限界近づく資本主義に代わる新しい政治体制を考えるのコピー

限界近づく資本主義に代わる新しい政治体制を考える

資本主義でもない、社会主義でもない、全く新しい政治体制を考えてみました。

 資本主義(資本家が労働者から労働力を買い、商品・サービスを生産し、利潤を得る仕組み)は近年、そのほころびがかなり目立ち始めているように思います。富の一極集中により莫大な資産を築く者がいる一方、中間層は次第に減少し、低賃金でやりがいも無く働き続けなければならない人が莫大に増え続けています。

 これまで資本主義における外部不経済を是正してきた国・税による富の再分配機能も、グローバル化によってその能力を低下させており、格差の拡大に歯止めをかける手段はますます減る一方です。資本主義はこれまで修正を繰り返してきましたが、もはやそのモデル自体が限界に近付いているように感じるのです。

 さらに経済だけの問題に留まりません。格差が拡大したり、既得権益が脅かされる結果、権威によりすがろうとする者たちが現れ、自己責任論が跋扈し、ヘイト(憎悪)が社会の至る所に生まれ、ナショナリズムが台頭し、社会が大きく分断され、このままでは平和が脅かされるのも時間の問題でしょう。

 ところが、社会主義がこれらの問題を是正するのもまた不可能であるように思います。過去の歴史を振り返れば一目瞭然のように、社会主義は仕組み上どうしても腐敗や権力独裁やフリーライダーを生みやすく、イノベーションも生まれにくくなり、社会が硬直的になりがちです。

 ですから、社会主義ではない方法で、資本主義に代わる新しい政治体制をそろそろ発明しなければならない時期に来ていると思うのです。

 では、どんな方法が良いのでしょうか?

◆資本主義で格差が広がる瞬間はいつ?

 それを考える上で、まずは「なぜ資本主義で格差が生じるのか」を知らなければなりません。格差の問題というと、最低賃金や労働分配率が低い点が指摘されますが、もっともっと根幹的なところと言えば、資本が膨らむ段階において、なるべく他者を排除して増加資本を独占することが許される点です。つまり、資本家の「資本政策」にあります。

 資本家が創業者となり組織を作るケースでは、資本を投入するのは自分や、多くとも共同創業者のみで、なるべく他者を排除するのが、現在の経営者にとって最適解です。資金調達の際にVC等から出資を受けても、なるべく自分達の持ち株比率は下げずに、筆頭株主であり続けることによって、会社が成長すると共に莫大な資産を築くことができるわけです。まさに「現代の錬金術」と言えるでしょう。

 たとえば、資本家VS労働者のテーマで近年よくインターネット上で話題になった人と言えば、ZOZOの元社長・前澤友作さんですが、彼もスタートトゥデイの株式上場時には一人で約88%もの株式を持っています。彼は増加資本を独占することで億万長者になりました。

 つまり、「組織に労働参加はして欲しい。でも資本参加はさせたくない(orガバナンス狂うからさせられない)」というスタンスが、資本主義において平然と許されてしまうことこそが、会社が生み出した利益の多くを資本家がかっさらうことができる原因です。


◆資本家と労働者を完全一致させよう

 ですから、逆に組織に労働参加する際は必ず資本参加も伴わなければならないとすればどうでしょうか? 事例をあげて説明しましょう。

 たとえば経営者と技術者2人で始めたアプリ開発のA社は、CEOが1億円、CTOが8000万円ずつ出資し、資本金1億8000万円としました。その後会社の業績が伸びてきたので、プロダクトをさらに広めるべく、マーケティングのスペシャリストを招き入れようという際、彼or彼女も7500万円で労働資本参加しました。

 その後、UI/UXデザイナーが欲しいと思うものの、どうしても優秀な人材がスカウト出来なかったのですが、たまたま知人に「2分の1の副業なら良い」というフリーランサーがいたので、彼or彼女も3500万円で労働資本参加しました。さらに、事務補助を行うスタッフも3000万円で労働資本参加しました。

 このように、資本家と労働者を完全一致させる仕組みです。後から労働参加する人も必ず資本参加とセットでなければなりません。これにより会社が大きく成長した際には、創業者一人ではなく、事務補助を行うスタッフも含めて、組織に参加した人全てに遍く利益(キャピタルゲイン)が配分させるわけです。

◆全ての人がそこそこの財をなす機会を得る

 これは資本主義の何倍もモチベーションを爆発させる仕組みではないでしょうか? 確かに富を独占出来なくなった創業者のモチベーションは何割か目減りしてしまうかもしれませんが、これまでただの歯車だった人たちにも「そこそこの財をなす機会」が何倍もアップするので、組織のモチベーションの総和は確実に増えるわけです。

