輪廻の風 3-55



イヴァンカに敗北したルキフェル閣下は、生と死の狭間を彷徨っていた。

深い斬り傷による出血多量と、黒い雷の直撃により内臓損傷数箇所、またそれらの外傷による人体の壊死。

もはや身動き一つ取れぬほどに身体中はボロボロだった。

そんな中でも、ルキフェル閣下は意識を取り戻した。
恐るべき生命力だった。

薄れゆく意識の中でゆっくりと瞼を開くと、何者かに肩を担がれ、人気のない場所へと移動させられている事が分かった。

うっすらと開いた瞼から、目を微かに横に動かすと、自身の肩を担ぐ男の正体を確認した。

その男は、ジェイドだった。

「ヒャハッ…閣下ぁ…お目覚めですか…。」

「…ジェイド…さん…?」

なんと、ジェイドは生きていたのだ。

しかし、カインに大敗を喫したジェイドもまたルキフェル閣下と同様にかなりの重傷を負っていた。

その表情は、いつ死んでもおかしくないほどに生命力のカケラも感じられなかった。

「ヒャハッ…俺、カインちゃんに負けちゃいましたぁ。あの野郎とんでもねえ炎ぶっ放しやがって…ぜってぇ即死だと思ったんすけどねぇ…やっぱ俺みてえに強え男は、中々死ねねぇのが玉に瑕っすねぇ…。」

「ジェイドさん…あなた…何をしているんですか…?」

ジェイドは城内4階の隅っこにある瓦礫の山の下に空いた狭いスペースまで丁重にルキフェル閣下を運び込み、自身もそのスペースにドサッと座り込んだ。

「ヒャハハッ…俺が負けるなんて考えた事もなかったっすよ…こんな醜態誰にも見せたくねえからよぉ…人知れずひっそり息絶えようと思ったんすけど…もう死ぬと分かったら、最期にどうしても…あんたに会いたくなったんだ…閣下ぁ…。」

ジェイドのこの何気ない一言が、ルキフェル閣下のプライドを傷つけてしまった。

「やめてください…情けなどかけないで下さい。私は敗けたんです…敗けた上に部下に情けをかけられるなど…!」

ルキフェル閣下は屈辱感に苛まれていた。

すると、ジェイドは少しムキになり、ルキフェル閣下に怒鳴りつけた。

「閣下は敗けてねえっす!閣下は誰にも敗けねえ!閣下は…閣下は何も間違ってねえっす!だからそんな情けねえ事言わねえで、いつもの閣下らしくビッとしてて下さい!」

「ジェイドさん…。」

「ヒャハッ…忘れないでくださいよぉ…俺は閣下のこと、絶大に支持してるんすからねぇ…。なんたって閣下は最強ですからぁ…!」

ジェイドは孤児だった。
500年前、ヴェルヴァルト大王によって陥落させられ血に染まった神国ナカタムで、ジェイドはたった独りで生き抜いてきた。

そんなジェイドを救ったのがルキフェル閣下だったのだ。

ルキフェル閣下はジェイドに戦う術を徹底的に教え込み、またジェイドはそんなルキフェル閣下に追いつけるよう、血の滲むような鍛錬を重ねてきた。

結果、ジェイドは魔族の最高位、冥花軍の筆頭戦力にまで上り詰めたのだ。

そんなジェイドがルキフェル閣下に感じている恩と忠誠心の深さは計り知れなかった。

ジェイドは、自身の命に終わりが訪れる前に、なんとしても心酔してやまないルキフェル閣下を助け出すために、命からがらこの場所まで馳せ参じたのだ。


「ヒャハッ…閣下ぁ…死なないで下さいねぇ…。頑張らなくていいから…無理しなくていいから…とにかく生き延びてくださいねえ…。生きてさえいてくれりゃあ…それで…いいです…から…。」

