輪廻の風 2-36



今から20年前のユドラ帝国は、イヴァンカの父レイティスが統治していた。

イヴァンカがパピロスジェイルに投獄されてから2年目の年だった。

その頃のウィンザーは、ヤンチャな少年気分が抜け切らない20歳の青年だった。

「やべえっ!また遅刻だ!」
ウィンザーは急いでノストラの居城に向かっていた。

師匠であるノストラに毎朝稽古をつけてもらっていたのだが、毎朝毎朝寝坊しては遅刻していた。

「おはようございます!!」
ウィンザーは何事もなかったかの様に、元気良く挨拶をして稽古場に入った。

「遅いわバカもん!おどれは遅刻ばっかりしおって!少しはハルディオスを見習わんかい!?ええ!?」
ノストラは鬼の様な形相で激怒していた。

「師匠はハルディオスばっかり可愛がってますよね…。って、あれ?ハルディオスが見当たりませんね。あいつ今日休みですか?」
ウィンザーは拗ねていた。

「ん?おどれ知らないんか?ついにハルディオスの嫁さんがの、出産したんじゃよ。あやつは今それに立ち会っておる。」

「ええ!!ついに産まれたんですか!」
ウィンザーがそう叫び終えると同時に、ハルディオスが稽古場に顔を出した。

稽古場に入ったハルディオスは何も喋らず、表情も固かった。
そのため場内に異様な沈黙が漂った。

しかしその直後、ハルディオスは顔中をしわくちゃにして嬉しそうな顔で叫んだ。

「産まれましたー!元気な女の子です!!」

「ほう!女の子かい!こりゃめでたいのう!」
「ハルディオス!おめでとう!!」
ノストラとウィンザーは、まるで自分のことの様に狂喜乱舞した。

「ハルディオス、おどれは今日から一家の大黒柱になるんじゃ。これからも精進して、しっかり家族を守ったれよ。ええな?」

「師匠、ありがとうございます!肝に銘じておきます!」
ハルディオスは子供が大好きでよく笑う青年だった。
そしてその妻は、物静かでおっとりしている女性だった。

「いやー本当にめでたいな!幸せになれよ、ハルディオス。」

「ありがとうウィンザー。お前も早く女作れよな!」

「お、俺はいいよ。1人の方が気楽だし。それに、女にうつつを抜かしてる暇なんてない!もっと修行して、もっと強くなるんだ!」
ウィンザーは異常な奥手だった。
女性を前にすると赤面し、まともに会話をすることもできないほどだった。

夕方、ノストラとの修行を終えてウィンザーは家路についていた。

「彼女か…。正直、欲しいなあ。」
切実な思いを一人で呟いていると、何やら崖っぷちで思い詰めた表情をしながら呆然と立ち尽くしている女性を見つけた。

あの女性は、身を投げる気だろうか?
そう考えると居ても立っても居られなくなり、ウィンザーは慌てて走った。

「おい!早まるな!」
そう叫びながら崖をよじ登り、瞬く間に頂上までたどり着いた。

「何?どうしたの?」
女性はとても驚いていた。

夕焼けに染まるその女性の美しい風貌に、ウィンザーは一瞬で心を奪われた。

一目惚れだった。

「ぷっ、あはははは!何赤くなってんの〜?」
女性は天真爛漫な笑顔で、ウィンザーをからかうように言った。

「ちげーよバカ!これは夕日のせいだよバカ!ところで、こんなとこで何してんだよ?」

「修行が終わって疲れたからボーッとしてただけだよ?まさか…私が飛び降りようとしているとでも思ったの?」

この女性の名はユリウス・カタラーナ。
ユリウス家の魔術師見習いだ。

「あなた、毎朝この近くを大慌てで走っているでしょ?」

「え?なんでそんなこと知ってんだ??」
ウィンザーは恥ずかしくなり、耳まで真っ赤になっていた。

「だって毎朝見てるもん。私いつも朝の7時からこの時間まで、ここで一人で修行してるのよ?あなたはいつも猛ダッシュで過ぎていくから、私になんて気づいてないだろうけど。」

