輪廻の風 3-27




偶然か必然か、ヴェルヴァルト大王に投げ飛ばされたエンディの落下地点は、エンディがラーミアと邂逅を果たしたあの海辺だった。

しかし、エンディを投げ飛ばした当の本人であるヴェルヴァルト大王は、エンディとラーミアが初めて出会った場所の事など知る由もない為、これは偶然の他ならないだろう。

だが、たとえ必然ではなかったにせよ、運命の悪戯と呼ぶに相応しい出来事であることに相違はなかった。

エンディは落下する直前に風力を利用して受け身をとったため、人体が破壊され、五臓六腑が軒並み破壊されてしまう最悪の事態を防ぐ事に成功した。

「はあ…はあ…くそっ、痛え…!」
とは言っても、ヴェルヴァルト大王により腹部に空けられた風穴から伴う痛みは尋常ではなかった。

「ここは…まさか…!」
しかし、出血多量によって意識が朦朧とする中でも、エンディは自身が現在居るこの場所が、ラーミアと初めて出会った場所であると瞬時に気がついた。

「ははっ…間違いねえ。懐かしいなあ。思えば此処から…この場所から…全てが始まったんだよなあ。」

エンディは仰向けになり、闇に覆われた漆黒の空をぼーっと眺めながら、感傷に浸っていた。

自身の原点とも呼ぶべきこの場所は、今はなき故郷ユドラ帝国よりも、ある意味エンディにとっては特別な場所だった。
その場所に身を置く事で、こんな状況でも不思議と少しばかり穏やかな気持ちになれた。


エンディは自身の体が衰弱し、生命に終わりが近づいている事を肌で感じていた。

それでもパニックに陥り取り乱すこともなく、落ち着いた様子で闇に覆われた空を見上げていた。

その心にあるのは、強い悔恨の念のみ。

ヴェルヴァルト大王の圧倒的な力を前に、無様に敗北した自身の無力さをひたすら呪っていた。

ラーミアと出会ってから今日までの2年間、色々な事があったなと考えながらしみじみと今日までの日々を振り返っていた。

様々な情景が走馬灯の様に鮮明に浮かんできた。

「沢山の思い出が詰まったこの場所で死ぬのも…悪くないかもな。」
エンディは清々しい表情で呟いた。

それは決して弱気になっているわけではなく、潔く自身の運命を受け入れ、生き残った仲間たちに全てを託すという意志の表れだった。

唯一つ心残りだったのは、ラーミアに想いを伝えそびれた事だった。
しかし、それは仕方のない事だと自分自身に無理やり言い聞かせ、割り切っていた。

「皆んな…後は…頼んだぜ?」
エンディはか細い声でそう言うと、ゆっくりと両目を閉じた。

すると、何やら付近から声が聞こえた。

「おいおい、随分と弱気じゃねえかよ。」

それは、聞いたことのない男の声だった。

エンディはパッと両目を開き、仰向けの状態のまま、声が聞こえた右方向に首を傾けた。

すると、そこには見たことのない男が座っていた。

「なーにが"後は頼んだぜ?"だよ。お前まだ死んでねえじゃん。生きてんじゃん。だったら命の限り足掻けよ。何諦めてんだよ?生きてさえいりゃ何だって出来んだろうが。違うか?」

