輪廻の風 3-13




この男を知っている。

ルキフェル閣下を目で捉えた瞬間、エンディはそう確信した。

なぜ知っているのかは分からない。
いつ、どこでこの男と会った事があるのかも思い出せない。

それは、気が遠くなるほどの遥か遠い昔の記憶が揺り動かされる様な、不思議な感覚だった。

「お前は…夢に出てきた男だな…?」
エンディは鳥肌が止まらなかった。

2年前、ラーミアと邂逅を果たしたあの日に見た不思議な夢を鮮明に思い出していた。

初めて前世の記憶と思われる夢を見たあの日、夢の中に出てきた男に、あまりにも雰囲気が酷似していたのだ。

「夢…ですか。」
ルキフェル閣下はボソリと呟いた。

「貴方を見て悪夢にうなされてしまいそうなのは、私の方ですよ。現に今…貴方を目の前にしてから…この傷が疼いて仕方がないのですから。」
ルキフェル閣下は漆黒のローブの襟元を指でクイっと下に引っ張り、胸元をチラリと見せた。

そこには、まるで鋭利な刃物で抉られたかの様な、大きな傷跡があった。
それは、思わず目を背けてしまいたくなるほどの傷ましさだった。

エンディはゾッとした。

ルキフェル閣下は、傷跡を隠すかの様に襟元を元の位置へと戻した。

ルキフェル閣下の口ぶりから、きっとこの傷は500年前の風の天生士によってつけられたものだろうと、エンディは推測した。


そしてエンディは、ゆっくりと辺りの景色を見渡した。

その瞳に映るのは、変わり果てた王都の景観、無数の死体。

目に見える現実が信じられず、ここは本当に自分の知っている都市なのかと自問自答をしていた。


エンディは必死に怒りを抑え込もうと試みたが、それは不可能だった。

「これは…ひどいね。」

「ククク…こりゃまた、見るも無残な有様だな。」

機内から降りたアベルは、目の前に広がる光景に絶句していた。
それとは対照的に、アズバールはどこか他人事の様な態度を取っていた。

「おい…これはお前らがやったのか?」
エンディは鬼気迫る表情で尋ねた。

するとルキフェル閣下は、一切動じていない様子で、静かにな声で「はい。」と答えた。

エンディはルキフェル閣下を威嚇する様に、全身から夥しい量の風を放出した。

「絶対に許さないからな。覚悟は出来てるんだろうな?」
エンディは怒りのあまり、眉間にはまるで刻み込まれた様なシワが出来ていた。

すると、ルキフェル閣下に加勢する様に、冥花軍(ノワールアルメ)のメンバーが続々とその場に集結した。

エンディ、アベル、アズバールの3名は、いつの間にか包囲されてしまっていた。

「エンディちゃ〜ん!何をそんな怖え顔してんだあ?」

「殺してやるぜテメェらあ!!」

ジェイドとトロールは、挑発的な口調で嘲笑う様に言った。

エンディは臨戦態勢に入る前に、まずはモスキーノの救出にあたった。

血塗れで白目を剥きながら、今にも息絶えそうなモスキーノを、両手で丁寧に抱え、ジェット機の前まで高速移動した。

その間、ルキフェル閣下を始め、冥花軍のメンバーは誰一人として手出しをせずに、各々その様子を観察する様に伺っていた。

「ラーミア、モスキーノさんの治療を頼む。まだ死んじゃいないはずだ。」
エンディは、機内に残っているラーミアにモスキーノの治療を要請した。

「うん…わかった。」
ラーミアは、この上なく緊迫した様子だった。

そしてエンディと同様に、破壊され尽くされた王都の景観と魔族に殺された人々をその目で確認し、とても心を痛めていた。

ラーミアはモスキーノの治療にあたろうと、そっと機内から出た。

すると、冥花軍のメンバーに激しい動揺が走った。

「おい…ありゃあ…ラーミアじゃねえかよ…!?」

「あれが…最重要厳重警戒対象…ラーミア…。」

ラーミアの登場と共に、先程まで威勢の良かった魔族の面々がザワザワとし始めた。

常時ポーカーフェイスのルキフェル閣下でさえ、顔色を変えてラーミアを注視していた。

「どいつもこいつも、セスタヌート伯爵と同じ反応をしているね。やっぱりラーミアの能力には相当なトラウマが植え付けられているんだね。」アベルが理屈に合った事を言った。

ラーミアは傷だらけのモスキーノの体に両手を翳した。
両手からは眩い光が放出され、モスキーノの体の傷が少しずつ癒えていった。

ラーミアが治療の際に両手から放つ神々しい光。
エンディ達にとっては、何のことない見慣れた光景だった。

しかし、ラーミアがその光を放った瞬間、冥花軍の面々はあからさまにビクビクと怯え始めた。

「う、うおぉ!?」
トロールは思わず大声を張り上げてしまった。

イル・ピケも、ポナパルトトを殺した男も、額や背中にジワリと冷や汗をかきながら、分かりやすいくらいに動揺していた。

ルキフェル閣下でさえ、額からツーと一筋の冷や汗を流し、身構えていた。

「お前ら、ラーミアが怖いんだな。でもな、お前らに殺された人達は…もっともっと怖かったはずだ!お前達の感じているちっぽけな恐怖感なんか、ある日突然幸せな日常を奪われた人々の無念や悲しみには到底及ばないと知れ!」エンディは、両目に涙を溜めながら悲痛な気持ちを大声で訴えた。

