輪廻の風 3-29



生物の身体の外傷を完璧に治癒する聖なる光。

ユラノスは、この能力を以てすれば自身の肉体は不老不死になるだろうと、確信にも似た強い感情を抱いた。

老いる事のない不朽の肉体。
気づけばユラノスは、それを喉から手が出てしまいそうになるほどにまで欲していた。

人類が支配するこの惑星に、未来永劫君臨する。

人類が滅亡した先の景色を見てみたい。

滅びた文明を再興し、新しい世界を創世する。

例え地球そのものが消滅しても、不老不死にさえなればどの惑星に移住しても生存できる。

宇宙空間の環境にさえ適応できる。

世界の果て、そして宇宙の果てをこの目で見たい。

新たな惑星を創り出し、自分好みの文明を0から築き上げるのも悪くない。

考えれば考えるほどに、ユラノスの欲望は加速していった。

気がつけばユラノスは、自身が最も忌み嫌っていた強欲な人間たち以上に、欲に取り憑かれてしまっていた。

「思い立ったが吉日。俺はすぐに護衛の神官共の目を掻い潜って人気のない場所に身を隠した。」

淡々と話すユラノスの話を、エンディは緊張しながらも静かに聞いていた。


その日の真昼、ユラノスは風の力を利用して空へと飛び立った。

ユラノスは、何の前触れもなく唐突に上空へと飛んでいったため、神官達はじわりと冷や汗を滲ませながら慌てふためき、国中が騒然としたという。

その日、神国ナカタムの上空には、それは見事な入道雲がもくもくと漂っていたという。

美しい青空に漂う大きな入道雲。
誰もが夏を実感できる、美しい空だった。

ユラノスは入道雲よりも高い位置に飛び立ってしまったため、ユラノスの身を案じて上空を見上げていた神官達は、その姿を見失ってしまい更に焦燥感に駆られた。

また当時の文明では、空を飛ぶ乗り物など遠い夢物語のような話だったため、ユラノスを追う術など無かった。

追手の心配もなく雲の上に浮いたユラノスは、早速不老不死の術式を発動させた。

それは、熟考の末に編み出したものではなく、突発的に思いついた独自の手法だった。

何とユラノスは、右手で自身の胸部を引き裂いたのだ。

傷口からはドクドクと血が流れた。

しかしユラノスは、痛みよりも不老不死の悲願が実る事への高揚感で心が満たされていた。

ユラノスは胸部の傷口から全身の血液を吸いとり右手の掌に集めた。

真っ赤な大量の血液を、掌に乗るくらいのサイズにまで凝縮させ、傷を癒す際に発動させる聖なる光で包み込んだ。

赤く発光する禁断の果実が誕生した。

「やった…やったぞ…ついに…!」

ユラノスは全身の血液を失っても尚、意識を保ち胸が高鳴っていた。

ユラノスは狂気を感じさせる悍ましい笑顔を浮かべながら、一心不乱に禁断の果実を貪った。

血液を失った肉体に、聖なる光を帯び進化を遂げた血液を補給し、ユラノスはみるみるうちに生気を取り戻していった。

「よし…よし…よし!これで俺は…不老不死だ!!」

禁断の果実を食べ終わったユラノスは、感極まって思わず叫んでしまった。

しかし、肉体には何の変化も感じなかった。

「何だ…どうなってるんだ…?」
異変を感じた時には、既に遅かった。

何とユラノスの肉体は、徐々に衰弱していってしまったのだ。

「あの時俺は確信したんだ。不老不死の術は、自分の命と引き換えに発動させる禁忌の術…そしてそれは自分自身に施すものじゃなくて、他者に施すものだったんだ。だがそれに気が付いた時には、もう手遅れだった…。俺は命の終わりを確信したよ。」
ユラノスは、この上なく切ない表情を浮かべながら言った。


ユラノスは不老不死になれなかった。
そればかりか、禁忌の術を発動させた事により、自身に死が迫っている事実に気が付いた。

瞼を閉じたら死んでしまう。
瞬き一つで眠るような死を迎える。
そう確信した。


「こんな所で…死んでたまるかよ…!」

ユラノスは何が何でも、何を引き換えにしてでも死にたくなかった。

それは、狂信的ともいえる生への執着心の表れだった。

すると、何とか踏ん張って生きながらえようと試みていたユラノスの口から、少量のドス黒い蒸気の様なものが溢れてきた。

それが口の中から少し溢れてきただけで、ユラノスが感じていた身体の不調と生命の危機が、少し和らぐのを感じた。

これの正体は想像だにできないが、全部出してしまおう。
そうすれば楽になれる。

そう直感したユラノスは、まるで嘔吐をするかのように黒い蒸気を吐き出した。

すると、口の中から黒い蒸気に包まれた小さな物体が出てきた。

ユラノスはすかさず両手で口を覆い、激しい嗚咽音と共にその物体を両手の上に吐き出した。

謎の物体を吐き出したユラノスの身体は、先ほどと比べて信じられないくらいに快調だった。

しかし、自身が吐き出した物体を目の当たりにし、全身が凍りついた。

ユラノスが両手で抱えていたその物体は、とてつもない程に邪悪で禍々しいものだった。

「何だよ…これ…?」
ユラノスは絶句した。

それは、見たこともない生物だった。

赤紫色の皮膚、頭にはヤギのようなツノ、背中には羽根のない両翼。
瞼は閉じており、眠っているのか死んでいるのか判別が出来なかった。

「それってまさか…?」
ここまでユラノスの話を聞いていたエンディは、その謎の生物の正体を察した。

「ああ…それがヴェルヴァルトだったんだ。あいつは…俺の煩悩が具現化した存在…俺の化身なんだ。」

エンディは言葉を失っていた。


この生物はあまりにも危険だ。

そう本能的に察知したユラノスはそっと人知れず、ヴェルヴァルトを冥界へと捨てた。


冥界とは、悪霊の巣食う魔界のことだ。

ユラノスが生まれる前の世界には、生前に大罪を犯した者の邪悪な怨念、または死して尚現世の人間の生命を脅かそうとする死霊や悪霊が残留思念として数多く残存していたのだ。

