輪廻の風 3-54



イヴァンカは剣を握り、刀身をルキフェル閣下に向けたまま立ち尽くしていた。

しかし、自身のいかなる攻撃もルキフェル閣下の前では無効化されてしまう現実を前にしても、茫然自失となったわけでもなく、遠い目をしながらルキフェル閣下に視線を合わせていた。

ルキフェル閣下はイヴァンカに何度も斬りかかった。

凄まじい威力を秘めたルキフェル閣下の斬撃に対し、イヴァンカはひたすら防御に徹するのみで、一切反撃をしなかった。

「おやイヴァンカさん、もしかして無抵抗主義ですか?万策尽きて孤立無縁…挙句の果てには無抵抗とは失笑ですね。雷帝の名が泣きますよ?」
ルキフェル閣下の挑発に、イヴァンカは顔色ひとつ変えず、ただひたすらにルキフェル閣下の斬撃を防ぐのみだった。


幸いにも傷口は浅かったが、イヴァンカは右肩と腹部を斬られてしまい、傷を負ってしまった。

しかし、それでも尚、痛みを感じるそぶりすら見せず、何事も無かったかの様に黙々とルキフェル閣下の剣技を防いでいた。


すると突如、飄々としていたルキフェル閣下の顔色が一瞬こわばった。

イヴァンカから、とてつもない殺気を感じたからだ。

イヴァンカは両手で力一杯剣を振り下ろした。
それは、ルキフェル閣下が今まで見たこともない様な威力だった。

ルキフェル閣下は咄嗟に後方へと下がったが、イヴァンカの剣は胸部に直撃した。

なんとその際、ルキフェル閣下の胸部には、斬り傷が生じてしまったのだ。

傷はそこまで深くはなかったが、ルキフェル閣下の患部からは僅かに血飛沫が噴出した。

「ばかな…なぜ…!?」

ルキフェル閣下は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。

イヴァンカは、不敵にニヤリと笑った。

「なるほど、読み通りだ。君の人体に施された私の攻撃に対する耐性とは、私が放つ最大出力以下の全ての攻撃を無効化するもの。つまり、君が解析した私の攻撃の最大出力、それを上回る斬撃ならば、君に届くと言うわけだ。」

「まさか…そんなことが!?」

「出来るさ。この私を誰だと思っているんだ?」

イヴァンカは鬼の首を取ったような顔をしていた。

「なるほど…まさかここまで理屈や道理が通じないとは思いませんでしたよ。やはり貴方は恐ろしい人だ。しかし、所詮は付け焼き刃。今の斬撃も解析済みです。先程までの最大出力…限界を上回る攻撃など、そう何度も繰り出せるものではないでしょう?」

ルキフェル閣下の表情は、再び余裕に満ち溢れ始めた。
イヴァンカの攻撃が摩訶不思議な魔術の類ではなく付け焼き刃だと知り、安堵していたのだ。


「隔世憑依 天罰の万雷(メネジストルトニス)」

イヴァンカは、なんの前触れもなく、あまりにも唐突に隔世憑依の形態に入った。

隔世憑依により飛躍的に上昇した攻撃力を解析される前に、ルキフェル閣下を殺してしまおうという算段だったのだ。

しかし、ルキフェル閣下は一切物怖じしていなかった。


隔世憑依の形態に入ったイヴァンカの身体は青紫色に発光しており、身体中に凄まじい電気を帯び、ビリビリと激しいスパーク音の様なものを発していた。


イヴァンカは雷の速度で瞬く間にルキフェル閣下に詰め寄り、雷を帯びた剣をルキフェル閣下の喉元に突き刺した。

イヴァンカの攻撃の余波により、魔界城4階フロアは見る影もなく崩壊した。

そしてその余波は、上階である5階から最上階にまで及んだ。

半径50メートルにも及ぶ円柱型の雷の渦は、まるで青紫色の火柱の様に大空へと昇っていった。

「イヴァンカめ…暴れすぎだろ…!」
最上階でヴェルヴァルト大王と激闘を繰り広げていた瀕死のエンディは、突如空へと昇る巨大な雷の渦を見て恐れ慄き、空いた口が塞がらなかった。

