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癖のおかげで思い出してもらえた話

先日、更新をうっかり忘れてしまい、
10年間所属していたファンクラブから強制退会させられてしまった。
それはそれはショックで、気づいた時は放心状態。
何年も続けていることなんて本当に数えるほどしかない上
2桁年数続けていることはもはやないに等しい。
私がずっと続けていることといえば、
もはや赤ちゃんの頃からの癖である「耳たぶを触ること」くらいなのである。

30代のいい大人が耳たぶを触る癖を直せないのは、少々問題でもある。
そもそも中学生くらいには卒業しておいた方が良かった気もするが
・直す必要性を感じない環境で育ってしまった
・耳たぶを触る行為を全く恥じていない
という点から、癖を直そうと微塵も思わなかったから仕方ない。
実家にいる時は妹の、状況してからは彼氏→旦那の耳にお世話になっている。
もちろん常時自分の耳たぶも触っており、
右手で作業をしながら左手で耳たぶを触るため、
左耳の方が耳たぶが柔らかい。(当社比)

さすがに「あ、恥ずかしいかも」と思うタイミングはなくはないが、
誰かに迷惑をかけているわけではない。
(妹・旦那はもはや虚無で受け入れている笑)
なんなら、私の”アイデンティティ”となって活きたことすらある。

私のおじいちゃんは、認知症だった。
初めのうちは帰省しても私の名前を覚えてくれていた。
しかし、体調を崩したことから入院するようになり、
お話すらできなくなってしまった。
お見舞いに行ってもすこし上の空で、おそらく私が誰だかもわかっていない。
寂しいな〜なんて思っていた最中、無意識におじいちゃんの耳たぶに手が伸びた。
触られた途端、おじいちゃんはパッと目を見開いて驚いた後、
ニコッと笑ったのです。
孫を溺愛していたおじいちゃんに、よくくっついて耳たぶを触っていた幼少期。
もしかしたら、その時の記憶と紐づいて思い出してくれたのかもしれない。
例えると、リメンバーミーでミゲルが歌を歌った時、
ママココの記憶が蘇ったあのシーンみたいな…(いつも爆泣きするシーン)
久しぶりに、自我がちゃんとあるおじいちゃんを見て
家族みんなで笑って喜んじゃった。
そして、ああ、耳たぶ触る癖をやめないで良かったかも、なんて思ったりした。

ただの癖だし、継続しているという言い方は間違っているかもしれないけれど。
いつの間にその癖は自分を作る要素になっていたりするから、
自分や一緒にいる人が恥ずかしかったり、嫌だったりしないなら
直さないのもまた正解なのだと。


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