輪廻の風 3-51



「うぎゃー!うぎゃー!」
ジェイドに頭を掴まれ、宙吊りになるルミノアの大きな泣き声が城内に響き渡った。

一向に泣き止む気配のないルミノアを見て苛立ちを募らせたジェイドは、更に強い力でルミノアの小さな頭を乱暴に掴んだ。

「やめて!ルミノアちゃんが死んじゃうよ!」
「ルミノアちゃんを離しなさいよ!」
あまりの痛ましい光景を見て、居ても立っても居られなくなったモエーネとジェシカが、ジェイドに向かって怒鳴りつけた。

ジェイドはそんな2人を酷薄な笑みで嘲笑っていた。

「ヒャハハッ!うるせぇよ!だったらてめえらが救ってみやがれ!それともこのクソガキと代わって、まずはてめえらが先に死ぬかぁ!?んなこと出来ねえよなぁ!てめえらみてえな弱っちい馬鹿女共にはよぉ!このクソガキに同情してるフリして、内心じゃ"ああ、自分じゃなくてよかった…。"って安堵してんだろ!?あぁ!?」

泣き止まむルミノア。
それを為す術なく見つめる事しか出来ないカイン。

状況は最悪だった。

カインは再び、徐々に呼吸が荒くなっていき、過呼吸が再発しかけていた。
ドクドクと心臓の鼓動も大きくなり、脈拍も上がってきた。

「ヒャハハッ!カインちゃんよぉ、男ならこのクソガキごと俺をぶっ殺してみろよ!それくらいの気概見せてくれよ!下らねえ感情なんざ捨てちまってよぉ!昔みてえに冷酷な殺戮マシーンに戻ってみろや!」
ジェイドは、カインの冷たい血を再び呼び起こし、その様を見てみたいという欲求に駆られていた。

だが、やはりカインは微動だにせず、ただ呆然と立ち尽くしながらルミノアを見つめているだけだった。

すると、アマレットがゆっくりと歩き出し、ジェイドの目の前で立ち止まった。

アマレットの表情は、一見すると毅然としているように見えたが、よく見るとその表情は怯えていた。

手足はプルプルと小刻みに震えており、それを必死に隠そうと、凛とした態度をとり強い姿勢を取り繕っていた。

瞬時にそれを見抜いたジェイドは、アマレットを心底小馬鹿にしたような嫌な笑みを浮かべた。

「殺すなら…殺すなら私を殺して…!だから…お願いだからルミノアを離して…!」
アマレットは声を震わせ、涙を堪えながら言った。

それは、愛する娘を護りたいという強い気持ちが、自身の生命が脅かされる恐怖心を遥かに凌駕した末の行動であった。

一部始終を見ていたカインは、更に血の気がひいて恐ろしくなってしまった。

「何言ってんだよアマレット…?早くそいつから離れろ!殺されるぞ!」
ようやく口を開いたカインは、激しく取り乱していた。

「ヒャハハッ!馬鹿じゃねえのてめえ!このクソガキぶっ殺したらよぉ!次はてめえらを殺すんだよ!俺って優しいだろぉ!?全員仲良くしっかり後を追わせてやるんだからよぉ!」

ジェイドがそう言い終えると、アマレットは何か大きな覚悟を決めたような力強い表情で、ジェイドの顔を直視し始めた。

「そう…何があっても、ルミノアを殺すって事ね…。その後は私たちを…。」
アマレットは小さな声で言った。
その声には、何か不思議な力強さがあり、更に手足の震えも止まっていた。

どうらや、アマレットに何かしらの心境の変化が訪れ、その大きな覚悟は確固たるものになったようだ。

「ヒャハハッ!おいおい冗談やめろよ!まさかてめえ俺と闘り合う気かぁ!?無理すんじゃねえよ!怖いくせによぉ!」
ジェイドの挑発にもアマレットは物ともせず、一貫して強気な姿勢をとっていた。

「怖い?母の愛なめんじゃないわよ!私は…母親としてまだ日も浅いし、歳だってまだ18…至らない所だって多いし人間としてもまだまだ未熟だし…良妻賢母とは程遠いわ?でもね…お腹痛めて産んだ大事な天使を護るためだったらなんだってするわよ!こんな命いくらでもくれてあげる!あんたなんかちっとも怖くない!さっさとかかってきなさいよ!」

