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アタック25に出演して思った「巧みなゲーム設計」

長寿番組「アタック25」が今秋で終了するらしい。朝日放送からの公式発表はないが、各社メディアで報道されている。

一般参加者を呼ぶのが難しくなった2020年の秋ごろ、「高学歴芸人」というくくりの回で出演し、トップ賞とハワイ旅行をいただいた(もちろん出場に際しペーパーテストとかはちゃんと受けた)。ハワイ旅行は昨今の情勢もあってまだ行けていないが、全国ネットの出演は初めてだったし、なにより家族や知人を安心させられたことが大きかった。「京都大学を中退して何やってるか分からないヤベーやつ」から「一応ちゃんと芸人やっててアタック25で優勝したらしいやつ」にジョブチェンジしたのだから。

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はしゃぐな

自分はアタック25の長い歴史をすべて見てきたわけではない、というかむしろ「にわか」みたいなもんだけど、収録のちょっとした思い出と、出演して感じたアタック25のすごさについて話してみる。

収録前の説明

アタック25は収録前に別室で説明・注意がある。パネルの取り方であったり、日本人が答えのときはフルネームで答えてね、などのルール説明がある。その中で、「問題文はなるべく最後まで聞いてください」という注意もあった。

「アタック25は異次元の早押しを見せる番組じゃなくて、家族でも楽しめる番組として作ってるので、問題文はすこし特殊になってます。最後まで聞かずに押すと間違うことも多いので、お願いします」

もちろんこれは「視聴者に問題文を聞かせたいから押しを遅くしろ」という恫喝では断じてない。「もちろん勝負所は、果敢に押してください!」とも言われたし。

アタック25の問題文と、いわゆる「競技クイズ」の問題文は構造が違うため、クイズ猛者がかえって早とちりで誤答することが多数ある。

【例】さきごろ、(アーティスト名)が初のアルバム『〇〇〇』を発表しました。では、彼女の出身県は、△△温泉や××城でも有名な何県でしょう?

私は競技クイズにガッツリと身を置いていたわけではないのではっきりとは言えないが、たぶんこの前振りから出身県が答えになるのはちょっと変なのだ。アルバムに収録されているヒット曲などを聞くのが普通だろう。でもそんなものは競技クイズをやっている(比較的)少数の人が抱いている不文律であって、多くの視聴者には関係ない。アタック25は、問題を最後まで聞いたうえで、お茶の間の人々があーだこーだ言い合える問題にしているというわけだ。

さらにアタック25は誤答のペナルティが重い。2回休みというのは破格のペナルティだ。自分以外の3色を残した2手先の盤面は全く予想できない。カメラを向けられて緊張しているのならなおさらだ。ゆえに自然と慎重な押しになる。

つまりアタック25は、圧力を用いずそのゲーム設計によって、問題文をじっくり聴くインセンティブを回答者に与えているのだ。そしてそれは、お茶の間を置いてけぼりにしない工夫にもなっている。デザインの妙である。

ちなみに、そのあとの説明で「みなさん芸人さんですから、楽しく、自由にボケてください」とも言われた。なんでもその前に収録した芸人回で、全員があまりにも「ガチ」で戦いすぎてお笑いパーツが少なかったかららしい。

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👆ガチすぎてほとんどボケずに優勝した人

高速化するクイズとアタック25の矜持

先ほども言ったが、競技クイズというのは「こういう前振りが来れば、こたえはこうなる」というある種の不文律をもっていることがある(それを嫌っている人もいるし、そこに攻略性を見出す人もいる)。ゆえに一般人からすれば理解不能な早押しが可能になるのだが、その有名な一例が「アマゾン川で」「ポロロッカ!」だろう。

のちに西村さんは、

「アマゾン川」だけでは多くの問題が考えられるが、「アマゾン川で」に続く問題の答えは「ポロロッカ」しかない

と語っているそうだ。対戦相手のスピードに対抗すべく「アマゾン川や」でも「アマゾン川では」でもない点を読み切って回答する、という高度な技術。

こうした早押しの高速化を純化し、エンタメに昇華しているのが「東大王」なのだろう。ある種の”珍獣っぷり”をたのしむという意味では(リスペクトの方角が違えども)、「クイズ!ヘキサゴン」の歴史に韻を踏んでいるともいえる。

