輪廻の風 2-43




解き放たれたイヴァンカは、真っ先に実父のレイティスを殺した。
そして自身の血統であるレムソフィア家の者を1人残らず惨殺した。

幼い頃から自分のことを忌み嫌い蔑んできたレムソフィア家の者たちに対する憎悪の念を発散させたのだ。

その次は、投獄されている際に檻に忌々しい魔術を施したユリウス家の人間を皆殺しにした。

しかし、その魔術は上手く利用すれば自身にとって有益になると判断し、まだ幼い魔術使いであったアマレットだけは生かされた。

そしてウルメイト家とメルローズ家の激闘にしれっと乱入し、両一族の者たちを次々に葬った。

自身を崇拝しているアベルと、その兄であるカインは利用価値があるとみなされて生かされた。

アベルは、死体の山の前に立つイヴァンカをうっとりとした表情で見つめていた。

「アベル、私は君の父親を殺した張本人だよ。そこに憎しみの感情はないのかい?」
イヴァンカが尋ねた。

「憎しみ?とんでもございません。お父様を殺してくださり、誠にありがとうございます。これからは貴方様のお役に立てる様、精進致します。僕は身の心も、命も、イヴァンカ様に捧げます。」
アベルは丁寧な口調でそう言って、イヴァンカに忠誠を誓った。

その一方でカインは、絶望していた。

どうしてこんなことになってしまったのか。

自分は取り返しのつかない事をしてしまったと、罪の意識に苛まれていた。

「どうしたカイン。私は君の望みを叶えたよ。それなのに、どうして君はそんなに浮かない表情をしているんだい?カイン、嬉しい時は素直に感情を曝け出しても良いんだよ。ほら、遠慮しないで笑いなさい。」
イヴァンカは優しい口調で言った。

カインは恐怖のあまり、怖気が止まらなかった。

全身から汗が噴き出し、声を発することも、体を動かすことも出来なかった。

「そうだよ兄さん。これで争いはおさまったんだ。もっと喜びなよ!」
アベルはニコニコしながら言った。

「ところでカイン、君が以前私に話してくれた、ウルメイト家の風使いはどこにいるんだ?それらしき少年は見当たらなかったが。」

イヴァンカにそう問われると、カインはドクンと心臓が破裂しそうになった。

「カイン、黙ってないで教えてくれないか。その少年と君は親しい間柄らしいじゃないか。是非、私に紹介してくれないか?カイン…エンディをここに、連れて来てくれ。」

イヴァンカは、ゆっくりとカインに近づきながら言った。

イヴァンカが一歩近づいてくるたびに、カインは生命の危機を感じて気を失いそうになるのをグッと堪えていた。

「…はい。」
カインは何とか声を振り絞り、今にも消え入りそうなか細い声で返事をした。

カインはフラフラと歩き出した。

その姿は、エンディを探すのではなく、その場から逃げようとしている様に見えた。

「なんだよ…これ…?」
城下町から帰ってきたエンディは、目の前に広がる信じられない光景に愕然としていた。

すると、死体が乱舞している渡り廊下を青ざめた表情でゆっくり歩いているアマレットを見かけた。

「アマレット!何があったんだ!?」
エンディはアマレットの両肩をがっしり掴んで尋ねた。

「ひ…人殺しーーーっ!!!」
アマレットは絹を裂くような悲鳴を上げた。

エンディは両親のことが気掛かりになり、アマレットを置いてウルメイト家の居城へと走った。

敷地内も扉の前も、まるで阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

エンディは胸が張り裂けそうな気持ちになりながら、居城の中へ入って行った。

リビングには、アッサムとアミアンが血塗れで横たわっていた。

いつも家族で食卓を囲み、楽しくおしゃべりしながら美味しい料理を食べる。

このリビングはエンディにとって一番大切な場所であり、一番心が癒される場所でもあった。

いつものように遊び疲れて帰宅すると、そのリビングで大好きな父と母が血塗れで倒れていたのだ。

この時のエンディの心痛は、計り知れないものだったに違いない。

「お父さん…お母さん…。」
エンディはアッサムとアミアンの生死を確かめるのが怖くて、2人に近づくことが出来なかった。

「エンディ…無事…だったのか…良かった…。」
「エンディ…?そこに…いるの…?」

アッサムとアミアンは、かろうじて生きていた。

エンディは安堵して、2人の元へと走った。

「お父さん!お母さん!何があったの!?」

「情けない話だが…突如現れた赤毛の男にやられてしまった。恐ろしく強かったな。」
アッサムが言った。

「赤毛の男!?そんなことより2人とも、無理に喋らないで!医者を…お医者さんを呼んでくるから!」
エンディはそう言ってリビングから飛び出そうとしたが、アミアンがエンディの腕を掴んだ。

