輪廻の風 2-46
「イヴァンカ、お前は俺の大切なものを傷つけすぎた。その代償、お前の命で償ってもらうからな。」
エンディは怒りで我を忘れ、再び柄にもなくこの様なことを口走った。
そして、突如エンディの周囲を吹き荒れていた強烈な風がピタリと止んだ。
辺りは無風状態になった。
「虚勢を張るのも程々にした方がいい。どうやら君は先の戦いで、自らの体を酷使し過ぎたようだね。もう風の力を発することすらままならない君が、私とまともに戦えるとは到底思えない。」
イヴァンカが嘲笑う様にそう言っても、エンディは威風堂々と佇んでいた。
イヴァンカはエンディに斬りかかった。
エンディはヒョイと身軽にかわした。
他の者が一切反応できなかったイヴァンカの速度に、エンディは順応していたのだ。
イヴァンカは一瞬焦ったが、まぐれに違いないと自分に言い聞かせて態勢を整えた。
もう一度エンディを斬ろうとしたその時、エンディが拳を振り上げた。
イヴァンカはエンディの殴打を剣で受け止めようとしたが、とてつもない勢いで吹き飛ばされてしまった。
攻撃を発する瞬間、エンディは辺り一面を吹き飛ばすほどの強力な風を放出させたのだ。
エンディは凝縮させた風の力の全てを体内へ吸収していた為、周辺が無風状態となっていたのだ。
そしてその絶大な力を、攻撃の瞬間に一気に解き放っていたのだ。
イヴァンカは今の一撃で、それを瞬時に理解した。
「面白い…それでこの私と対等に渡り合えているつもりか?君の風など、我が雷で消し去ってみせよう。」
イヴァンカは冷静だった。楽しそうにすら見えた。
イヴァンカは身体から夥しい量の雷を放出させた。
両者ぶつかり合い、激しい戦闘が繰り広げられた。
風と雷の衝突は、大気に亀裂が生じてしまいそうな程の激しさを見せた。
イヴァンカの斬撃を、エンディは全て生身の腕や足で受け止めていた。
生身といっても凝縮された台風の様な風を纏っていた為、ぶつかり合うたびに地形が変わるほどの力の奔流を見せた。
周囲の山脈の岩山はどんどん消しとばされ、雲より高いバベル神殿はいつ崩壊してもおかしくない状態だった。
イヴァンカの攻撃を受け流し、エンディに一瞬隙ができた。
満を辞したイヴァンカは、その隙を突いて巨大な稲妻を放った。
しかしエンディは、その稲妻を片手で相殺してしまった。
これにはイヴァンカも内心穏やかではいられず、目を見開いて驚嘆していた。
エンディはここぞとばかりにイヴァンカを地面に叩きつけ、甚振った。
その頃、ラーミアは目を覚ましてゆっくりと上体を起こした。
「気がついたか、ラーミア。」
モスキーノがラーミアに近寄って言った。
「モスキーノさん…?」
「ラーミア、この戦いはもうすぐに終わる。まずは自分の傷を癒しなよ。」
モスキーノが冷静な口調でそう言うと、ラーミアはエンディとイヴァンカのいる方向を見た。
無慈悲に、躊躇なく、ただ無心でイヴァンカに殴る蹴るの暴行を加えるエンディを、ラーミアは心底恐ろしく思った。
「あれは…誰?」
ラーミアはエンディを遠い目で見ながら言った。
まるで別人の様に変貌しているエンディに対し、あれは本当に私の知っているエンディなの?と、ラーミアは自問自答していた。
モスキーノは、ラーミアの心の内を察した。
「世の中で一番怖い人間は、最愛を知る優しい人間だよ。大切なものを奪われた時、その人間は理性を失い全てを破壊する。両親を殺され、目の前で仲間が傷つけられて…エンディはもう、"こっち側"に戻ってこれないかもしれない。もしかしたらイヴァンカを殺した後も見境なく暴れ回り、全てを破壊し尽くすまで止まらないだろうね。」モスキーノは、エンディをまるで危険視している様だった。
すると、ラーミアはエンディに向かって一目散に走り出した。
「え!?ラーミア!?何考えてんの、危ないから戻って!」
モスキーノの言葉など、ラーミアの耳には入ってこなかった。
ただひたすら、エンディに向かって走った。
エンディの放つ風に飛ばされそうになり何度も転んでは怪我をした。
割れた岩脈の破片が飛んできて、額や頬、腕や足に傷を負ってもものともせずに、無我夢中でエンディに向かって走り続けた。
エンディの視界には、当然ラーミアなど入っていなかった。
それほどまでにエンディは、イヴァンカに対する憎しみに支配されていたのだ。
エンディは、白目を剥いて意識を失いかけているイヴァンカをカマイタチで斬りつけ、首を絞めて強い風力を纏った拳で腹部を何度も殴打していた。
エンディはイヴァンカの頭を踏みつけ、手には巨大な風の刃を持っていた。
いよいよ、トドメを刺そうとしていたのだ。
そんなエンディを、ラーミアは背後から強く抱きしめた。
「エンディ!もうやめて!」
ラーミアの声を聞き、エンディは思わず手を止めた。
「お願いもうやめて…エンディのそんな姿、私見たくない。戻ってよ…優しかったエンディに…戻ってきて!」
ラーミアは涙ながらに訴えた。
