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国産漆の巨頭 浄法寺の時空(瀬戸内寂聴さん逝去に寄せて)

照香 2018年秋、とある漆作家の方から、「漆器産業って輪島が有名ですけど、漆採取は岩手県の浄法寺というところが一番強いんです。国産漆の聖地ですね。」と聞いて、「私、来週ツーリングで東北地方行くから寄るわ」と行ってきたという話をしたいと思います。

悦子 漆については、子ども向けの絵本や、ファミリーで使えそうなお皿などに興味があります。お寺とか神社もよく行くので、建物にも塗られているというのは面白いです。

照香 ちなみに個人的な発注・受注は受け付けているんですか?

芙佐 まぁ一応。お受けさせていただきます。

なおみ 体験する場みたいなのはあるんですか?

芙佐 流行っているのは、金継ぎ。陶器が割れたときに漆で接合して、そこの地を金で補修するというものです。昔茶道が盛んだったときに、割れたものをそのまま捨てずに使うという発想で生まれた技法です。そういう体験とかは、結構知り合いに「教えて」と言われたり。あとは箸を塗ったり。

なおみ 自分で作ったオリジナルがあると嬉しいですね。

千世子 ウチの菩提寺の近くの墓に漆の木があります。墓参りをするたびにかぶれて、あれは敵だと。そういう危ない中で、なぜ漆芸専攻を志望するに至ったんですか?

芙佐 やっぱり最初は正倉院展に、高校や、学生の時に行っていたので、そこが興味の発端ではありました。元々は油絵に行きたいなと思って西洋美術を習っていたのですが、西洋美術の歴史を見ていると、日本の文化があちらに入っているところが面白いなと思って、調べ始めると、日本の影響で漆工芸が盛んになったこともあったと、それで好きになりまして、いい大学の先生にも出会いましたので、「やっていこう」と思いました。

あとは、良い素材をたくさん使えるということが魅力ですかね。漆は樹液ですけど、加飾の際には金属だったり、螺鈿のような貝だったり、タイマイのようなべっ甲だったりというような、すごくいろいろな素材を使います。それらが一つになっているというところに漆工芸の魅力があります。

漆器産業と漆採取の全国分布

照香 下に土屋太鳳のインスタグラムをあげたのですが、この人は朝ドラ「まれ」で石川県のヒロインを演じたので、輪島とたぶん人脈があるんだと思います。この人が今、首から提げているのが、輪島塗のペンダントらしいです。

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照香 このように、輪島が特に有名ですが、実は輪島では漆採取はしていない。漆器の製作工程は、樹液を採取して、木地とか素地を作って、それに塗って、加飾するという4段階であって、輪島はもっぱら塗りを行っている場所なのです。そういう「漆器(塗り)の産地」は全国に30カ所くらいあって、それぞれに特徴がある。

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照香 北は青森の津軽塗から、南は沖縄の琉球漆器まで幅広く「漆器の産地」があります。それぞれに藩主が奨励したとか、僧侶が日常使いの器として使用したとか、湯治のみやげ物とか、武具への漆塗りとか、中国から禅宗とともに伝わったとかいろいろ様々な背景があって、「全国伝統的工芸品総覧」という経済産業省の統計データによると、漆器の生産額は約250億円くらいらしいです。伝統工芸品の中で比べても、織物50%、陶磁器16%というのが大きいですけど、漆器も12%と、それなりのシェアがあります。

産地でいうと、輪島が筆頭ですが、山中、京、会津、香川、越前など、それに伍する規模の産地もあります。『漆芸のみかた』という本を見ながら、とり上げられていた産地を一応プロットしてみました。

さきほどの統計を見ると、ここに挙げている他にも産地が書かれてあったりします。でもその内実を見てみると、実は独り親方みたいなところもある。なので、『漆芸のみかた』という2017年に出た情報が、今、アクティブで生きている産地としては網羅されているのだろうと思います。

なお、左上に書きましたけど、アイヌには漆器自体は伝わりましたが、漆塗りの技術は伝わらなかったということです。日本との貿易の中で、漆器を輸入してはいたけれども、それらは日常使いというよりは、祭礼に使うような、権力の象徴みたいな使われ方をしていたらしいです。

