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7年ぶりの訪韓ドタバタ劇【5】橋に、想う。

 なかなか前に進まない6月の訪韓記ですが、ようやく「まちなか」のハナシにまで進み…

 往十里から色々と見ながら歩き、隙間を抜け、聖水の手前までやってきました。

漢江に合流直前の中浪川

 古のことを想いながら、川を眺めます。立っている場所は1930年代まで小さな私鉄の木橋が架かっていた場所、その先に見えている橋は木橋の代わりに架けられたコンクリート橋が、拡張されたもの。その脇に並ぶ高架橋は、ちいさな鉄道が生まれ変わった10両編成の地下鉄線。

京城軌道の生まれ変わりな地下鉄2号線そして21世紀の城東橋
城東橋は1938年の架橋時は箭串(サルゴジ)橋の名で京城軌道が一緒に渡る

 個人的な電車趣味から色々と過去へと遡り、事象の背景やそこに至る歴史を少しずつ知るようになると、同じ景色を見ても「見えかた」が違ってきたりします。そしてそれは今この瞬間も…。今の「城東橋」の名前にすっかり馴染んでいたのと電車の写真に気を取られて見逃していたのですが、この橋は「箭串橋の新橋」だったのですね…

そんなことを知らずに潜っていた箭串新橋…

 もっとしっかりと眺めておけばよかったなぁ…と思うも後の祭、気付いていなかった私はさらりと流して川岸の遊歩道を進みます。しかし韓国の日暮れは遅い…このとき既に20時を過ぎているのですが、まだまだ写真が撮れる明るさ。この理由もまた日本統治が絡んでいたりするのですが…【現在の韓国標準時は日本統治時代からのもので東経135度(日本の明石)が基準となり実際のソウル基準の太陽の動きと30分程度のズレがある】

いまの川岸は市民の憩いの場

 視線の先に、見えてきました「触れて、渡ってみたかった」橋が…

 これが、元の箭串橋。川に橋をほとんど架けなかった朝鮮王朝時代から架かっていた橋で、しかも現存するという希少な、石橋。この川の向こうの纛島(今の聖水洞)は王朝時代の王室所有地で王の鷹狩や野遊びの場そして王族・軍事用馬の牧場などがあった場所。そこを訪れる王を輿から降ろして水流の中の飛び石を渡らせるわけにいかず、輿を担いだ大行列がそのまま渡れるよう特別に石橋を架けた、ということだとか。王のための橋なので保守もしっかりされ、また大行列が渡れるだけの幅や強度があったので朝鮮王朝統治の終了後も(日本が)一般用途(朝鮮国道1号線の経路)に転用、先ほどの橋を新設するまでごく普通に使われ続けたという、なかなかの数奇な経緯を持つ橋梁。

 1966年9月から新橋が供用され、この橋は一旦忘れられかけたようですが1971年に調査と復元へ動き出し整備されたので、今もこの橋を「渡れる」のですね…

1971年12月12日の朝鮮日報記事
かつて王族だけが渡った橋を今は市民が自由に渡る
恐らく日本統治時代に改修した部分
王朝時代の石橋と現代のビル群

 いろいろと、感慨深い思いに暫し浸っていると、いよいよ夕暮れ。さあ、先へ「渡ろう」!

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