海辺の小さな一枚岩に腰掛けていたその男は純白のローブを身に纏っていた。

サラサラとした黒髪の長髪で、口元と顎に長い髭を生やしていた。
風貌から推定するに、おおよそ初老に入りかけたぐらいの年齢の見た目だった。

不思議なことに、エンディはその男の存在を確認した途端、その男の近くに居るだけでみるみるうちに生気が湧き上がってくるような感覚に陥った。

そして男の声色は、聞いた者の精神を安定させてリラックスさせるような不思議な効能があった。

「え?あんた…どちらさん??」
エンディが尋ねた。

「俺か?俺の名前はユラノスだ。」

男がニコリと笑いながらそう答えると、エンディはどこかでその名を聞いたことがあるような気がして、しばらくボーッと考え事をしていた。

エンディがその男の名をいつどこで聞いた事があるのか、それを思い出すのに時間は掛からなかった。

エンディは思い出すと、途端に戦慄して背筋がゾッと凍りついた。

そう、その名前は2年前から度々耳にしていた、大陸神話に出てくる全知全能の唯一神の名に他ならなかったからだ。

「え…えーー!?ユラノスって…あのユラノス!?」エンディはユラノスの顔をジーッと見ながら声を荒げた。

「あのユラノスってなんだよ…どのユラノスだよ。」ユラノスは苦笑いをしていた。

「いや、詳しくは知らねえけど…500年前に死んだ神様だろ!?悪魔に殺されたって聞いたけど…?」エンディは頭がこんがらがってしまった。

「そうそう!そのユラノスだよ!ちなみに俺を殺したのはヴェルヴァルトな?あいつめちゃくちゃ強えだろ?お前も随分と派手にやられたもんだなあ。」

ユラノスは、まるで昔を懐かしむような口ぶりで言った。

その台詞を聞いたエンディの頭は、更に混乱してしまった。

「いやいや…冗談だよな!?俺のことおちょくってんのか!?500年前に死んだあんたが、どうして今俺の目の前にいるんだよ!まさか…生き返ったとか?」

エンディは理解が追いつかず、若干苛立ちを募らせていた。

すると、ユラノスは呑気な口調で「生き返ってねえよ。見聞の広い俺でも、長い長いこの青い惑星の歴史の中で死んだ生物が蘇生した事例はただの一度も確認したことがねえ。見ての通り、俺は死んでいる。」と答えた。

「いや見ての通りって何だよ!どう見たって生きてんじゃねえかよ!」
エンディは更に苛立ちを募らせ、大声を張り上げた。

声を荒げた拍子に、エンディの傷口は広がってしまい、止まりかけていた腹部の出血が再び始まってしまった。

「い…痛え〜!おい見ろ!あんたが意味不明なことばっか言うから更に傷口が開いちまったじゃねえか!」
エンディは八つ当たりするように言った。

「大の男がその程度の傷でピーピー言うなよ、情けねえなあ。ほら、ジタバタすんなよ?」
ユラノスは呆れた口調でそう言い終えると、右手人差し指をエンディに向けた。

すると、突如指先からピカッと小さな光が放たれた。

その小さな光がエンディの体に直撃すると、エンディの身体が一瞬発光した。

「う…うおおお!?何だこれ!?おいお前!何すんだ!?」

身体の発光が止まったエンディは驚いた。

傷口は一瞬にして完治し、出血も止まっていた。
それどころか、失血したはずの血液も人体に補充されており、一切の疲労感や痛みも感じず、身体には活力と生気がみなぎっていた。

「えーっ!?な、な、治った!なんで!?」

エンディはスッと立ち上がり、自分の全身を舐め回すようにキョロキョロと見渡していた。

「こんくらい朝飯前よ。だって俺、全知全能だもん。」ユラノスは得意げに言った。

「すげえ!あんた本当に神様なんだな!いや…神様に向かってあんたは失礼…ですよね…。すみませんでした!貴方様は真に神様で仰せられますでしょうか!?」
エンディは緊張のあまり言葉が吃ってしまった。

そして、ユラノスに対して羨望の眼差しを向けていた。

エンディは男の正体が全知全能の唯一神ユラノスだということに関して半信半疑であったが、自身の大怪我を瞬く間に完治させた能力を目にして、この男は神なんだと確信した。

ユラノスは、どことなくお茶目で親しみやすそうな人柄だった。
神というのは、自身の想像とは大きくかけ離れ、随分と緩い人物なんだなあとしみじみ思った。

そして傷を治したその力が、ラーミアの能力と酷似していたことを不思議に感じていた。

「よせよ神様だなんて、堅苦しい。大衆が勝手にそう呼んでいただけで、俺は唯の一度たりとも神を名乗った覚えもねえし、自分自身を神だと思い上がったこともねえよ。俺はお前ら人間や野生の猿と同じく赤い血の流れる哺乳類だぜ?」

