輪廻の風 3-41





「フフフ…参ったねえ…。」
バレンティノは呑気な口調で、まるで他人事の様に呟いた。

するとメレディスク公爵は、バレンティノの顔面を思い切り蹴飛ばした。

バレンティノはそのまま倒れ込み、地に背中をつけたまま天井を仰いでいた。

「おいおい、まさかの無抵抗か?つまらねえ奴だなあ。このままなぶり殺しにしてやってもいいんだぜ?」

メレディスク公爵は踵でバレンティノの顔を踏みながら言った。

「フフフ…フフフフフフ…フフ。」
バレンティノは一切の抵抗もせず、かと言って防御の姿勢をとりもせず、ひたすら笑っていた。

そして、剣を握っている右腕がプルプルと小刻みに震え出した。

不気味に思ったメレディスク公爵は、蔑視の視線をバレンティノに向けた。

「何だよあんた…気持ち悪いな。勝ち目無さすぎて頭おかしくなっちまったのか?」

「フフフ…勝ち目無いって?万策尽きたなんて一言も言ってないんだけどなあ。」

バレンティノの放った意味深な発言に、メレディスク公爵はピクリと強い反応を示した。

バレンティノはこの状況で虚勢を張るようなタイプではないと判断したメレディスク公爵は、一旦様子を伺おうと試みて、少しだけ後ろに退がって距離をとった。


するとバレンティノは、フラフラとしながらゆっくりと立ち上がった。

笑いは止まっていたが、剣を握る右手の震えは止まっていなかった。

「なーにプルプル震えてんだよ。気色悪い奴だな。」
メレディスク公爵が引き気味にそういうと、バレンティノは「フフフ…ごめんねえ…武者震いがしちゃって…どうも自分じゃ制御出来ないんだよねえ。」と言った。

メレディスク公爵は、目を細めながらバレンティノを注視していた。

すると、バレンティノが突然左手を挙げ、自身の口元と首を覆っているスカーフに手を伸ばしたのだ。

何かを始める気だと悟ったメレディスク公爵は、更に注意深くバレンティノを凝視した。

なんと、バレンティノは徐にスカーフを取ったのだ。

今まで只の一度も人前でスカーフを取ったことがなく、頑なに口周りと首を隠し続けていたあのバレンティノが、突然スカーフを外したのだ。

これは、バレラルク王国始まって以来の異常事態といっても過言ではない。

数年前、悪戯好きのモスキーノがバレンティノのスカーフを無理やり外そうとしたことがあった。

その時、憤慨したバレンティノがモスキーノを殺そうとしたらしい。

想像の遥か斜め上をいくバレンティノの怒りっぷりに恐れをなしたモスキーノは、すぐに国外逃亡をした。
怒りの収まらなかったバレンティノは、そんなモスキーノをとことん追い続けたという。

その際2人は将帥としての職務を放棄し、世界中を飛び回る恐怖の鬼ごっこが1ヶ月以上続いたとか続いていないとか。

一方クマシスはその昔、入浴中のバレンティノを盗撮し、その素顔をマスコミに売ろうと画策したことがあった。

その目論見は事前にバレンティノにバレてしまい、クマシスは殺されかけたという。

幸い、ポナパルトが仲裁に入ったことでクマシスはお咎めなしで事なきをえた。

そんな噂話が、まるで都市伝説のようにバレラルク王国では飛び交っていた。

"バレンティノさんの素顔に関心の目を向けた時、バレンティノさんの凶刃もまたこちらを向いている。"
人々は、口々にそう言った。

そんなバレンティノが、絶体絶命の窮地に追いやられたことで、ついにその素顔を白日の下に晒したのだ。

事情を知らないメレディスク公爵にとっては、それが一体どれほど大きな意味を持つことなのか理解できていなかった。

「なんだ…そのツラは?」
バレンティノの素顔を見たメレディスク公爵はポカーンとしていた。

バレンティノの素顔は驚くべきものだった。

なんと、両頬に赤褐色の太い十字架のタトゥーの様なものが刻まれていたのだ。

十字架の縦線は首まで伸びており、横線の両端は耳と鼻筋の手前に位置していた。

それは、もし夜道などで偶然見かけたら、思わずギョッとしてしまう様な風貌だった。

「フフフ…本当はこんな所で見せるつもりはなかったんだけどねえ。万が一エンディたちがヴェルヴァルトに敗けた時の最後の切り札として取っておくつもりだったんだけど、仕方ないよねえ。まあ何にせよ…君の相手が俺で良かったよ。」バレンティノはニヤリと不敵に笑っていた。

