輪廻の風 3-15




王宮の周辺に、怪我人の治療用に100を超える仮設テントが設けられていた。

治療を終えたサイゾーは、そのうちの一つのテントの下に敷かれた布団に包まり、療養していた。

左半身に重傷を負ったものの、幸いにも命に別状は無く、後遺症も残らずに済みそうだった。

サイゾーは目を半開きにさせながら、ボケーっとした顔で天井を眺めていた。

するとサイゾーのもとに、何食わぬ顔をしたクマシスが現れた。

「チョリーッス!サイゾー隊長、ご機嫌いかがっすか!」
クマシスは見舞いの品すら持参せず、鼻歌を唄いながら登場した。

サイゾーを見捨てて逃げたことに負い目を感じていたが、きっとサイゾーはそんなこと気にしていないと都合よく考えていたのだ。

サイゾーは、そんなクマシスを無視した。

まるで、自身の目の前には誰も居ないかの様な態度をとっていた。

「ちょ…ちょっとお〜、無視しないでくださいよぉ〜!」
クマシスはサイゾーが怒っていることを察していた。
しかし、敢えておちゃらけた様な態度をとってみせた。

「…クマシス、お前…どうして逃げたんだ?」

「…え?」

今にも消え入りそうな悲痛な声色でサイゾーに逃げた理由を問われ、クマシスはギクリとした。

そして、サイゾーが本気で怒っていることを直感した。

「お前あの時…俺を置いて逃げたよな…?」

「いや…あの…それは…その…。」
クマシスは分かりやすいくらいにオドオドし始めた。

するとサイゾーはゆっくりと上体を起こし、鋭い目付きでクマシスを睨みつけた。

「クマシス…確かにお前はだらしなくてお調子者で、怠け者でどうしようもない奴だけど…仲間を見捨てて逃げる様なクズではないと思っていた…そう信じていた…なのに何で…何で俺を見捨てて逃げた!どの面下げて俺の前に現れた!?」

サイゾーはショックだったのだ。
なんだかんだ言って、クマシスの事を信じていた。
クマシスの事をかけがえのない仲間であり、部下であり、大切な右腕だと思っていた。

そのクマシスが、重傷を負って身動きが取れなくなった自分を置いて逃げたという紛れもない事実に、強い怒りと悲しみを覚えていた。

魔族の攻撃を受けた人体の痛みなんかよりも、信頼していた部下に見捨てられた心の痛みの方が遥かに上回っていたのだ。

クマシスは黙っりこくったまま俯いていた。

そんなクマシスに追い討ちをかける様に、サイゾーは両目に涙を溜めた状態で怒鳴り散らした。

「どっか行けよ!もう顔も見たくない!2度と俺の前に姿を見せるな!!」

この言葉に、クマシスは大きなショックを受けた。
さらに、サイゾーの怒鳴り声で周囲の怪我人や視察に来ていた軍人、そして医療従事者等の複数人の視線がクマシスに向けられた。

「しょうがねえじゃねえかよ…あんな強い奴ら…俺なんかじゃどうしようも出来ねえんだから…自分の命が一番大事なんだよ!文句あるかバカやろーー!!!」

クマシスはそんな視線が辛くなり、恥ずかしさや惨めさを紛らわす様に大きな声で捨て台詞を吐いて、逃げる様にしてその場を立ち去っていった。

保安隊副隊長としてのクマシスの威厳や信頼は、大きく失墜してしまった。

そしてサイゾーとの間にも、修復不可能なくらい大きな溝が出来てしまった。

クマシスの対応を見たサイゾーは、更に幻滅し、再び布団へと潜った。


そして王宮では、思わぬ事態が起きていた。

数十名の暴徒化した市民達が徒党を組み、王宮に向かって罵声を飛ばしながら投石をし始めたのだ。

魔族達の襲撃により家族、居住地、仕事、財産、様々なものを失った市民達の一部が、暴走を始めていた。

「こらロゼ!出てこい!この無能な馬鹿国王!」

「コラ異能者ども!全部てめえらのせいだぞ!さっさと出ていけ!」

「異能者のクソども!魔族はてめえらを狙って襲撃に来たらしいじゃねえか!責任取れよ!!」

彼らのやり場のない怒りは止まる事を知らず、ヒートアップしていく一方だった。


エンディ達は王宮の執務室の窓から、悲しげな表情を浮かべてその様子を眺めていた。

「異能者かあ…そういえばそんな風に呼ばれてた時期もあったなあ。」
エンディはしみじみと言った。

「ロゼ国王!どうすればよろしいでしょうか!?」
大慌てで執務室に訪れた近衛騎士団員が尋ねた。

「…止めてこい。多少手荒になってもいいが…殺すなよ?」
若干冷静さを取り戻したロゼが指令を下すと、団長のエスタを筆頭に100名近くの王室近衛騎士団員達が暴徒の鎮圧に向かった。

