるでしょうし、数が多すぎる、刺激が多すぎることが問題だとしたら、刺激を減らす方向に行くでしょうし。

◆ルソーは社会契約が徹底した未来を夢見ていたか

しろくま P251で「女性の権利獲得を謳った女性の多くも男性同様の権利を女性が獲得するために運動した。(中略)だが、不幸なことにこのブルジョワ化は妊娠も子育てもアウトソースするブルジョワ男性を模したものだったから、それに最適化すればする程、妊娠や子育てが難しくなってしまう。」というところは、まさに今実感しています。妊娠や子育ても優先した上での女性の社会参画や活躍の権利獲得、キャリアアップや幸福追求というのは、今自分の中で考えたいトピックなので、オススメの本があれば教えてください。

自分自身も、いままでの転職市場に戻ることがいかに難しいのかを実感していて、例えば今から新しい会社で時短で働きたいとなると、自己裁量が少ない仕事になってしまうのですよね。選ばなければあるのは分かるのですが、いままでやっていたような、自分で一から考えて、自分で全部裁量を持ってする仕事は、そりゃ15時で帰る人には任せられないですよね、というのは分かるのですが、「無いな」と。

それで自分で仕事を作るしかないということになるのですが、そういう転職市場の難しさや、同じ会社でキャリアアップしていくことの難しさ、同じ会社でなくても、履歴書的にキャリアアップできていれば良いのですが、転職市場の枠に当てはまったキャリアアップは難しいと思います。そこに縛られる必要はないという気持ちで今はいるので、気にせずにやっていこうと思っているのですが。

うえむら 「自分で」というのは農業・漁業ではなくて、飲食店・ゲストハウスみたいなイメージですか。

しろくま そうですね。

こにし 会社的、大企業的な組織ではない働き方になってしまいますね。目指す先として、普通の大企業で働いていると、「男性が歩いてきたコースをいかに女性にも歩いて頂くか」が一生懸命考えられていて、マミートラックと呼ばれる、結婚して子どもを産んで、一定のギャップタームがあった上で、子育てをしながらどのように復帰するのか、という問題を乗り越えた上で、「会社組織の中で長く働いて、できれば出世して頂くこと」を目指している。会社組織としては、それ以外のあり方は、例えば外に出て行かれると会社の利益にならないので、あくまで利益活動を支援するための活動として人事を考えようとすると、そういう発想になってしまう。

しかし、そのようにしないのも個人の選択肢としてある。その場合、「違う大きな会社に行く」と同じ発想になってしまうので、そうではない発想の会社に行くか、または会社から外れた働き方を考える必要が出てくる。

しろくま そうそう。

こにし 本当はお金という面を考えると、それはどこまでもついて回る問題だと思うけれど、ある程度収益力のある仕事でありつつ、会社的な価値観の押し付けに依存しない仕事がもっとたくさんあればいいのにな、とは確かに思うね。なかなかねえんだよな、これが。

しろくま なかなかないですね。

こにし 資本の力というか、収益力と組織力が分かちがたく結びついている。オルタナティブ=あまり収益性が高くなくて、長く続けにくい仕事になってしまう。もちろんそのなかで上手くいっている人がいるのは確かだけれど。そういう人にメディアはスポットを当てがちですね。

しろくま 「起業して成功しました」的な人は、それは本当に一握りだからね。

うえむら オススメの本はあるのですか。

こにし ちょっと待ってください。

うえむら 普段はどんなのを読んでいるの。

しろくま ラフな本しか読んでいないのですが、女性の権利に関するテーマが気になっている。これまではわりと運の良い環境にいたのであまり気になってこなかったのですが、いかに我慢しているか、諦めているかということが最近見えてきて。

うえむら 我慢で言うと、『マスコミ・セクハラ白書』WiMN監修などが刊行されていますね。

しろくま けどそれは「働いている人たち」の我慢ですよね。ママ友と話していると、想像以上にみんな当たり前のように仕事を辞めている。地元の友だちだからという地域性もあるのかもしれないですが、びっくりしています。私が妊娠を期に仕事を辞めていることも、驚くほどあっさりと受け容れられるのが逆にびっくりする。

東京では「辞める」と言ったら周りは当たり前のように「次どうするの?」という話になって、それはそれで「働くこと前提かよ」と思って息苦しかったのですが、地元は地元で「辞めて当たり前」みたいな価値観で接せられても、それはそれでモヤッとしているのですよね。