「…どういう意味だ?」
メレディスク公爵は、バレンティノの言った"君の相手が俺で良かったよ。"という台詞が妙に引っかかっていた。

「フフフ…プルトノア族…といえば分かるんじゃない?どこかで聞き覚えあるよねえ?」

バレンティノがそう言い放つと、メレディスク公爵の表情は一瞬にして強張った。

「プルトノア族…だと…?まさかあんた…あいつらの末裔だってのか!?そんな馬鹿な…!」
メレディスク公爵は耳を疑い戦慄した。

「フフフ…いかにも。」

メレディスク公爵は、まるで何か恐ろしいものでも見る様な目つきでバレンティノを凝視し、無意識に2歩後退りしてしまった。



プルトノア族とは、500年前に神国ナカタムで幅を利かせていた闇払いを生業とする民族だ。

しかしユラノスの死後、神国ナカタムが滅亡し行き場を失った彼等は、身を潜めながら虎視眈々と魔族たちに復讐を果たす機を伺っていた。

闇払いであった彼等は、魔族たちの弱点を塾知していた。

特殊な魔術を使用し、魔除けの術式を編み出しては魔族たちを悉く撃退していたのだ。

しかし、彼等の魔術はあくまで魔族達を自分達から遠ざけることのみに特化しており、攻撃力は皆無であった。

当然、ラーミアの様に魔族の攻撃を無効化することもできなかった。

しかし魔族達にとってプルトノア族が厄介で面倒な存在である事に変わりはなく、当時冥花軍のメンバー達はかなり手を焼いていた。

そこで打開策を講じたのが、メレディスク公爵だった。

メレディスク公爵は、プルトノア族に戦闘能力が無いのを良い事に、彼等に病魔の呪いをかけたのだ。

それは、対象者を一切の治療法の無い原因不明の不治の病に至らしめるという恐るべき呪いだった。

さらにその呪いは、対象者と同じDNAを持つ全ての人間を呪いの対象としてしまうのだ。

つまり、たった1人でもその呪いをかけられれば、その者の血縁関係者、これから新たに産まれてくる者までもが呪いの標的となってしまう。

その呪いにかけられた者は、人体の血管、神経、臓器の機能が完全に停止して確実に死に至る。

この呪いの真に恐ろしきは、肉体の機能が完全に停止するまでの進行スピードがとてつもなく緩やかであるという事だ。

一年という年月をかけ、肉体は徐々に衰弱していき、ゆっくりと時間をかけて機能を失い、緩慢な死を迎えるというこの上なく残酷な呪いだった。

メレディスク公爵は、この呪いによってプルトノア族はとっくの昔に絶滅していたものだとばかり思っていた。

そのため、今自身の目の前にそのプルトノア族の生き残りが立ちはだかっているという信じられない光景を目の当たりにし、言葉を失っていた。

「嘘だろ…500年もの間…生き残ってたってのかよ…なんで…?」
メレディスク公爵は衝撃のあまり開いた口が塞がらなかった。

「フフフ…君達が社会不在の間、俺たちプルトノア族は進化の一途を辿ってたんだよ。俺の顔に刻まれた2本の十字架は、いわば生命維持装置。これのお陰で、俺は今日まで生きてこれた。まあ、現在プルトノア族は俺を含めて、もう30人も生き残ってないんだけどねえ。」バレンティノがそう言うと、メレディスク公爵は小馬鹿にする様にニヤリと笑った。

「生命維持装置ねえ…ってことは俺の呪いは、500年経った今も克服できてねえって事だな?」

「フフフ…その通り。俺の体も君の呪いのせいで病魔に侵されている。だから俺たちプルトノア族は、30を過ぎたらみんなポックリ死んじゃうんだよねえ。」

「はっ、そりゃ同情するぜ。なんかごめんな?」メレディスク公爵は皮肉な笑みを浮かべた。

「フフフ…俺も今年で30歳になった。余命幾許も無いと思っていたけど、ここで君と巡り会えた運命の悪戯に感謝しなきゃねえ。」
バレンティノがそう言い終えると、バレンティノの両頬に刻まれた十字架が、突如発光し始めた。

