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市民のためのスカイウォーク Skywalk for Citizen #10
後半の3章をアップロードします。
中盤までは↓こちらから
K 今回(2021.5.9)は前回の続きの時代で、第10章 帝国主義とアジアのナショナリズムです。
T タイトルコールありがとうございます。前回も先走って第一次世界大戦の話をしたし。
Y 今回のテーマも世界史の一番面白いところ、というと個人的な感想になるかもしれないけれど、高校生目線でもとっつきやすい、現代に繋がるところかなと思いながら読んでいました。というのも、現代の世界地図を見たときに、だからこんな国境の形しているんだとか、だからこの国は宗教がこっちで、インドとパキスタンがなぜ分かれているかとかに繋がるイメージだったかなというところです。それでこれを読みながら思った雑学がいっぱいあって、早速出したいなと思います。
K それは良いな。
Y まずはP201、イギリスとフランスのファショダ事件について触れた後、ドイツ皇帝のヴィルヘルム二世がイギリスに対抗して、というくだり。アフリカ大陸最高峰キリマンジャロってよくケニアにあると思われているけれども実はタンザニアにあるという雑学があって、なぜこれがタンザニアにあるかというと、当時のドイツ皇帝がヴィルヘルム二世で、イギリスの国王がヴィクトリア女王。ドイツ領のタンザニアとイギリス領のケニアの国境にあったキリマンジャロは、本当ならイギリスとドイツの国境がまっすぐになっていないといけないのに、キリマンジャロのところだけ意図的にドイツに組み込まれるような形になっている。これにはかわいい理由があって、ヴィルヘルム二世とヴィクトリア女王は親族関係。孫とおばあちゃんになる。
K そうか。そうなる。
Y おばあちゃんに「欲しい」って言ったら、「しょうがないなあとあげよう」という話になったのが、そこで国境がくにゃっと曲がっている理由。
T ホンマや。曲がっている。
K おばあちゃんね。ヴィクトリア女王は「ヨーロッパの祖母」やもんな。
Y そうなんですよ。ヨーロッパ史の面白いところ、ぼくがハプスブルク家が好きな理由にも繋がるけれど、結局婚姻外交で誰と誰が親戚でみたいな話に繋がってくるのかなというところ。その有名な一つの話題です。
K これはええな。なんでキリマンジャロ欲しかったんやろ。
Y 最高峰だから。
K 最高峰だから孫は欲しがったの。
Y もともと村治先生の授業で習っていたときに、イギリスはエジプトから南アフリカを繋げる縦に行っていて、フランスが斜めに、北西から南東にかけて。ぶつかったのがファショダで、せっかくフランスが譲歩してくれたのに、縦にイギリスが繋がるかなと思ったらパッとタンザニアにドイツが入って、なんやこいつとなったという。
K だからちょっと逸れたのか。
Y 縦に繋がらなかった。
K ドイツがタンザニアやなというのをあんまり注目していなかった。
Y テキストに書いてあったのが、リベリアとエチオピア以外は基本的にヨーロッパの植民地になったと。イギリスとフランスが大多数を持っていて、ドイツがタンザニアとか謎のところをポツポツと持っていて、あとベルギーがコンゴだというのは悪名高いレオポルドが居るなという。
K アフリカ分割のところは高校の授業も面白かった。スタンリーとリヴィングストンの話とかも。
Y どっちかが行方不明になって、どっちかが見つけに行くんだっけ。
K そう、今やそれが資料集に載っている。このテキストだと地図がないけど、タンザニアについても調べないとな。
Y これくらいの時代になると現代の国境に繋がる地図になっているから。紫色がドイツでしょ。
T 紫色で遮断されているね。
Y 北西からマダガスカルにかけてのフランス。
K スタンリーが探しに行った人だっけ。
Y リヴィングストン→スタンリーの順番だった気がする。
K せやな、で見つけたときに「リヴィングストン博士ですね」と尋ねて、それが慣用句になっている。(Dr. Livingstone, I presume?)
Y 慣用句になっているんだ。いまの高校生は、この辺だけ好きみたいな人はいっぱい居ると思う。
K 地理選択の子の裏番組の世界史Aだとちょうどいいしな。そういえばこの間、南北戦争の小ネタ、授業で教えましたわ。
T どうでしたか。
K 反応はよく分からなかったな。まだクラスが暖まりきってないから。
Y Civil Warネタは使ってくれた?
K 使いましたね。それはめっちゃ聴いてた。「自分は世界史A受験に関係ないと思っているかもしれんけど、英語の試験でCivil WarとLincolnが分からない事件があった」みたいな話をしたし、Civil Warが実は3つある話も英語好きな子はメモってた。
◆日露戦争、第一次世界大戦
Y 今回の章は分からないと言うよりは懐かしいとか、こんなネタもあったなみたいな感じで読んでいたので、あまりこちらから提供できる話題はないのですが。
T 豆知識系は他にはないの。
Y 日露戦争での日本の勝利がトルコに与えた影響とか、その前後のストーリーが何年か前に映画化されていたから。
K あったな。海難事件。
Y エルトゥールル号事件。日露戦争の時、ロシアには主力艦隊が3つあったというので、バルト海から遠路はるばる来るバルチック艦隊、ウラジオストックに泊まっている極東艦隊、もう一個が黒海にあった黒海艦隊。ホントだったらバルチック艦隊と黒海艦隊が一緒に来るはずだったけれど、トルコがヴォスポラスとダーダネルスを封鎖してくれたおかげで、バルチック艦隊が単品で日本海まで攻め込んでくることになったという。実はトルコは日本の勝利を願ってやってくれていたという。知られざる日露戦争でのトルコの活躍。
K そりゃトルコはロシア嫌いやろしな。その後の影響みたいなのはよく教科書にも載っているけれど、戦争中の話はあんまり詳しく書いていないから、なるほど。
Y 村治先生の授業でも日露戦争で日本が勝ったからトーゴーって名前のトルコ人が多いとか。
K あれはどこまでホンマなんやろ。トーゴー系の地名が付けられたとか、名前が付けられたとか、ネットで検索したら書いてあったけど、裏を取れるような本はあるのかな。
Y 『坂の上の雲』司馬遼太郎にはそこまで書いていない?