「エンディ…お願い、行かないで。側にいて?」アミアンは涙を流しながら懇願した。

「…え?行かないでって…だってこのままじゃ2人とも死んじゃうよ!?」

「ああ、そうだ。俺たちは間もなく死ぬ。もう助からない。だから治療など受けるだけ無駄だ。」アッサムが言った。

アッサムもアミアンも、もう自分たちが助からないことは分かっていた。

だからせめて、最期は愛する息子であるエンディと共に過ごしたいと考えていたのだ。

「そんなこと言わないでよお父さん!!俺ね、今よりもっともっと強くなって、お父さんとお母さんのこと絶対護るから!今は2人に護られてるけど…いつかお父さんとお母さんを護れるくらい強くなるから!親孝行だって、何だってするよ!だからお願い…死なないでよ!」エンディは泣き叫んだ。

「エンディ…私たちはね、親孝行なんて望んでないよ?あなたが幸せに生きてさえいてくれれば…私たちは何もいらない。あなたからはもう、充分すぎるくらい沢山の幸せを与えてもらったよ?」
アミアンは涙を流し、優しく笑いながら言った。

「エンディ…あの赤毛の男の名は…おそらくレムソフィア・イヴァンカだ。あの怪物がなぜ復活したのかは不明だが…あの男が表に出てきた以上、おそらくこの国…いや、この世界は血で血を洗う恐ろしい世の中になるに違いない。これから始まるんだ…真の絶望が。エンディにはこれから、沢山の苦難が待ち受けているだろう。だが…エンディならきっと乗り越えられると…俺たちは信じている。」

アッサムは現実的なことを言った。

エンディは、自分の未来が恐ろしくなってしまった。

「エンディ…俺はな、人に偉そうにあれこれ言えるほど立派な人間ではないことは自覚している。しかし…父として…最期にどうしても伝えたいことがある。聞いてくれ…。」

アッサムがそう言うと、エンディは無理矢理涙を止めた。

父であるアッサムの言葉を一言一句聞き逃さず、そして決して忘れないでいようという姿勢を見せた。

アッサムは仰向けの状態で、エンディの顔をしっかりと見ながらゆっくり喋り始めた。

「息子よ…元気でいろ、健康でいろ。まずはそれが一番だ。決して力強くなくていい、そのかわり人の道を踏み外さず真っ直ぐ生きてくれ。強い男になれとは言わない…ただ、目の前で苦しんでいる人を見て見ぬふりする様な男にはなるな。弱者に寄り添える男になれ。そして…愛を恥ずかしがるな。大切な人の手はしっかり握りしめ、決して離すなよ。自分にとって大切な何かを護れる力だけは持ち合わせておけ。」
アッサムは、心を込めてエンディに言葉を贈った。

エンディは大粒の涙を滝のように流しながら、しっかりと父の言葉を胸に刻んだ。

「アミアン、君も最後に何か伝えたいことがあるなら…今のうちに言っておけよ。」
アッサムはアミアンに話を振った。

「そうねえ…言いたいことは山の様にあるけど、多分全部言い切れないまま死んじゃうから…手短にまとめるね?」

アミアンがそう言うと、アッサムは苦笑いをしながら「おいおい、手短にって…俺の話が長いって言いたいのか?」と言った。

「うるさいなあ、そんなこと言ってないでしょ?あなたはいつも、一言余計なのよ。」

こんな時も、2人は喧嘩をしていた。

「エンディ…とりあえず、抱きしめさせて?」アミアンはニッコリと笑いながら言った。

激痛に耐えながら、無理をして笑顔を作っているのは一目瞭然だった。

エンディはアミアンに近づき、両膝をついた。

アミアンは最期の力を振り絞って、エンディの腰に両腕を絡めて抱きしめた。

その両腕からは力が全く感じられなかったが、アミアンの深い愛はエンディにしっかり伝わっていた。

「大好き。幸せになってね?」
アミアンがそう言うと、エンディはもう自分の意思ではとめようのないほどの涙が溢れてきた。

「エンディ、忘れるなよ…俺たちはいつもエンディの味方だからな。何かに負けそうになった時…挫けそうになった時は空を見上げてくれ…俺たちはこの先も…ずっと…エンディを見守っているからな…。」
アッサムはそう言って、瞼を閉じた。
それと同時に、エンディを抱きしめていたアミアンの腕がエンディから離れ、床に着いた。

