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7年ぶりの訪韓ドタバタ劇【6】駅を、想う。

 電車に、橋に、いろいろと昔を想いながら歩いてきた7年ぶりのソウルの街。

 ここからは改めて「電車」を想いに、歩を進めます。とはいえ疲れたのと日没かつ夜も更けてきたのでバスに…

ソウル、いや韓国は多くのバス停に屋根があって明りがあって座れるのがいいのです…

 やってきたのは華陽洞、ソウル東部の住宅街&学生街。ごくごく普通の、韓国のまち。

地下鉄出入口に軽食屋、ごくごく普通の、ソウル。

 往十里から巡ってきたちいさな私鉄電車は、ここを通って漢江の広津まで向かっていました。その痕跡を探しに…

最近また流行り出したという「ドラム缶焼肉」のテント型店舗がありました
建国大学の後門(建国門)前の街

 今の建国大学の「うら」を、私鉄電車は走っていました。そこを目指して……

昭和12年測量の朝鮮総督図発行地形図より
今の建国大学裏手(建国門側)
建大への通りの脇へ
進んでゆきます
ここから…

 奥へ進むと、線路跡に…

ここに
いま立っています…

 右側の空間が線路跡に思えますが、地籍図から鑑みると左側の建物が線路跡の模様。痕跡はないのだけど、跡は見える。地図とは面白いモノ(amazing)だなぁ…と、暫しまちの隙間に佇み、改めて歩を進めます。

ここは…
ここのはず

 ここが、京城軌道毛陳駅跡…。写真中央の建物が線路跡に見えますが、昔の地形図と今の地籍図を見比べると右奥に写っている一連の建物が、駅跡に建てられたものと推察されます。ああ、毛陳駅に、来たんだ…

この辺りが駅前で…
この裏を、電車が走っていたのですね…

 そして、毛陳駅を過ぎるとこんな光景の中を電車が進んでいっていたと…

1963年8月12日刊の京郷新聞の記事より

 色々と想いながら、毛陳のまちを振り返ります。

来た道を…

 さて、次の「えき」へ行くため、戻ります…

建国大学の門前通りへ戻り
線路跡と思しき路地を歩き坂を登り坂を下り…

 ここは出だしのバスを降りた場所の写真にある、坂道。

 華陽洞の繁華街になっている小路、ここも線路跡なのです。

地籍図を見る鉄道用地を示す「철」が僅かに残っています
1966年まで電車の線路だった場所
上の写真は昔の地図の陽の字の辺り

 ここが、華陽駅の跡。小さな交差点の向こう側、セブンイレブン・プラダックのある辺りに駅があったことになっています。そしてこれが、昔の華陽駅前通り…

この道の先は松亭、君子そして中谷、陵里の集落と続いていた。

 暫し駅前の風情を味わい、通りの「向こう側」へと渡ってみます。

 なんだか本当に私鉄電車の駅前通りのような風情に、不思議な縁を勝手に感じる君子路の夜…ってもう22時前!まだホテルにチェックインもしてないっての…ちょっと「歩きすぎた」な…

バスに乗って
東大門へ!

(つづく)

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