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押し入れの中のアルバム

実家の押し入れには、両親の若い頃のアルバムがたくさんしまってある。
昔はよく、それらを引っ張り出してきてぺらぺらとめくっていた。両親の何十年か前の写真を見るのは、過去にタイムスリップして両親がまだ「お父さん」「お母さん」でない頃の姿を覗いているようで、おもしろくてちょっとドキドキした。
母親の小学生時代の写真を見たら、当時の自分とあまりに瓜二つで笑ってしまった記憶もある。

いま、わたしは日常生活であまり写真を撮ることがない。
旅行へ行ったとき、素敵なごはんを食べに行ったときに、「この場所、食べたものを覚えておきたい」と思ってメモ代わりに撮影することはあるけれど、このご時世だし、めっきり写真を残す機会は減っている。
しかも、それらは撮るなりクラウド上に放置したまま。出力して形に残すのは、誰かにメッセージアルバムを贈るときくらいのものだ。


ふと、「自分にもし将来子どもができたら、その子はいまのわたしの姿を知ることはないのかもしれない」と思った。
実体のないデータとして蓄積された写真は、わざわざアカウントの持ち主がGoogleフォトを開いて見せでもしなければ、目にすることがない。
少なくとも、実家の押し入れにしまわれたアルバムみたいに、子どもが簡単にさわれる状態ではない。

かといって、写真を撮る頻度が劇的に上がったり、データを光沢紙に出力してアルバムを作るかといわれたら、そこまではしないような気がするけれど、なんだかちょっとだけ寂しくなった。


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