「漆器の産地」としてなぜ輪島だけがやたら有名なのかというと、輪島の人たちが、地元で使用する漆器を生産したというよりは、全国を行商して、対面販売をしたという形から全国に広がっていったのが一つあるらしい。そしてもう一つは「輪島地の粉」という地域独特の素材が、そこで産出したからということです。

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照香 これも結構関心があると思われるデータですけど、企業数100社以上、従事者数1000人以上、生産高10億円以上を黄色く着色しました。やっぱり輪島は全部超えているけれども、№1に緑色をつけたように、山中とか越前とか会津といった、輪島に伍するか、それを超えるような産地というのも結構ある。

もう一つが、経済産業大臣が認めた「伝統的工芸品」と認定された製品を扱っている割合というのを、一番右側で書きました。これが高いと、伝統的な工芸を重点的にやっている、低いと、大量生産で作っているというふうに一般的には言えるのかなと思います。赤字で示した、会津、越前、紀州や香川辺りはそういう大量生産寄りの産地になっているのかなというふうに読めるかと思います。

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照香 以上のように「漆器の産地」は全国に幅広く分布しているのですが、これに対し漆産業のサプライチェーンの中でも、「樹液採取」に着目すると、かなり特徴的な供給体制になっています。結論を先取りすると、95%が外国産です。そして、残り5%の国産漆のうち、70%くらいを浄法寺が産出している浄法寺は国産漆のガリバーなわけですね。最近は、担い手たちの意識、保護規制など、情勢がかなり動いてきているという、今は激動の時代です。

左のグラフからは国内消費ベースが右肩下がりであることが読み取れます。そうした減少トレンドの中でも、ほとんどが緑色の減少として見えている。これが95%輸入、というグラフになっています。下のピンクがほとんど見えないですが、国内生産です。

次に右のグラフが、そのちびっとした国内生産の中で、浄法寺がどれくらいかという数字ですね。これを見ると、だいたい70%とか80%を浄法寺漆が占めている。生産量はだいたい1.4tくらいですね。昭和26年に33tくらい生産していたのが、平成13年には1.3tくらいまで減少している。浄法寺漆も平成12年から18年までは1tを割り込む状況が続いていたんだけれども、しかし平成19年から日光二社一寺の修理修復に6年で4t超の需要があり、地域の生産意欲が向上して、V字とは言わないけれどもちびっと回復した。

なおみ 漆の樹がよく生えるエリアで漆工芸が発達して、だから「漆器の産地」ではどこでも漆の木を育てていると思っていましたが、必ずしもそうではないのですね。ウルシ科の植物はどこによく生えるのですか?

芙佐 浄法寺の他には、京都の丹波だったり、茨城県の大子だったり、何カ所かあります。ふるさとの森といって、国で森を保護している場所も3、4カ所あります。

なおみ 気温20℃、湿度55%というお話があったので、植生としては、広く割と育てることができるのかと思いますが、そのように限られた地域でないと難しいのでしょうか。

芙佐 20℃・55%というのは、塗りをするときの溶液が固まる条件ですので、植生としての適した気候と完全に一致しているわけではないです。漆というのは木が傷ついてしまったときに、傷を保護するための絆創膏ですので、流れ出た後に外気に触れて固まる必要があって、その気温・湿度で固まるようになっている。

漆の木自体はちょっと育ちにくい。植えておいたらどんどん生えるというものではないので、手入れが大変です。それで育てる人も少ないですし、漆の樹液を掻き取る掻き子さんも少ないという問題もあって、なかなか広がらないという状態です。

照香 つまり、国内であれば基本的にどこでも植わるらしいのですが、他の、よりお金になる木と比べて採算がとれるエリアでしか育てられないのですよね。同じ山があったとしても、おとなしくスギ・ヒノキを育てていた方がお金には換えやすい。それなりの面積があって、他に産業がなくて、他に手間のかかる産業がない、そういう条件が必要とされます。

むしろ外国産漆の方が多い

矢島 漆が外国にもあるというのは知りませんでした。

芙佐 国を挙げて制作しているのは、日本、中国が多いです。西洋は漆というものが無かったので、南蛮漆器とかいう、輸入するときに行われたという作例はいくつかあります。

日本で作ったものをあちらに送って、それに似たようなものを向こうが真似した例もいくつかあります。漆の黒さを何とかして真似たいと作った「ジャパニング」というものがありますし、別で似たような有名なものだと、「ピアノ」もそうです。ピアノの黒は、漆の黒を模倣して作ったものだと言われています。