T そこまで書いていたかな。
K 坂の上の雲は戦争に至るまでと戦争中? 実は最後まで読めていない。
Y おれも愛媛県に居たのに知らないという。トーゴービール、嘘って書いてあるわ。
K 怪しい話題もあるよな。
Y 第一次世界大戦は授業で映画を観た記憶がある。「クリスマスまでには帰れるはずだったのに」から始まるやつ。
T それ『映像の世紀』じゃないの。
K 映像の世紀は、高校の教師はめっちゃ好きやねん。
Y 世界史AだったかBだったか忘れたけど、何かで観た記憶がある。
K その記憶がないのが悲しい。一緒の授業だったはずなのに。
T 自分たちで映像の世紀を観た記憶って、当時は学校の授業で観るしかないよな。YouTubeとかそんなに発展していないし。誰に観せてもらったんだ。そりゃ村治先生か。
Y でもヒトラーの演説も聴いた記憶はある。
T ヒトラーの演説はめっちゃ記憶にあるな。映像の世紀で観た。
K それはある。村治先生かな。世界史Bで多分そんな余裕ないやろから。
Y 受験前やもんな。「クリスマスまでに帰れるはずだったのに」というフレーズだけが頭に残っている。
K 思ったより第一次世界大戦が長引いたって話やんな。全然帰れなかったという。
Y なんでって言ったら塹壕戦で長引いたから。
K そうやな。塹壕掘りまくって、端まで行っててんな。
Y マジノ線とか。三本くらい戦線があった。
K 去年は第一次世界大戦を授業するときに、スペイン風邪と絡めてやった。一緒に組んでいる先生がそういう社会生活史みたいなのが好きで、その人がプリントを作ったので一緒に教えたけれど、スペイン風邪が流行ったのは第一次世界大戦の時で、なぜスペイン風邪と呼ぶかというのもそのとき授業したな。そんなんもう、みんなは知っているか。
Y スペイン発祥のインフルエンザだから?
K アジア発祥なんやけど、どこの国の人も罹っていたのに、戦争中だから自分の国の兵士が罹っているとか、感染者が多いとか、死者が増えているという情報を他国に出さない。でもスペインだけは参戦してないから、事実通り報道して、スペインだけで流行っているかのように報道の上ではなっていたから、スペイン風邪だと言われている。それがヨーロッパで拡大した一番の原因は第一次世界大戦だとその先生は言っていて、まずアメリカで流行って、まだたまたまかなと思われて、アメリカが17年に参戦するときにギュウギュウの船に乗っていったり、不衛生な環境で軍事訓練を受けて行ったりする、そこで蔓延して、蔓延したままヨーロッパ戦線にアメリカ兵がやってきてしまったから、その病気が流行って、どの国も凄い打撃を受けたのに、スペインだけが真面目に報道して、スペインだけで流行っている感じになったという経緯らしい。塹壕がもの凄い不衛生だったからそこでも流行ったという話だけど、もう一つ流行ったのが水虫らしくて。
T それは知らなかったな。
K 塹壕が汚すぎて、水虫も流行るし、冬は凍傷の人も出てくるから、そういう戦争で撃たれましたとか以外の病気とか怪我が深刻だったという話をした。水虫のことを「塹壕足」という。足系の病気がめっちゃ流行った。
Y なるほど。
K 戦争の直接の死者よりもスペイン風邪で死んだ人の方が多かったとか。
Y そうか、100年周期のパンデミックだ。中華肺炎が21世紀、スペイン風邪が20世紀、コレラが19世紀、ペストが18世紀というネット記事があって。
K 胡散臭そう。
T イデオロギー的偏りを感じるな。
K どれも背景にあるのは人の移動やな。コレラが日本で流行ったのは開国が原因だし。
T コレラってそんなに流行っていたんか。世界的に。
K 世界的に流行っていたんかな。日本のイメージしかないけど。
Y コロリ。
T 明治の農村部におけるコレラ流行というと、『ぼっけぇ、きょうてぇ』岩井志麻子のイメージがあるな。コレラによる共同体の崩壊が怪異を生み出していくみたいなホラー。ホラーというのは貧困の中の伝染病によって成り立っていたんだなと思わせてくれる作品でした。
K ぼっけぇって岡山やんな。
T うん。岡山の貧困農村における様々な怪異の発生。
K 表紙が怖いやつやな。
T 歌舞伎の与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)だっけ。なので明治農村においてコレラが流行っていたイメージはあるけど、それがスペイン風邪や新型コロナに並び称されるくらいに世界的に流行していたとは知らなかった。
K 7回の世界的流行があったみたいやな。
T そうやんな。もう人類史とともに歩んできた病気みたいな感じで理解していたから、19世紀において特筆して流行したと解釈されているとしたら、それは知らなかった。そのサイトは日本においてはって話かな?
Y いや、多分世界の視点じゃない? 1820年代の流行で、開国がきっかけで日本にも広まる。
K 開国前にあったねんな。ウチの近くの神社もコレラを治めるように拝んだみたいな縁起が書いてあった。お願いしたら治まったから、その水によって清められたから清水神社とか鎮め神社みたいな由来になったという。
T そんな新しい神社なん?
K お伊勢さん系列だから古いけど、こじつけやと思う。あとから「こういう効果もあったんだ」という。そういう逸話があるということは、地元レベルでもコレラが流行っていたということで、江戸とか横浜だけじゃなくて。
T 岡山の農村でも流行っているからね。ここいらでもそりゃ当然流行っていたでしょう。
Y 本線から逸れる雑学を思い出したけど、世界史で習わないけど日本史で習うアメリカ大統領がいる。
K 誰やろ
Y ミラード・フィルモアという、ペリーが来航したときに持ってきた文書の。
T フィルモア大統領な。親書を携えて来たんやな。
Y そうそう。日本史の教科書にはフィルモアという名前があるけど、世界史の教科書では索引を引いても出てこない。
K 今の資料集はどうやろ。日本との関わりを推してるけど。・・・おらんな。
Y アメリカの大統領なのに世界史で習わず日本史で習う。日本史選択者は覚えているでしょ?
T フィルモアの名前は今言われて思いだした。
K 誰の次とかが全然イメージ湧かない。
Y その後の後くらいがリンカーンかな。
K 大統領一覧表には載っていた、けど全然太字じゃない。
T 一覧表には載るでしょそりゃ。
K 世界史で覚えるべき人は太字になっているから。
T ブキャナンは聞いたことあるな。日米修好通商条約の時の大統領かな。
Y そうか。
K 日本史選択の人はこのへんに強いんや。
T グラント将軍もリンカーンの後に大統領になっているね。
K それは世界史選択者でも知っている。
Y リンカーンの後を継いでいる。さっき開国っていうフレーズが出てきたから。
K ああ、それで(笑)本筋からどんどん離れるけど、Yに聞きたいことがあって。
Y 何? ドイツ、オーストリア?