しかしアタック25はそこになびかない。

少し前のアタック25の回で話題になった問題がある。

Q.スイスの4つの公用語とは、ドイツ語、イタリア語、ロマンシュ語と、あと1つは何でしょう?
A.フランス語

普通なら知名度の低いロマンシュ語を問うのがセオリーとなる(実際の放送でも問題文の途中で「ロマンシュ語」を回答したが、これが不正解)。クイズは知識を問う競技であるという目的から、「メジャーなものからマイナーなものへ」という不文律があるからだ。

【例】
Q.日本三大清流」と呼ばれる3つの川とは、四万十川、長良川と、あと一つは何でしょう?
A.柿田川

しかし、これはさっき述べた番組のコンセプトからするとちょっと分が悪い。テレビの前の大多数はロマンシュ語なんか「知らんがな」である。それよりも、テレビを見ながら、

「え~どこやろな」
「あの辺の国やから…スペイン語とか?」
「いや、スペイン結構離れてるで。フランス語とかちゃう?」

など談笑するお茶の間を想定していると考えれば、たしかに自然だ。

スイスが接している国はオーストリア、リヒテンシュタイン、イタリア、フランス、ドイツなので、ちょっと世界地図に強いお父さんや最近地理を勉強した中学生なら「近くの国の言語→フランス」と答えにたどり着ける。これを「クイズ屋殺しのベタ外し」と見るのは早計というものだろう。自分はこの”珍問”にも、作り手の矜持がどくどくと流れている脈動を感じる。

「視聴者参加型番組」としての器

私は芸人として参加したので、正直出場に際しては「優勝」以外眼中になかった。それ以外に芸人として「おいしい」展開はとくにないからだ。しかし一般の参加者なら、参加だけでも一大イベントだろう。周りの応援もあるし、大きなスタジオでカメラを向けられて緊張もする。

私は三重県の田舎生まれなので、近所の人がテレビに出るというのが一種の祭りであることを知っている(都会でもそうなのだろうか)。かつて知り合いのお母様がクイズミリオネアに出たときも大騒ぎになった。ケーブルテレビに映ったくらいでも、学校で話題になる。アタック25も、そうした「地域や職場のヒーロー」を生み出してきた番組の一つだろう。

しかしそうした視聴者参加型番組は、何もできずに散っていく「無様な敗者」を生み出す可能性もある。

そうした点でもアタック25の「アタックチャンス」は巧妙だ。オセロの途中で一つの色を消せるというだけで、数多くの逆転劇を生んできた。これによって、番組内では「序盤を圧倒する色」「アタックチャンスでチャンスをつかむ色」「優勝争いに食い込む色」など、複数の参加者に見せ場が訪れる。こうしたバッファーを設けることで、アタック25は「無様な敗者」が生まれにくいように設計しているのではないだろうか?放送のあと、参加者が後ろ指を指されるようなことがないように。「アタック25に出てよかった!」と思って帰ってもらえるように。

上記のような巧妙なゲーム設計によって、「クイズ猛者が無双して負け犬が生まれる」ことと「視聴者が置いてけぼりになる」ことの二つを同時に回避しているのは本当にすごい。いや、もちろんこれは私の勝手な想像にすぎないのだけど、「よくできた番組だ……」と感心してしまうのは私だけではないだろう。

三度楽しめる番組

参加者は緊張と「問題文はなるべく最後まで」の忠告によって、必然と押しが慎重になる。しかしテレビの前の人々は、そんなプレッシャーもなく見ているのだから、こんな会話が生まれるに違いない。

「あんたの方が答えんの早かったな!」
「こいつ遅いわ~」
「お父さん出れるんちゃう?」

こんな日曜日の昼下がりの光景すら、製作陣の思惑通りなのだ。

そうしてアタック25を目指し、見事出演し、そのあとに放送を見ると、作問の妙とよくできたゲームバランスに舌を巻く。見て、出て、また見て。三度も楽しめるものというのはなかなかない。グリコでも二度が限界である。

大人の事情というのはなかなか難しいものだが、せめてBSとかで存続してくれないかと願っている。


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