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住民が望んだものとは

ソウル最後のタルトンネ(貧民街)住民、再開発プランに反発|中央日報

 ネットを彷徨っていたら、この記事にあたりました。
 ソウル市蘆原区中渓洞104番地。ソウル最後のタルトンネ(貧民窟)と言われるこの地にも、再開発の話は以前からありました。
(104マウルについては別に記事を書いていますのでご参照ください)
https://note.mu/ktnh/n/n2b7f64dc40d9

 さてこのタルトンネですが、高度成長期のソウルと言いましょうか韓国と言いましょうか、その勢いと華やかさの「裏側」が、ギュっと詰まったような町です。開発事業で追い出された人たち、仕事を求めて地方からやって来た人たち、そんな人たちが苦労の中で築きあげたバラック街、それがタルトンネでした。水道やガスなど基礎インフラにも欠ける厳しい生活環境、急坂と狭く入り組んだ路地、トタンやフェルトで作った小さな家。苦しい生活を、皆が分かち合うかのように、近しい距離で暮らしてきました。

 麓から水を汲み、燃料の練炭を運び、皆がそうやって、必死で生き抜いてきた町。タルトンネ・月の町と美しい名で呼ばれているけど、苦労の絶えなかった町。そしてそれを耐え抜き、少しでも住みよくしようと、工夫と努力を重ねてきた町。

 そんな町にも、ようやく、都市としてのインフラが改めて構築されることになりました。やっと、きちんと、暮らせるようになる…。

 当初は「全部更地にして近代的な高層団地群を建てます」的な再開発計画だったようですが、住民は、反対しました。せっかく、ようやく、水道もガスも何もかもある「普通に暮らせる」環境が手に入る、というのに…。

 住民は、住環境の改善を希求していたのは確かでしょう。しかし、その先に、今のコミュニティ、人々の「つながり」があるのかどうか。それを、心配していたのです。

 ソウル市は近年、その都市運営コンセプトを「都市を人間に優先させた10年から、人間のために都市を作り変える10年へ。」と改め、都市開発事業もその内容を変化させてきました。中渓洞104マウルも、その対象でした。そして、このコンセプト転換の「顔」のような事業に、なっていました。

 2012年から、ソウル市は住宅開発について従来の「元の町を更地にして高層アパートを建てる」やり方から「街の歴史や築き上げた雰囲気に配慮した」方策を探り実施する「朴元淳式再開発」と呼ばれる新方針に切り替え、104マウルの事業はこの初事業として取り組まれ、国際コンペまで開催したうえで、新時代のソウルの顔となる「再開発事業の組み直し」を実施したのです。その結果が、先日発表されたそうです。

 新聞記事によると、現住民などが入居する低層賃貸住宅(698世帯)を建てる住区保全地域と一般分譲高層アパート地域(2000世帯)に分け、住区保存区域は既存の住区や路地を活かした開発を行う方針で、国際コンペもそれに沿った作品が出され、丘陵に沿って低層型共同住宅を配置する設計案や丘陵地の風景がテーマになっていたと書かれています。現在の細かく入り組んだ路地や坂のある丘陵地のイメージを残したうえで、現代都市計画に必要な公共空地や防災道路などの配置をしていったのだと、採用作品のイメージ図からも思われます。

 しかし、この開発案は、住民からまたもや反発が挙がったとのことです。いったい何がダメなの?と思えば「建物の間隔が狭すぎてプライベートが保てず、また北向き斜面に低層団地となると日当たりが悪いので、中高層(16階建て)ベースにして欲しい。」とのこと。

 ソウル市は「共に作り共に享受するソウル」をテーマに様々な都市運営を行う方針で、この再開発事業でもそれは貫かれているはずでした。しかし記事には「ソウル市の『不通(意思疎通不足)』を批判する声が高い」「本来の住民は事業から排除されてコンペの指示内容すら知らなかった」「住民の意思を聞いて調停案を作成するはずなのに協議体自体がない状況」との文字が並んでいます。どうやらソウル市は、住民の意図を汲んでいるようで汲めていないプランを、作ってしまったようです。

 しかしコンペの採用案は、丘の町、山の町タルトンネの感覚を残す「近しい空間」をうまく残しつつ現代風にアレンジしたもののように見受けられます。これの何が、ダメだったのでしょうか。

 住民が変えたかったものは、何なのか。変えたくなかったものは、何なのか。そしてそれは、以前から変わらないのか、時に応じて変わっているのか。色々と、考えてしまう記事でした。

 路地という「形態」だけが、コミュニティをつなぐモノではありませんものね。それは、建物の「ウチ」にあっても、いいのですから。


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