K 戦艦は詳しい?
Y ドレッドノート?
T ドレッドノートの話していたな。
K そうやねん。君たちは詳しそうだと思って。建艦競争をいつも教えているけど、戦艦をお互いいっぱい造りましたみたいなことしか言ってなかったけど、P206でわざわざドレッドノート級戦艦がきっかけでと書いてあるから、従来の戦艦とどう違うのかを素人に分かるように教えて欲しい。Wikipediaを読んだけど難しかってん。
Y 一番インパクトに残るのは、ぼくたち関西人だから、ドアホのドはドレッドノートということかな。超弩級は、ドレッドノートを超える級のという意味だから。
K そういうことなんや。
Y ドレッドノートが世界にインパクトを与えるくらいの超巨大な戦艦だったのに、それを超えるくらいのアホだからドアホ。
K 弩のすごさは伝わった。大きさが凄いということで良いの? 素人の理解としては。
T それは間違えてないと思う。
K 弩級の戦艦が出てきたから従来のではあかんということで弩級のを造ろうという競争が起こったという感じ?
Y デカければデカいほど航行距離が延びるから、海軍戦が中心となるこれからの時代、特に極東に、ヨーロッパ本国からアジア太平洋エリアまで出て行くんだったら、デカい戦艦が補給もなく進められるということで。
K 補給が少ないのは大事やな。
Y 日露戦争においてわざわざ海路一万五千キロを越えてきているから。
K バルチック艦隊のみなさんは。
Y 何カ所も転々としながら、四ヶ月五ヶ月かけて。
K それはやっぱり補給しないとあかんから、寄らないといけない。
Y 補給が少なければ、もっと速く来られたかもしれない。
K その時代はまだ弩級の前の時代の話で。
Y ロシアだし。ドレッドノートが1906年だから、日露戦争の後。
K そうか。超弩級はいつできるの。
Y 超弩級は慣用表現よ。押さえなくて良い。あとは戦艦大和とか。
K 押さえなくて良いの(笑)大和は超弩級なの?
T そう思うけど(笑)大和で終わりよね。大艦巨砲主義という時代錯誤な建艦競争に最後まで固執していた日本の一番デカい艦船だから、世界で一番デカいと考えて良いのでは。
K そうか。その頃はもうそんなデカいのを造るという競争は終わっていたのに、まだ日本は造っていたということ? 他の国は何を造っていたの?
T 空母を造っていた。
Y 飛行機。飛行機を積んだ。
T 戦艦による大砲を撃ち合う海戦じゃなくて、空母から発進した飛行機による爆撃の方が重要になっていった。
K 戦艦と空母は違うの?
T 戦艦は大砲を撃つ船。空母は飛行機の甲板が乗っている。
Y 航空母艦。
T 英語にすると戦艦はバトルシップ。空母はエアクラフトキャリア。
K なるほど。違うものなんやな。空母を造らないとあかんのに、戦艦を造っていたんや。
T そう。まあ空母も造っていたけどね。ミッドウェーでほぼ全部沈んだから。
Y 赤城とか。
K そうか。それが空母なんや。建艦競争の段階ではまだ戦艦を造っててんな?
T そういうことやね。
K 第一次世界大戦が終わったくらいからみんな空母を造っていった。
T そう、シフトしていった。飛行機の登場って。
K 飛行機の登場が第一次世界大戦やもんな。最初は偵察で、最後の方でモノを落とせるようになった。撃ち合うとか。紅の豚っぽい感じ。
T 紅の豚はその時代なのか。
K 初期っぽい。本人が撃ち合う感じ。
T 第二次世界大戦期の戦闘機でも、本人が撃ち合うけどね。小銃、機関銃が据えられているし、爆撃もできるし。
Y 「飛行機が船を沈められるわけがない」と言われていたけど、それを覆したのが日本で、イギリスと太平洋戦争、いや大東亜戦争のときのマレー沖海戦でイギリスの主力艦だったプリンス・オブ・ウェールズを沈没させた。プリンス・オブ・ウェールズも多分超弩級艦だな。皇太子って名前がついている戦艦を沈められたらもうやっていけない。
K ホンマやな。やっていけへんな。めっちゃ自信持ってそうな名前やもんな。
T 確かにな。日本で言ったら「愛子」って名前みたいなものやな。
Y そうそう(笑)戦艦秋篠宮が、みたいな。
T 秋篠宮が沈められたら国辱やな(笑)
K 日本はそういう船を意図的に沈めたんかな? そこに在ったのがプリンス・オブ・ウェールズだっただけ?
T まあそうじゃないかな。
K これを沈めたらイギリスはへこむだろうとかは考えていない。
T そもそもシンガポール艦隊がそんなにいっぱいなかったんじゃない? 旗艦が狙われたということかな。
K 戦艦とかをちょっとだけ知りたかった。職場で聞くとマニアの先生方がめっちゃ語り出してえらいことになるから、ちょっと詳しい友だちとかに聞いてみたかった。
T 戦艦と空母の違いだけ分かっていればだいたいいいんじゃないかな。
K 世界史の授業的にはな。
T 弩級戦艦がどうとか、マニアしか気にしていないと思うけど・・・
K でも社会科教師の戦艦好きは何言っているか分からんくらい、全部頭に入っている。飛行機の名前も覚えていて、60代近くの人ってそういうプラモデルとかめっちゃ造った世代やから、詳しすぎる。聞いたら沼に入っていく。
Y 零戦とかじゃなくて、紫電改とか。
T せやな。桜花とか隼とか。
K あと海外のも詳しいな。
T イギリスのスピットファイヤーくらいしか知らないけど。
K それも聞いたことある(笑)わたしら世代が電車の名前を覚えるくらいの感覚で覚えてはるんやろな。特急の名前みたいな。
Y 寝台特急やー。寝台特急じゃないよサンライズ出雲だよー。みたいな。
K そういう感覚やろうな。わたしらは乗り物とか好きやったけど、その世代は戦争系の乗り物が子どもたちの憧れだったんやろ。
T でも、そういう世代もそろそろ居なくなるんじゃないの。
K そう。その方は再任用で、逆に今の間にそれを継承していかないと。
T それを継承するの(笑)
K 若手でも好きな人はいるから。
T そっちは男の子の方が継承しやすいでしょ。
K わたしは塹壕足とかそっち系を。
T キャラ系は女性の方が好きそう。
K でもどんどん知の宝庫がみんな退職していくから。
Y 日本海軍、軍歌で調べると、日本の戦艦がずらっと歌詞になっている曲が出てくる。
T 昔あなた、ケータイに軍歌をダウンロードしてたもんな。
K カラオケで軍歌歌ってたもんな。
T カラオケ軍歌も入っているやつは歌っていたし、YにだいぶSDカードで軍歌のデータをもらった。月月火水木金金とか。あと玉音放送のデータももらった(笑)