矢島 外国産漆は、採れないから工芸も発展しなかったというか。

芙佐 今、使っている漆のほとんどが中国産になっています。中国と日本のものが一番多い。ベトナムやタイでも採れるのですが、成分が若干違ってくるのですね。タイやベトナムから産出するのはハゼの木が近いのですが、ラッコール、チチオールなどもっと柔らかい漆になります。しっかりした漆器を作ろうとなると、それらではちょっと強度が足りないので、制作の際はウルシオールを主成分としている中国や日本の漆を使っています。

ただ、国産漆は生産量がものすごく少ないので、8割、9割くらいは、本当に中国産を使っています。「なるべく日本産を増やしていきたいね」という政策は、実は行われているんですけれども、それを主に進めているのは漆工芸会社の社長さんです。

加代 知ってます。経産省でお見かけしました。本を出していますよね。

芙佐 デービッド・アトキンソンという海外の方なんですけれども、元々金融関係のお仕事をしていた方が、日本の美術に関心を持っている。サプライチェーンのことにも、政策的なことにもぐいぐいいっているみたいです。今、「国内生産も高めよう」ということで、浄法寺漆、あとは大子漆、丹波漆というのが何カ所かあります。ごくわずかですけれども、それを使って、日光東照宮やいろいろなところで直しを行っていますが、正直量は足りません。全然足りないんです。そういうことは一つ問題にはなっていますね。

照香 卒業制作には国産漆を使ったんですか。

芙佐 仕上げだけ。学生の時も、やっぱり自分たちにはお金がないというのもあるのですが、ほとんどが中国産漆を使っていました。ただ、最後のつや上げの摺り漆というところには、日本産の漆を使っていましたね。

質としては、日本産と中国産はそんなに大差はないですけれども、中国から日本に入ってくる間に、どういう精製がされているかがわからないとか、そういうことがあるので、安心というのも変ですけど、「日本産がいいね」というような流れ、風潮はあります。ただ別に中国産を排除しなくてもいいんじゃないかとは、作り手としては思っているところではあります。

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照香 外国産漆は、こんな感じの採取で、日本の採取方法と全く異なっています。日本産は掻き子たちが掻き取りを行うのですが、外国産は垂れてくるのを待っている。あとはやたら黒いという違いがあるらしいです。先程ご説明のあったとおり、成分も異なっているということですね。

金閣の昭和の大修復の時には、玄妙さを表わすために外国産漆で黒く塗ったといわれています。浄法寺で話したおばちゃんは「あれは外国産でやったから全然あかんかってん」と言っていたんですけど、私が調べた限りだと、内装には浄法寺産を使ったという記録もあるので、真相はちょっとわからないです。

いずれにしても、そのとき言っていたのは、外国産漆は品質が悪いとか、乾きにくいみたいに言うけれども、それはやっぱり、日本の気候条件とか、日本式に発達してきた漆工芸技法に適したのが、やっぱり日本産なのかな、ということだそうです。

長沢 中国製と日本製と、どういうふうに違うのかが気になりました。そもそも木の種類が違うんですかね? それとも、精製法が違うとかいう話をされていましたけれども、精製法とかが違うからなんですか?

芙佐 木の種類は、ウルシオールを主成分とした植物としては、日本で生えているもの、中国で生えているものというのは同じものもあります。さっきの精製の違いというのは、漆の樹液をとった後に、漆屋さんが、クロメ、ナヤシという精製で、自分たちが塗料として使えるようにしてくださるのですけど、それを中国でやっているか、日本でやっているかという違いがあるので、そこまでは私たち作り手としては見えないなというところがあります。

日本産漆が「安心」と言われているのは、採取から自分たちの手に届くまでが、全部日本の人が携わっているから「安心」と言われていると、私は認識しています。

長沢 人工的に作ったりできないんですかね。すごく単純な構造の化合物だったような気がして、ウルシオールって。

照香 長沢さんは科学者なので作りたいのかも知れません。

長沢 すみません、なんか全然違うことが気になって。

芙佐 化学塗料と、あとはカシューという簡易的な漆に似たものがあります。カシューナッツのカシューです。カシューの木から作っている。そっちの方が安いので、安い漆器にはカシューが塗られていたりします。塗料としてのカシューは、ホームセンターとか東急ハンズとかにも販売されています。体験の漆塗りでは、カシュー漆を使うこともあります。