アッサムとアミアンは安らかな表情で息を引き取った。
エンディに看取られたまま。

エンディは泣いた。
悲しみが止めどなく込み上げてきた。

しばらく経ち、泣き疲れたエンディは、父と母の亡骸に別れを告げて部屋を出た。

「うおおおおおーー!!!」
エンディは大声で叫びながら、イヴァンカを探して神殿内を走り回った。

悲しみ、怒り、憎しみ。
これら三つの感情が一気に込み上げてきて、エンディは頭がおかしくなりそうだった。



一方で、カインも神殿内を走り回っていた。
すると、偶然にもアマレットと会ってしまった。

「カイン!何してるの!?」
アマレットは走り回るカインの腕を掴んで言った。

動きを止められカインは、突如うずくまり、ガタガタと震えていた。

「俺の…俺のせいだ…。全部俺のせいだ…。ごめんなさい…ごめんなさい…許してください…!」
カインは錯乱状態に陥っていた。

「カイン!落ち着いて!」
アマレットは両手でカインの両頬を挟みながら言った。

この時、カインは少しだけ正気を取り戻した。

「アマレット…?」

「カイン…あなたはもうここにいちゃいけない!この国にいたら、あなたはおかしくなっちゃう!だからもう、この国から出て行って!そしてどこか遠い国で暮らした方がいい!お願い…もうこれ以上、あなたの苦しむ姿を見たくないの…!」
アマレットはボロボロと泣きながらカインに訴えかけた。

カインは、自身を責め立ててこないアマレットに驚いてしまっていた。

そして、しばらくアマレットの顔を見つめた後、何も言わずに走り去ってしまった。

アマレットはこの時、カインの後ろ姿を見えなくなるまで見つめていた。

きっともう2度と会えないから、しっかりこの眼に焼き付けておこうと思ったのだ。

それは、とても切ないものだった。


その頃エンディは、謁見の間に辿り着いていた。

そこにはイヴァンカがいた。

「赤毛…お前がイヴァンカだな!?」
エンディは鋭い眼光でイヴァンカを睨みながら言った。

「そうだよ。もしかして君は、エンディかい?会いたかったよ。あれ、カインは一緒じゃないのかい?」
イヴァンカがそう言い終えると、エンディは身体中から溢れんばかりの風を放出させた。

台風の様に激しい風はエンディの身体に吸収されていき、エンディは銀色に発光している様な姿になっていた。

そう、この時にエンディは激しい怒りにより、無意識に隔世憑依を会得したのだ。

「ほう、これは驚いたな。素晴らしい。」
イヴァンカは感心していた。

エンディが攻撃を仕掛けようとした次の瞬間、イヴァンカが右手から激しい雷を放った。

その雷はエンディに直撃してしまった。

エンディは大きなダメージを受け、そのまま気を失ってしまった。

イヴァンカは、そんなエンディを嘲笑う様に見下ろしていた。

「残念だな。折角、我が麾下に迎え入れてあげようと思っていたのに。」

イヴァンカがそう言い終えると、謁見の間にノストラが入って来た。

「おどれだけは…何が何でも死なせんぞ…!」
ノストラはエンディを抱き抱え、命からがら逃げ出した。

「愚かな…。」
イヴァンカはそう呟くだけで、後を追おうとしたかった。


この日ノストラは、エンディを抱えて国外へと逃亡したのだ。

そして、エンディは強い精神的ショックと雷の攻撃により、記憶を失ってしまったのだ。

後は、他のみんなも知っての通りの展開。

何とかバレラルク王国の田舎町の海辺にたどり着いたノストラは、記憶を失ったエンディを置いて立ち去った。

ノストラは決してエンディを見捨てたわけではない。

あまりにも辛い出来事だった為、このまま何も思い出さずに新しい人生を歩んだ方が幸せだと、そしてそこに自分が入り込む余地はないと判断しての行動だった。

体の痺れが徐々に収まり、やっと動ける様になったエンディは、この日から4年間にも及ぶ孤独な旅を始めた。

1人で国外へ逃亡したカインは、獰猛な野生動物が蔓延る、決して人間が近づいてこない無人島に目をつけ、4年間その場所で息を潜めて暮らしていたのだ。

そしてその4年後、エンディはラーミアと邂逅を果たし、カインと再会し、たくさんの人と出会い、少しずつ記憶を取り戻していき、今に至るのだ。

闇に葬られた歴史の話はこれにて終わり、時計の針は再び現代まで巻き戻った。









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