「そうだったんだ…。まあいいや、俺帰るね。」
そう言ってウィンザーは再び帰路についた。
本当はもっと長く話していたかったが、恥ずかしさに耐えきれず帰ってしまったのだ。

次の日から、ウィンザーは毎朝早起きをする様になった。

毎朝7時前に家を出て、昨日の場所に足繁く通い、カタラーナと他愛もない世間話を少しした後、稽古場へと向かっていた。

その少しの時間がとても楽しくて、ウィンザーは幸せのあまり浮き足立っていた。

おかげで修行にも、今まで以上に精を出していた。

そんなウィンザーの異変に、ノストラはすぐに気がついた。

「ウィンザー、おどれここ最近気合が入りまくっとるのお。ええこっちゃ。しかし毎朝30分以上遅刻していたおどれがなぁ、ここ最近はワシより早く稽古場に着いとるのはどういうことじゃい?なんか変なもん拾って食ったんか?」

「やだなあ師匠、俺変わったんすよ!もう絶対に遅刻しませんから!だから…もっともっとビシビシ鍛えてくださいよ!」
ウィンザーは熱意に満ち溢れていた。

「なんだよお前、好きな女でもできたのか??」ハルディオスはニヤニヤしながら茶化す様に言った。

ウィンザーはドキッとし、聞こえないふりをした。

「それよりおどれらの一族が純血派と混血派に分かれて対立が激化してるって噂を耳にしたが、大丈夫なんか?ええ?」
ノストラが心配するように言った。

親戚同士であるウィンザーとハルディオスは、ラスチル家の出自だった。

ラスチル家は代々、レムソフィア家の者が身に付ける羽衣を作ることを生業としていて、それをレムソフィア家に献上していた。

しかしラスチル家には純血至上主義という概念が深く根付いており、他の一族の血が混じった混血の者は差別的に扱われていた。

羽衣の作成も献上も純血派の役割で、混血派の者はその伝統ある職に携わることは許されていなかった。

それどころか、ラスチル家の領地も純血派の者は広い土地に立派な家を建てていたが、混血派の者は隅っこに追いやられ、肩身の狭い思いをしていた。

ウィンザーとハルディオスは混血だった。
そのため一族の業務に携われないので、腕を磨いて戦士になるしか道がなかったのだ。

「純血の奴らが一方的に俺らのこと嫌ってるだけですよ、別に対立なんてしてません。」

「そうそう、俺ら何も気にしてませんから。」

ウィンザーとハルディオスはどこか他人事の様で、全く気にしていない様子だった。

「そうか…おどれらがそう言うならええんじゃが…。」
ノストラは嫌な予感がしていた。
それが杞憂であってほしいと願っていた。


そして、気がつけば1ヶ月の月日が流れていた。
この一ヶ月間、ウィンザーは毎朝欠かさずカタラーナに会ってから稽古場で修行に励んでいた。

そんなある日の帰り道、初めてカタラーナと出会ったあの場所で、ユリウス家の年配の女性が深刻な表情を浮かべながらウィンザーに話しかけてきた。

何やら嫌な胸騒ぎがした。

「あんた、カタラーナのお友達だよね?たしかラスチル家の…。あの子が今どこにいるか知らないかい?」

「え、なんで…?」
ウィンザーは真っ青な顔で尋ねた。

「なんでって、噂になってるじゃない。ラスチル家の純血派の人達が不穏な動きをしているって…。それでさっき純血派の人達が物騒な面持ちで混血派の人達が住んでる土地に向かってるって話が私らに入ってきてね。その話をしてたら、あの子血相変えてラスチル家の領地の方へ走って行っちゃったわよ…?」