K あんな軍歌に親しむ高校生活はなかなかない。日本史の教科書に載っている軍歌を今でも頭で再現できる。
Y 建軍から1904年くらいまでの軍艦を歌詞に盛り込んだ軍歌。
K 軍艦マーチじゃなくて? いつもの。
Y パチンコ屋のテーマソングじゃない方。
K 動画とかすぐ出てくるな。でも7番までしかない。完全版がない。
T 最近はYouTubeがあるからいいね。当時はYのダウンロードしたMP3データが全てだった。
Y SDカードの容量もMB(メガバイト)だった。
K Yちょっと完全版を歌ってみなあかんのちゃう? 軍歌系YouTuberで。
Y 流行るかな。声だけ配信とかでやろうか。
K Vtuber的に可愛いアバターを作ってやろうや、軍歌系YouTuber。
T バ美肉でええやん。
Y やだよ(笑)
◆スルタン=カリフ
K テキストの話に戻りましょう。スルタンのこと。P208にオスマン帝国のことが載っていて、注にある「オスマン帝国のスルタンはカリフでもあるというスルタン=カリフの説が18世紀後半から説かれた」という記述が気になって、何故説かれたのか。スルタンやカリフのことは入試問題の論述でも出たことがあって、あっさりと流れは理解していたけど、それだけではダメなような気がして。教科書的な説明では「14世紀になってオスマン帝国が出来て、スルタンが政治も宗教も主導するようになりました」という感じだけど、そんなに単純でもないのかなと思って、オスマン帝国におけるスルタンやカリフのことについて聞きたかった。
T 『オスマン帝国』小笠原弘幸ですね。
K そう、その本を読んでいるから詳しいかなと思って。
T その論点は忘れていますので、ちょっとまた勉強してみますけれど、18世紀後半は、ちょうどオスマン帝国が近代化を始めたタイミングで、ぼくの凄く好きな絵があって「セリム三世とマフムト二世」という、トプカプ宮殿の中に「鳥かご」と呼ばれている、皇位継承者以外の男児が閉じ込められているエリアがある。
K 皇位継承者?
T 皇太子以外ってことかな、だから。後宮、ハレムの自分の母や縁者のところに皇位継承順が一位以外の男児が全員閉じ込められている。
K なんでやろ?
T オスマンの歴史自体が兄弟間の争いだった。というかもっと過激で、初期の継承争いでは、敗れた者を全員殺していた。兄弟殺しがオスマンの皇位継承のルールだった。
K 怖っ。
T 世界の秩序のために兄弟を処刑することは許される、みたいにイスラム法のシャリーアが解釈されて。
K シャリーア自由やな。
T オスマンの政策を決めるにあたってイスラム法学者がコーランやシャリーアを柔軟に解釈して政権に都合の良いように法を決めていったと言われていて、コーランがドグマ化した政権運用じゃなくて、ちゃんと社会の実態に即した運用をしていったからこそ、オスマンはあれだけ長続きしたという話もある。
で、ハレムに閉じ込められているんですね、セリム三世とマフムト二世は。セリム三世は、最初は皇位に就いていて近代化を進めたのだけれど、思いのほかイエニチェリとかアーヤーンとか、旧弊な勢力が強すぎて近代化が上手くいかなかった。それで皇位を剥奪されてハレムに飛ばされる。そこでまだ子どもだったマフムト二世と、ハレムの中で語り合う訳ですね。
K そういうシーンなんや。
T 「ぼくの近代化は失敗したけれど、きみが頑張って」みたいなことを言っている訳ですね。その意思を継いで、19世紀に入ってからマフムト二世が近代化を推し進めていく。
K なるほどな。
T 凄く好きなエピソードですねこれは。18世紀後半ってのはそういう時代。で、実際にタンジマートが始まるのがその時代。
K タンジマートはまだかな。
Y ギュルハネ勅令、アブデュルメジト。アブデュルハミトもおったよな。
K そうやな。メジトとハミトの印象が強い。マフムト二世とかセリム三世ってもうちょい前の人らやんな。
T そうそう。そこで近代化というか、旧弊勢力の一掃、彼らにとって有利な既得権を排除する改革を進めていったからこそ、タンジマートに繋がっていったと。タンジマートは1839年かな。
K そうやな。
T マフムト二世が死んだ半年後やな。ギュルハネ勅令自体はマフムト二世の時代に準備されていて、後を継いだメジトがそれを実施したという流れかな。で、タンジマートによって近代的な教育が始まって、その時代はまだトルコ主義じゃなくてオスマン主義だったけれど、テキストにある青年トルコ革命を主導した若者たちというのも、タンジマートの申し子たちだった。近代教育を受けた人たちがここで革命を率いていくことになる。
K ちょうど世代がそういうタイミングになるのか。そう観ると繋がりを感じるな。スルタン=カリフが連続的なものではなかったことが意外だった。
T 同一のものではないということが。
K 最初にカリフがあって、それをスルタンが世俗と宗教の両方を担当するようになったという連続的なものではなくて、最初にスルタンだけだったのが、あとからカリフを引っ張り出してきたことになっているのかなと。
T テキストに書いてあるのは「帝国外部でも大きな影響力を持った」ということが重要なのじゃないの。
K 外部のイスラム信者にも大きな影響力をもったということ。
T オスマン帝国こそがイスラムの中心という観念がそれまではなかった。
K ああ、そういう意味か。
T オスマン帝国内部では既にスルタン=カリフだったけれど、この時期においてはオスマン帝国外部の人たちにとっても皇帝がカリフだと見なされるようになった、という意味ではないかな。
Y わたしの認識とはちょっと違う。カリフとスルタンの関係って、ヨーロッパで言うところのカリフが教皇でスルタンが皇帝だと思っていたから。オスマン帝国内でスルタン=カリフというのは、わたしの認識とは違ったな。
K 教皇=皇帝ってのはオカシイもんな。ヨーロッパ的には。
Y ブワイフ朝が世俗君主の称号を欲しがったときに、アミール、大富豪ではゴミ手のときにゴミールって言っていたけど(笑)それと似たようなノリでスルタンが作られたという認識だった。カリフはイスラム教世界の色々な国にまたがって一人しか居ない。スルタンはそれぞれの国に称号として国王として居るイメージだったから。イランのカージャール朝ペルシアも、スルタンには従わないけどカリフのことは尊敬するポジションと位置づけていたと思っている。
K その位置にスルタンが昇格したんだろうか。
Y そういう認識を持たせようとしているね。
