輪廻の風 3-46



イル・ピケは戸惑っていた。
自身の能力が、一向にアズバールに効いている気配が無いからだ。

アズバールの能力によって床からニョキニョキと生い茂る木々は、イル・ピケに向かって縦横無尽に襲い掛かっていた。

イル・ピケは闇の破壊光線を放ち、それらの攻撃をひたすら弾き返し、一貫して防御に徹していた。

飄々と自分を殺しにかかるアズバールに、イル・ピケは動揺を隠しきれず、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。

「おかしい…どうして…?」
計算外の出来事に、イル・ピケは思わず口をついた。

するとアズバールは、「ククク…なんだよさっきから?何か腑に落ちねえ事でもあるのか?」と尋ねた。

イル・ピケの能力について一切の情報を知らないアズバールは、何故イル・ピケが先程から動揺しているのか、皆目見当がつかなかったのだ。

「私の首に刻まれた…真紅の花の名は…"ゼラニウム"…花言葉は…"憂鬱"…。私の間合いに入った全ての者は…私が醸し出す陰鬱なオーラに感化され…心を蝕まれ…ゆっくり自壊していく…。並の人間なら…すぐに影響が出て…自ら命を絶つ…。一瞬ではあるけど…あのマルジェラでさえ…自害を試みようとしていた…。なのに…どうして…貴方の心は…壊れないの…!?どうして…私に…向かって…これるの…!?」
イル・ピケは感情的になってしまい、自身の能力をべらべらと喋ってしまった。


「ククク…なるほどな、そういうことか…合点がいったぜ。どうやらてめえのその能力、俺とは相性が悪すぎるようだな。」
アズバールは一瞬驚いた顔をした後に、ニヤリと酷薄な笑みを浮かべながら言った。

「どういう…意味…?」
イル・ピケはゴクリと生唾をのんだ。

するとアズバールは、「クククッ」と非常に冷酷非道な性格を感じさせるような笑い方をした後に、「てめえがわざわざ手を下さなくても、俺の心はとっくに憂鬱で支配されてんだよ。」と言い放った。

イル・ピケは益々意味がわからなくなり、若干瞳孔を開きながらポカーンとしていた。

「俺の心はとっくに壊れてるって言ってんだよ。だからてめえがいくら憂鬱なオーラを俺に放とうと無意味。破れた太鼓を叩いたって、音は出ねえだろ?」

「うそ…そんな馬鹿な話が…ある筈がない…!だって貴方…全然憂鬱を…感じているように…見えない…!心が壊れている人間が…戦闘なんて…出来る筈が…ない…!」
声を荒げるイル・ピケとは対照的に、アズバールは冷静沈着だった。

「出来るさ。俺は俺の前に立ちはだかる連中を皆殺しにし、暴力で支配した世界を創りてえんだ。そして…その死臭に満ちた血生臭い世界で死にてぇんだよ。」

アズバールは、生まれて初めて自身の本心を他者に打ち明けた。
こんな事は、生涯誰にも言うつもりなどなかった。
しかし、何故かイル・ピケには無意識に話してしまったのだ。
アズバールはハッと我に返り、そんな自分を不思議に思った。

「まさか…死ぬ為に…戦ってるって…言うの…?」イル・ピケは目を丸くしながら尋ねた。

「ああ、その通りだ。大陸戦争真っ只中の混乱期に生を受けた俺にとって、この世は産まれ堕ちた瞬間から地獄だった。周りは敵だらけ…味方なんざ一人だって居やしねえ。幼い頃から凄惨な地獄を生き抜いてきたんだ、尊厳破壊を受けて心を失うのに、そう時間はかからなかった。こんな世界で生きていく意味なんて無えんだよ、俺はずっと死に場所を探しながら今日まで生きてきた。」
アズバールは、再び自身の心の奥底に秘めていた本心を洗いざらい話し始めた。

アズバールは、静かに話を聞いているイル・ピケを凝視した後、またもや無意識に話を始めた。

「だが、自ら命を絶つのはどうも嫌でな…そんなダセェ真似は死んでもしたくなかった。かと言って、長いものに巻かれるのも、権力に媚びながら生きるもの死んでも御免だ。だってそうだろ?そんなもん、生きてんだか死んでんだか分かったもんじゃねえからな。」