ウィンザーは走った。
脚が千切れてしまいそうな勢いで走った。

自分が住む混血派の領地に着いた時、ウィンザーは目を疑い絶句した。

紫色の霧状の気体が充満していて、見知った顔が何人も耳や鼻腔、口、そして全身の毛穴から血を流して倒れていた。

「何があったんだ…。」

毒霧を吸ったウィンザーは、全身に痺れを感じ取ると同時に吐血した。

この惨劇は、純血派の者達によって行使されたのだ。

一族の職務に携われず、憲兵隊に入隊する混血派の者が近年増加していた。
純血派の者達は、いつか力をつけた混血派の者達が団結して自分達に牙を向く日が来るだろうと恐れていたのだ。

この謀略を企てた首謀者はラスチル家当主のラスチル・ゲタルト。
欲深いこの男は、ドアル王国から密輸した化学兵器を用いて、混血派の者を一掃しようと前々から計画をしていた。
そしてそれが、ついに実行されてしまったのだ。

街を彷徨っていると、変わり果てた姿で倒れているカタラーナを見つけた。

ラスチル家とは何の関係もないユリウス家のカタラーナは、この悲劇に巻き込まれて命を落としてしまったのだ。

ウィンザーはカタラーナの亡骸を抱きしめて、大声を上げて泣いた。

どんなに涙を流しても涙は枯れる事なく、とめどなく溢れてきた。

今朝、約束したばかりなのに…。

この日の朝も、ウィンザーとカタラーナはいつもの様に会っていた。

しかしこの日交わした会話は、いつもの様な他愛もないものではなかった。

「ウィンザー君、実は私ね…あの日本当は飛び降りようとしてたんだ。今となっちゃ、どこまで本気だったかは分からないけどね。」
真剣な顔で唐突にそんなことを言われ、ウィンザーは困惑してしまった。

「ユリウス家が魔術を操る一族なのは知ってるよね?私全然才能なくてさ…初歩的な魔術も全然使えないの。頑張って練習はしてるんだけどね…。両親には出来損ないとか一族の恥さらしとかって罵られるし、近所の人にも馬鹿にされて…誰からも必要とされてない私なんて、いっそこの世から消えてしまおうと思ったの。」

「カタラーナちゃん…。」
ウィンザーは傷ついたカタラーナを慰めようと試みたが、言葉が出なかった。

「でもね、私…いつもこの道をガムシャラに走るウィンザー君を見て、元気もらってたの。私も頑張らなきゃって。ウィンザー君と毎日お話しするの、すごく楽しいよ。それこそ、生きてて良かったって思えるほどね。」
カタラーナは目に涙を溜めながら言った。

「カタラーナちゃん…俺…。」
ウィンザーは自身の気持ちを伝えようとしたが、緊張のあまり言葉が出てこなかった。

するとカタラーナは、ウィンザーに一歩近づき、頬を赤らめて言った。

「あなたの歩く道を、私も一緒に歩いていいですか?」

それを聞いたウィンザーは、覚悟を決めてカタラーナを抱きしめた。

「生涯そばにいます。だから、生涯そばにいてください。」

この子はいつも笑ってるけど、本当は繊細で弱い子なんだ。
だから俺はもっと強くなって、この子を護っていこう。
この子がいれば、俺はどこまでも強くなれる。

口には出さなかったが、ウィンザーは自身の心に固く誓った。

やっと幸せな日々を手に入れたと思った矢先に起きた悲劇。
ウィンザーはこの日、心を失った。

一方ハルディオスは、血まみれで倒れている妻子の亡骸を、何も言わず、真顔でボーッと眺めていた。
この日を境に、ハルディオスは感情を失い、笑顔を失った。


「ハルディオス…一緒に十戒のトップになろう。トップになって世界を変えよう…悲しみの無い世界へ。」
ウィンザーにそう言われると、ハルディオスは生きる目的を見つけた気がした。

この日ウィンザーとハルディオスは、体内に致死量を遥かに超える毒物を摂取している状態で、200人を超えるラスチル家純血派の者達を老若男女問わず、一人残らず殺害した。