「なんだよ…これ…?」
十字架が発行した途端、メレディスク公爵の全身に電流の様なものがビリビリと走った。

「フフフ…言い忘れていたけど、この十字架は生命維持以外に、もう一つ役割があるんだよねえ。それは…呪い払いだよ。」

バレンティノはそう言い終えると、凄まじい殺気を放ちながらメレディスク公爵に斬りかかった。

反応が遅れたメレディスク公爵は脇腹を斬られて出血した。

「うおおっ!痛え!なんで俺の身体が斬れた!?俺へのダメージは全て…お前の仲間にいくはずだぞ!?」メレディスク公爵はパニック状態に陥っていた。

その余りの慌てぶりを、バレンティノは情けなく思っていた。

「フフフ…俺たちプルトノア族の先祖達が使っていた闇払いの力は、もうとっくの昔に途絶えていたんだ。どうしてだと思う?それはね…君達魔族が封印されたから、闇払いの力はその必要性をなくし、後世へと伝承されなくなったからだよ。でも、君達が封印されても、この忌々しい呪いだけは残り続けた。夥しいほどの年月が経っても消える事なくね。だから俺たちの先祖は闇払いの力を捨てた代わりに、呪い払いの力をつける事に尽力して、それを後世へと伝承していったんだよねえ。」
バレンティノはゆったりとした口調で言った。

「なるほどね…病気は克服出来なくても、呪いを払う術を身につけていたってわけか…。」
メレディスク公爵は必死に平静さを装っていたが、その表情からは隠しきれないほどに余裕の無さが滲み出ていた。

「フフフ…別にどうでも良かったんだけどねえ。30過ぎて死んじゃうのも運命だと思って受け入れてたし、先祖の無念とかどうでもいいし。でもね…呪いをかけた張本人が、時空を超えて俺の前に現れたんだ。ここで君を殺し損ねたら、末代までの恥だからねえ。」
バレンティノは両手で剣を握りしめ、鋒をメレディスク公爵に向けた。

「つまらねえ心配すんなよ、お前が末代だからよ。呪いが効かねえなら、力であんたをねじ伏せてやる!」

メレディスク公爵はそう言い終えると、全身から黒い蒸気の様なものを放出させた。

冥花軍筆頭戦力が放つ闇の力は、恐るべきものだった。

近くで戦闘を繰り広げていたバレラルクの戦士達も魔族の戦闘員達も、慌てふためきながら逃げるように上階へと避難していった。

「フフフ…最期に1つだけ尋ねたいんだけど、君が死んだらプルトノア族にかけられた呪いは解けるの?」
バレンティノは余裕のある表情で尋ねた。

「ああ、俺の息の根が止まれば全ての呪いは解ける。だが安心しろ、最期を迎えるのはあんただからよ!」
メレディスク公爵は両手をバレンティノにかざした。

すると、両手の掌に闇の力を集め、直径約5メートルほどの黒い球体を完成させた。

「死に損ないが調子こくなよ?今度こそ一族郎党根絶やしにしてやるよ!」

メレディスク公爵は強烈な黒い破壊光線を放とうとした。

しかし、バレンティノは一切避けるそぶりを見せず、剣を握ったまま立ち尽くしていた。

不審に思ったメレディスク公爵の心に、一瞬だけ隙が出来た。

それが命取りだった。

バレンティノはその一瞬の隙を見逃さず、メレディスク公爵を一刀両断した。

メレディスク公爵は闇の破壊光線を放つ間も、息をつく間もなく真っ二つに斬り捨てられてしまったのだ。

「て…てめぇっ…!」
メレディスク公爵は血走った目でバレンティノを睨みつけながらゆっくりと倒れていった。
そして、背が床につく頃には絶命していた。

「フフフ…卑怯なことしてごめんね。呪いの因果は断ち切らせてもらったよ。」
バレンティノはニヤリと笑い、剣を鞘にしまった。

魔界城一階での死闘、勝者バレンティノ。













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