華枝 カシューも完全に人工物では無く、植物から採っている。

芙佐 そこから化学塗料として加工がされているみたいですので、「人工的な漆」に似たものは存在はしているみたいですし、科学的な研究をされている方もたくさんいます。

漆産業振興のための動き

黒川 全部オール日本でしたいなとはいっても、実際そういう市場規模があるのかどうか。どれくらいの企業がこの分野にジョインしているのかな。「樹液採取」を産業として成立させるために、漆器を製作したり、文化財を修復したりというプレイヤーは、だいたい企業数としてどれくらい競争が働いているのでしょうか。

華枝 業界の金額が大きいほど、漆の木を育てようという気にもなりますからね。

芙佐 漆器を製作している企業はそれなりにありますが、文化財修復のプレイヤーだと、本当に数える程、数社しかありません。日本産の漆だけを使っていこうという会社もありますが、現実的に生産量的に不可能なので、どうしても中国産漆を使っています。理想として日本産100%にしていきたいねというのは、文化庁はそういう方針を定めています。なので、オール日本産でやっている企業は今のところはないですが、なるべく多くしていきたいねという方向にしているのが、今の国の動きみたいです。

華枝 漆の木を1本育てたとして、どれくらい育てた業者は儲かるんですか? 何かそこにメリットがあれば、そこに作る人が。

芙佐 たぶん儲かりはしないかな。

照香 山林があって、1本、樹液ができるまで8~15年育てなければいけない。で、1本の木から200ccとかそれくらいしか採れない。

芙佐 それでそれが終わったら切り落としてしまうんですね。

照香 15年で一発勝負。それがどのくらいの価格で売れるかというのは、もちろん市場の動向があるけど。

華枝 漆の木が育つのが本当に楽というか、手間をかけなくていいのであれば、土地は余ってくるからなんぼでもってなるけど、そうでない植物だったらやっぱり難しい。

照香 管理して、一定の期間で掻き出してっていうのは難しいと思いますね。産業として興すためには、いくつかの工夫が必要だと思います。

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照香 いまお話があったとおり、文化庁は平成27年に、各都道府県の教育委員会に対し、国庫補助金を用いて実施する国宝・重要文化財建造物の保存修理では、使用する漆を原則、国産漆とすることという規制を課しました。

そして、これと並行して、今後、国宝・重要文化財建造物の保存修理用資材である漆の長期的需要量を算出したそうです。そうするとだいたい日光で1.6t、日光以外で0.6tくらい毎年必要、だから毎年だいたい2.2tくらい必要になってくるという結果が出た。

一方の供給量は、先程産出量のグラフをご覧頂いたように、浄法寺でさえ1.4tくらいしか生産していない。全然足りていないですね。ということから、「作れば売れるだろう」という見通しが見えてきた。スライド右側のとおりまとめると、生産側としては生産再開の気運が高まっているというところです。

芙佐 「文化庁の規制により生産者の機運が高まり、実際に回復傾向にある」というのは、今後も期待できるでしょうか?

照香 どうでしょう。私は期待できるかなと思いますね。人も地方創生に勢いづけられて訪れている。地域おこし協力隊を使って漆掻きをさせようといった動きもあります、Iターン、Uターン、Jターンに後押しされて、樹液採取の従事者が増えていけば、別に負け戦ではないかなと思いますね。

加代 文化庁の通知が何に根拠づけられたものなのか、それ次第だと思います。これをベースに「補助金を出さないよ」と、交付要件に入ってしまっているならば、必然的に補助金が出なくなってしまう。そうすると文化財修復には基本的に全部補助金が入っているので、必然的に100%確実に2.2tの需要が発生することを意味するとは思いますけれど。

照香 この通知は、わたしが探した限りオープンソースでは見つからなくて、都道府県だけしか持っていないんですよね。そういう意味では確かに、おっしゃるように、ちょっとしれっとやっている感はあるかもしれないです。

加代 テキトーな、なんか「これからがんばってね」くらいの通知だったらいくらでも黙殺できるじゃないですか。まあ国から通知を受けたら、なかなか勝手に解釈を変えるのは難しいかもしれないけど。

照香 つまり補助金交付要綱に書くか、運用でちゃんと本当に国産業者から仕入れたか、この産地から採取したかというのを証明するかが必要ですね。浄法寺もそうですけれども、産地証明みたいなことはしているので、その産地証明を取り寄せて、国産漆を使っていることを証明することはできるでしょうね。

稚子 重要文化財の需要って、日光東照宮がほぼという感じですか?