「とどのつまり…何が…言いたい…の…?」
イル・ピケは興味深そうに尋ねた。
いつの間にか、アズバールの話にどんどん引き込まれていってしまっていたのだ。

「だから俺は…俺を見下す奴、俺を支配しようとする奴らを片っ端からぶっ殺して生きていこうと決めたんだ。その狂気が渦巻く流れに身を委ね、戦いに生き、戦いの中で死にてえんだよ。どうせ死ぬなら、生きた証くれえは残してえだろ?バレラルク人もユドラ人も…同種族のドアル人もてめえら魔族も関係ねえ、どいつもこいつも例外なく殺してやりてえんだよ。」
アズバールは、身の毛もよだつような冷血で悍ましい表情でそう言い放った。

アズバールは6年前の大陸戦争でマルジェラに大敗した。
2年前にバレラルク王国に侵攻した際にはエンディとモスキーノに敗れた。
その後、ユドラ人に一泡吹かせ一矢報いたい思いで逃走を図った後、捕縛された。
ユドラ帝国ではウィンザーとイヴァンカに大敗した。

本当はその時に死んでいてもよかったのだ。
否、死にたかったのだ。
むしろそれこそが、彼にとっては本望だった。
しかし、死にきれず、命からがら生き延びてしまった。
そんな自分自身を心の底から恥じていた。

だからアズバールにとって、此度の魔族との戦いは理想的だった。
未だかつて見たこともない強敵たちとの戦いで、狂気の刹那に存分に浸り、死ねるかもしれないのだ。
それこそが、アズバールが欲する理想の死の形。

ここまでの話を聞いたイル・ピケは、不覚にもときめいてしまった。

初めて相見えた、自身の遥か上の段をいく陰鬱な男に、妙な感情が芽生えてしまったのだ。

しかし、自分はヴェルヴァルト大王の腹心の1人。
目の前の男は紛れもない敵だった。

イル・ピケは戦意を喪失しかけていたが、本来の自分の成すべき事を今一度再確認し、心を鬼にしてアズバールに殺気を放った。

「私の能力が…効かないのなら…この闇の力で…真っ当に消すまで…!」
イル・ピケは切ない気持ちを押し殺し、全身からメラメラと炎の様に闇の力を放出させた。
今まで一度も巡り会ったことの無かった、魅力的な男を殺す為に。

するとアズバールも、すかさず臨戦態勢を整えた。

「ククク…すげえじゃねえか。まだそんな力を残していやがったのか。」
アズバールは不敵に笑った。
何故、今日初めて会った敵の女に自身の心の内を吐露してしまったのか、そんな疑念を抱きながらも、アズバールはこの戦いを早急に終わらせようと決意した。

「隔世憑依 精霊の宿木(ニンファヴィスキオ)」
アズバールは隔世憑依の言霊を唱えた。
なんと、アズバールも2年前のユドラ帝国との決戦の終結後に、隔世憑依を会得していたのだ。

すると、イル・ピケの眼前に突如、一本の大木が生えてきた。

高さ10メートルほどのその大木は、この上なく美しくて神秘的だった。

一見するとなんの変哲もない、そこら中に生えていそうな木ではあったが、なんとも表現し難い程の神々しいオーラを纏っていたのだ。

イル・ピケはその神木に心を奪われ、魅入ってしまった。

「ククク…見惚れてる場合じゃねえぞ?」
アズバールは冷淡にそう言うと、イル・ピケはハッと我に返った。

イル・ピケは気を取り直してもう一度、その神木を注視した。

すると驚くべきことにその神木は、先程感じた美しさと神秘がまるで嘘の様な恐ろしいものへと変貌していた。

突如神木に、無数の人間の顔の様な物が浮き彫り細工のように現れ始めたのだ。

神木を埋め尽くすそれら無数の顔は、それぞれ断末魔のような金切り声を発しながら、今にも息が絶えてしまいそうな程に苦しみに満ち溢れた表情をしていた。

「なによ…これ…?」

「ククク…こいつらのツラ、見覚えねえか?よーく目を凝らして見てみろよ。」

イル・ピケは言われるがまま、神木に浮かぶ無数の顔を凝視した。
しかし、それらはどれも、全く見覚えのない顔だった。
そして、彼らが発する断末魔の余りの騒々しさに、耳を塞いでしまいそうだった。

「ククク…お前、罪深い女だな。てめえが殺した連中のツラくらい覚えておけよ。俺も今まで星の数ほど気に食わねえ奴らを殺してきたが…そいつらの顔も命日も、全部覚えてるぜ?」
アズバールはサラッと恐ろしいことを言ってのけた。