K カリフっていったんいなくなるよな。ここで復活したん?とかちょっと理解が難しくなって。教皇はいなくなってはないやん。怪しい時期はあるけど。だからカリフはいなくなったのを、後の時代の人がもう一回担ぎ出したり復活したり、そんな感じでいいんかなというのが。教科書に出てこない時代のカリフ的なものをスルタンが兼ねていたのか。
T オスマン帝国の中ではそれでよかったんじゃないかな。やっぱり外部という話かなと思ったけれども。「オスマン帝国のスルタンは全世界的なムスリム共同体の主導者であるカリフ位を兼ねる存在である。すなわちスルタン=カリフであることが”最も強調されたのが”19世紀後半以降。」それが何故だったかというと「対外関係においてムスリム諸国に影響力を及ぼすことが出来るスルタン=カリフの権威が重要な外交カードだったから」という話。「列強の侵略に晒されている中央アジアや内陸アフリカのムスリム諸国にカリフとして積極的に使節を派遣した。日本に軍艦エルトゥールル号を派遣したのもこの政策の一環である。」と。
K ちょっとすっきりした。この頃中央アジアやアフリカのイスラム諸国はどこも危機にさらされていたから、パン・イスラム主義的な感じで、カリフが必要だとなって、じゃあオスマン帝国のスルタンがカリフとしてまとめていこうみたいな感じだったと。
T そうやな、そういう意味では小国の、支配される側からしてもオスマン帝国に保護を求めるのが政策的、外交的な戦略となり得た。
K カージャール朝ペルシアもロシアとイギリスに切り取られるくらいだったら、カリフをみんなで担いでまとまる方がいいんちゃうんという感じやったんかな。なるほど、やっぱりオスマンの新書は読むべきやな。
Y わたしは『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』鈴木董という本を昔読んで、それも良かった。大学の演習の授業でこの人の新書から引用して報告したら「この出典文献は何ですか」と聞かれてこの本だと答えたら「そんなものを引用してはいけません」とめっちゃ怒られた。
K 新書の後ろに付いている論文を言わないとあかんな。
Y 孫引きしました、許してと。
K この人の本は他のも面白そうやな。『食はイスタンブルにあり』とか。最近面白そうだと思った『文学世界で読む文明論』の人やな。これちょっと前平積みしていて、買おうとしてどうせ読む時間ないわと思って、そんなんばっかりやわ。『大人のための世界史ゼミ』とかもある。
Y 卒論を書くときにその本の文献をいっぱい引っ張ってきた記憶がある。
K なんでそんなにあかんねやろ。スルタンのモヤモヤはだいぶ解消されました。ありがとうございます。
◆上っ面なイギリス植民地の描写
T インドはどうですか。この間村治先生の話も出ましたが。
K チャパティな。
T チャパティの時代やなこれまさに。
K チャパティのちょっと後かな。大反乱だから。
T チャパティはシパーヒーの段階か。1850年代。
K そうちゃう? チャパティを焼いて大反乱になった。全国的な活動にするためにチャパティで伝えたんやな。ガンディーでわたしがツッコミたかったのは、P210で「彼の清潔な人柄や博愛主義が支持された」とあるけど、清潔な人柄ではないと思っている。
Y なんかエピソードあるよね。ド変態おじさんというイメージがある。
K すごく欲に塗れているというか、インドは結婚が早くて、13歳で奥さんと結婚して、結婚生活に溺れてしまって、学校の授業中もずっと奥さんのことを考えている。親の死に目にも奥さんといちゃつきすぎて、お父さんが死んだときの葬儀にも参加していない。そんな若い頃には欲に打ち勝てていない人だというのを『100分で名著』か何かでガンディーの本をしっかり読んだ時期があって、おじいちゃんになったあとの清潔なイメージがあるけど、本質的にはそういう人かも知れないと。実際にああいう活動をしているときでも若い女性信者に怪しげな行為をしていたことも話としては残っているらしくて、清潔か?とは思いましたね。
T このテキストが今まで語ってきた、モノの世界史、経済の世界史という観点からしたら、このインドの記述って、めっちゃ上っ面やんな。どうしたんやろ? 塩の行進の話とかしたら良いのに。「当時のインドでは塩はイギリスの独占販売商品で、勝手に塩を作ることは法で禁止されていた。誰もが作ることが出来る生活必需品ですらもイギリスの搾取の道具になっている。そんな状況に疑問を抱いたガンディーは400キロもの道のりを海岸へ歩いて、自分たちで塩を作ろうと訴えた。自分たちの生活のためにイギリスの法を堂々と破りにいくというガンディーの思想に共鳴する人々が行進となって次々と集まり、数千人の行進へと発展した。ぼろきれのような布をまとってただ歩くだけで抵抗する姿こそガンディーの非暴力・不服従そのものだった。」ってムンディ先生の本に書いてあるよ。
K ムンディ先生にな(笑)そういう記述がテキストにはないよな。
T 塩が独占されていたとか、イギリスの経済的搾取の態様が書かれていないよね。インドの本国費がイギリスの植民地経営にとって一番重要だったという話はあったけれど、それが世界恐慌の段階で揺るがされていって、インドの統治がより重要になるけれど、民族自決の時代だからと言ってイギリスが板挟みになっている姿が、全然書いてないじゃん。阪大の先生、インドの専門家居ないの?
K いや、秋田先生はまさにここの専門家やけど。
Y イギリス帝国主義の。
K 全然書かせてもらっていないな。長すぎてカットされたんかな。秋田先生は本気出したらこれだけで一冊書ける人やと思う。全然あっさりやな。わたしが大学に居る間も何回かインドに出張して、いつも風邪引いて帰ってくる。大丈夫?みたいな人。ゼミ何回も抜けるねん。ちょっと学会でとか、インド行ってきますって言って。これは授業のテキストとして作ってあるから、がっつり課題をやらせるつもりだったのかも。ガンディーの優れた点と限界について話し合ってみようとか、そういうときについでに言うんかな。
Y ホントだ。課題とかあるんだ。この1ページにも満たない記述でガンディーの優れた点を論じさせるのは。
T かなりキツいな。流れはあるけど、ベンガル分割令を一行で終わらせているし、ローラット法とかアムリットサール事件は捨象されているもんね。
K そうやな。ここどうしたんやろ。
T ここのイギリスとインドのせめぎ合いは見所だと思うけど。
Y この時代ってムガル帝国は崩壊しているんやっけ?
