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7年ぶりの訪韓ドタバタ劇【10】山と水と、そして峠と…

 本当に遅々として進まない2024年6月の訪韓記ですが、第10章にしてまだ二日目の昼という……

 二日目は朝から水に係る歴史の址や賑わう市場を見たりしてしっかり「まなび」を得て結構(アタマが)満腹…、ちょっと木陰のバス停で休憩…って暑い!たまらん!!とやってきたバスに飛び乗ります。

6月だけど暑かった…
ええこれは急行バスしかもすぐに車庫終点

 ぜったいにここから乗るはずがないバス停の客が手を振り出したのでバス運転手が慌ててバスを停め乗車時に何か言ってくるも全く聞き取れず、手で顔を仰ぎながら「ケンチャナー」で押し切って乗車。なにせこのバス、ここから山へ分け入って10分ほどで終点。乗る方がおかしいのですが冷房と充電コンセント欲しさに高運賃でも敢えて乗車。涼しい…充電できる…

山の中のバス停で乗り換え待ち

 バスを乗り継ぎ、やってきたのはごく普通の山の村。に見えますが…

 엄미리유원지/은고개계곡、今の地名が엄미리(オンミリ|庵尾里)でこの奥の峠が은고개(ウンコゲ|掩峴/隠密の峠)と昔呼ばれていた場所、だそうな。天下大将軍・地下女将軍と勇ましいフレーズが並びますが…

ここが…

 昔はこの奥の峠が은고개(ウンコゲ|掩峴/隠密の峠)と呼ばれていて、朝鮮王朝時代はこの谷を上がって峠を越えたら南漢山城(朝鮮王朝における重要地守護のために築いた山の上の城兼保養地の最大級の場所)で、そこに宮城(ソウル)外から出入する人を見張る場所だったそうで掩峴(漢字をハングル書きにすると엄현)は「覆い隠す峠」を意味し、それが転じて은(隠)고개(固有語で峠の意)となったようで。なるほどねぇ…それで天下大将軍・地下女将軍か、と。

1930年代の地形図では特段目立つものはなく…

 なんかちょっと感動して은고개の由来の「ほか」を調べてみたら、そんなに大した由来ではなく「ふわっと/은은하게・ひそやかに/은근하게」登る峠で은고개となったとか(これは前説にもつながるのかな)、高陽の엄승승氏が墓所を求めて訪れてきてあまりに険しい峠に疲れて横になりながら自分の姓を取って「엄고개/オムコゲ」と呼んだのが由来とか(なんじゃそれ)、王朝時代の文人が流刑になった際にこの峠の景観を気に入り師匠の姓である「은/銀」を取って은고개と呼んだとか、この辺りの山の形が鷹の姿に似ているから응(鷹)고개と呼ばれたのが転化したとか、まあ様々な「由来」が…。まあ何にせよ、古来から何やかんやで人が引き付けられた渓谷のようで…

この日も川遊びで歌うアジョッシの声が響いていました
(何故ここにカラオケセットを持ち込む…)

 そしてこの峠への渓谷路、飲食店それも鳥料理(鴨/アヒル/鶏の焼肉や鍋物・鶏出汁麺など)が多いのも特徴で、これがまた周囲に大きめの集落もなくこの奥は車道としては行き止まり(山道はある様子)なのですが、何故ここに特定料理の店が集まるのか…

橙のアイコンが飲食店で大半が鴨やアヒルの料理がメイン

 そういえば以前、南漢山城にまつわる話で「城内では役人として居住したり城外からやってくる両班(上流階級)などが山上での宴席で鴨や鶏の水炊き/鍋料理を好んでいた」というのがあり、その関係で今も山上の旧城内にはペクスク(水炊き)の店が幾つも残っている」というのを聞いていて(実際にタッペクスク/鳥の水炊きを出す店は多くあり屋号に使っている店も複数)、日本統治下で都市としての役を解かれ史跡となった山城から「隠密のひそかな峠」に降りてきた店が並んでるのか…そうかー!すげー!!と思い、これは現地の空気を吸ってみたいと訪れたのでした。

夏でも鮮烈な清水流る渓谷

 しかし帰国後、改めて은고개の名について調べてみたら…

韓国NAVERのブログを翻訳サイト経由で

 なんと昔はポシンタン渓谷だったと…鶏は南漢山城の鴨/アヒル鍋由来ではなく보신탕由来だったと…

某市某場所にあった보신탕마을

 보신탕、漢字で書くと補身湯。身体に精気を補う鍋料理ということで別名が영양탕/栄養湯。このメイン食材が、いろいろと議論を呼ぶ「犬肉」なのです。昔から韓国はじめアジア各地では(日本でも大昔は食べる地域もあった)犬を食用としており韓国では精気がつく食材として専門店も多くあったのですが、忌避する人もいることから大抵の店では精気を養う料理として著名な参鶏湯(サムゲタン・若鶏の高麗人参煮込み)もラインナップすることが多く、その中で時代が流れて犬が消え鶏が残り、それが鴨やアヒル料理に展開していった、ということなのでしょうか…

某市某店のメニューに並ぶ栄養湯(左端)と参鶏湯(右端)

(보신탕/犬肉鍋については別記事で。具体的な写真もありますので閲覧はご留意のうえお願いします)

 現地に行ったときの予備知識は、この「前段階」のもの。ああ昔の両班が楽しんだ鶏料理が今に息づく渓谷かぁ…と感慨深くビールを呑むなどしておりました…

知らないって、コワいなぁ…

 ああ、またひとつ、勉強になりました…(ところで何でここがポシンタンストーリーになったんだろ…とまた新たな謎が)

この谷筋は昔から食いしん坊で賑わっていたのでしょうね
山火事注意看板が「広告枠つき」で販売済みでした

 いろいろと現地でも帰国後も、知ることの多い2日目の前半でした。ではバス通りに戻って、後半戦に進みましょうか。

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