そう、神木に浮かぶ無数の顔は、今日までイル・ピケが殺してきた人間たちだったのだ。

アズバールの隔世憑依はエンディ達の様に、パワーが飛躍的に上昇するものでは無かった。

対象者がこれまでに殺してきた死者の怨霊が取り憑いた大木を、対象者の眼前に生やすという、何とも恐ろしい能力だったのだ。

「あ…あ…あ…。」
イル・ピケは酷く怯え、全身の血の気が引いていた。

「ククク…人は善行では語られねえ。人は…悪行をもって語られるんだ。何人たりとも、自らが犯した業からは逃げられねえぜ?」
アズバールが冷酷な笑みを浮かべてそう言い終えると、無数の顔がまるで大木から脱出するかの様に、幹の様に伸びていった。

無数の幹は断末魔を発しながら、一直線にイル・ピケに襲い掛かった。

突然近づいてきた無数の顔、その余りの恐ろしさに、イル・ピケは一切反応が出来なかった。

「うぎゃあああっ!や、やめてぇ!」
イル・ピケは両目から涙をこぼしながら絶叫した。

無数の顔はそれぞれイル・ピケの身体中に噛み付いた。

イル・ピケは抵抗し暴れようと試みたが、不思議な事に身体に全く力が入らなかったのだ。

「ククク…無駄な抵抗はやめろよ。そいつらはてめえの生力を吸収してんだ…そうすることでこいつらはようやく成仏する。こいつらが成仏して消える時は…てめえの命が消える時だぜ?」
アズバールが勝ち誇った表情でニヤリと笑いそう言い終えると、神木もそれに取り憑いた怨霊も、何事も無かったかの様に突然消滅した。



イル・ピケは仰向けになったまま、寂しげな目でアズバールを見つめていた。

最早その命は風前の灯火だった。

生力を吸い取られても尚辛うじて意識を保ちアズバールを見つめるその行為は、どこか執念深さを感じた。

「私…何のために…生きて…きたん…だろう…?」
イル・ピケは目に涙を溜めながら自問自答していた。

そんなイル・ピケの姿を、アズバールは鼻で笑いながら静観していた。

「ククク…愚問だな。自分の存在意義なんざ模索するべきじゃねえ。そんな事いくら考えたって、永遠に答えは見つからねえからな。本当はどいつもこいつも気付いてんのさ…自分の存在もこの世も無価値だって事に。気付いていながら、気づかねえフリをしてやがるんだ。だから弱え奴等は、幸福なんていう頓狂な偶像を崇め、生にしがみついて生きる他道が無えんだよ。」

イル・ピケは静かに話を聞いていた。

しばらく間が空き、アズバールは再び語り始めた。

「汚ねえ欲の皮が突っ張った生物が万物の霊長として君臨しているこんな世の中で、生きる意味とか価値を見出すことなんざ、土台が無理な話なんだ。汚ねえ世界で醜く生きるしかねえんだよ。でもよ…だったら、死に様くれえは自分が思う理想の形を選びてえだろ?これは人間に与えられた唯一の特権だぜ?」
アズバールは狂気じみた目つきで持論を展開していた。

イル・ピケの瞳はキラキラと輝いており、とても死にかけているとは思えなかった。

「うふふ…初めて…好きになった…男が…私を殺した男だなんて…酷な…話ね…。どうせ…奪う…なら…命だけに…して…欲しかった…わ…。ねえ…寒くなって…きた…抱きしめてよ…?」
イル・ピケは息絶え絶えで懇願したが、アズバールは何も言葉を発さず、その場からピクリとも動かず、微動だにしなかった。

イル・ピケは悲しげな眼でアズバールの顔を直視していた。

「うふふ…馬鹿ね…冗談…よ。じゃあ…せめて…手くらい…握ってよ…お願い…。」
イル・ピケは最期の力を振り絞って右腕を挙げ、アズバールに手を伸ばそうと試みたが、振り上げようとしたその腕はすぐにパタリと床に落ちていった。

イル・ピケは安らかな表情で息を引き取った。

アズバールは、自分の心の中に、一瞬ではあるが"何か"が芽生えそうになっているのを感じ取った。

しかし、その正体は自分にも分からなかった。

これ以上この場所に留まっていたら、自分が自分で無くなってしまいそうな気がして、すぐにその場を立ち去った。

「ククク…じゃあな、いつかまた…地獄で会おうぜ。」
アズバールはイル・ピケの亡骸に背を向けたまま、ボソリと呟いた。

きっとアズバールは、この先ずっと分からないままだろう。
一瞬芽生えそうになったその"何か"の正体が、遥か昔に失ってしまった"情"である事に。





魔界城3階での戦い、勝者アズバール。










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