照香 そう、すごいですよね。2.2tのうち1.6tが日光東照宮という。

華枝 日光東照宮は国産のしか使ってはだめというルールがあるとか?

照香 もともとルール化はされていないと思うんですけれども、一応決断したんだということで、平成19年の今回の修繕の時に、国産だけを使っていこうというふうにしたと。それを追認するように、文化庁が方針を出している。

稚子 日光東照宮に行ったことがないですけれども、建物自体に漆を使ってるんですか。

芙佐 本殿、陽明門、その他周辺の建物も含めて塗っています。

照香 本殿一つだけじゃ無くて、門とか他の末寺も含めて全部塗っていくという、式年遷宮ではないけれども、徐々に順番にやっていっている。それを均すと1年で約1.6tという算出になったということらしいです。関東にいるうちに是非訪問してみてください。

芙佐 日光東照宮の塗り直しを受注しているのは、そこに書いてある日光社寺文化財保存会と、もう1社の合計2社体制でやっています。

照香 そういう塗師さんはどこから供給されてくるんですか。各産地の漆工芸をやっていた人をスカウトしてくるという感じですか?

芙佐 そういう人も居ますし、藝大卒の経験者も居るし、未経験だけどやりたいと言って飛び込んでくる人もいます。

浄法寺と天台寺

照香 そんな岩手県浄法寺の漆産業が歴史的にどのように成立し発展してきたのかという話と、浄法寺に存在する天台寺という天台宗のお寺の歴史をご紹介したいと思います。先日、ツーリングで行ってきました。

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照香 歴史は書いてある通りで、人口は合併時5000人くらい、面積は山なのでちょっと広めですけれども、安比川という川が地図でいうと左下から右上に、八戸の方へ流れています。だから、水系的には青森に近い。

岩手県の山奥、アッピというからには、たぶんアイヌの人たちが入っていたのだろうと思いますが、江戸から見ると、「奥州街道の二戸からちょっと入ったところ」という感じですね。

高速道路は盛岡から羽州の方に入っていくので、その短絡路で八戸自動車道というのが80年代にできて、浄法寺の町のど真ん中に八戸自動車道のICができています。

稚子 東北も結構アイヌの地だったと。

照香 そうですね、アッピは「川の曲がるところ」という意味です。東北地方には、なんとかナイという地名も多いですね。「ナイ」というのは流れという意味ですけれども、例えば遠野の周辺には来内という地名があって、確か「死んだ流れ」という意味で、沼の地形になっています。

蝦夷と呼ばれていた頃は、大和朝廷に服わない人々がこの地域には居て、そういう人たちは北海道とか東北とか同じような気候帯のエリアを行き来していたはずなので、そういう人的な交流はもちろんあったと思います。

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照香 以降は、浄法寺に行ったときに話した歴史民俗資料館のおばちゃんの話に基づいて喋ります。この肌色で囲んだ辺りが人が住んでいる辺りですね。安比川沿岸に集落中心部があって、そこに各工程の職人が居住している。つまり、掻き取る人、木地師、つまり素地を作る人、そして塗る人も住んでいるという感じで、浄法寺の中で漆産業が完結するようになっていた。

しかし、信仰の中心の天台寺というところは、集落から少し離れて、しかも安比川を挟んだ反対側に所在している。なぜそんな不便ところに設置したのだろうか。それは実は、そこに大きな桂の木が何本も植わっていて、桂は根っこが水を集めますので、そこに泉が湧いていたという聖性地形に、信仰が生じたというように伝わっています。