こにし 『仕事と家庭は両立できない?:「女性が輝く社会」のウソとホント』アン=マリー・スローター(著), 篠田 真貴子(解説)(監修, その他), 関 美和(翻訳)という本があります。これは第4次フェミニズムを代表する書籍で、フェミニズムの流れは初期の参政権を求める運動などから始まって、女性が社会進出するようになってから、会社の中での地位向上などを主張し続けたのが第3次フェミニズムで、それはもうアメリカの中では達成されつつある。会社の中での機会平等とか。この本は、それが達成された後のフェミニズムについて書いている本で、仮想敵として念頭におかれているのは、FacebookのCOOでシェリル・サンドバーグという人がいて。

しろくま 『LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲』の人だね。

こにし 彼女に代表されるようなハードワークな価値観が敵視されている。

しろくま 分かる分かる、それもめっちゃ思う。だいたいメディアでモデルケースとなる人って、仕事と家庭を両立している超ハードな人ですよね。

こにし この本の著者はもともとプリンストンに居た政治学者だったのですが、オバマ政権で重用されて、まさに彼女はリーン・インして、ワシントンD.C.に行って、大統領補佐官をしていたのですが、あるときそれがムリになった。子育てについては子どもにも会えないし、夫に肩代わりして貰っていたけれど、夫も大学教授なのでそれが難しくなって、結局大統領府における要職を降りた。そのあたりの経緯や葛藤を書いている。

しろくま 面白そう。

こにし 権利向上する時代の女性の話ではなくて、それがある程度達成された後のフェミニズムのあり方について書かれていて、読書会で取り上げたいくらい面白かった。ちょっと長いけどね。これは最近の本。もう少し古典的な本で言うと、『タイム・バインド』ですね。これは院生時代にめちゃめちゃ読み込みました。

うえむら ホックシールドだね。しろくまさんの問題意識はまさにホックシールドの論旨に沿っているよね。

こにし 彼女はフィールドワークや定性調査を行った学者で、この本の問題意識もさっきと同じです。職場の中における女性の権利が確保された上に、インタビュー対象となっているハードワーカーたちは、会社自体が居場所化するなど、色々と興味深い話をしてくれる。

うえむら 「会社の家庭化」、「家庭の会社化」だね。

こにし そうです。逆転している。そしてそこから脱するための根本的な対策としてどうすればいいのか、と言ったことが論じられています。

うえむら ホックシールドは『セカンド・シフト』という本もありますね。家事労働が日中の労働のセカンド・シフトになっているという指摘。

こにし はい。『セカンド・シフト』が90年代で、『タイム・バインド』がその続編めいて00年代に刊行されている。より最近の、今後日本でも同じ状況が訪れるだろうという意味では、アン=マリー・スローターの方がいいかもしれません。

うえむら 社会学の系譜はこにしさんが詳しいな。

しろくま ありがたい。

こにし フェミニズムって難しいですよね。昔で言うとシモーヌ・ド・ボーヴォワールとか、ジュディス・バトラーとか、社会学でも出てきますけれど、全般的に難しい。一般向けの本の方がオススメです。

しろくま しかも難しいし、昔の権利向上のエピソードよりも、今の話が知りたいから、まさに読みたいジャンルだわ。

うえむら 割と安い。2,500円くらいですね。感覚が麻痺しているかもしれませんが。

しろくま いや、でも『タイム・バインド』とか『セカンド・シフト』はアマゾンの中古本で4万円とかついていますよ。

こにし 出版している本屋が零細だからね。

うえむら そんなするんだ。やっぱり人文系の本は出たときに買っておかないといけないな。

こにし なので、スローターの方が、個人的にオススメです。

しろくま ありがとうございます。読んでみます。P252「そうしたロジックに基づいて社会が進歩すれば、男性ブルジョワのように働きたい女性が働くのに適した社会へと近づいていくだろうし、現に世界はそのようになっている。」という記述が、そうではなくてオルタナティブが欲しいという問題意識です。男性ブルジョワのように働くのではない社会。リーン・インしている人たちがどれくらいマジョリティなのかはよく分かりませんでした。

うえむら マミートラックを抜け出すアファーマティブアクションというアプローチはもう限界を迎えていて、女性は疲弊している。そうしてしまうと妊娠・出産は単にキャリア上のマイナスでしかないからね。そうではなくて妊娠・出産をもっと実存上価値づけられる生きかたを示すべきだというのはその通りだと思います。私はそっちに共感するけれど、リーン・インがどれだけマジョリティかはよく分かりませんね。

こにし キャリア上の空白を作りたくないから結婚や出産を延期するのは一般的な現象だと思います。「機会がない」という人も多いのでしょうが。

うえむら 全体的にテキストは現象の描写に費やされているので、オルタナティブの検討については、「自分で考えてくれ」というスタンスですね。

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