輪廻の風 3-47



魔族73000対バレラルク1800。
現在の魔界城内部の戦況である。

場面は、魔界時の4階へと移り変わる。
緩やかに全滅へと近づくバレラルク側に対し、魔族側の戦力は大幅に減少していた。

これは、バレラルク王国の将帥にして鳥の天生士であるマルジェラの奮闘のおかげだ。

鳥化して高い天井を悠然と羽ばたくマルジェラを、魔族の戦闘員達は例の空中浮遊能力を使って追い詰めようと試みたり、または闇の破壊光線を放って撃ち落とそうと試みるも、マルジェラの両翼から、まるで無尽蔵の散弾銃の如く放たれる短刀のような鋭利な羽により尽く蹴散らせていた。

圧倒的数の不利を覆す戦いぶりを魅せるマルジェラの功績は、かなり大きかった。

しかし、いくら魔族側の兵隊の戦闘能力がマルジェラと比較して著しく低いとはいえど、やはりこれ程の数を相手に戦い続けるマルジェラの体力は、着々と限界へと近づいていった。

マルジェラを援護するように戦い、敵を斬り捨て続けるラベスタとエスタとジェシカ、鞭を振るい敵を圧倒するモエーネ、彼らもまた、人体に無慈悲に蓄積されていく疲労に抗いながら、体に鞭を打ちかなり無理をして戦っていたのだ。


その場には、ロゼ、エラルド、ノヴァも加勢に参じたのだが、彼ら3名は先のヴェルヴァルト大王との激闘により激しく負傷しており、ロゼに至っては神槍ヘルメスの解放により肉体を酷使し過ぎたため、起き上がる余力すらなかった。

よって3名はほとんど戦力外だった。

3名はラーミアによる治療を受けながら、自身の無力さを呪っていた。

治療を邪魔だてされぬよう、アマレットは4人の周囲を結界で囲み、アベルはそんなアマレットの警護に尽力していた。


つまり、マルジェラ達の体力が限界に近づけば近づくほど、バレラルク側の戦力は危機に瀕していくのだ。

彼らが倒れた時、この戦争は魔族側の圧勝で終戦を迎えると断じても過言ではなかった。

つまり、魔族側がこの戦争に終止符を打つためには、何としてでもマルジェラを筆頭としたバレラルク側の強大な戦力を削らなければならないのだ。

4階にやってきたのは、冥花軍が一、スロイス・キリアン。

キリアンは長身細身で白髪の、細く吊り上がった目をした若い青年のような見た目をしており、首には白い花が刻まれている。
また、その瞳は左右で色が違うオッドアイ。
左眼が朱色で、右眼が紫色だった。

「レディースアンドジェントルメ〜ン!はい注目〜〜!リッスンリッスン!お前達、俺が来たからにはもう安心だ!おいマルジェラ!お前、可愛い部下達によくも酷え真似してくれたな!?ケジメつけてもらうぞ!代償は…お前の命だ!」
キリアンは舌を出し、ニタリと嫌らしい笑顔を浮かべながら言った。

「おお!キリアンさん!キリアンさんだ!」
「キリアンさんが来てくれたぞ!」
「ギャハハッ!死んだぞてめえら!」

キリアンの登場に、魔族の戦闘員達は沸いた。

「へっ、ようやく冥花軍のお出ましか。今まで昼寝でもしてやがったのか?こんな隙だらけのふざけた男が敵幹部とは笑わせてくれるぜ。てめえの首は俺が討ち取ってやる!」
エスタは油断していた。

戦場にその身を置いてあるとは到底思えないほどのキリアンのおちゃらけぶりと、その隙だらけの立ち居振る舞いに、この男は大したことなさそうだと判断してしまったのだ。

エスタは一目散に、キリアンに向かって斬り掛かっていった。

しかし、どういう訳か、キリアンに到達する僅か3メートルほどの所で、エスタは握りしめていた剣を床に落としてしまったのだ。

エスタはそれを拾う素振りすら見せず、ただその場に立ち尽くし、呆然としていた。

「エスタ、何やってんの?こんな時にふざけないでくれる?」
ラベスタがいつになく厳しい口調で言った。

その一部始終を、キリアンはニタリと笑いながら観望していた。

「エスタ、何してんの?早く剣を拾いなよ。」

敵を目の前に武器を手放し、ボーッと立ち尽くしているエスタを、ラベスタは理解に苦しむような表情で冷たい眼差しを向けていた。

すると、エスタは唐突に奇妙なことを口走ったのだ。

「剣を拾え…だと?なんでだ?」

「ちょっとエスタ!なに言ってんの!?」
「ここは戦場よ!目の前にいるのは敵軍の幹部!呆けてないで、早く剣を拾って、一旦こっちに来なさい!」
モエーネとジェシカは、エスタの身の危険を案じ、強い口調で注意を促した。

