さよなら絵梨がなぜTwitterでウケているのか
私(Twitterユーザー)は面白いと思ったのですが、妻(非Twitterユーザー)にはあんまりウケなかったのでその違いは何かを考えてみました。
結論は、藤本タツキ氏の作風であるテキストで語らず、絵で語るスタイルが、解釈の幅を生み出すからです。付け加えるとクリエイターを主人公にしていることが、クリエイター気質の人々にウケるというのもあると思います。それゆえに、解釈好きで、クリエイター気質のTwitterユーザーには、語らいの格好の題材になるということです。
で、その背景として、現代の創作は「わかりやすさ」を求めるあまりに「説明しすぎ」という風潮があります。その原因として、下記の記事では①制作委員会方式のため、最もレベルが低い読み手に合わせざるを得ない、②リテラシーの低い観客でもSNSの普及によって簡単に悪評を流せるので、阿らざるを得ない、③読み手の感想が届きやすいプラットフォームの整備により、ツッコミを受けない整合的な内容にするインセンティブが働く、④少しでも分からないと、すぐに別のコンテンツに移られてしまう・・・などの分析がされており、慧眼だと感じます。
一方で、だからこそそうした「分かりやすい」作品群に物足りなさを感じる一団も存在する訳で。「分かりにくい」作品を「分かる」ことができる、つまり「分かりやすい作品を求める低リテラシー層」から切り離された自己認識を持つインナーサークルを形成することでオタク文化は成立してきましたが、果たしてそれだけでしょうか。
Twitterユーザーが、様々な創作に対する感想をtweetすることで、日々「「消費」と形容されている生産」を行い、楽しみを得ているのだと考えるならば、「解釈の幅を持つ」「クリエイターの気質を掘り下げた」作品は、二重の意味で彼らの琴線に触れることになります。
そうした作品は、「分かりやすい」作品に浸食された創作界にあって、非常に稀有な素材であると判定されます。これが藤本タツキ作品のウケる理由だと思います。
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