ジェイドは最後の力を振り絞り、今にも消え入りそうなか細い声でそう言った。

ジェイドはゆっくりと目を閉じ、安らかに息を引き取った。


ルキフェル閣下の右目からは、一雫の涙がツーと溢れた。

皮肉な事にルキフェル閣下は、自身を慕う部下の死と、また自分自身の命に終わりが近づいている今の状況で、初めて部下の大切さに気が付いたのだ。

「ありがとうございます…ジェイドさん…。」
ルキフェル閣下は、誰にも届かない小さな声で呟いた。


そして、現在の魔界城の戦況は、魔族53000対バレラルク1000。

強力な敵幹部である冥花軍が壊滅したとはいえど、バレラルク側は非常に厳しい戦いを強いられていた。

頼みの綱である天生士たちも、度重なる激闘の末心身共に憔悴しきっており、限界が近づいていた。

例え敵の首領であるヴェルヴァルト大王を討ち取ったとしても、この大きな戦力差は縮まる事はないだろう。

しかしそれでも、冥花軍が壊滅した今、バレラルク側の筆頭戦力達は、ヴェルヴァルト大王を討ち倒すべく戦う以外の道は残されていなかった。

魔界城5階にいるマルジェラ達は、エンディの加勢に向かうべく、最上階を目指していた。


5階には、イヴァンカによって殺された無数の魔族達の亡骸が散乱していた。

更に、ルキフェル閣下との戦いにより発生した巨大な雷の柱と、それにより上階に空いた巨大な穴。

「もう嫌だああぁぁ!!お家帰りたいよおぉぉ!!」
「チキショーー!!やっぱこんな所来るんじゃなかったぁー!!」

ダルマインとクマシスは、現在置かれている状況に完全に怖気付き、弱音ばかり吐いていた。

マルジェラ達はそんな2人の泣き言を華麗に無視し、天井に空いた穴から最上階の様子を伺っていた。

そこには、ヴェルヴァルト大王と激闘を繰り広げる満身創痍のエンディの姿があった。

金色の風と闇の力。
凄まじい力の奔流の衝突は凄まじい波動を生み、その余波は下階にまで届いていた。

固唾を飲んで空を見上げるマルジェラ。
ドクドクと脂汗が止まらないエスタとアベルとラベスタ。
今にも意識が遠のきそうなサイゾーとジェシカとモエーネ。
泣きじゃくるダルマインとクマシス。

反応は様々だった。


「肌がヒリヒリする…。」
ロゼ、エラルド、ノヴァの治療を続けるラーミアがボソリと呟いた。

最上階での死闘による衝撃波により、ラーミアは本能的に恐怖を感じていたのだ。

「ラーミア、この3人は大丈夫そう?」
ルミノアを抱いたアマレットが尋ねた。

「ノヴァ君とエラルド君は順調に回復しているけど…問題はロゼ国王ね…。意識は取り戻しつつあるんだけど、身体中の筋組織がボロボロで…。」
ラーミアはこの上なく深刻そうな顔で答えた。


ロゼはヴェルヴァルト大王と戦った際に解放した神槍ヘルメスの影響で、身体を酷使しすぎてしまっていた様だ。

ラーミアの治療で人体は再生しつつあるとはいえ、全快になるまでにはかなりの時間を要してしまうそうだ。

「国王様….!!」
モエーネは声を押し殺して泣き崩れた。
敬愛するロゼの痛ましい姿に、心を痛めている様だ。
「大丈夫…大丈夫だから…!」
ジェシカは涙ぐんだ顔で、そんなモエーネの背中を優しくさすった。