 というわけで、仮にこの政治体制を「労主主義」としておきたいと思います。資本が主人公になるのでもなく、社会が主人公になるのでもなく、労働者という個人個人が主人公となる仕組みです。

 もちろん、会社が資金調達をよりたくさん行いたいという時は、労働参加者以外の外部から資本を追加することもアリだと思いますが、「労働資本参加者ファースト」を実現するためにも、議決権の伴わず、配当金や残余財産の分配などの際において優先度が後順位になる「劣後株式」に限定します。

 ただし、この労働と資本の同時参加の仕組みには一点大きな問題があります。それは、労働者が退職する際、すぐ代わりに入れる人が決まっていなければ、企業の資本が目減りしてしまう点です。そうすると資金ショートが起こる可能性が非常に高くなってしまいます。

 これに関しては、労働者の退職と同時に資本を債務に振り替えて(イメージとしてはDebt Equity Swapの逆のようなもの)、労働者が債権を金融機関に売却する契約を金融機関を含めた三者で合意することで、資金繰りへの影響を相殺します。

◆国による「ベーシックキャピタル」の必要性

 なお、これを見て、「お金持ちの子供ではない普通の労働者には会社に投資できる資本なんてありません!」という反論が返って来るかもしれません。もちろん、これを回避する手段も設けます。それは、「ベーシックキャピタル」です。

 要するに、義務教育を卒業した者がどこかの組織に労働資本参加しようという際に、国から資本の元手を無利子で借りることができます。この資金は他の用途に使用することを防ぐため、労働者から参加を受けた企業しか換金できない「バウチャー」として配布すると良いでしょう。

 逆に、格差の固定化を防ぐためにも、親から資産を引き続いだ息子や娘が、国から資本を借りずに大量の私財をもって参加することや、借りた資本に私財を大量追加して参加することもできないようにします。労働者はあくまで国から借りた分のみで労働資本参画するわけです。

 

◆労働者の所得は給与からインカムゲインへ

 次に、報酬の話です。創業者の多くは、役員報酬ではなく、配当で利益を得ています。一方、労働者への配分は給与という人件費です。PLの中に彼らへの分配金が計上され続ける限り、組織としてはコストと見なされてしまいます。この差が富の拡大が広がる仕組みです。

 そこで、「労主主義」では、労働者への報酬は人件費としては計上しないする仕組みにしました。彼らはあくまで「投資家」として資本参加したその見返りとして、配当を受ける権利を取得します。

 先ほどのA社(資本金3億2000万円)を例にあげると、昨年度はROE(自己資本利益率)30%を達成し、企業の当期純利益が9600万円生じました。このうちの3分の1である3200万円を、労働資本参加者への分配として、それぞれの出資割合に基づき分配します。

 CEOへ1000万円、CTOへ800万円、マーケティングスタッフに750万円、副業UI/UXデザイナーに350万円、事務スタッフに300万円配当します。つまり、労働者の視点で見ると、彼らは投下資本に対して10%のインカムゲインを得たというわけです。

 ちなみに、前項での政府から借りることができる金額は、その個人が就く「職務の市場価値」を基準に、平均的インカムゲインを割って算出します。つまり、A社のCEOの職務が1000万円の市場価値があると算定され、平均的インカムゲインが10%だった場合、国から貸し出されるバウチャーは1億円というわけです。ゆえにCEOはこの1億円を用いて起業したのです。

 

◆企業ではなく国が安心を与えよう

 ただし、このインカムゲイン方式には一つ、大きな問題が生じます。会社は毎年必ず十分なROEを達成できない可能性が高いという点です。キャッシュが十分にあれば赤字配当も当然可能ですが、資金難により配当ができなくなってしまう可能性もゼロではありません。

 配当ができるかできないか分からない仕組みに労働者の生活が左右されるのは、非常にリスキーです。人件費ならばローリスクローリターン、配当であればハイリスクハイリターンというゼロサム的な現状の仕組みを、どうにかローリスクハイリターンにはできないでしょうか?

