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開発と、歴史と。

昨年末から、再開発に揺れるソウル乙支路地区。
都市防災の意味からも再開発は必要なのですが、開発計画の内容が現在の住民・商業主や街の歴史・特性への配慮が見えず、工事着手のやり方が乱暴だとして批判の声が年明け以降大きくなり、その再開発区域に有名な老舗飲食店が数軒あることから騒ぎが拡大、市長が「事業見直し・老舗の営業継続への配慮」を発表するに至りました。
(経緯などは下の記事をご参照ください)

市長は「ソウルには東大門衣類商街、鍾路ジュエリー街、中区の印刷・部品・照明街や文房具街に至るまで都心産業の根拠地があり、これを取り除くのは不適切だと思う」とコメントし、事業を管轄する中区や実施事業者に対し保存方向での再設計を要求する方向性を示しました。

あぁ、良かった。日本統治からの解放後、朝鮮戦争の混乱を乗り越え今の韓国、ソウルの発展を支えてきた街の、その歴史が、残りそう…。
と、少し安堵していたのですが、こういう案件、そうはうまく行くはずがなく…。

ツイッターのフォロワーさんが、市長発言後の現地を歩かれています。
そこには、市長発言など「どこ吹く風」とばかりに、取り壊しが進む現状があるとのレポートで、驚くのと同時に、「やっぱりなぁ…」と思う気持ちも、あるのです。

再開発はその土地の価値が変わる、はっきり言えばカネの色々な動きが絡むもの。予定通りに進まなければ、時間経過による損失も出るし、計画変更となれば思惑通りの利益が出るか不透明になる。そしてこの地区は、何年も前から計画が動き出していたが調整がうまく行かず、事業は「停滞」していた。となると、最近突然大きく動き出したのは、いろいろな利害関係の「タイムリミット」が来た、ということなんだろうな、と。そうであれば、強引にでも「ここまで進んでいるのでは手直しは…」という状態まで持っていくしかない。やっちゃうんだろうなぁ…と思っていたら、やっぱり取り壊しの手は止めていなかった、と。

そして行政も、市長も、たぶん「皆が知っている老舗だけ残せばいい」と思っているんだろうなぁ、と…。市長のコメントにも(ソウルを代表する平壌冷麺店の)乙支麺屋などの特定有名店が出てきていたので、恐らく、そうなるんじゃないか、と…。

ソウル市には、こう言っては何ですが、前科が、あります。

10年ほど前、朝鮮王朝時代の「庶民の暮らし」が、ひとつ、ソウルから消えました。

ピマッコル。漢字では避馬、コルは小路を現す韓国固有語。
大通りは馬に乗った役人や王族関係者が多く往来し、それを煩わしく感じた一般市民が裏通りを行き来するようになって生まれた「庶民のメインストリート」だそうで、都心寄りには沿道に多くの飲食店も並び、おいしいと有名なお店も多数。そこが再開発で潰され、ごく普通に近代的なオフィスビル街にされてしまいました。このとき「あの店も、この店も無くなるのか!」と騒がれ、結果的には一部にピマッコルを意識したようなレストランストリートや、そこで営業していた店を入居させたレストランビルが出来ました。

しかし、これはただ「有名店を残した」ということでしかなく、ピマッコルが生まれた経緯や、歩んできた歴史への配慮では、ありませんでした。存在の土台を失った店の魅力は如何ばかりか。15年ほど前まではソウル都心部の路地裏タウンの代表的な場所、その雰囲気も含めての「おいしさ」だった各店、今はもうその名を見かけることは稀ですよね。清進洞、ピマッコル、ヘジャンクッの各店。

ピマッコルを意識した「清進商店街」の前に、こんなものがあります。

朝鮮王朝時代のピマッコルや鍾路の庶民の歴史が垣間見える「遺構」が、ガラス張りにされ遺されています。出土した器や道具から、庶民の施設だったことが窺えるそうで、賑々しい清進洞のピマッコルは、このガラスの下に、その姿を残すこととなりました。

(ピマッコル自体は鍾路2街~3街辺りにビル裏通りとして残存しています)

ソウル市はこの件などで色々と学び、まちは「歴史」あってこそ魅力が生きる、という考え方に転換し各種施策を採ってきていたと聞いているのですが、もしかしたら、その歴史とは「有名な一部分」のことであり、乙支路でのそれは「一部の老舗」であり、その老舗を、往々にして移転すると以前の味が出せなくなる事態を反省し、再開発後にまるで「ガラス張りで保存」するかのように、残しておくつもりなのでしょうか。

それは、まるで、清進洞の遺構の如く…。


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