輪廻の風 2-42
カインがメルローズ家の陰謀を知って5日が経過した。
この日の真昼、ウルメイト家の居城にはノストラとバスク、アマレットが遊びにきていた。
3人はエンディ、アッサム、アミアンと卓を囲み、アミアンが焼いたクッキーを食べていた。
「すみませんアミアンさん、自分までご馳走になっちゃって…。」
バスクが遠慮気味に言った。
「気にしないで。たくさん焼いたからどんどん食べてよ!」
アミアンは人数分の紅茶を淹れながら言った。
「カイン、あれから一回も顔を見せてこないな。どうしたんだろう…。」
エンディは、カインの身を案じていた。
その気持ちは、アマレットも同じだった。
「最近なあ、バンベールの奴もあまり見かけなくなったんじゃが…何か関係あるんかの?」ノストラはボリボリとクッキーを噛み砕きながら言った。
「確かに…少し注意深く観察する必要がありそうですね。あの男は昔から、何を考えているのかさっぱり読めませんから。カイン君がよからぬ事に巻き込まれていなければいいですが…。」アッサムは注意を促す様に言った。
「カインから聞いたんだけど、バンベールさんは人一倍権力にめざとくて異常なまでに野心家らしい。特にメルローズ家に対する思いは狂信的だって…。"メルローズ家は永遠に不滅"って口々に言ってるらしい。」
エンディが言った。
「エンディ、永遠なんてものは無いんだよ。どんな大国も、いつかは滅びの時が訪れる。それが巨大であればあるほどにね。どんな名家も権力者も、元を辿れば所詮はただの罪深い殺戮集団だ。因果応報というものは、必ずあるからね。」
アッサムは、まるでユドラ帝国の未来を暗示している様だった。
アッサムのこの発言により、その場の空気はシーンとなった。
まだ幼いエンディとアマレットには、その言葉の真意を理解するのは難しかった。
「エンディ、そしてアマレットちゃん。君たち若い世代の未来は必ず俺が…俺たち大人が守るからね。それが大人の義務だ。俺は、それだけは絶対に諦めない。」
アッサムは優しい顔で言った。
バスクはこのセリフに、いたく感銘を受けていた。
カッコいいな。俺もいつかこんな男になりたいな。と、バスクは心の中で呟いた。
一方その頃カインは、なんとウルメイト家の居城の前まで来ていた。
実はクーデターの決行は、なんと既に明日に迫っていたのだ。
その前に、カインにはエンディを含めたウルメイト家の抹殺命令が下されていた。
「やるしかねえ。」
カインは決意に満ちた表情でそう言い放ち、全身から炎を放出させた。
しかし、カインはその炎をすぐに引っ込めた。
ついこの間までのカインだったら、躊躇なくウルメイト家の居城を焼き払っていただろう。
しかし、エンディと過ごした楽しい日々が脳裏をよぎり、その決意は一瞬で崩れてしまったのだ。
カインには、エンディを殺すなんて到底出来なかった。
「俺は…どうすればいいんだ…。」
エンディを殺さなければ、自分がバンベールに殺されるかもしれない。
クーデターを今更阻止する事もほぼ不可能。
しかし何も行動しなければ、状況は悪くなる一方。
カインはとことん苦しんでいた。
それこそ心が壊れそうになってしまう程に。
そんな時、イヴァンカに言われた言葉を思い出した。
"私はきっと、君の力になれるよ。忘れないでくれ、私はいつだって君の味方だ。"
この言葉が頭から離れなくなってしまった。
カインは、もう一度イヴァンカに会ってみようと決意した。
それは、藁にもすがる思いだった。
カインは無心でフラフラと放浪する様に歩き、気がつくといつの間にか、パピロスジェイルのイヴァンカが収監されている牢獄の前に立っていた。
ここまでの道のりにどれだけの時間を要したか、何を考えながら歩いていたのか全く記憶に無かった。
それほどまでに、カインの精神状態は極限まで追い詰められていたのだ。
「やあ、カイン。久しぶりだね。また会えると信じていたよ。」
カインは息を切らせながら、呆然とイヴァンカの前に立ち尽くしていた。