躊躇無く、感情も無く、ただ一心不乱でひたすら殺した。

その姿は、憎悪の沼に溺れた怪物そのものだった。

2人はユドラ帝国史上近年稀に見る空前絶後の大罪人として捕らえられ、死罪を言い渡された。

しかし十戒の長であり師であるノストラが、レイティスに何度も頭を下げて懇願したことで、恩赦が出てすぐに釈放された。

「すまんのう…ワシが目を光らせておけばこんなことにはならなかったのに…おどれらのことは、ワシが絶対に守るからのう…。」
ノストラはひどく心を痛めていた。

しかし2人の心には、ノストラの思いなど微塵も届いていなかった。


ウィンザーは死の淵に立たされ、20年前の辛い記憶が走馬灯の様に蘇っていた。

「どこで間違えたんだ…俺は…。俺は何に悲観し…何に絶望し…何を信じて今日まで生きてきたんだ…?」
ウィンザーは小声で自問自答を繰り返していた。
すると、目の前にカタラーナの幻覚が見えた。

「ウィンザー君は何も間違ってないよ。今までよく頑張ったね…私のために泣いてくれて、ありがとう。嬉しかったよ。」
カタラーナの幻影が、ウィンザーに優しい笑顔でそう話しかけた。


ウィンザーは束の間の幸せを謳歌していた。

その直後、ウィンザーは雷の直撃を受けて絶命した。

雷雲どころか雨雲すらない、そもそも此処は雲よりも高い場所。
それなのに雷が発生するという不可解な現象に、一同目を見開いて驚いていた。

「イヴァンカ!!貴様!!」
ノストラが鬼の様な形相で叫んだ。

皆、この雷はイヴァンカによって放たれたものだと理解した。

「フフフ…雷帝なんて異名だからねえ、まさかとは思っていたけど…。」
バレンティノは珍しく冷や汗をかいていた。

「あの強さで…しかも異能者かよ。嫌になるぜ。」ロゼは絶望的な表情をしていた。

すると皆の前に、カインがゆっくりと歩いてきた。

「てめえらなんざ、イヴァンカ様がわざわざ手を下す価値も無え。全員、俺が殺してやるぜ?」
カインはそう言いながらツカツカと歩いていた。

「カイン!もうやめて!どうしてこんなことするの!?」アマレットは悲痛な心の内を訴えた。

「あれ?お前まだ生きてたんだ。」
カインに冷たくそう言われ、アマレットの心は傷ついてしまった。

それに対し、ジェシカとモエーネが激怒した。

「ちょっとカイン、どうしてそんな言い方するの!?」
「そうだよ、アマレットはずっとカインのことを想ってたんだよ!?今でも信じてるんだよ!?」

「一生想ってろよ、一生振り向かねえからよ。そして一生届かねえ想いを胸に抱いて勝手に信じてろ。」カインは嘲笑う様に言った。

3将帥とノストラを先頭に、ロゼ、エスタ、ノヴァ、ラベスタ、エラルド、アベル、アズバールの11名がカインの歩みを阻む様に臨戦態勢に入った。

「ふん、てめえら傷を癒して頭数揃えたからってよ、俺に勝てると思ってんのか?言っておくが、多勢に無勢なんて言葉の発案者は間違いなく弱者だぜ?羽を失ったハエや毒牙を抜かれたヘビが何匹群がってようと、別に怖くねえだろ?てめえら全員俺の豪火で灰にして、歴史の闇に葬ってやるよ。」
カインは歯を剥き出しにして、残忍な表情でニヤリと笑った。

すると次の瞬間、カインの背後に突風が吹き荒れた。

まさかと思い振り返ると、そこにはエンディが立っていた。

エンディは死んだ魚の様な目をしていて、悍ましい雰囲気を纏っていた。

その風格と出立ちは以前とはまるで別人の様で、完全に人が変わってしまっていた。


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