 それを解決するのはやはり、ベーシックインカムの導入でしょう。これまでは企業が雇用継続で安心を与える役割を果たしていましたが、企業の寿命がドッグイヤーと化したこの社会では、雇用継続で労働者に安心を与えることはもはや不可能に近い。ですから、国がやるべきです。

 つまり、A社に勤める5名は、企業からのインカムゲインとは別に、国から一人あたり月○○万円のベーシックインカムを全員が受け取っています。労働者たちは食い扶持がゼロになる心配は無く、過度に保身に走らず、チャレンジできるわけです。

 

◆法人税と給与所得税を排して配当課税へ一本化

 ただし、ベーシックインカムを実現するためには、財源を得るために税率をある程度高く設定する必要があります。ところが、それを旧来の法人税という仕組みで得るのは、このグローバルなインターネット社会ではほぼ不可能です。

 当たり前ですが、高い法人税を課せば、日本からタックスヘイブンへと企業が出て行ってしまいます。この課税逃れを予防するには、法人税と所得税(給与所得)を排して、労働資本参加者への富の移転時に課税する方式に一本化すると良いでしょう。

 たとえば税率を100%と想定したとすると、A社とその労働者の納税すべき額は3200万円です。A社は労働資本参加者へ3200万円分配するのと同額を、税として国に納めるわけです。これであれば、A社のメンバーが国内にいる場合は、法人の所在地をわざわざタックスヘイブンに置く意味が無くなります。

◆労働の形は必ずしも「労働」だけではない

 問題となるのは、法人に加えて労働者自体も国外に居住を構えて国内市場でインターネットサービスを開拓するケースです。近年はGAFA等がこのようなビジネスモデルを構築していますが、利益を生み出す源泉が「狭義の意味での労働者」からデータ等の無形資産に移っているために格差が広がっているというのは、世界中で指摘されている問題です。

 これに関しては、フランスが導入したような、何らかのデジタルサービス課税が必要となるでしょう。その論理的根拠は、利益を生み出す個人情報の提供やSNSへの書き込みという無形資産への利用者の貢献を「労働の一形態」として捉え、その分配課程において税を課そうというものです。

 これを導入すると、やりがい搾取のような問題にも一定の効果があるように思います。つまり、本来は「労働」に該当するにもかかわらず、労働契約を行わず、それを不当に低く見積もって労働力を得ようという企業にも、分配を怠ったとして課税をすることが可能になるわけです。

◆職場からヒエラルキーを消せる!

 最後にマネジメントの話をします。あらゆる労働者が株主となるということは、徹底的に分権されるという意味であり、「統率が取れなくてカオスになる!」と思うかもしれません。確かにこれまでのようなヒエラルキー構造のマネジメントではこの仕組みを運用することはかなりハードルが高いでしょう。

 ただし、このような分権化社会にふさわしいマネジメント手法があります。それが既に他の記事でも何度か触れている「ホラクラシー」です。上下関係を一切設けず、徹底的に意思決定権限を分権し、ルールによりガバナンスを行うこの手法であれば、労働資本参加者が多数いる組織でもカオスに陥ることなく機能することが出来ます。

 「労働者にもキャピタルゲインのメリットを与えたくとも、ガバナンスが弱くなるからむやみにできない」というように、資本主義とヒエラルキーは非常に親和性の高いものでしたが、その正反対を行くのがこの「労主主義」とホラクラシーなのです。

 というよりもむしろ、今回の「労主主義」の構想は、このホラクラシーに感化されて、「企業組織がここまで劇的に変わるのであれば政治体制も劇的に変えることが出来るのではないか」と考えたことがきっかけでした。企業=ホラクラシーという前提があったこそ、「資本家と労働者の一致」をスタンダードにする発想が出て来たわけです。

◆全ての人の才能を爆発させる社会へ
  

 以上、資本参加と社会主義に代わる新しい政治体制「労主主義」を私なりに考えてみました。私のビジョンは「全ての人が自分を愛し、才能を爆発させることのできる社会」です。今回の新しい「労主主義」のアイデアは、まさにそれを実現する手段になりうるのではないかと思っています。

 もちろん、まだまだジャストアイデアの部分も多く、様々な議論を通じてブラッシュアップする必要はあると思いますが、「労主主義」を今の資本主義に代わる、新しい希望となる仕組みに皆で成長させることができれば幸せです。

 そしていつかは実際にこの「労主主義」を導入する「国」が現れると良いなと思いますし、インターネット上で仮想国を作り上げるのも面白いかもしれません。引き続き、注目頂けると幸いですし、どうか議論を巻き起こすべく、ご支援と拡散のご協力も何卒よろしくお願いします。

現代の新しい社会問題を「言語化」することを得意とし、ジェンダー、働き方、少子非婚化、教育、ネット心理等の分野を主に扱っています。社会がちょっとでも良くなることを願って、今後も発信に力を注いで行こうと思うので、是非サポート頂けると嬉しいです。