「どうした?そんな深刻な顔をして。君の顔が曇れば、私の心も曇ってしまう。良かったら話してくれないか?その前に、まずはゆっくり気持ちを落ち着けようか。」
イヴァンカのこの言葉は、カインの心に一時の安らぎを与えた。
カインは言われた通り、まず深呼吸をして気を整えた。
そして落ち着いて、ゆっくりと事の経緯をイヴァンカに話した。
不思議なことに、カインは得体の知れないこの男に、無意識に心を開き始めていた。
イヴァンカを目の前にし言葉を交わしていると、なぜか気持ちが落ち着き、居心地の良さを感じた。
それは一種の安心感にも似た感情だった。
「なるほど、クーデーターか。いつの時代も争いは絶えないものだね。外界は随分と面白いことになっているじゃないか。」
「イヴァンカ様…俺は一体どうすればいいですか…。」
カインはついに、イヴァンカに対して無意識の敬意を払うようになってしまっていた。
イヴァンカは、檻の前までゆっくり歩み寄ってきた。
「私を解放しろ。私ならその状況を全て丸く収める事ができる。君の思い描く理想の形でね。」
そう言い放ったイヴァンカの姿は、カインの眼にはこの上なく頼もしく映った。
「解放…?」
「君も周知の通り、この魔術はユリウス家の者によって施されたものだ。しかし私の檻に施された魔術は、少し特殊でね。他の牢獄の様に、術者の意志では解除出来ないんだ。」
「じゃあ…一体どうすれば…?」
「ユリウス家にはね、代々ユリウス家の当主に継承される"カシェ"と呼ばれる大きな杖がある。それは強力な魔力が秘められた神器だ。私の檻にかけられている魔術は、そのカシェによって施されたものだ。カイン、カシェを破壊してくれないか?そうすれば檻にかけられた魔術は無効化され、私はここから出ることが出来る。」
イヴァンカにそう言われると、カインはハッと我に帰り、目が覚めた。
「はっ、何だよ。とどのつまりあんたは結局、ここを脱獄したいだけなんだろ?その一心で俺を懐柔し、利用しようとしてるだけじゃねえかよ。下らねえ。」
すっかり興醒めしてしまったカインは、そう吐き捨ててその場を立ち去ろうと歩き出した。
しかし、イヴァンカの表情は終始穏やかなものだった。
「カイン、後悔するよ。君を救えるのは私しかいない。いずれ分かるさ。」
イヴァンカのその言葉に、カインの心は再び揺れ動きそうになった。
これ以上この場所でイヴァンカと接していたら、おかしくなってしまう。
そう直感したカインは、一刻も早くこの場を立ち去ろうと決意し走り出した。
カインはパピロスジェイルを後にし、これからどうするべきか思考を張り巡らせた。
考えれば考えるほど、何が正しくて何が間違っているのか分からなくなり、頭が破裂しそうだった。
少し歩くと、何やらバベル神殿内が騒々しくなっていることに気がついた。
一体何があったのだろうと疑問に思い、騒ぎが激しくなっている方向へと急いで向かった。
すると、庭園や大広間で、ウルメイト家とメルローズ家が大人数で激戦を繰り広げていた。
カインは絶句してしまった。
すると背後に、バンベールが現れた。
「カイン、今まで何をしていた!まだエンディを殺していないのか!?」
カインはこの時生まれて初めて、父バンベールが取り乱している姿を見た。
「お父様…これは一体??クーデターの決行は、明日じゃないんですか!?」
「レイティスにバレてしまった。どうやって我々の情報を入手したかは知らないが、奴は先程大慌てでウルメイト家に、我々メルローズ家を討伐する様命じたのだ。呆けていないで、お前も応戦しろ!」
バンベールに怒鳴られ、カインは縮み上がってしまった。
レイティスは自分以外の何者も信じない疑い深い男だ。
それ故、500年間レムソフィア家に仕えていたウルメイト家とメルローズ家の事も一切信用していなかったのだ。
レイティスは両一族に内通者を忍ばせ、常に動向を監視していたのだ。
その流れで、今回メルローズ家がクーデターを企てていることを知り、大慌てでウルメイト家に命を下し、クーデターを未然に防いで自身の身を護ろうと画策したのだ。
