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昔の鉄道から、まちへと歩いた春の日

前投稿からのつづき

早春の金曜、ある列車の最後を見届けるため訪れた山陽路。
ちょうど他に見ておきたかったものもあるので…と訪れた笠岡の街、廃線跡の探索が思いのほか興味深く心惹かれるものでしたが帰宅への刻限も近づき、駅へと向かうべく進路を変え、踏切跡から「まち」へと分け入ることになりました。

線路跡の道と、踏切跡の坂道。

踏切を渡った気分で歩を進め、まちの裏側から中へと分け入ってゆきます。

まちの裏側を流れる水路、というか沢、でしょうか。普段は水の流れはなく生活排水路なのでしょうが、小高い山の裾野にあたる場所なので雨が降れば結構な水量となるのでしょう。側溝ではなく「きちんと河川」として石積み護岸が整備され、橋が架けられています。そしてその橋の少し先は、瀬戸内の海。

そんな「まちのなかの沢」を渡ると、目の前には「まちの証」が、ありました。

全蓋、です。いわゆる完全な屋根の架かったアーケード。この沢の向こうが笠岡の「街場」、山裾の「むら」からのゲートがこのコンクリート橋と、全蓋なのでしょうか。

昔は所謂なんでも屋的な雑貨店だったのでしょうか、店先でも濡れずに買い物ができるよう、架けられていたのでしょうか。

全蓋のある建屋の並びには、作業場らしき空間と倉庫のような建物。さて、賑わった頃は、どういう姿だったのでしょうか…。

この全蓋の先は、まさしく「まちなか」に、なっていました。

細い道、鈎型に折れた街並み、そして時を経て出来た「すきま」から見える、隠されていたであろう「裏の蔵」。

まちの裏と中を結ぶ「すきま」を歩くと、いまの街に出てきました。

この先は、まさに「いまの街」。近代化された都市の姿がありました。

いまの街、とはいえ人影もまばらで、金曜夕方としてはナカナカに寂しい姿。Just Nowな街は、また別のところでその姿を見せているのでしょうか。

そんなこんなで、ぶらぶらしているうちに列車の時刻も目前、慌て気味に駅へと向かいます。

駅まで来ると少しは人の匂いがします。少し、ですが。
そして駅からは、このまちの「もうひとつの姿」につながる道が、延びていました。

笠岡は、陸と海の、結び目の街。陸からの街が先ほどの街なら、この先には「海からの街」が、あるのでしょうね。

さあ、いよいよ刻限。最後の日の快速電車で、帰りましょう。

さようなら、サンライナー。また改めて来ますね、笠岡の街。

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