つまり元々はアニミズム寄りというか、仏ではなくて、神に近いような信仰があった。おばちゃんが言っていたのは、西方の稲庭岳というランドマークと、南方の不動滝という別の聖性地形で三角形を形成しているのだという、どこかで聞いた話でした。古代の人は方角に対する考えが鋭敏でしたから、稲庭岳と同じ緯度のところに桂と泉が湧いていることは、信仰の中心にふさわしい条件だったのではないでしょうか。そして、その天台寺の修行僧の生活什器需要により漆器生産が発展しました

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照香 天台寺の”レベル感”がどんなものかと言うと、三十三観音巡りという、四国のお遍路さんみたいなのが各地にいろいろありますけれども、地元の糠部三十三霊場の一番後ろに配置されているだけでなく、奥州三十三観音、つまり東北全体の三十三霊場の一番後ろに位置付けられるというのは、それなりの格があったことが分かります。やっぱり8世紀に行基が作ったという、ほんまかどうか知らんけど、伝説としてはそうなっている、格としてはかなり大きな寺院です。

宗教的条件だけでなく、社会経済的に言っても、そういう巡礼をした後の、最後の場所では「精進落とし」をする。巡礼中は殺生禁止で魚もとらず、肉も食べずに、精進料理ばかり食べてきたのを、最後のところで精進落としといって、肉食べる、魚食べる。なので巡礼の最後の町というのは、料理屋などの需要で発展することになるらしいですね。

さっき言いましたけれども、最初は地理的ランドマークや聖性地形に信仰が生じていたところに、後から仏教に体系化されていき、本地垂迹説になっていった。その中で呼称も、最初は「御山」と呼ばれていたのが、やがて在所の名前である「浄法寺」になり、宗派名である「天台寺」へと変わっていったらしいです。ご神体の桂泉観音というのが、桂の巨木とその根元の泉を象っていますが、「鉈彫り」といううねった鑿目を残すことで、仏と神木との境界が不分明であると表現し、本地垂迹説で神と仏は揺らいでいることを象徴する、なかなか価値の高い観音らしいです。

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照香 漆の木は、世話をしてあげないといけないですから、産業として勧奨された時期があったのではないかと推定されます。その形跡が、8世紀までさかのぼったものはさすがに残っていなかったみたいですが、南部藩、江戸時代にはかなり推奨されていたと。

そこでは樹液の採取はもちろんながら、木材そのものとしての利用というのもあったし、漆の実は蝋になるんですね、関西ではウルシ科の同じ仲間のハゼから蝋を作っていたけれども、関東は漆蝋が主流であった。蝋芯は、見せてもらったら、丸めた和紙、こよりみたいなものに蚕の糸を絡めて、そこからい草の糸を巻くという、そういうものも重要な産業としてあったみたいです。

右側が養生掻きと殺し掻きの違いです。採取した後で木を切ってしまうのが殺し掻きです。昔は養生掻きをしていて、実から蝋を抽出しないといけないので、切っちゃうとだめなんですね。ちょっとずつとって、実を鳴らして、実から蝋をとって、木を完全に使い切るというふうに産業としていたけれども、明治期にそういった藩による統制が終わって、生産拡大を図ろうとする中で、折しも越前から入植した人々が、当時の名産である刃物を加工した道具を持ち込んで殺し掻きにしてしまう。とるだけとりつくして、後は切るというふうにしていこうという転換があったそうです。

天台寺の荒廃と再興

照香 三十三カ所の最後の場所として殷賑を極めていた天台寺でしたが、明治時代、廃仏毀釈によって国内最大級の被害を受けて荒廃しました。山内20ヘクタールに散在していた末社27社を、天台寺境内周囲約1ヘクタールのみとし、他の末社をことごとく廃止、そして山林は召し上げられて、仏像は焼き払われて、本尊などは当時檀家の人々によって埋めて隠されたものもあるけれども、保管状態が悪くて、宝物の経本も焼かれたという最悪の状態になったわけですね。

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照香 その後も復興が難しかった。というのも、先祖を供養するのが目的の回向院という形の寺院ではなくて、藩主の個人祈願を目的としていた祈祷院という特性上、檀家が30軒弱しかいなくて、非常に脆弱な財政基盤であったというファイナンス上の課題がまず一つ。基本的に藩主の庇護によって保っていた寺院なので、地元だけで持続するのはなかなか難しかった。