ロゼは薄れゆく意識の中、懸命に生きようと奮闘していた。

「ロゼ…てめえ死ぬんじゃねえぞ!」
エスタは、そんな主君の姿に心を打たれていた。


「おやおや愚民の諸君…こんな所で雁首揃えて、何を立ち止まっているんだい?」

イヴァンカが5階に姿を表した。

「イヴァンカ!?」
マルジェラは、傷だらけのイヴァンカの姿を見て驚いていた。

イヴァンカがここに来たという事は、ルキフェル閣下を撃破したんだと皆は総じて確信していた。

しかし、あのイヴァンカをこれほどまでに追い詰めたルキフェル閣下も、やはり相当強かったのだと、マルジェラ達は背筋が凍りつく様な思いに駆られた。

「やっほー!みんな元気ぃ!?」
今度は、満面の笑みで手をブンブンと振りながら、モスキーノが登場した。

「フフフ…どうやらみんな無事みたいだねえ。今の所は。」
モスキーノに続き、バレンティノも姿を表した。

その次にアズバールが、無言のまま5階に姿を表した。

最後に5階にたどり着いたのは、カインだった。

カインは「よう。」と一言だけ挨拶をし、颯爽と歩いていた。


「これで全員揃ったね。さあみんな、早くエンディの加勢に向かおう!」
アベルは皆を急かす様にそう言った。

すると、マルジェラとモスキーノが異論を唱えた。

「待て、もちろん加勢には行くべきだが…全員で行くのはダメだ。」
「同感〜!下の階には、ざっと5万体位の魔族どもがいる。ヴェルヴァルトを倒すのも大事だけど、そいつらを食い止めるのが先決だと思うよー!」


「フフフ…ヴェルヴァルト1人に戦力を注いだ結果、大量の雑魚どもに一網打尽されちゃあ元も子もないからねえ。」
「ククク…だったら二手にバラけるべきだな。」
バレンティノとアズバールが言った。

「上に行ってエンディの加勢に行く者と、下に行って大量の魔族どもを撃退する者で戦力を分散させよう。」
マルジェラは冷静に、一つの案を出した。

「その必要は無い。ヴェルヴァルトの首をとるなど、私1人で充分だ。雑魚どもの始末は君達に任せるよ。」
「おいイヴァンカ!勝手な事言ってんじゃねえぞ!」
カインとイヴァンカはバチバチと睨み合い、一触即発の状態になった。


すると、誰も想像し得なかった、驚くべき事態が巻き起こった。

それは、あまりにも唐突に起こった、一瞬の出来事であった。

彼らは話し合いに夢中になる余り、油断してしまっていたのだ。
そして、忘れていたのだ。
全員が揃ったこの城内5階に、"内通者"が存在しているかもしれないという可能性に。


5階から何者かが突如、天井に空いた穴、つまり最上階に向かって、強大な闇の破壊光線を放ったのだ。

太い丸太の様な黒い光線は、一直線に上へと突き進んでいった。

5階にいたバレラルクの精鋭達は震撼した。

冥花軍が壊滅した今、まだこんなにも強力な破壊光線を放てる魔族がいるという事実に。
そして何より、それ程の手練れが、ごく身近に潜んでいるという恐るべき事実に。

「おい…なんだよ今のは…!?」
カインは唖然とし、恐る恐る天を仰いだ。
一体、この破壊光線は誰を狙って放たれたのか。
またその破壊光線は、放った者の狙い通りに命中したのか。
とても正気ではいられなかった。


全員は恐る恐る、天井に空いた穴から最上階を見上げた。

なんと最上階から、傷だらけのエンディが白目を剥きながら、天井の穴から5階へと緩やかに落下してきたのだ。

「エンディ…そんな…嘘でしょ…!?」
ラーミアはあまりの衝撃に両手で口を抑え、ボロボロと涙を流して絶句していた。


「余の戦いの邪魔をするとは…余計な真似をしおって。」
最上階のヴェルヴァルト大王は、下の階へと落下するエンディを見下ろしながら、不機嫌そうに言った。

ヴェルヴァルト大王のこの言葉は、エンディとの戦いに不作法な横槍を入れた"内通者"に対して向けられたものだった。

エンディに攻撃を放った内通者を目撃した者は、誰も居なかった。
ある1人を除いて…。

魔界城最上階での戦い、敗者エンディ。









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