アマレットは強い口調でジェイドを捲し立てた。
その姿は、子を愛し慈しむ強き母そのものだった。

「やめろアマレット!焚きつけるな!ルミノアが危ねえ!」
カインは熱くなるあまり、冷静な判断能力を完全に失っていた。

そんなカインを宥めるように、アマレットはカインに優しい眼差しを向けた。

そしてニコリと微笑みながら「カイン…私はあなたを信じてる。だから、あなたも私を信じて?」と言い、シークレットサインを送るように軽くコクリと頷いた。


アマレットの強い覚悟を受け取ったカインは、そっと両目の瞼を閉じた。

そして呼吸を整え、スーッと深呼吸をし、パッと両目を見開いた。

その目には、先ほどまでの焦燥感は完全に消えており、一点の濁りもない、強い目へと変貌していた。

「はははっ、悪いな2人とも。俺、専業主夫失格だな。こんなんじゃ一家の大黒柱は務まらねえぜ。」
カインは小声で呟いた。

そして、ビッとした毅然な態度で、ジェイドに対して好戦的な姿勢をとった。

そんな2人の態度が、ジェイドの逆鱗に触れてしまったようだ。

「ヒャハハハッ…下らねえ家族愛だなぁおい!とんだ茶番だぜ!他所でやれやバーカ!」

「お前が下らねえと思う家族や仲間と過ごす時間はな、俺がずっと欲しかったかけがえのないもんなんだよ!やっと手に入れた幸せな日々なんだよ!それを脅かすってんなら容赦しねえぜ?なあジェイド、出来ればお前にも、この幸せを分けてやりてえぜ。」

カインが放ったその言葉は、ジェイドの様な冷酷な男には決して理解できないものだった。


「ヒャハハッ!じゃあよ…てめえらの大事な馬鹿娘が貪り喰い尽くされる瞬間!しっかりその目に焼き付けておけよぉ!さあ、こっからがショータイムだぜぇ!!」

ジェイドはそう叫び終えると、背後に待ち構えるヴァンパイア達に向かってルミノアを放り投げた。

高笑いをするジェイド。
大泣きをしながら宙を舞うルミノア。
涎を垂らしながらルミノアに飛びつこうとする数十体のヴァンパイア達。
身を切られる思いでそれを見つめるラーミア達。

しかし、カインとアマレットは一切物怖じせず、凛としていた。

ルミノアは緩やかな速度で、ヴァンパイア達の元へと落下していった。

まるで、その場だけ時が止まっているかと錯覚してしまうほどに、緩やかな速度だった。

空腹状態のヴァンパイア達は、我先にと挙ってルミノアに喰いつこうとしていた。

すると、突如驚くべき事態が巻き起こった。

それは、ほんの一瞬の出来事だった。

何と、ヴァンパイア達の足元から、ボワっと強烈な炎が発生したのだ。

「ぐぎゃあああぁぁ!!」
ヴァンパイア達は一瞬うめき声をあげたあと、呆気なく灰燼と化してしまった。

しかし、このままではヴァンパイア達を燃やし尽くした豪火の渦に、ルミノアが落下してしまう。

そこで、杖を取り出したアマレットが、ルミノアに照準を合わせて「テレポート!」と唱えた。

するとルミノアの姿がパッと消え、アマレットの腕へと瞬間移動をしていた。

息を呑むほど見事な夫婦の連携プレーで、アマレットの命は間一髪のところで助かった。

「なんだぁ!?何が起きたぁ!?」
ジェイドはそう叫び終えた直後、頬にカインの怒りの拳をお見舞いされた。

ジェイドは呆気なく吹き飛ばされ、地に背をつけて倒れ込んだ。

「うわあぁぁぁん!」
アマレットの腕に抱かれていても、それでもルミノアは泣き止まなかった。

やはり、先ほどの出来事が相当恐ろしかったのだろう。

「泣くなよ、ルミノア。」

カインが優しくそう言うと、ルミノアはピタリと声を鎮めた。

泣き声は止んだが、それでもまだヒックヒックと嗚咽をしながら、涙は止まらずにいた。

「クソがっ!なめてんじゃねえぞてめぇらぁ!!」

ジェイドは怒号を発しながら勢いよく起き上がり、鋭い眼光でカインを睨みつけていた。

カインはジェイドと視線を合わせたまま、冷静且つ泰然自若な姿勢を崩さなかった。

そして、背後に居るアマレットとルミノアに対し、黙して背で語る様な力強い姿勢をとっていた。

「アマレット、ルミノア…よーくその目に焼き付けておけよ?これが…戦う亭主の生き様だぜ?」
カインはニコッと微笑みながら、背後の妻子に語りかけた。

それは、何が何でもこの戦いに勝ち、2人を護り抜くという強い意志の現れだった。

アマレットはそんなカインの後ろ姿に胸を打たれ、ジーンとしていた。

不思議なことに、アマレットはすっかりと泣き止んで、ボーッとカインの大きな背中を見ていた。

するとアマレットはルミノアの頭に優しくポンッと手を置き、「ルミノア…よーく見ておきなさい。大きくなっても忘れちゃダメよ?こんなカッコいいパパ、世界中探したってどこにもいないんだからね。」と、感極まり目に涙を溜めながら言った。