カインは、先ほどイヴァンカに言われた言葉が脳裏をよぎった。
"君を救えるのは私しかいない。"
そしてカインは、どこかへ向かって一心不乱に走り出した。
「おいカイン!どこへ行く気だ!」
バンベールの呼びかけにも応じず、カインは走っていった。
ユリウス家の居城を目指して。
一方その頃、ウルメイト家の居城にはアッサムとアミアンがいた。
ノストラとバスクは急いでレイティスの警護に向かったため、既にいなかった。
アマレットはユリウス家の居城に帰宅していた。
エンディは、1人で城下町に遊びに出かけていた。
ウルメイト家の戦士たちは、アッサムとアミアンを居城に閉じ込める様な形で敷地内を警護していた。
「おい!俺も戦う!ここから出せ!」
アッサムは内部から玄関のドアをドンドン叩きながら、部下達に向けて言った。
「そういうわけにはいきません!アッサム様、あなたはアミアン様の側にいて下さい!ウルメイト家の敷地内には、虫1匹近づけさせません!エンディ坊っちゃまも既に、下の者を保護に向かわせていますので御安心を!」
居城の周辺を警護しているウルメイト家の戦士が、ドア越しに言った。
「ねえ…エンディ大丈夫かな?」
アミアンは目に涙を溜めて、悲痛な表情を浮かべながら言った。
「大丈夫だ、あいつは強い。しかしバンベールの奴、まさかクーデターを起こすとはな…。」
アッサムは現場に向かって加勢したい気持ちはあったが、妻のアミアンを1人取り残して行くわけにもいかないので、自身がとるべき最善策が分からなかった。
何より、部下が外へ出してくれなかった。
妻と2人、居城でこの内乱が平和的解決に終わる事を、そしてエンディの無事をひたすら祈るしかなかった。
一方カインは、ユリウス家の居城に単身乗り込んでいた。
「この子は…メルローズ家の!?」
「どうしてここに!?」
ユリウス家の者達は、突然現れたカインに恐れ慄いていた。
カインはたまたま目に留まったユリウス家の若き青年に殴りかかり、冷徹な表情で甚振った。
「死にたくなければ答えろ…カシェはどこにある?」
カインは青年の首を絞め、身体中からメラメラと炎を放出して恫喝した。
その青年は、恐怖のあまりあっさりカシェの在処を吐いてしまった。
カインは何かに取り憑かれたかの様に、教えられた場所を目指して無心で走った。
カインの暴走を止めようとする者など、1人もいなかった。
ユリウス家の居城内には、"封の間"と呼ばれる部屋があった。
カシェはその部屋に納められていた。
カインが封の間の重厚な扉を開けようとすると、背後にアマレットとアマレットの祖母が現れた。
「カイン!?あなた何してるの!?」
アマレットは息を切らし、ひどく取り乱していた。
「カイン君、馬鹿な真似はやめなさい。取り返しのつかないことになるよ?あなたは優しくて良い子だよ…アマレットが選んだ子だもの。一度道を踏み外したら、後戻りしてやり直すのは至難の業だよ。」
アマレットの祖母は、カインを冷静に優しく宥めようとした。
そしてその言葉は、紛れもなく本心だった。
しかしカインの耳に、その言葉が届くことはなかった。
カインは扉を乱暴に破壊し、封の間へと入って行った。
イヴァンカの言う通り、カシェは大きくて太い、立派な杖だった。
「やめてカイン!何考えてるの!?」
アマレットは必死でカインを止めようとした。
「もう…こうするしかねえんだよ!!」
カインはそう叫び、カシェを焼き払った。
カシェは一瞬にして、影も形も残らなくなってしまった。
パピロスジェイルの、イヴァンカが投獄されている檻の魔術が解除された。
イヴァンカは、ゆっくりと檻の外へ出た。
イヴァンカは一歩檻の外へ出ると立ち止まり、しばらく呆然としていた。
そして、顔中をしわくちゃにし、歯を剥き出しにして悍ましい笑顔を浮かべていた。
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