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【完結】健康的で清潔で道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

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友人たちとのオンライン読書会記録です。各回5千文字程度。 テキストは『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』熊代亨 https://honto.jp/netst…
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#健康

健康という“普遍的価値” #4

◆どこまで健康リスクを避ければ気が済むのか?うえむら P123「健康を損ないかねない習慣や行動に対し、不道徳な感覚さえ覚えるようになった」とありますが、こにしさんがこの週末に日光白根山を濃霧と暴風雨の中で登ろうとしたように「登山」が流行している。または各種エクストリームスポーツも徐々に人口が増えているのではないかと思います。それは死が隠匿されているが故に、却って死に惹かれていく活動であり、こういう言説とは逆の現象であるようにも感じます。 こにし 登山は宗派が分かれますね。健

健康という"普遍的価値" #3

◆私たちは長生きしなければならなくなったうえむら P116「何のための健康か、何のための長寿なのか」で思い出したのは、先程の繰り返しですが、健康はあくまでも手段なので、手段としての長寿なのに目的が失われている。例えばオリンピックの意義を語るときのアスリートの言葉が「感動を与えたい」や「記録というロマン」に留まったことは残念でしたね。「別に感動なんぞ要らんっちゅうに」「感動ポルノやめろや」という反論が容易になってしまう。 しろくま あそこまでいくと逆に不健康なのじゃないかと思

健康という"普遍的価値" #2

◆健康という道徳の差配人としての医療・福祉うえむら 最近人間ドックに引っかかりまくったので身につまされましたけれど、P107「医療者のこうした助言には、無視しがたい響きが宿っている」については、「まあワイは無視するけどな」と思いましたね。「医者ごときがワイにパターナリスティックなことを言うのは許さない」という精神でいたいと思いました。 こにし 医者側にもコーチングの技術が必要そうですね。 うえむら コーチングされたい人にコーチングするのはいいけれど、私はコーチングをされた

健康という"普遍的価値" #1

◆かつて喫煙に寬容だった日本社会うえむら 受動喫煙に関する政策については、2017年と2018年の健康増進法改正における政治的混乱プロセスをちょうど仕事で観察していたので、塩崎大臣が飛ばされたり、タバコ議連とのバトルがあったりといった、過程における議論が飛ばされていると感じました。 著者は全体的に「昭和=古→令和=新」というデジタルすぎる捉え方に基づいて記述しているけれど、こうした変化の過程における議論やコンフリクトが省略されすぎているとは感じました。 こにし 色々要素は