それからガバナンスですね。藩主がいなくなって、座主もいなくなった。さらに自社よりも歴史の浅い中尊寺の末社となった。中尊寺の方が檀家も多いし、勢力はあるけれども、やっぱり後からできたという意味では、末社になるというのは、なかなかプライドを刺激される事態だったそうです。そして、中尊寺から兼務座主が派遣される。最近でも、田舎の寺社仏閣で問題になっていますが、そこには常駐せずに、中心部の寺から派遣させる。山間部に医者を派遣する話にも近いですけれど、そのような状況になって、日頃の目配りや檀家との交流というのが薄くなっていった。

そういう状況に乗じてというか、輪をかけてというか、天台寺御霊木1666本伐採事件というのがあって、これ信じられないでしょ? 戦後になってから、住職が業者にだまされて、業者の手によって境内の杉の巨木1666本が無断で伐採されてしまったという事件があった。無断といっているんですけど、たぶん「切りますからね、切りますからね」という話は兼務座主も聞いていて、ちょっと切るだけだと思ったら、全部切られちゃったという話だと思うんですけれども。

その背景として、戦後の木材供給難があった。悪徳業者が、ガバナンスが低下している寺につけこんで、寺領約20ヘクタールのうち18ヘクタールに地上権を設定し、再度の植林作業を行う自由さえも奪いながら切り倒していった。やっぱり霊木なので、再建のための部材を見込んで作っているし、霊木自体が信仰の依り代になるので、それは大打撃だったということですね。ずっと泥沼の裁判をやっていたんだけれども、マスコミによってクローズアップされたころと前後して、被告側の譲歩の態度がみられ、3ヘクタールを除いて地上権を解除するということで合意が得られた。

同じくらいの時期に、中尊寺貫首であった今東光という、元参議院議員で小説家が特命住職として晋山して、結局行ったのは1回だけだったみたいですけれども、さっき紹介した桂泉観音や、十一面観音が重要文化財に指定されて、やっぱりこれを捨て置いておくのは惜しいという思いから、再興していこうということで事業に着手した段階で、しかし宿痾の結腸癌に斃れ遷化した(死んでしまった)と。

そういう経緯があって、しかし1980年代に、天台宗派を挙げて「やっぱりそれではだめだ」ということで、ある人物を派遣して再建しようとする。それは誰だと思いますか?という話です。天台宗派で有名な人って知っています? 天台サークルの姫、知らないですか? 

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照香 それが瀬戸内寂聴という人です。1987年5月、天台寺総本山比叡山延暦寺のトップ人事で三階級特進し、当時64歳で住職になっています。法話をして、人寄せパンダとして私は再建に貢献していく。自分の持ち出しで、京都に寂聴庵って作っていましたけれども、そこと浄法寺を往復して月2回。そしていろいろな人から喜捨を受けて、「花や木でいっぱいの境内にしましょう」といって、あじさいが名物になって、天台寺あじさい祭りをする。

つまり寂聴さんの名望、金稼ぎ能力にかなり頼って、しかも寂聴さん自身の私財も投じて再建した。その結果、寂聴一代で、天台寺は東北随一の有名寺院に押し上げられた。役場の二階には瀬戸内寂聴記念館が設置されており、地元の人々の感謝と誇りが垣間見えている。

そして、現在、廃仏毀釈以前の伽藍を再建する修復工事の真っ最中らしいです。「漆使うんですか?」と訊いたら、使わないらしいです。浄法寺はあくまで器の塗りで、建物にはあまり塗らないと言っていました。資料館の収蔵する漆塗の完成品をはじめ3,000点が重要文化財に指定されるなど、再興の機運は高まっているところです。

黒川 単純に旅行に行かれるのではなくて、誰かに言われて調査に行く、だから旅行に行くという、今後のツーリングを奥さんに対して説明する出口戦略が見られてよかったなと思います。また理由付けをして九州までいらしてください。

照香 いいまとめだな。ありがとうございます。冒頭の瀬戸内寂聴さんが踊っている写真を、国立国会図書館に行って、月刊太陽のバックナンバーを調べました。この手の写真は「瀬戸内寂聴 天台寺」で調べたらすぐに出てきますし、いっぱい書籍も刊行されています。要するに浄法寺・天台寺での四季折々の風景とかを随筆に書いて出版して、「みなさん来てね」と人を呼び込んだという戦略もあるので。関心を持たれたらぜひ浄法寺に行ってみてください

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