K ヴィクトリア女王がインド皇帝になった後やね。
T 東南アジアで思ったのは、P211の注でアメリカのフィリピン経営について書いてある。「アメリカがフィリピン産の安い農産物の流入に反対する国内農家の反発の影響で植民地支配に拘らず」という記述があって、ここがアメリカの特徴的な点というか、イギリスやフランスだったら、植民地に農業を完全に移転して、自分たちは工業化するという、役割分担をするじゃないですか。でもアメリカは農家も生きている。第二次産業革命によって工業化を成し遂げたにもかかわらず、農家も未だこれだけの政治的パワーを保っている。やっぱりそれは国土が広いからかなと。工業化する土地もあるし、農業として残す土地もある。それが上部構造と下部構造による植民地からの収奪構造とは少し違うアメリカなりの帝国主義を生み出しているよね。
K イギリスは農業無理やもんな。
T イギリスの農業のイメージがもうないな。フランスはまだあるけど。
K 寒いもんな。無理やろ。アメリカは農民が作っていった国という側面もある。最初の領土拡大の時代を思うと。農家の立場は絶対王政とかの国と比べればもともとそんなに低くないはず。でもフィリピン産の安い農産物って何だったんだろう。バナナはアメリカで作ってなくない?
Y コメか、トウモロコシかな。
K フィリピンで作れそうで、アメリカとぶつかりそうな農産物。
Y 天然ゴムとか? あれはインドネシアか。
K マレーシアとか。
Y コメ、トウモロコシ等の国内向け食物と、サトウキビ、ココナッツ、バナナ等の輸出用農産物。これはフィリピン農産物で検索したら出てきた農林水産省のページ。後者はスペイン、アメリカの植民地時代に作られた大農園が主体。
K トウモロコシかな。でも輸出用になっているサトウキビ、ココナッツ、バナナのいずれかがアメリカと衝突した。
T 何だったんですかね。家畜じゃないよな。『侵略する豚』青沼陽一郎という本があって、ホッグリフトという。
K 絵が可愛い。
Y ポークリフト?
T ホッグリフト。1946年とか、戦後間もない時期にアメリカが種豚を山梨に運んできてくれた。それは食糧難に苦しむ日本への支援であったとともに、日本に販路を拡大していこうという資本主義の論理でもあったという話。そこでアメリカのプレーリーの、アイダホ州とか、ミシシッピ州とか。
Y ミズーリ州とか。
T あの辺の農家に取材に行っていて、彼ら大農園の主のマインドは「俺たちが地球の人口を食わせてやっている」という強力な自負に彩られていると。そういうことが書いてあって、だからやっぱりさっきおっしゃっていたような、開拓者たちが作っていた国でもあるし、世界の胃袋を満たすために私たちは働いているという、そういう自負がアメリカという国の底流にあるのだという。
K それで言ったらフィリピンの農産物に頼らなくてもイケるみたいな感覚があったのかな。
T そういう、具体的にどの産品が自分たちを圧迫している云々じゃなくて。
K 気持ちの問題だった。
T そうそう、けったくその問題だったという気はしたな。
Y 農家がプライドを持っていたんやね。
K それもっと日本でも農家にプライドを持たせたらいいな。農家を中心とした日本史を教えようか。武士じゃなくて農家が作ってきたんやという。
◆終わる帝国と終わらない帝国主義
T 中国はどうですか。
Y ここはもう、へえ、懐かしいと思いながら読んでいた。
T この節も上っ面よね。
K そうやねん。この章のこの辺、せやなあという感じだった。
T 阪大っぽい独自の世界システム史観が欠けているよね。
Y 薄く教科書をなぞったイメージ。
K なんでこうなったんやろ。
T 最後のコラムあるじゃないですか。五族共和ってやつ。
Y 満州国のやつ。
T この五族共和って、『五色の虹』三浦英之という本があって、満州国に”五族協和”を掲げて日本が作った大学の話なんだけど、ここでの”五族協和”は、日、朝、中、露、蒙の五カ国で、中国の、孫文の五族共和は、漢、満、蒙、回、蔵で違う。
K “五族協和”は日本が言っていたやつやな。
T 日本の”五族協和”と中国の五族共和は違うことに気づいて、色々なのがある。
K 日本の”五族協和”は中国をパクった?
Y 「きょうわ」の字が違う。日本は協力の協で、中国は共和。
K 流しとったわ。全然違うやん。
T 確かに意味的にはそうだよね。五カ国が協力するのと、五つの部族が共生するのは全然ちがう。
Y リパブリックと連邦、フェデラルの違いというか。
T そこは授業豆知識になるかもね。まとめの課題で「辛亥革命後の中国が漢民族だけの独立国家となれなかったのは何故だろうか。少数民族の観点から考えてみよう」とあるけれど、この間Yに提案いただいて帝国の議論をしたけれど、諸々の多民族があってそれを強力なトップが統べているという体制が帝国だったと。帝国主義というのは、例えばイギリスがトップになって植民地連邦を統べているのが、あたかも帝国であるかの如くだから帝国主義と呼ぶという結論になったけれど、ここで重要なのは「帝国は見かけ上の多民族性を温存する」ということですよね。一方の国民国家は、民族性を許容しない。それが中国で起きていたことの正体だったのかなという気はした。
Y 今でも民族浄化しようとしているもんな、中国は。
T そうそう。冊封体制だったらそれは別にしなくて良いわけで。
K なるほど、国民国家体制が欧米から持ち込まれたがために、逆にえらいことになった。
T そう、民族間の対立が露わになってしまった。
K もしかしたらアジアは、冊封体制が続いた方が平和だったかも知れない。
T 一民族一国家というフィクションが持ち込まれたが故に、様々な紛争が生じている、ということを言わせたかったんじゃない?
K このまとめの課題はね。「安全保障と歴史の重み」ってそういうことやな。冊封体制によって安定していた時代。
T 冊封によって安定していた体制が外から持ち込まれた価値観によって揺らがされたということが、上手くいかなかった理由だよねという。
K 最後に阪大っぽさを出してきた(笑)
T 出てきたな(笑)
K ここだけな。その手前はテキトーやったけど。
Y この辺は桃木先生が書いているから。
K なんか衝突したんかな。
T 桃木―秋田は仲良くなかったの?