5階にいたマルジェラ達は、イヴァンカに殺された20000体ほどの魔族達の死体の山に驚嘆しかたと思えば、今度は下階から突き上げてきた巨大な雷の柱に驚かされ、心が追いつかず絶句していた。


そして、これ程の破壊力を秘めた攻撃の直撃を受けたルキフェル閣下はというと、なんと無傷だった。

イヴァンカの剣の鋒はルキフェル閣下の首を貫くことはできず、強烈な雷にその身を呑まれても尚、傷の一つも負っていなかった。

「残念でしたね、イヴァンカさん。貴方の隔世憑依は既に解析済みです。」

しかし、ルキフェル閣下が得意げにそう言っても、更にこの状況下でも、イヴァンカは澄ました顔をしていた。

ルキフェル閣下はその態度が気に入らなかったらしく、微かに眉を細めた。

「イヴァンカさん、一つ面白いことを教えて差し上げましょう。私が司る"ストレリチア(極楽鳥花)"のもう一つの花言葉は…"全てを手に入れる"です。」


ルキフェル閣下が酷薄な笑みを浮かべながらそう言い放つと、イヴァンカは強い警戒心を抱いた。

なんと、ルキフェル閣下は左手の掌から、強烈な雷を放出させたのだ。

イヴァンカは至近距離でその雷の直撃を受けてしまった。

全てを手に入れる。
そう、ルキフェル閣下はイヴァンカの能力をその身に取り込んだのだ。


イヴァンカは咄嗟に剣を振るって防御を試みたが、雷を相殺し切ることが出来ず、全身に火傷を負ってしまった。

人体は感電し、思う様に体を動かすことが出来ず、片膝をつき肩で息をしながら俯いていた。

「ふっ…あははははっ!イヴァンカさん!御自慢の雷にその身を包まれた気分はいかかですか?隔世憑依などしたところで、最早貴方の力など私の前では無力です!更にその傷ついた身体では、先ほどの様に最大出力を超えた力を放つことなど不可能!更に私は貴方の能力を手に入れた…どう足掻いても、貴方はここで私に殺される未来しか訪れませんよ!」

ルキフェル閣下は勝利を確信し、完全に過信していた。

その為、不用心にもイヴァンカの眼前まで距離を詰め、声高らかに笑っていた。

イヴァンカは片膝をついて俯いたまま、うんともすんとも言わなかった。

そして隔世憑依の形態を解除し、元の姿へと戻ってしまった。

「さようなら、イヴァンカさん。貴方との戦い、非常に愉しかったです。こんなにも私の心を躍らせてくれる方とは、もう2度と出会えないでしょう。」

ルキフェル閣下は別れの挨拶を済ませ、イヴァンカにトドメを刺すべく剣を振り上げた。

すると、イヴァンカは俯いたままニヤリと不敵に笑った。

俯いているため口角が上がった口元しか見えなかったが、ルキフェル閣下は何やら不吉な予感がした。

今まさにルキフェル閣下が剣を振り下ろそうとしたその時だった。

イヴァンカはおもむろに左腕を上げ、左手の掌をルキフェル閣下に翳したのだ。

それは、ほんの一瞬の出来事だった。

なんとイヴァンカの掌から、魔族の基本的な戦術方法である闇の破壊光線が放たれたのだ。

イヴァンカによって放たれた黒い閃光は、ルキフェル閣下の胸部を貫いた。

ルキフェル閣下の胸部には、大きな風穴が空いてしまった。

「ぐはっ…!」
ルキフェル閣下は吐血し、両膝をついてドクドクと多量の血が流れる患部を抑えていた。

一体何が起きたのか、ルキフェル閣下は理解が追いつかなかった。

イヴァンカはスッと立ち上がり、冷酷な笑みを浮かべながらルキフェル閣下を見下ろしていた。

「閣下殿、失念していた様だね。私は2年前ユドラ帝国のバベル神殿にて、ヴェルヴァルトが封印されていた巨大水晶から闇の力を吸収していたんだよ。まあ微量ではあるがね。」