「ラーミア…?何してんだよこんなとこで…なんでそんなボロボロなんだよ…?」
イヴァンカに斬られた傷以外に、複数の擦り傷や切り傷により血を流しているラーミアを、エンディは不思議に思った。
そして、瞬時に理解した。
ああ、この傷は俺のせいなんだ…と。
そう思うと、エンディは途端に心を痛めた。
「ラーミア…ごめん!俺のせいでこんな…どうしよう…。」
エンディは泣きそうな顔でおろおろし始めた。
ラーミアはそんなエンディをポカーンとした顔で見つめた後、自然と笑顔が綻んだ。
「良かったあ…いつものエンディだ!」
「ラーミア…どうして俺の為にこんな危険な真似したんだ?」エンディが尋ねた。
「やだなあ、初めて会った時に約束したでしょ?あなたの力になりたいって。この先何があっても、私はこの約束は絶対に守るよ?あなたのためだったら、何だってする。」
ラーミアがそう言うと、エンディは感動して涙が溢れてしまった。
「エンディは本当に泣き虫だね?」
「う、うるせえよ!」
ラーミアにからかわれ、エンディは急いで涙を拭った。
「エンディがどれだけ辛い思いをしたきたか…私なんかじゃ想像もできない。だから復讐なんてやめてとか、憎しみを捨てて相手を許して、なんて無責任な事は言えない。だけど、自分を捨てた生き方だけはしないで欲しいの。私の知ってるエンディは、初めて会った時から何も変わらない…優しくて暖かい人だから。」
ラーミアが言った。
「ありがとう、ラーミア。」
エンディは心から感謝した。
本心から出る"ありがとう"という言葉と気持ちは、とても深いものだった。
ラーミアのお陰で、エンディは我を取り戻すことができた。
「あれ…イヴァンカがいない…?」
エンディは会話に夢中になるあまり、忽然と姿を消したイヴァンカに気づかずにいた。
遠くに目を向けると、パンドラ内部へ入って行くイヴァンカの姿を確認した。
エンディは急いでパンドラへ向かった。
パンドラは、代々レムソフィア家当主しか立ち入ることが許されないユドラ帝国唯一の禁足地。
エンディも幼い頃からそれを知っていたが、イヴァンカを追って迷うことなくパンドラへと入って行った。
パンドラはさほど大きくもない、年季の入ったドーム状の建築物だ。
ついにその内部の全貌が明らかになった。
中央に巨大な水晶玉の様な物体が置かれていて、周囲にはその水晶玉を囲む様に無数の人型の石像が置かれていた。
エンディは、その不気味で異様な光景に背筋が凍ってしまった。
「何だよ…これ…?」
エンディは不思議と、それらをどこかで見たことがある様な気がした。
いつか見た夢の中で、夢の主の男が感じとっていたものと全く同じ得体の知れない恐怖を感じていた。
それは、エンディがマルジェラに拘束され、気を失っている時に見た夢だ。
光を失い、闇に支配された世界。
夢の主の男が荒野で空を見上げると、闇に紛れて巨大で異形な悪魔の様なシルエットをした物体が空を浮遊していた。
巨大な水晶玉からは、その夢で見たシルエットと同じ邪悪な気をひしひしと感じた。
「エンディ、これが何か分かるかい?」
イヴァンカはその水晶玉の前に立っていた。
「死ぬ前に特別に教えてあげるよ。これはね、500年前に天生士(オンジュソルダ)によって封印された悪魔だ。そしてこれを囲むこの夥しい数の石像は、悪魔から闇の力を与えられた魔族。彼らも悪魔と共に封印されたのだ。」
「どうしてそんなものが…?」
エンディは理解が追いつかなかった。
「500年前、我々ユドラ人の先祖は自らこの封印物を保管することを買って出た。こんな危険な代物を手元に置いておけば、誰も手出しなどしてこないからね…大方、抑止力として利用しようとしたのだろう。」
「お前、さっきから何でその水晶玉を触ってんだ?何をしようとしてるんだ?」
「感じないかい?5世紀にも永きに渡り封じられ続けてきた闇の力が、鼓動を取り戻してきているのを。私と君の巨大な力の衝突により、その封印が弱まってきているのを。」
イヴァンカは冷酷にほくそ笑んだ。
すると水晶玉にほんの小さな亀裂が生じ、そこから真っ黒な煙の様なものが溢れてきた。
「やめろ!イヴァンカ!」
エンディはそれが一体何なのか見当もつかなかったが、間違いなく危険なものであると確信していた。
その溢れ出すドス黒い煙の様なものを目にした瞬間、まるで全身の細胞が警鐘を鳴らしている様な感覚に陥った。
イヴァンカはそれを自らの身体に吸収していった。
すると、満身創痍だったイヴァンカはみるみるうちに生気を取り戻していった。
出血が止まり、傷だらけの身体も再生していった。
そして全身に、まるで漆黒の羽衣を纏っている様な姿になっていた。
「今君の目の前にいるのは、闇の力を取り込んだ雷の天生士(オンジュソルダ)だ。この私に敵うものなどこの世に存在しない。」
更に力をつけたイヴァンカは、以前よりも遥かに邪悪な気を纏っていた。
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