エスタの様子がおかしいのは、火を見るよりも明らかだった。

「だって俺…剣の使い方なんて分からねえし…そもそもこれって俺の剣なのか?それに…戦場って??何で俺たちは闘わなくちゃならないんだ…?」
エスタの脳内には、処理しきれないほどに大量の疑問符が乱舞していた。

今度は、痺れを切らしたラベスタが、無表情のままキリアンに斬り掛かった。

すると、やはりラベスタも、キリアンに到達する3メートルほど手前の場所で、急にピタリと立ち止まってしまったのだ。


キリアンはラベスタに向かって右手を翳し、闇の破壊光線を放った。

なんとラベスタは、目の前で攻撃を仕掛けられていると言うのに、ピクリとも動かず、剣を両手で握ったりまま微動だにせず立ち尽くしていたのだ。

このままでは、キリアンの放った闇の破壊光線が直撃してしまう。

たまたま近くにいたサイゾーは咄嗟の判断で、両腕でラベスタの身体を半ば強引に抱え、大慌てで回避した。
お陰で、ラベスタは九死に一生をえた。

「ラベスタ!お前なにをボサっとしているんだ!天然ボケもいい加減にしろよ!」
サイゾーは背筋を凍らせながら、ラベスタを強い口調で叱りつけた。

しかし、それでもラベスタは、呆然としたまま直立不動で微動だにせず、心此処に在らずだった。

するとラベスタは、「どうして避けなかった!?」というサイゾーの質問に対し、エスタに続いて不可解なことを口走った。

「歩き方を…忘れた。」

「はぁ!?」
サイゾーの声は裏返っていた。

「足をどう動かせばいいのか分からないんだ…。俺、今までどうやって歩いてたっけ?てか、みんなはどうやって歩いているの?」

ラベスタは、生物の基本動作ともいうべき"歩行"という概念が消えてしまっているようだった。

すると、いつの間にかサイゾーの背後に、鳥化を解いたマルジェラが呆然と立ち尽くしていた。

サイゾーは、そんなマルジェラの姿に思わずギョッとし、「マルジェラさん!?あなたまでこんな時に何をしているんですか!?」と言った。

すると、マルジェラまでも心此処に在らず状態の表情で、サイゾーの顔を直視しながら「サイゾー、いきなり何だ?俺は別に何もしていないぞ?」と冷たく言った。

2人の会話は全く噛み合っていなかった。
サイゾーは、この正念場で鳥化を解いたマルジェラの奇行ともいえる行為について言及していたのだ。
しかし、マルジェラにはそれが全く伝わっていなかったのだ。

「マルジェラさん!ずっと前線に出て疲弊しきっているのは理解してます!私たちが今こうして生きているのも、貴方が身を挺して夥しい数の魔族達を食い止めていてくれたお陰です!でも…冥花軍の戦闘員が出てきた今のこのタイミングで鳥化を解除したのは何故ですか!?」
「そうですよ!マルジェラさん、早く鳥の姿になって下さい!そして、みんなでこの男を斃しましょう!」

ジェシカとモエーネが必死にそう問いかけると、マルジェラは信じられないという眼つきで2人を凝視した。

「お前達、何を言っているんだ?人間が鳥になれるわけがないだろう。」
マルジェラは、キリアンの能力によってジェシカとモエーネがおかしくなってしまったのではないか、と危惧していた。

しかし皮肉なことに、ジェシカとモエーネは至って正常で、おかしいのはマルジェラの方だった。

「そうさ…そうやって忘れてしまえばいいんだ、何もかも。忘れることは恥ずべき事ではない。辛い記憶に限って鮮明に覚えている…これは、実に悲しき人間の習性だ。忘れたくても忘れることの出来ない忌まわしき記憶が呪いのように纏まりついたまま生きるなど、実に残酷だと思わないかい?どうせなら…生きる上で必要不可欠な基本的な知識も、己の生き様も、己の正体すらも綺麗に忘れてしまえばいいんだ。でも大丈夫、心配しないで…しっかり俺が調教して、有益な上等生物に育て上げてあげるからさあ!」
そう言い放ったキリアンの表情からは、異常な精神構造が垣間見えた。

「貴様!一体何の能力だ!?」
サイゾーは怒号を発し尋ねた。

「俺の首に刻まれた花は"ポピー"。花言葉は"忘却"だ。」

キリアンのこの一言でサイゾー達は、マルジェラ達に生じた異変に納得した。

「お前達は既に俺の掌の上だ。これからどんどん、色々なことを忘れていくよ。お前達が何かを忘れる度に、お前達は意志なき肉塊へと一歩近づいていく。しかし、その生命を脅かされている恐怖感すらもいずれは忘れ、やがては自分達が人間であることすら忘れていく。その間抜けな様を観望するのは俺にとっての何よりの至福…なにものにも代え難い程に贅沢な時間なんだ。さあ、脳の機能が停止するまで、僅かだがまだ時間はあるぞ。くるしゅうない、精一杯抗ってくれ給え。」

キリアンは、まるで虫ケラでも見下ろしているかのような表情で、マルジェラ達を眺めていた。











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