イヴァンカのこの発言で、ルキフェル閣下はようやく理解が追いついた。

イヴァンカは、ラーミアによって施された退魔の封印術、トイフェルパンドラによって2年間封印されていた。
トイフェルパンドラの封印対象は、体内に闇の力を宿す者。

これらの事実から、微量とはいえイヴァンカが闇の力を保有していた事は、少し考えれば分かることだった。

しかし、自身の能力を絶対無敵と慢心していたルキフェル閣下は、この見解に辿り着くことができなかったのだ。


「やはり思った通りだ…どうやら君のその能力、同族である魔族の闇の力を解析することは不可能の様だね。もしそれが可能であれば、君はヴェルヴァルトが持つ強大な力にも耐性をつけることができる筈だ。ヴェルヴァルトを凌駕する力があるのであれば、君はヴェルヴァルトを殺し、自身が魔族の頭領になる道を選んでいるに違いない。だが君はヴェルヴァルトに忠誠を誓っている…それは、ヴェルヴァルトが君を遥かに凌ぐ強さを誇っているからだろう?君の様に高慢ちきな男は、自分よりも弱き者になど絶対に従わないだろうからね。万能とは程遠かったね、閣下殿。」

イヴァンカは、ルキフェル閣下の全てを見透かした様な言い方をした。

そしてそれらの見解は全て的を得ていて、一言一句誤りがなかった。

ルキフェル閣下は怒りに打ち震えていた。

そして顔を上げ、血走った目でイヴァンカを睨みつけた。

「許さねえ!絶対に許さねえぞテメェ!イヴァンカてめえこの野郎!!クソガキ1匹が図に乗りやがってコラ!ぶっ殺してやる!絶対にぶっ殺してやる!この俺をコケにしやがった野郎は誰であろうと許さねえ!!1人残らずぶっ殺してやるからなあぁ!!」

ルキフェル閣下は、まるで積りに積もった恨みつらみをぶつける様に、我を忘れて癇癪を起こしていた。

イヴァンカは思わずキョトンとしてしまった。
生まれて初めて、自身の目と耳を疑ったのだ。

あの気高く冷静で強く、誰に対しても敬語で話すルキフェル閣下が、まるで豹変してしまったからだ。

それは、ジェイドやエラルドの様に気性の荒いチンピラチックな男に、人格そのものを乗っ取られてしまったと見紛う程の変貌ぶりだった。

思う存分怒鳴り声を上げたルキフェル閣下は気が済んだのか、少しだけ正気を取り戻し、苦渋の思いをしながら顔を伏せた。

「安心したまえ閣下殿、私はこう見えて口が堅いんだ。今のは見なかった事にしよう。」

イヴァンカはそう言い終えると、闇の力を帯びた黒い稲妻を刀身に纏わりつかせた。

敗北と死を悟ったルキフェル閣下は顔を上げ、イヴァンカに対して皮肉な笑みを浮かべた。

何も言葉を発さず、勿論命乞いなどは一切せず、とても潔い態度だった。


「華麗なる復讐劇など、私にとっては序曲に過ぎない。君とヴェルヴァルト、エンディにカイン…厄介で目障りな連中は須く葬り去り、人類も魔族も全て傅かせ、今度こそ万物の頂点へと立ってみせる。誇れ、新たなる神話創生の礎となる事を。」

イヴァンカは慈悲のカケラもない顔つきで言った。

そして、ルキフェル閣下に剣を振り下ろした。

解析不可能の闇の力を纏った剣と雷による同時攻撃を、瀕死のルキフェル閣下は避けることも防ぐ事も出来なかった。

上半身に深い斬り傷を負い更に出血多量、そして黒い雷に身を呑まれ、身体は灼けついた。

「愉しかったよ閣下殿。もし君が過信さえしていなければ、死んでいたのは私の方だったね…。」

魔界城4階での戦い、勝者イヴァンカ。

強力な敵幹部、冥花軍(ノワールアルメ)は壊滅した。










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