するとルミノアの表情はみるみる内に明るくなり、笑顔が溢れていた。
キャッキャっと楽しそうに笑いながら、まるでカインを応援しているようだった。

「かかってこいよ、張り子の虎野郎。雲泥以上に隔ったってる格の差を見せてやるからよ。」

カインは余裕の笑みを浮かべ、ジェイドに向けた右手人差し指をクイクイッと2回動かしながら言った。

ジェイドは怒りでプルプルと打ち震えていた。

「アマレット!俺とジェイドを城外へ瞬間移動させろ!」
カインがそう指示を出すと、アマレットは何の迷いもなく2人を城外へと飛ばした。

ジェイドを倒すには相当な火力が必要となる。
城内にいれば、仲間を巻き込んでしまう。
だからカインは、人の居ない城外で決着をつけようと決めたのだ。

「ヒャハハッ…ヒャハッ…おもしれえ…おもしれえじゃねえかよぉ…なぁ、カインちゃんよぉ!いいぜ…そんなに死にてえなら望み通りぶっ殺してやるよぉ!死んで後悔しやがれ!風呂屋の釜野郎ぉ!!」

ジェイドは大声で喚き散らしながら空中を浮遊し、上空へと急上昇し、ピタリと止まった。

「もう一度殺人鬼に堕ちりゃあ長生きできたものを!この世界はなぁ!悪党や外道にとっちゃ聖地みてえに生きやすい場所なのによぉ!勿体ねえなぁカインちゃん!」

ジェイドは両眼をピカッと黒光りさせた。
眩しくて、思わず目を瞑ってしまいそうになるほどの黒く禍々しい光を発すると同時に、強大な黒炎を放出した。

その黒炎は、まるで空から巨大津波が押し寄せてきたかのような、凄まじい質量だった。

また、万が一にもこれが地上に直撃しようものならば、魔界城はおろか、辺り一帯が荒涼とした原野と化してしまうほどの、恐るべき破壊力を秘めていた。

しかし、カインは一切動じていなかった。

上空から押し寄せてくる強大な黒炎に向かって、カインもまた、凄まじい破壊力を秘めた豪炎を上空へと向かって放った。

赤き炎と黒き炎の衝突。
2つの力は拮抗していたかのように見えたが、カインは徐々に押され始めた。

黒炎は緩やかに、カインの放った炎を侵食するかのように呑み込んでいった。

しかし、カインは臆することなく、決して諦めなかった。

「隔世憑依 太陽の化身(アラヌウス)」
カインがそう唱えると、形成は瞬く間に逆転した。

カインの放った炎は凄まじい熱量を帯び、白く発光していた。

ジェイドは、まるで地上に太陽でも誕生してしまったのか?それとも、火山が大噴火して膨大な量のマグマが昇ってきたのか?と、催眠にも似た奇妙な感覚に陥り、ジワリと嫌な汗が額に滲んだ。

「ジェイド、確かに俺は業の深い人間だよ…そこら辺の誰よりもな。それは自分が一番よく分かってる。けどな、こんな俺にも、信じ合える仲間が…愛すべき家族が出来たんだ。昔はこんな未来、とても想像もできなかったけどよ…今じゃこんな生き方も悪くねえなって思えるし、自分のことも意外と好きになれたぜ?だからよ…相手が誰であろうと…どんな正当な利用があろうと…俺から大事なもん奪おうってんなら許すわけにはいかねえんだよ!」

カインは声高らかにそう叫んだ。

すると、カインの放った豪炎が黒炎を一息に呑み込んだ。

「ちくしょおぉぉぉ…ちくしょおおぉ!!このままで済むと思うなよてめぇ!!祟り殺してやるからなぁ!!」
ジェイドはこの上なく悔しそうに捨て台詞を吐いた。

その直後、ジェイドはカインの放った豪炎にその身を包まれた大敗を喫した。

「地獄で閻魔に懺悔しな…俺を本気で怒らせた事をよ。」

魔界城城外、バレラルク王國王都ディルゼン跡地での戦い、勝者カイン。












この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?