しかし魔族の面々はラーミアに怯える余り、エンディの言葉など耳に届いていなかった。

例え届いていたとしても、エンディの気持ちなど微塵も心に響いていなかったに違いない。

「おいおい!冗談やめろよてめぇら!こんな小娘一匹によぉ!ビビってんじゃねえよ!俺がサクッと殺してやるよ!!」
ジェイドはいきりたった口調でそう言い放ち、ラーミアに近づこうとした。

すると、ルキフェル閣下が血相を変えてジェイドの行動を抑制しようとした。

「ジェイドさん!不用意を近づかないで下さい!」
ルキフェル閣下に怒鳴られて、ジェイドは背筋が伸びた。

「貴方一人の愚行によって、我等の存続が危ぶまれることもあり得るんですよ。浅慮な行動は謹んで下さい。」

「す、すいません…閣下…。」
ジェイドは驚くほど素直に聞き入れ、ピタリと動きを止めた。

ルキフェル閣下は静かに深呼吸をし、気持ちを整えた。
そして、ゆっくりと剣を抜いた。

「ラーミアさん、貴女は我等にとって、存在そのものが危険すぎる。よって、私が直々に手を下します。どうかお許しを。」
ルキフェル閣下は凄みのある冷たい眼でラーミアを直視しながら言った。

ラーミアは恐怖により、身体が硬直してしまった。

すると、ルキフェル閣下の前にエンディが立ちはだかった。

「そうはさせねえよ。俺が相手になってやる。」

アベルとアズバールも、エンディに続いて前に出た。

「僕も加勢するよ。」

「ククク…久しぶりにおもしれえ戦いができそうだぜ。」

「アズバールさん、確か貴方はエンディさん達とは過去に敵対関係にあったと聞きましたが…共闘とは意外ですね。」
ルキフェル閣下が言った。

「あ?共闘だと?気色悪いこと抜かしてんじゃねえよ。天生士である俺は、てめえらの標的なんだろ?だからこっちから出向いてやってるだけだ。バレラルクが滅びようが、どこのどいつが死のうが興味は無えよ。」

「そうですか…あくまで私的な理由で我等と戦うという訳ですね。いいでしょう…4人まとめて、私が殺して差し上げますよ。どうか…御覚悟を。」

ルキフェル閣下の闘気と殺気は、凄まじかった。
まるで、大気がビリビリと揺れ動いている様だった。

エンディは、モスキーノがルキフェル閣下に完敗した事に、思わず納得してしまった。

事態はまさに一触即発。

今まさに2つの勢力が衝突しようとした次の瞬間、突如その場所に漆黒の濃霧の様なものが立ち込めた。

邪悪極まりないその物質は、まるで意志を持って動いているかの様にユラユラと動いていた。

「なんだ…これは!?」
エンディは何が起きたのか理解できず、身体を固くして警戒態勢に入った。

ルキフェル閣下を筆頭に魔族の面々は、一斉にピタリと動きを止め、緊張感の漂う張り詰めた空気になっていた。

城下町や王宮周辺の生存者達を襲っては吸血しているヴァンパイア達は、ガタガタと震えながらその場に立ち尽くしていたり、しゃがみこんで丸くなっていた。

「子供達よ、一時撤退しろ。」

どこからともなく邪悪な声が響いた。

エンディは、まるで何者かに背後から耳元で囁かれたのかと思い、背筋が凍りついた。

恐る恐る後ろを振り向いてみても、声の主らしき者はどこにもいなかった。

それどころか、濃霧の様な闇の物質はどんどん濃くなっていく一方で、視界不良に陥った。

「承知致しました、大王様。同志の皆さん、帰還しますよ。」
ルキフェル閣下が言った。

「待てお前ら!逃げんのか!?」
エンディはルキフェル閣下を追おうとする姿勢を見せながら言った。

「あぁ!?誰が逃げるって!?」
ジェイドはカッとなり、エンディに怒声を浴びせた。

「どう捉えてもらっても構いません。大王様の命令は絶対ですので。そう焦らずとも、いずれ近いうちに再び来ますよ。」
ルキフェル閣下は冷静な口調で、宣戦布告ともとれる様な発言をした。

そして辺りに立ち込めていた漆黒の濃霧が、勢いよく空へと昇っていった。

黒い霧は、驚くほどあっさりと晴れた。

それと同時に、冥花軍のメンバーもヴァンパイア達も姿を消していた。

エンディは呆然と立ち尽くし、ただひたすらに自身の無力さを恨んでいた。














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