K いや、仲は良いよ。一緒に歴史教育研究会とかやっているから。けどまあ押しが強そうなのは桃木先生かな。
T 阪大西洋史学の教授、HPに顔が載っているから閲覧したよ。
K うん。ツイッターもやってはるで。共通テストとか今の歴史教育に文句言っている。
T あとP205で「帝国の時代は終焉を迎えた」ってあるけど。
Y 4つの帝国が終わった。
T これYめっちゃ好きなテーマやと思ったけど、あんまり言及がなかったな(笑)
K わたしもこの記述はそう思った。ロシア、オーストリア=ハンガリー、ドイツ、オスマン、4つの帝国が崩壊したという。
T 帝国主義は終わってないやん。まだ続いているやん。でも帝国はここで終わってん。
Y 皇帝という称号は軒並みなくなる。
T さっきのオスマンの新書に書いてあるんやけど、基本的に王族・皇族は全員国土から退去させられる。
Y オーストリア=ハンガリーもそうだっけ?
T ハプスブルク家も1919年に国外退去処分になっている。ロマノフ朝はロシア革命で滅亡。ヴィルヘルム二世は1918年に亡命。で、オスマンのことがここに書いてある。混乱が予想されたため中央駅であるイスタンブルのシルケジ駅ではなく、チャタルジャ駅という郊外の駅からアブデュルメジトが退去するシーン。
『私が死しても、我が骨はこの国民の繁栄を祈るであろう』と言い残して、オリエント急行に乗車しスイスへと向かったアブデュルメジトは、ハンガリーを通過したとき『我が父祖が勝利とともに通ったこの地を、私は、幸運に見放され通り過ぎている』と慨嘆した。四百年前、モハーチの戦いにおいてハンガリー軍を破ったスレイマン一世と、在りし日のオスマン帝国の栄光の時代が彼の脳裏をよぎったに違いない。(P285)
K おもろいなその本やっぱ(笑)オリエント急行に乗ってちゃんとハンガリー通って行くんや。
Y で、モハーチの戦いに思いを馳せるのも良いな。そこ良いっすね。
T 馳せるんですよ、アブデュルメジトは。
K 良いっすね。そのくだり授業で使わせてもらうわ。
T この本は、買いですよ。
K そこを言うためだけに買うわ。
Y 皇帝の時代は終わったけど、帝国主義は続く。その本は15世紀から?
T いや、建国から。「繁栄と衰亡の600年史」というのが副題。
Y フルか。1299-1922っていう、数字が逆転しているという。
K そんな覚え方あったな。
T オスマンが持っていたイェルサレムの話だけど、これテキストにはあんまり書いていないな。けど第一次世界大戦の後のインパクトとして、今に一番繋がっているのはそこだと思う。イギリスの三枚舌外交も有名だけど。
K バルフォア宣言、サイクス=ピコ協定、フサイン=マクマホン協定。
T 相互に矛盾する3つの秘密外交ね。文化放送ラジオで「村上信五くんと経済くん」という番組があって。
K 坂口愛美アナの放送、全部聴いているねんな(笑)
T いや、聴いているのは「ヴァイナルミュージック」と「経済くん」だけやで。たい平師匠のやつは聴いていない。「経済くん」は勉強になって面白いよ。昨日の回は鹿のジビエの話題で、坂口アシスタントも「奈良県民として鹿は食べたくない」とかコメントしていたけど。
K 奈良県民としては、鹿ジビエは産業として推すべきやけどな。
T 奈良公園外の鹿はいっぱい居るからな。
K もっと南部の鹿を想像してくださったら。坂口アナは。彼女は北部出身者やからな。
T 流れる曲が『馬と鹿』米津玄師、『世界には愛しかない』欅坂46とか。
K シカ縛り。村上くんやし。
T 村上くんの笑い声入ってたけどな(笑)で、村上ラジオの2コくらい前の回が、コロナワクチンがどのくらい進んでいるかを、ミャンマーとアメリカとイスラエルの事例を取り上げるというテーマだった。そこでイスラエルの経済について若干取り上げられていて、現地に行っているフリーアナウンサーがレポートしていた。
イェルサレムはすごくきれいで、ショッピングモールに買い物に行って、毎日リゾート感があると。ワクチンを打ち終わった人はグリーンパスを発行してもらって、それを見せればショッピングモールに行けるというという状況が紹介されていた。
イェルサレムの状況は日本人が勘違いしている部分があると思っていて、今でもパレスチナ人のテロリストに爆撃され続けていて分断されているみたいなイメージはあるけれど、パレスチナ人も普通にユダヤ人エリアに出稼ぎに行って働いているし、労働経済的な観点で言うと、資本家であるユダヤ人が貧困労働者であるパレスチナ人を搾取しているし、パレスチナ人は生きるために仕方なくユダヤ人のコミュニティに入っているという共生関係が成り立っている。争いと分断のイメージと、中東に抱きがちな発展が遅れているイメージは全然実態と違うと。
そういう視点で言うと、ユダヤ人のシオニズムは第一次世界大戦後のこの時期に「ユダヤコミュニティを建国させてやろう」「せっかくオスマンからこの地域を奪い取って、イギリス領に変わったことだし」みたいな民族自決の後押しを受けて成立したけれど、どちらかというとここも資本の論理なんですよね。ユダヤ人が入植して、イスラエルを植民地化して、パレスチナ人に農業をさせて、自分たちはその利益を吸い取るというそういう構造が見えてくる。民族自決の皮を被った資本主義植民地の拡大が生じている。第一次世界大戦後にそういうことが起きたのは、ここだけじゃないかな?