「あの…暴徒化した市民の中には、被害の少なかった地区へ行って傷害や強盗を繰り返している人たちもいるって聞きました…。私たちはそちらへ出向きます。」
モエーネは緊張した様子でロゼに言った。

しかしロゼは「いや、いい。そっちの方は保安隊に任せよう…。」と力の無い声で言った。

「強盗って、ひでえな…。こんな時こそみんなで一丸となって頑張るべきなのに…。」
エンディは心を痛めていた。

「仕方ねえよ…災害時や戦時下では、行き場や金を失った奴らがゴロゴロ居るからな。心無い事をする奴らが現れるのも必然だ。」
カインは冷静な口調で言った。

「なあ…俺たちこれからどうすりゃいいんだ?」
エラルドがそう言うと、ノヴァがすかさず「どうすりゃいいって?どういう意味だ?」と尋ねた。

「魔族どもが俺たち天生士を狙って襲撃に来たのは事実だろ?そのせいで市民が巻き添えになったのも…。あいつらが俺たちに出てけって言うのは無理も無えよな。」
エラルドは、暴徒鎮圧に向かった近衛騎士団員達に抵抗する市民達の様子を、窓から眺めながら言った。

「だからって俺たちがここを出て行くわけにはいかねえだろ。奴らが俺たちを再び狙ってくるのは間違いねえ。俺たち天生士が分散すれば、被害区域が拡がるだけだ。奴らが再び襲撃に来ると分かっている以上、早々に王都から市民達を避難させることを最優先すべきだと思うぜ?」
ノヴァは理に適った事を言った。

するとロゼは「ノヴァの言う通りだな…まずは国民と…あとは戦意を喪失した兵士たちを王都から離れさせよう。」と言った。

どうやら、ノヴァの意見に賛同した様だ。

ロゼは徐々に、心の落ち着きを取り戻しつつあったが、それでもやはり、あまり元気がなかった。

「俺たちは…俺たちにできる事をしよう。」
エンディは前向きな姿勢で言った。

それは、いつまでもクヨクヨせず、失ったものを受け入れ、前に進んでいこうという強い意志の表れだった。

「ふっ、そうだな。エンディ、久しぶりに一緒に修行でもするか?」

「おっ!いいねえ!」

エンディとカインは、2人で鍛錬することに決めた。

「俺たちも一緒に修行しよっか。」
ラベスタはノヴァを誘った。

しかしノヴァは、「悪いなラベスタ、修行は1人でする主義なんだ。」と言い、ラベスタの誘いを断った。

ラベスタは無表情だったが、若干むくれている様に見えた。


「ようラベスタ、お前よ、俺の修行に付き合ってくれねえか?」
エラルドがそう言うと、ラベスタは満更でもない様子で「しょうがないなあ。」と言って承諾した。

皆それぞれ執務室を後にし、鍛錬へと向かって行った。

「フフフ…みんな張り切ってるねえ。俺も一肌脱ぐとするか。」
バレンティノはそう言い残し、エンディ達に続いて執務室を出た。

執務室はロゼ、ジェシカ、モエーネの3人になってしまった。

「悪い2人とも、少し1人にしてくれないか?」
ロゼが言った。

するとジェシカとモエーネは顔を見合わせ、ロゼに気をつかうようにそーっと執務室を出た。

1人になった途端、ロゼは声を殺して泣いた。

此度の件で自身の不甲斐なさや、国王としての器量の足りなさを痛感し、悔しくて悔しくて堪らなかったのだ。

ロゼはまだ20歳。
大国の国王になるには、まだまだ若すぎたのかもしれない。

1人になった途端、張り詰めていた心の糸が切れてしまったのだ。

犠牲になった兵士や国民達を悼み、誰よりも心を痛めていたのはロゼだった。

涙はボロボロと、滝の様に止めどなく溢れてきた。

「ちくしょう…こんな時…お父さんだったらどうしたんだろう…。お母さん…俺もうどうしたらいいか分からねえよ…!」

ロゼは机上に顔を伏せ、亡き父母の事を考えていた。

数分後、泣き止んだロゼは顔を上げた。

その表情からは、強い決意の様なものを感じた。

「魔族ども…来るなら来い。もう誰も死なせねえからな…!」
ロゼは心に固く誓った想いを口に出した。

思い切り泣いて、気持ちがスッキリした様だ。


この時は、誰も知る由も無かった。

再び襲撃に来た魔族の軍勢が、思わぬ形で地の利を潰してくることに。


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