ユラノスは謙遜しているわけではなく、本心からこの言葉を放った。

そのくたびれた表情からは、人々から神と崇められてきたことに対して嫌気がさしている様子が垣間見れた。

「で…結局あんたは何なんだ?生き返ったわけじゃいなら…まさか幽霊!?」
本題に戻ったエンディは、目の前の男がまさか幽霊ではあるまいかと思い、思わず肝を冷やしてしまった。

「うーん…幽霊ってのもちと違うなあ。まあ解釈によっちゃ言い得て妙な気もするが…いや、やっぱ違うな。断言しよう、俺は幽霊では…ない!」
ユラノスははっきりと否定した。

ユラノスの回りくどい言い方に、エンディは次第にうんざりしてきた。

「じゃあ今俺の目の前にいるあんたは何なんだよ?いい加減はっきり教えてくれよ…。」

「そうだな…まあ簡単に言えば、お前の遺伝子に宿る記憶が具象化した存在ってとこよ、俺は。」ユラノスはサラッと答えた。

「記憶が具象化…?」
エンディは首を傾げていた。

「何だよ、こんな簡単な事も理解できねえのか?」

ユラノスが呆れ気味にそう言うと、エンディはあからさまにムッとした。

「あーー、俺の前世である500年前の風の天生士、そいつが持つあんたに関する記憶が俺の遺伝子に未だ残っていて、それが形を成して今俺の目の前にいるって意味か??」
エンディは早口で言ってのけた。

するとユラノスは嬉しそうに手を叩きながら「ピンポーン!」と言った。

「なんかややこしいな…てか、そんなことができるのか?」

「当たり前だろ?10人の天生士が持っている全ての能力は、元々は全部俺の力だったんだぜ?つまり…俺自身は500年前に死んでいるが、俺の力は俺の死後500年間生きてるってわけだ。だから例え命が消えていようと、お前ら天生士の遺伝子に記憶として残存する事も、こうしてしてお前らの目の前に姿を見せて語りかける事も朝飯前よ!」
ユラノスは鼻の下を伸ばしながら言った。

ポカーンとした表情で話を聞いているエンディに対し、ユラノスは少し間をおいた後に再び喋り始めた。


「そして俺は現代の10人の天生士の中でも、お前を男と見込んでお前の前に現れたってわけよ。」

ユラノスにそう言われると、エンディは思わず顔が綻んでしまった。

「男と見込んでって…なんだよそれ!照れるなあ、おいっ!」

「だってよお…お前信じられねえくらい真っ直ぐで優しくて良い奴なんだもん。初代のアイツとはあまりにも大違いで、絵に描いたように正反対だったからよお、つい興味が湧いちまったんだよ。」

「初代って、500年前の風の天生士のこと??」

「そうそう、あいつは手のつけられない凶暴な暴れ馬でなあ…。」

「へえー、そうだったんだ…。ところでさ、ユラノスさんが俺の前に現れた目的は何なの?」

エンディは、自身の前世の男の話題に興味を示していた。

しかしそれ以上に、ユラノスが自身を選び目の前に現れた目的の方に関して、更に強い興味を示していた。

エンディの食いつきぶりを見たユラノスは、予想通りだな、と言わんばかりの表情を浮かべていた。

「そうだな…お前には色々と"見せたいモノ"があるんだよ。そして、それらを見た上で、お前の今後の展望やら何やらを問いたい。お前が何と答えるか、興味があるからな。お前を選んだ俺の目が節穴じゃねえって事を、お前自身が証明してみせてくれよ。」

ユラノスは、先ほどまでのおちゃらけた態度からは一変し、この上なく厳格な表情を浮かべていた。

その顔つきからは確かな威厳を感じ取り、エンディは身が引き締まるような思いに駆られた。

エンディはゴクリと固唾を飲み込み、まるで講話を傾聴するかのような姿勢を無意識にとっていた。











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