K 民族自決の皮を被った植民地化。
T 民族自決はどちらかというと植民地からの「解放」を標榜していたけれど、ことイスラエルに関しては、民族自決によって植民地を増やしているよね。
K そうやな。ユダヤ人たちは別にイスラエルにそんなに行きたいと思っていなかったみたいやな、最初は。絶対ヨーロッパの方が住みやすいから。そんな苦労してまで行きたくないと教科書に書いてあった。ヨーロッパ人が民族自決の流れだからそうさせた運動であると。
T そうそう。だから実際にユダヤ人国家を建設しようというお題目によって華々しくスタートアップされてローンチされたけど、でもあんまり人が集まらなくて、一生懸命集めていた。それが『希望のディアスポラ』早尾貴紀という本に書かれていて、「建国直後から現在に至るまで、ありとあらゆる策を講じて、ユダヤ人を非欧米圏から探してきた」のだと。
移民というのは元の社会の政治・経済的な不安定要因によって仕方なく移民するのであって、ヨーロッパの生活が安定していれば、イデオロギーに共感したくらいで移民する訳ではない。「東はイラクから西はモロッコに至る中東アラブ世界の反イスラエル感情を逆撫でして、それらのアラブ諸国の古代から暮らしてきたユダヤ人コミュニティに対する反ユダヤ主義を煽り立て、アラブ諸国からの移民を徹底して促した」「こうしてイスラエルはヨーロッパ系のユダヤ人と、中東系の追い出されてきたユダヤ人と、アラブ人の三層構造になった」と。本末転倒な自作自演をしている。
更にそこに輪をかけて1980年代以降は、ソ連やエチオピアの政治的不安定を原因としたユダヤ教徒の大規模移民があって、四層構造になっている。それは全て最初に入植したヨーロッパ系のユダヤ人の資本の論理を成立させるために、紛争を煽り立てているという話。
K 複雑やな。四層構造か。世界史の教科書だとせいぜい二層構造やもんな。現地のパレスチナ人と、後からシオニズムの時期に来た人という構図は出てくるけど。
T そこであまり人が集まらなかったから、中東のユダヤ人を吸い寄せたし、最近はソ連やエチオピアの移民を引き寄せている。
K だけどわたしたちが思うほどに悲惨な状況でもない。
T “普通”の資本主義国家。ショッピングモールで低賃金労働者が働かされて、それを上級国民たちはワクチンを打った後はリゾート気分で楽しんでいる。そういう“普通”の資本主義国家。
K 普通でもないけどな。軍事には振り切っている。
T まあ爆撃が完全になくなったわけではないね。
K 発達障害の人を軍で雇って、就労支援を兼ねて、狙ったところを見つけて押す能力が高いという特性を生かしているということを聞いて。
T ゲーム感が得意なんだ。
K 複雑な気持ちになった。障害者の就労支援はいいけど、それを軍事に生かすのはすごい発想だなと。そういうけったいな国だなという印象が強かった。でもよりよく分からなくなったな、イスラエルという国は。でもその『希望のディアスポラ』もいつか読みたいリストに追加しておきます。
◆女性参政権とファランクス
K 他の論点は、まだあるねんな。
T P203の女性参政権の話。女性参政権がこの時期にちょっとだけ拡大した。『女性のいない民主主義』前田健太郎によると、女性選挙権が最初に認められたのが1893年のニュージーランド、被選挙権が最初に認められたのが1906年のフィンランドと、①非西欧諸国において最初に認められて、②その後で第一次世界大戦期に西欧先進国で認められていく。③最後に、第二次世界大戦後に瞬く間に西側諸国に拡大していく、という三つの段階があるとされている。
それが何故かというのを考えたときにまず、第一次世界大戦の時の話が一番分かりやすくて、戦争協力を促すために女性参政権を認めた。実際アメリカでも参戦の時に主婦連が反対しているのを黙らせるために参政権を認めたという経緯があったみたいだし、イギリスはロイド・ジョージが主婦連の賛成を取り付けるために女性参政権を認める。そういう社会学的な話もありつつ、一方で政治学的な理屈の話でも、男子普通選挙が拡大した経緯と同じだけど、「国を守る人間には選挙権を与えなければならない」という論理があるから、「総力戦」の時代になることで女性も「国を守る人」になる、それによって女性参政権が促された。
K 「国を守る人が参政権を持つ」というのは古代からやなと思った。
T スパルタクスとか?
K それより前の重装歩兵の時代。重装歩兵とか覚えている? アテネ民主政の成立。
T 紀元前どのくらい?
K ペルシア戦争のとき。
Y サラミスの海戦。BC480とかだったな。
K ペルシア戦争が紀元前500年から紀元前449年やな。
T 既に2500年前。第一次世界大戦の時から考えれば2400年前か。でも重装歩兵はあんまり覚えていない。ファランクスだっけ?
K 当時政治に参加できたのは、重装歩兵の装備を買える人だけだった。装備を買って戦争に参加した人が、ポリスの政治にも参加できる。それがペルシア戦争で三段櫂船が登場すると、船の漕ぎ手は別に装備が要らないから、無産市民も三段櫂船の漕ぎ手として戦争に参加したことによって、政治に参加する権利を獲得して、それによって財産の制限なくみんなが政治に参加できるアテネの民主政が完成したという話と、似ているなと。
T 凄く似通っているね。「総力戦」の帰結として、女性が「国を守る人」になった。
K 国を守ることと政治に参加することの結びつきは、意外と古代からの事例とも関連付けられると思った。
T 面白い視点ですね。それで三段階あって、あと二つ。19世紀末から20世紀の初頭にかけてのニュージーランドやフィンランドのような後進国における参政権の拡大は、西欧に追いつかなければならないという、「国民国家は女性参政権を認めるべきだ」という、より市民の権利に着目した国家体制を築くことで追いつけ追い越せをしようとしたという話。
最後の第二次世界大戦後の拡大は、ソ連に対抗して「西側の自由主義諸国は、より民主的な体制で市民の権利を認めていく」というイデオロギー的・政治体制的な側面で参政権を認めていくという話なので、第一次世界大戦のときの経済的・社会的側面と、戦争協力というプラグマティックな理由で選挙権を拡大したのは、この三つの中では特別な理由だったのかなと思っていました。
Y 意外だったのはニュージーランドが早かったこと。ニュージーランドはまだイギリスの植民地というイメージが強いので、本国がそうでもないのに、植民地の方が先に参政権を容認していくというのは。フィンランドは追いつけ追い越せで理解できるけれど。
T そうやな。女性参政権の話ではニュージーランドがよく出てくるけど、ニュージーランドの民族主義とか国家体制はあんまり顧みられていないよね。そこは深めたいですね。全然知らないけど。
K 授業でもニュージーランドはほとんどやらないな。「マオリ族が先住民」くらいしかやらない。でもニュージーランドは現代のマオリ族との折り合いも上手い感じがするし、今の首相は女性やんな。ジャシンダ・アーダーンさん。あの人は首相やのに育休をとるとか、若いしお子さんも小さいけど、それでも首相として頑張って、すごく新しいことをしているけど、それを国民も支持して応援しているのが、なぜそんなことが出来ているのかは気になるな。北欧もよく言われるけど、ニュージーランドでなぜそうなっているかは。
T そうやね。この間はパプアニューギニアも話題になりましたし、オセアニアが。
K オセアニアに注目すべきかもな。ニュージーランドの女性参政権拡大が早かったのは初耳だったけど、わたしはアーダーンさんのイメージが強いから、それもありそうな国だなと思った。
【終】
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