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ショートショート 博士と少年、宇宙を旅する

今夜も博士のところへ行くんだ。
僕はノートとペンとお母さんが作ってくれたサンドイッチを持って、丘の上の研究所を目指して走っていた。
もう、あれは完成しているかな。
先週行ったときは、博士はいろんな大きさのレンズやいろんな種類のセンサーを組み立てていた。もったいつけてちゃんと教えてくれなかったけど、僕には分かっていた。あれは「望遠鏡」だ。

草が生い茂る丘に着き、てっぺんまで一気に駆け上った。
博士はいなかった。けど、「それ」はあった。
見上げると逆光でまぶしく、巨大な円錐。尖った先端には、のぞき窓らしきものが付いている。近づくと、後ろから「触るんじゃない」としわがれた声が聞こえた。
博士はいつものように白衣を着ていた。背が高くて猫背。細い目で僕をきっ、と睨んで、その巨大な円錐に歩み寄り、そして、こっちを振り返った。「完成した」。低い声で静かに言った。僕は博士のこういう、ぶっきらぼうだけど芝居がかったところが好きだ。

やっぱりそれは望遠鏡で、でもただの天体望遠鏡じゃない。名前は「ボイジャー」というらしい。博士は宇宙の彼方にワームホールを見つけて、仕組みは僕にはよく分からないけど、とにかくそれを利用してもっと遠くの星の、しかも地表の様子まで、双眼鏡で川の対岸のマンションのベランダを見るくらいにはっきりと観察できるんだって。ノートには博士が言ったことをなるべくそのまま書いたから、詳しくはまた後で勉強しよう。もう待ちきれなくなって「早く早く」と博士をせかした。

博士が、ボイジャーの横のコンピューターを操作すると、巨大な円錐の中で何かが動く音が聞こえた。レンズや鏡をの向きを変えているんだ。ウイーン、カチカチ、という音がしばらく続いて、止まった。準備ができたらしい。博士にうながされて、先端のレンズをのぞき込んだ。

赤色が目に入った。赤い石、赤い砂、風が吹いて、赤い砂埃が舞う。これが、どこか別の星なんだ。どこか遙か遠く離れた星の何年も前の姿。それが、目の前にある。調節ねじで、X軸とY軸を動かしてみる。どこまでいっても赤い風景。と、そこに、動くものがいた!虫みたいだ。地球でいうとダンゴムシみたいな。丸みがある体から、足がたくさん生えて、のそのそと歩いている。するとこんどは黒い影が視界の端からぱっと現れてダンゴムシをさらっていった。ねじを回して追いかけると羽が生えたダンゴムシだった。この星ではダンゴムシからいろんな生き物に進化しているのだろうか。僕はその星に釘付けになっていた。

それから博士の案内でいろんな星を見た。大地が常に燃えさかる灼熱の星もあれば、地表に水が満ちて海底に文明らしきものが見える星もあった。生き物がいる星の方が少なかったけど、僕はどの星にも夢中になり、夜遅くまで観察を続けた。

次の夜もその次の夜も通ってボイジャーを使った。使い方にも慣れて、自由自在に星を見つけて観察することができるようになった。博士は操作を僕に任せてくれていたんだけど、最初の夜に約束したことがある。僕がノートにレンズの中の風景を描こうとすると、博士は「目に焼き付けるんだ」と止めて、すぐに「絵を描くのはだめだ」と言った。最初はきつい声で、後のは柔らかい声だった。でもその夜、僕は約束を破ってしまった。

それはすごくきれいな星だった。僕たちが住む地球に似て、青い海と、白い砂浜、緑の草原があった。四足歩行で白い小さなもふもふとした動物もいた。文明に侵されていない楽園のように思えて、思わずその姿をノートに描いてしまった。それを博士に見つからないように鞄にしまって持って帰った。

その後も毎夜、ボイジャーに通っていたんだけど、博士は隣に座って、たまに僕が「すごい」とか声を上げると「どれ」と見に来たりするだけで、何もしていなかった。毎日僕が独占しているから、そういえば博士はほとんどボイジャーで天体地表観察をしていなかったかもしれないと思って、「疲れちゃったから代わるね」と僕なりに博士に気を使わせないように席を空けた。でも博士はボイジャーをのぞこうとしなかった。「どうしたの」と僕が尋ねると、博士は「ボイジャーを使ってみてどうだった」と聞いてきた。どういう意味だろう?と少し考えて「面白い」と答えた。「いろんな星が見られて。行ってみたくなったよ」。すると博士は言った。「そうだろう。誰も行ってみたくなる。未知の世界を冒険したくなる。安住の地を求めたくなる」。なんだか、博士は寂しそうだ。「ボイジャーは、明日にも解体しようと思う」。「えっ」。解体?「どうして」。「十分楽しんだだろう」。「僕は楽しんだけど。でも、すごい発明だよ。壊すなんてもったいないよ」。「これは、人間には毒になる。星の見た目しか分からないものだからね」。僕ははっとした。複雑な感情が渦巻く。でも、たしかにそうだ。うん。「分かった」と言うと、博士は静かに微笑んだ。僕は「最後にもう一つだけ星を見てもいい」と聞いた。博士はうなずいた。「2人で見ようと」と僕は博士を横に連れてきた。

調節ねじを回して、適当に星を見つけて、ズームアップする。ピントを合わせた。そこは小高い丘で、夜だった。「あっ」。初めて二足歩行の、しかも服を身にまとった人類のような生き物を見つけた。文明がある。さらにもう一人いる。ふと隣を見ると、博士も目を丸くしていた。ねじをつまむ僕の手は汗ばんでいる。さらにズームアップすると、レンズの向こうの2人は、老いた片方は車椅子に腰掛けていて、若いもう1人が、よく見る形の細長い天体望遠鏡をセットしている。車椅子を動かして、天体望遠鏡の前に位置した老いた方が、レンズをのぞき込んだ。何か、楽しそうに話しながら。

最後のボイジャーでの「旅」を終えた僕と博士はお互い何も言わずに、でも、2人とも穏やかな気持ちだったと思う。「明日は手伝いに来るね」と言って、帰った。前に描いたあの星の景色の絵には端の方に「空想の星」と、わざとらしいかなと思いながらタイトルを書いて、引き出しにしまった。

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