霊的なものに敏感だったユラノスは、神国ナカタムを建国して間もなく、そういった凶悪な怨霊達の撤退排除を始めた。

成仏など到底できそうにない悪しき魂達は、ユラノスが創った異空間へと強制的に追いやられていった。

その異空間に、ユラノスは冥界と名を付けた。

つまり冥界とは、成仏不可能な悪霊達の掃き溜めなのだ。

現世と冥界を繋ぐ扉を創ることも、またその扉を開閉することも、ユラノスにしか出来ない所行だった。

あの得体の知れない生物の恐ろしさは計り知れない。
しかし、冥界に幽閉すれば大丈夫だ。
現世に危害を加えられることはない。

ユラノスは、自分自身に強くそう言い聞かせた。

今日の出来事は全て忘れよう。

煩悩を捨てたユラノスは、まるで悪い夢から覚めたかの様に心を入れ替え、そう心に固く誓った。

ユラノスは何事も無かったかの様に、澄ました表情で神国ナカタムにある自身の居城へと帰還した。

しかし、そう都合よく物事が運ぶことは無かった。

一連の出来事から5年の歳月が流れたある日、思わず目を背けたくなる様な非情な現実が巨大津波の様に押し寄せてきた。

5年という年月は、あの日の出来事を忘れるには充分すぎる程に永かった。

悪魔は忘れた頃にやってきた。


5年前はユラノスの両手に収まるほどの大きさだったヴェルヴァルト大王は、体長30メートルを超える巨大生物へと変貌していた。

ヴェルヴァルト大王は、5年という歳月をかけて冥界の怨霊や悪霊達を喰らい尽くして急成長を遂げたのだ。

そして理知と力を手に入れ冥界を制圧し、破壊し尽くしたのだ。

そのはずみでヴェルヴァルト大王は現世へとその姿を表した。

ヴェルヴァルト大王は真昼の神国ナカタムの上空に、闇を引き連れて出現した。

神官達も民衆達も、あまりにも唐突に非現実的な出来事が起こった為、対処方法を考える時間すらなく、ただただ困惑し、パニックに陥っていた。

ユラノスは上空から不敵な笑みで神国ナカタムを見下ろすヴェルヴァルト大王を見て、すぐに気がついた。

ああ、これはあの時のあいつか…。
ついにここまで来ちまったのか…。

ユラノスは、まるで他人事の様に茫然としていた。

そして、圧倒的な絶望感に苛まれていた。

「世界を見渡す我が父よ、鞍替えの時が訪れた。蛮行を許せ。」
ヴェルヴァルト大王は邪悪な笑みを浮かべ、ユラノスにそう言い放ったという。

「じゃあ…その時にユラノスさんは殺されたの…?」エンディは恐る恐る尋ねた。

「ああ、そうだ。そして死の間際、10人の天生士に力を付与し、10人をそれぞれ遠くへと強制的に散開させたんだ。力を与えて、さあ今すぐヴェルヴァルトをぶっ倒せ!なんて言っても無茶な話だろ?だからこいつらだけでも一旦遠くへ逃がして、更なる力を磨き上げた後にヴェルヴァルトを討って欲しくてな。まあ…結局あいつらも全員死んじまったんだけどさ…。」

ユラノスは悲しげな表情でここまで言ってのけた。

そしてしばらく黙った後に、目に涙を溜めながら再び喋り始めた。

「な?だから言っただろ…俺は神なんかじゃねえってよ。てめえの下らねえ欲のせいで悪魔を生み出して…挙句無様に殺されて…結果多くの人間を死なせちまったんだ。そして500年経った今も尚、お前達を苦しめちまってる…。全部俺のせいなんだ…。自分で蒔いた種を回収するどころか、さらに増殖させちまってよ…俺は悪魔にも劣る最低最悪の低劣な下等生物だぜ…。」

ユラノスの身体の周りには、強い懺悔の念がまるで意志を持って纏わりついている様だった。

エンディはかける言葉が見つからず、ただただ黙ってユラノスを見つめていた。

沈黙の気まずさに耐えかねたエンディは、気を遣って話題を変えようと試みて、意を決して口火を切った。

「そ、そう言えばさ、ユラノスさん…俺に見せたいものがあるって言ってたよね?何を見せてくれるの??」

エンディがそう言うとユラノスのどんよりとした表情は瞬時にキリッとした。

自分のせいで苦しめられている500年先の若き子孫に気を遣わせてしまった事を猛省していた。

そしてエンディの意を汲み、話題を変えた。

「そうだな…お前にこの世界の未来を見せてやる。仮に…仮にだぞ?現代を生きるお前たち天生士達が見事魔族共との戦いに勝利して、ヴェルヴァルトを含めた全ての魔族を一掃したと仮定して…その後の世界が辿る未来を見せてやる!」

エンディは、ユラノスの言い放った言葉の意味がいまいち理解できず、キョトンとしてしまった。
















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